玖月屋敷
放課後。
駄々をこねる雪華をどうにか説得し俺と綾音は玖月財閥の屋敷へと向かう。殺人鬼である雪華は玖月財閥の屋敷など入れるはずがない。正論にもほどがあるのだ。
「こうして二人で帰るのも久しぶりね。」
綾音がふと思い出したかのように呟く。
「いつぶりなんだ?というか俺たちはどういう関係だったんだ?」
俺はここぞとばかりに彼女に疑問を投げかけるが、答えは無かった。
彼女はただ遠くを見つめていた。その横顔は、夕焼けの淡い光に照らされて美しく、しかし寂しげにも見えた。彼女の瞳には、言葉にできない何かが宿っていた。まるで、遠くの思い出や未来の夢に心を奪われているかのようだった。彼女は時々、唇をかんだり、眉をひそめたりした。その仕草は、彼女が抱える秘めた思いの重さを物語っていた。
一体、どのくらいの時間が経過したのだろうか。無言でただ綾音についていくこと数刻。玖月財閥の屋敷は丘の上ということもあってか坂道が多い。息が切れ始めたころに、ようやくその玄関口が見えた。
綾音はインターホンらしきものを押すと声がした。使用人なのか焦った様子が伺える。
「どうぞ、中に来客用ベンチがあるからそこで待ちましょう。」
彼女はそう言って奥へと歩いていった。
「ん……?ああ、分かった。」
言っている意味がわからなかったが、玄関口を通り過ぎて、敷地内に入るとようやく意味が理解できた。そこには公園があった。いや公園と錯誤してしまうほどに巨大な庭園。見渡すと整備された芝生に観葉植物。
唖然としている俺を後目に、彩音はベンチに腰掛ける。
俺はポカンと口を開けながら庭を見ていた。
「早く座りなさい、ここ空いてるでしょ?何か言いたいことでもあるの?」
綾音は三人掛けのベンチの隣をトントンと叩く。屋根付きで机も目の前にあり、ちょっとしたティータイムができそうな優雅な空間だ。言われるがままに俺は座る。
地元の名士とは言うが、これだけの敷地を有しているものだろうか。あまりの規模の大きさに言葉が出ない。耳を澄ますと水のせせらぎが聞こえる。川まで流れているのか?
少しして車の音が聞こえる。俺たちの前に止まり、慌てた様子で紳士風の男が飛び出してきた。
「申し訳ございません綾音様。学校まで迎えに行きましたのにご足労をおかけしました。」
紳士風の男は深々と頭を下げる。
「良いのよ、だって歩きたい気分だったから。」
深々と頭を下げる紳士風の男に対して軽く微笑み後部座席に乗り込む。無言で綾音はこちらを見つめる。こっちに来いということだろう。
「敷地内を車で移動か……はは……スケールが違うな。」
乾いた笑みを浮かべ送迎車に乗り込んだ。
玖月屋敷の全貌は明らかではない。広大な敷地全てを見ることなど到底叶わない。送迎車から見える景色の中には森もいくつか見える。
「盗撮対策か。」
俺は興味深く言った。森の中にはカメラやセンサーが仕掛けられているのだろうか。
「変わった目の付け所をされますね。そのとおりです。」
運転手は笑って答えた。彼は玖月家に仕える執事の一人だという。彼は礼儀正しくて話しやすくて、俺に色々と教えてくれた。
昔は生け垣のようなもので良かったが、今は高層ビルのある時代。周囲にビル開発をしないようにしていても、遠巻きから望遠鏡でも使えば簡単に見える。故にこうして背丈の大きい樹木を植えているのだという。
玖月家のような名士ともなると個人情報の秘匿は重要なのだ。
「ですが、そんな機能林だけではございません。庭師を雇いご覧のようにガーデニングにも力を入れております。懐かしいでしょう雨宮様、よくお二人は庭で遊んでいましたもの。」
執事は車を運転しながら庭園を案内してくれた。たくさんの植物が巧みに植えられていて、一つずつ丁寧に植物の品種を解説している。
だが俺はそんなことよりも何気なく放った彼の言葉が気にかかる。よく二人で遊んだという事実。当たり前のように彼は言っていた。
「……?そう、なのか……?」
俺は首を傾げる。今までの綾音との関係性からそんな関係とはとても思えなかったからだ。彼女は俺に冷たく当たっていた。そんな彼女とどうしてそんな関係だと思えるだろうか。
「爺、彼は記憶喪失なの。聞いていないの?」
綾音は不機嫌そうに答える。その言葉に執事はハッとした表情をして言葉を詰まらせた。
「それは……申し訳ございません。とんだ失礼を。」
執事長は驚いて謝った。彼は私に同情的な目を向けて、気まずそうに笑った。
力を入れているというらしいガーデニングを見る。この世界の植物のことなど知らないが、確かに観光地の植物公園みたいな感じで普通のものではないのは明白であった。休憩所のようなものがあったり、植物でモニュメントのようなものが作られていたり……子供の遊び場には贅沢が過ぎる。
「家で遊ぶくらいの仲なのに何であんな関係になんのかねぇ……。」
こんなところに招待されるなんて相当仲が良かったろうにと、聞こえないような小さな声で呟いた。
屋敷の近くまで来て送迎車は止まった。車から降りて屋敷を見上げる。来た道を振り返る。巧みに樹々に隠れていて正門は見えない。まるでここが都市内ではなく自然豊かな丘に建つ別荘なのではないかと錯覚するくらいだった。
そんな光景を感慨深く鑑賞することも許さないのか、綾音に急かされて屋敷内に入る。
「おかえりなさいませ、綾音様。そしてお久しぶりです雨宮様。」
中に入るや否やメイド服を着た女性が深々と頭を下げる。俺は彼女と面識があるようだが当然知らない。軽く会釈をして挨拶を返す。
「パパは今、どこにいるの?」
「書斎で執務をしております。」
軽くメイドと話をした綾音は、中央吹き抜けになっている赤絨毯の敷かれた階段を上り始める。気が付いたように後ろを振り向き俺と目が合う。
「玖月財閥で貴方が何をしていたか知りたいのでしょう?だったらパパと会うのが一番よ、ついてきなさい。」
綾音はそう言って、先に歩き出した。彼女は俺に対して高圧的でわがままで傲慢だった。彼女と俺は友人関係だったらしいが、俺にはそれが本当なのかわからない。俺は彼女の後ろ姿を見ながら、不安と戸惑いを感じながらも、屋敷へと足を踏み入れた。





