届かぬ理想
異世界と異世界の融合。それにより生じた空間を異界域と呼んでいる。そこは二つの世界が混じり合い融合した歪な世界。ビルに岩山や樹木が融合し奇妙な光景が光景が広がっている。それは逆に言えばそれだけユグドラシル界からこちらの世界に来ることは難しいことを意味する。もしも万が一、人体がビルなどの無機物と融合することになってしまえば絶命は必須。
故に慎重にする必要があった。そしてそれを実現するのが超巨大移民船イカロス。
多数の移民たちを乗せて次元間移動を可能とするこの船は異界域となった空間を目標座標として着実に向かう。
雨宮たちが立ち去った後、零士は一人執務室で電話の受話器を手に取っている。
「ああ、そうだな。私も最初は驚いたよ。君の言うことが初めて外れたのだから。」
一人、零士は電話で何者かと会話をしている。その表情は険しく、先程雨宮たちに見せた表情とは別物だった。
「しかしそれは君にとって朗報だろう?願ってもいないことだ。大丈夫、今度のパーティーには呼んでおいた。君たちを紹介したあとで個室に案内するよう手引きしよう。誰にも邪魔されないようにね。」
電話を切る。彼の話だとイカロスが来るのはそろそろ。夜中のテラスでティーカップに注がれた温かい紅茶を飲みながら夜空を見る。
空が割れ始める。ヒビが入ったような光景。割れ目は広がっていき、やがて空に巨大な孔が開いた。それは融合とは明らかに異なる挙動。夜空を覆う巨大な方舟。移民たちを乗せた時空間航空能力を保有した異世界の科学の結晶、超巨大移民船イカロスである。
翌日、人々は大騒ぎだった。テレビ局は番組をすべて中止にし、緊急特番を組んで実況を開始する。
異界域上空に突如出現した謎の超大型飛行物体。今はまだ沈黙をしているが、あれが何なのか皆が心配そうに見ていた。
そんな中、政府は記者会見の場を設ける。あれがなんなのか、かねてから異界域からやってきたという人々と交渉をしていた政府は当然あの飛行物体の正体は知っているものだと誰もが期待していた。
時間は昨夜に遡る。
深夜に突如出現したイカロスは当然、即座に政府の耳にも入った。血相を変えた彼らは現状を整理するために偵察部隊の編成、攻撃必要性の有無など検討しなくてはならないことが山程あり、頭をかかえる。
そんな中、一つの連絡が入る。異界域よりやってきたというものたちから面談の申し出だ。願ってもいないことだった。彼らならばこの異常事態を分かっているはずだと。
「皆さんご連絡ありがとうございます。どうぞこちらにおかけください。」
面談には大臣だけではなく首相まで同席した。当然であった。これほどの異常事態、対応を誤れば最悪の結末となる。
「これは総理まで同席してくださるとは恐縮です。さて早速ですがあなた方が異界域と呼ぶエリア上空に浮かぶ船のことですが……。」
彼らの言葉に生唾を飲み込む。政府首脳らに緊張が走る。
「あれは我々の世界からやってきた移民船イカロス。多くの同胞が乗っています。その数にして……100万程度。」
「100万だと!!?」
大臣の一人が思わず声を荒げる。
彼は移民政策を担当していた。移民というのは文化が異なりトラブルの元となりうる。故に慎重に受け入れる必要があるのだが……100万というのは度が過ぎている。それは一つの政令指定都市にも匹敵する人口。
「君、落ち着きたまえ。」
総理は慌てた様子を見せる大臣をなだめる。尋常ではない事態に誰もが平静ではいられなかった。
「彼らはこの世界に迷い込んだ同胞です。我々としては丁重にこの国で……いやこの世界で安心して住めるようにお願いしたくこうして足を運んだのです。」
「し、しかし100万人というのはあまりにも……いえそちらの世界の常識はわかりませんが、我が国ではとても移民を受け入れられる限度があります。」
マクス・ウェーバーという社会学者が提唱した学説の一つに社会秩序と経済活動の関係性があげられる。社会秩序とは一定の文化圏を共有するものにより形成されるものであり、許容される異文化圏の人々がどの程度までなら問題ないかを求めている。
この東京という都市に突如100万人という、まったく文化体系の異なる人々が流入するということは、社会的混乱が起きることは明らかなものであった。
「ご安心ください。住む場所ならば適切なところがあるではないですか。今は国民が入らないよう封鎖されている……異界域です。ああモンスターのことならお気になさらず。我々の同胞は皆、モンスターと戦えます。移民といっても彼らは未開の土地を開拓するものたち。皆、戦闘能力を有しています。"モンスターごとき"大した脅威ではないのです。」
封鎖されている使用できない土地を利用するという話。移民たちは危険な未開の土地を開拓するために屈強な人々ばかりだという。それだけを聞くと真っ当な話にも思える。だが違う。この場にいるもの全員が感じた。
これは脅迫だ。現代科学ではモンスターに太刀打ちできないことは自衛隊からの報告で明白だった。だが彼らは断言した。"モンスターごとき"敵ではないと。それは逆に言えば、そんなものに苦戦した貴様の国の軍事力など相手にならないという意味。
断れば……その紳士的な表情がどう豹変するのか考えただけでも恐ろしい。
「わかりました……しかしあまりにも突然です。国民に対して理解を深めてもらう必要もある。政府だけでなく民間との連携も……。」
「それには及びません。」
政治家たちの苦し紛れの言葉を遮るように答えた。
「実はもう我々独自にそちらの民間企業と話をつけているのです。」
異世界の人々はそう言ってニヤリと笑った。既に先手は打たれていたのだ。主導権をこの世界の人間に握らせるつもりは最初からなかった。
「そ、そんないつの間に!困りますそのようなことを……いえ過ぎたことは仕方ない。なんというところなのですか?急ぎこちらからもアプローチをしないと。」
驚きと焦りを見せた彼らであったが、すぐに今後の対抗策を考えなくてはならないと思考を切り替える。今、大事なのは異世界の人々との交渉。その後の利権争いは二の次なのだ。
「確か……玖月財閥という財閥です。」
玖月───。確か東京を拠点とする名士。先代の玖月九鬼の凄まじさは知っているが今はぱっとしない。故に彼らは安堵した。玖月財閥程度なら、コントロールに十分おけるものだと。





