入り混じる真実
彼女の父親は玖月零士というらしい。今は書斎で執務中ということだが、面会することに問題はないというのだ。
綾音は書斎の前に立ちドアを軽くノックする。
「パパ、私……綾音よ。用事があるのだけど良いかしら。」
「あぁ構わないよ。鍵はかかっていないから入ってきたまえ。」
ドアに手をかけて開く。
書斎と呼ばれる部屋は文字通り大量の本棚と書物で埋まっていた。その奥に高そうな木製机と椅子に両手を組んで肘をついている男性がいた。
「参ったな、我が娘ながらこういう行動に出るとは思わなかったよ。」
彼は俺を見て一言そう呟いた。彼こそが玖月零士。綾音の父にして玖月財閥総帥。そして……蒼音を監禁拷問した黒幕だ。
「雨宮くんのことは、この間話したでしょう?記憶喪失だって。」
「ああ、久しぶりだね雨宮くん。私のことは覚えているかな。君とはそれなりに深い親交を結んでいたと思うが。」
当然、玖月零士など知らない。記憶喪失ではなく完全別人なのだから。俺は首を横に振った。
「記憶喪失と聞いてとても心配したよ。君と綾音はケンカをしていたようだが、それとは別に君と私はとても深い関係だったからね。どうした?もっと近くに寄り給え。」
薄ら目で笑みを浮かべる。その言葉に誘われるように俺は彼の側に寄る。
「俺は玖月財閥とどういう……いいやあなたとどういう関係だったんですか?」
そして直球に、俺の感じていた疑問をそのままぶつけた。
「異界域……ニュースでたくさん報道されているね。皆、大騒ぎだ。狂ったように……新しい玩具を手に入れた子供のようだと思わないか?」
俺は黙って彼の言葉を聞いた。もったいぶった言い回しだが機嫌を損ねて真意を聞きそこねるのはごめんだからだ。
「たくさんの犠牲者も出ているが一時的なことだろうね。きっと落ち着いてきたら新たな空気が生まれる。今までにない非常識的な存在……それはきっととてつもないビジネスチャンスだ、そうは思わないか。」
その考えは正しい。ユグドラシル界にはこの世界に存在しない物質が山ほどある。そしてそれは逆もしかり。お互いがお互い、新しい発見や存在に胸を躍らせるのは明白だ。
黙って聞く俺の態度をじっと零士は見つめ、そして答えた。
「あれはね、君がしたことなんだよ。雨宮くん。君と私はビジネスパートナーなのさ。」
何を言っているのか理解ができなかった。
頭の中に浮かんだのはこの世界に突如出現したモンスターたちに迫害される無辜な人々。錯乱した雪華は記憶に新しい。この世界を狂わせて、何かしらの営利を貪ろうとしている存在。それが他でもない蒼音自身だと零士は言うのだ。
「ばかなことを……言わないでください。俺は学生です。そんなことする意味がない。」
動揺を隠しきれず、まるで確認するかのように零士に問いかける。本当は薄々分かっている。俺は、俺はとてつもない悪人のために命をかけているのだと。
そんな様子を見通しているかのように零士は微笑み一枚の写真を机に収められているファイルから取り出した。
「見たまえ。これは記念に撮影した写真だ。これだけの一大プロジェクトだ。当然我々ではできない。協力者を募りパーティーをしたんだ。」
写真には新資源獲得計画とかいう横断幕が掲げられていて、壇上に立つ零士はにこやかに握手をしていた。プロジェクトの中心人物だというのは明白だった。そう、笑顔で握手をしているのは紛れもなく雨宮蒼音だったのだ。
「なにこれ……こ、これはどういうことなの!?パパは雨宮くんと個人的な交流があったの!?」
傍観していた綾音が写真を見て驚いた様子を見せる。
少し違和感を感じた。彼女の態度が少し白々しく思えたのは気の所為か。
「…………事の経緯は単純だよ。忘れているようだが君は昔からうちの綾音とは友人関係だった。幼馴染という奴だな。本来ならば玖月財閥の総帥である私と一介の学生が交わることはないのだが、そういったこともあり幼馴染の父として君とは付き合いが多少あった。そしてある日、君は私に提案したんだ。素晴らしい話があるとね。どこから得た情報かは知らないが、その話は極めて魅力的で且つ現実的だったよ。それが此度の異界域発生の真相だ。」
「俺が……人工的に引き起こしたというんですか?」
「君が?はっはっはっ……あぁ失礼。それはないだろう。君から教えてもらったのは異界域の情報とその時期について。見るかな?本来は極秘資料なのだが……他ならぬ君が持ってきた資料だ。」
零士から渡されたファイルにはユグドラシル界の情報が事細かに正確に書かれていた。そしていくつかの実験記録。この世界に行き来していたものの存在の示唆。そして大きく明言されていた。
『ユクドラシル界との融合は◯月△日。世界を変える方舟がやってくる。』
それは紛れもなく異次元が融合した日だった。雨宮蒼音は完全に読んでいたのだ。あの現象を。
「こんな荒唐無稽な話をどうして信じたんですか……。」
「最初は信じなかったさ。だが目の前で見せられては何も言えない。君は私に紹介してくれたんだ。異世界から来たという人物を。そしてこの世のものとは思えないモンスターと呼ばれる生命体を。」
資料に記述のある実験記録。それはこの世界の人間がモンスターに対する抵抗能力を測ったものだった。まずは一般家庭をいくつか選出しモンスターに襲わせその反応を見る。次に戦闘経験のある人物にこの世界の武器を渡して反応を見ている。
ほとんどが一方的な虐殺であった。それはこの世界にはモンスターへの対抗手段が皆無であることを意味する。一つだけ撃退した事例はあるようだが例外的なもので魔力がなければモンスターとは戦えない。
「さて、質問の答えにはなったかな?改めてもう一度言おう。君と玖月財閥の関係はビジネスパートナーだ。それは今も変わりない。記憶喪失なのは残念だがここまで共に歩んできた同志を切り捨てることなどしないよ。」
零士は椅子から立ち上がり手を差し伸べる。写真のようにもう一度握手をしたいということだろう。
釈然としない点が二つある。一つは涼華の言葉。玖月財閥に監禁拷問されていたということ。それは本当にビジネスパートナーだったとしても成立する話だ。何らかの問題があり、蒼音は玖月財閥と敵対した。それならば筋はとおる。二つ目は綾音の白々しい反応。根拠はないがどうも直感的に気になる。零士の話だと綾音は蚊帳の外にいるように見えたが、何かを隠している。
零士は俺が涼華から話を聞いていることを知らない。故に記憶喪失は都合が良いと考え、再び協力関係を結ぶ方が得策と考えたのだろう。
しかし、それでも俺は差し伸べられた手を握りしめた。
今は零士と協力関係でなくてはならない。蒼音の真実を知っている唯一の関係を断つわけにはいかない。蒼音が己が利権のために他者を弄ぶ生かす価値のない屑野郎だったとしても、今はまだ分からない。真実を確かめなくてはならないからだ。
「そう心配するな。近々パーティーがある。その時に君を招待しよう。会わせたい人がいるんだ。」
零士は微笑み、手を優しく握りしめた。
「パパ、そのパーティーに私も行ってもいいですか。」
俺と零士の間に割り込むように綾音が話しかけてきた。
「良いとも、しかしどうしたんだい綾音。随分と……積極的じゃないか?」
零士は綾音をじっと見つめて問いかける。察するに今まで綾音はこういったことに対して消極的だったようだ。
「いずれは引き継ぐことになるであろう事業について知りたいだけです。異界域の事業はこれからなのでしょう?」
綾音はそんな零士の言葉に動じす、冷静に答える。
「なるほど、筋は通っている話だね。しかし綾音……最近の綾音はどうも理性的だね。いいや良いことだとは思うよ?だが……ね。まるで"用意している回答を読み上げている政治家と話をしている気分"になるんだ。具体的な根拠はない、直感的な話だがね……綾音?」
零士は俺と繋いだ手を離して、ゆらりと綾音に近寄った。
「パパに……何かかくしごとをしていないかな?」
「いいえ、何もしていません。パパは最近忙しいから神経質になっているのでは?」
じっと零士は綾音を見つめる。綾音は微動だにしないで見つめ返す。しばらくの沈黙。
「あの、家族の話なら俺は席を外しますけど。」
「あぁ失礼。年頃だからなのかな?娘の成長が気になるんだよ。それでは雨宮くん、パーティーには後日正式な招待状を送ろう。必ず来てくれよ?綾音も参加することだしな。此度のパーティーは確かに綾音がいるほうが華がある。何なら雨宮くんは友達とかも連れてきて構わないよ。」
「分かりました。そういえば……パーティーってどんなパーティーなんですか?」
自分の過去ばかり気にしていて、大事なことを聞き忘れていた。本来ならば真っ先に気にしないといけないことだ。
「失礼、大事なことを言わなかったな。近々異界域……ユグドラシル界より超巨大移民船イカロスがやってくる。会場はその船内。世界変革の歴史ある一歩だよ。」





