奮い立つ怒り
人気のない山奥。似つかわしくない学生服の男子生徒がゴソゴソと何かを漁っていた。雨宮蒼音である。
学校は結局サボってしまった。涼華に言われたことが気になって、彼女と別れたあと、急いで山に向かい愛船ゴールデンハインドのデータベースに接続を試みる。
ゴールデンハインド船内で治療行為をした履歴。それは当然保管されている。俺はアイビーに当時の治療情報を確認していた。
『致命傷だったのはゴールデンハインド船体からの直撃なのは間違いありません。その際に顔が潰れ頭部損傷……ですがマスターの仰るとおりです。彼は元から怪我をしていたようです。爪は全て剥がされ、腕にはいくつか注射器で刺されたような跡が、更に背中の皮は剥がれ肉が露出……。』
「もういい、分かった。これ以上はスプラッタだ。急いで治したから気がつかなかった。大方、監禁拷問されてたところを命からがら逃げてきたってところか。」
一つだけ確実なことが言えるのは涼華は真実を言っていたということ。どこまでが本当でどこまでが嘘なのかは定かではないが、財閥に監禁拷問されたという非現実的な話を真実として話すあたり騙す気は皆無だと思う。
ならば……蒼音は彼女と共に何かを巡り玖月財閥と敵対していたのだ。
明確な目標ができた。俺は玖月財閥に潜り込む。そして、その真実を明るみにするのだ。それが蒼音の光となるのだろう……。
今後の方針についてようやくまとまりがついて、俺は帰路へと向かう。
自宅の玄関を開けると見慣れぬ靴が置いてあった。女物だ。母親の友人でも来ているのだろうか。あまり気にもとめず帰ったことを告げてリビングに向かう。
「あ、お帰りアオト、それより学校を休んだって本当なの?連絡が来たわよ怪我でもしたの……?」
母親が心配そうに尋ねる。学校を無断で休むと家に連絡が来るようだ。この世界は子供に対して本当に優しい。俺の無事を母親は一目で確認して安心したのか、小言を言われるわけでもなく、次からはせめて自宅に連絡してと釘を刺された。
「そう、それと……どうしたの?あの子、前にも来た子よね?お友達だから家にあげたけど、こんな遅くになっても帰ろうとしないの。」
リビングの奥に視線を向けるとそこには雪華がいた。何もない中空を見つめボーっと座っていたが、俺の姿を確認すると目を輝かせる。
「王子様、お願いです。私をどうかこの手で殺してください。」
意味の分からない要求だった。彼女は動悸しているのか息は荒くどことなく苦しそうだった。表情も紅潮しており、その目は瞳孔が開いている。
「殺す理由がないし、そんなことしたら俺が警察に捕まってしまう。」
「どうして?王子様は私のことを殺したいのでしょう?滅茶苦茶にしたいのでしょう?だからあの夜、私にあんなことをたくさんしたんでしょう。もう飽きてしまったというの?」
彼女の考えは理解できないが、きっと彼女の欲望を満たさない限りいつまでも付き纏うだろう。俺は彼女に自身の秘密を打ち明けることにした。殺人鬼である彼女に打ち明けたところで周囲に漏れる心配などない。それよりも彼女が勘違いし続けることの方が問題と考えたからだ。母親に聞かれないように、自室へと案内する。
「王子様が……異世界の人間……?それも犯罪者……。」
説明を聞いて雪華は唖然とした表情を浮かべる。信じてもらえるよういくつか魔法も見せた。ウタカタではない、俺の世界の魔法。
「悪いが俺はお前が思っているような人間ではない。それにいずれはいなくなる存在だ。だから、期待しないでくれ。」
「……たら。」
雪華の肩が小刻みに震える。顔を俯けたまま一言呟いたようだが、よく聞こえない。
「だったら、今すぐに私を殺してよ。ねぇできるんでしょう?私を、どんなに必死に抵抗しても殺せるんでしょう?待ってたの、ずっとずっと待ってたの!皆、口だけだった。強い言葉ばかり口にして、いざ本番になったら一分も耐えられない豚ばかり、でも王子様は違った!私に絶望を与えて……私になんの思いやりもなしに殺せる!」
雪華は俺の目を見つめながら、狂気に満ちた声で叫んだ。彼女の顔には、恐怖や悲しみや憎しみではなく、ただ純粋な死の願望が浮かんでいた。
「そんなに死にたいなら異界域に行けばいいだろう!あそこにはやべぇのがまだいるぞ。大体、昨日だって震えてたじゃねぇか!本当は死にたくないんじゃねぇのか!」
俺は怒鳴り返す。昨日の彼女の姿は記憶に新しい。俺の胸にしがみついて、泣きじゃくっていた。それが今日になって、こんなことを言うとは……。
「またあいつらに殺されろというの?お父さんやお母さんみたいに?いや……あんなのは嫌なの!嫌だから私は殺されたいの!王子様なら分かるでしょう!?私の気持ちが!!」
彼女は涙を流しながら、懇願した。一心不乱に歪んだ欲望を訴える。彼女は錯乱したかのように声を荒らげた。
本来ならば理解できない感情の吐露。だが聞き捨てならない言葉が耳に残った。
「あいつらに殺されたって……なんのことだ?ゴブリンと会ったことがあるのか……?」
俺はその言葉に驚いた。彼女はゴブリンという魔物について知っている。
「今、その話は関係ないでしょう!?ねぇ王子様……王子様なら私のことを理解してくれるってずっと……。」
雪華は俺の質問を無視して、甘えるように言った。俺のことを王子様と呼ぶが、それは妄想だ。俺は彼女の王子様にはなれない。しかし彼女は俺という存在に初めて出会った時に、自分の運命の人だと思い込んだ。そしてそれは、病的な歪んだ愛情を抱くようになったのだろう。
「違う、俺はお前の理解者にはなれない。お前はただ逃避しているだけだ。そして妄想に拘り続けているだけだ。」
冷たい言葉だった。
俺は彼女に同情することも愛することもしない。仮に彼女が自分の両親が殺されたことで精神が崩壊し、自分を殺そうとしたり、他人に殺してほしいと言ったりしたとしても、それは間違っていることだ。
恐怖や絶望、そんな人の弱さにつけこむような人間には俺自身、嫌悪感を抱いていた。
「俺はお前に興味はない。だが今の言葉は聞き捨てならない。答えろ、いつどこで……ゴブリンと、昨日出会った怪物と出会った?」
厳しく問い詰めた。この世界の異変に関する情報を得ることに執着していた。それは俺の使命でもあり、義賊としての矜持でもあった。もしかしたら、彼女が知っていることが、この世界の危険性に関わるかもしれなかった。
空気が重たくなる。重圧。魔王ドレイクが放つ圧力は空間を震わせ相対するものの精神を削る。
雪華は息苦しさを感じた。まるで空気が液体のようで溺れているようだった。目の前の男がまるで別人のようで、心臓を握られているような感覚に落ちる。
彼女のウタカタが発動する。本能的な防衛反応だろう。無意識に脅すような態度をとってしまっていた自分に気が付き、気配を緩める。
「悪い、少しやりすぎたかもしれない。」
雪華はその言葉に深く傷つく。彼は自分のことを理解しようとしてくれている。ただ冷たく突き放すのではない。それが彼女にとっては耐え難いことだった。彼女は雨宮蒼音に対して自分と同じ仲間だと、他者に決して理解されないもの同士だと感じていたのに、これではおかしいのは自分だけ。
気がつくと涙が零れ落ち、訴えるかのように呟いた。
「どうして……どうしてそんな意地悪ばかりするの……。」
涙に動じることはない。感情に同調することもしない。ただ自分の感情を抑え込み、理性的に物事を判断するのだ。俺は冷静に言った。
「俺はお前の歪んだ行動には付き合えない。」
俺は雪華の行動を歪んでいると断じた。自分を殺そうとしたり、他人に殺してほしいと言うこと。それは俺にとって、理解できないことだ。
それだけではない。この肉体、蒼音自身も生きて欲しい。生きることをやめないで欲しいというのに、彼女の言葉はまるで真逆だ。そしてそれは……。
「付き合えないが、その行動に正当性があるならば話は別だ。教えてくれ、お前の身に何が起きたのか。もしそれがお前の心に陰る闇ならば、俺はそれを晴らす手伝いだってできるかもしれない。」
少し柔らかい口調で言った。彼女に興味がないわけではない。俺は彼女が何故そうなったのかも知りたかった。もしかしたら、彼女の過去は今に続く悪辣へと繋がるかもしれない。もしかしたら、彼女にも救われるべき光があったのかもしれなかった。
深々と頭を下げる。
その心の深奥には深い怒りもあるのだ。彼女をここまで追い詰めた存在が、俺にとっては許されなかった。
「昔……いたの……似たようなのが……い、いや……ねぇだから、この近くにもいるのでしょう!?ねぇだから、その前に私は王子様に……!」
また錯乱。何かを思い出したのか彼女は俺に縋りつく。
「悪いな、嫌なことを無理やり聞いたみたいで。だが大事なことだったんだ。そんなに怖いなら今日はもう泊まっていけ、幸いこの家は空き部屋あるみたいだし。」
落ち着いた彼女を空き部屋に案内する。母親は含みのある笑みを浮かべていたがこの際、変な誤解をされても仕方がない。大事なのは雪華に起きた出来事だ。
彼女の両親は、数年前に異界域に侵入した魔物に殺された。彼女はその時、目の前で両親が惨殺されるのを見てしまった。それ以来、彼女は自分も死ぬことを望むようになった。しかし、彼女はただ死ぬだけでは満足できなかった。彼女は自分を愛してくれる人に殺してほしかった。そして、その人こそが俺だと思っていた。
『結論から言いますと、異界域が出現する前のこの世界にゴブリンは存在しません。』
「そうだよなアイビー、だが雪華の言うことは態度から嘘には見えない。なら確定だ、こういうことは前にもあっただろ。」
歯ぎしりをする。苛立った時にする悪い癖。義賊としての魂が震える。
何者かは知らないが、既にこの世界はユグドラシル界の干渉を受けていた。ゴブリンは尖兵。大方この世界の人間の戦闘能力でも確認したのか。
狂咲一家を狙ったのも子連れだから。"ガキ"の方が高く売れるからだ。
俺は携帯電話を手に取る。連絡先を開いて通話を始める。
「もしもしトーマスか───。」
やることがもう一つ増えた。絵を描いてるのは十中八九、この世界にやってきた勇者とか名乗っているクソ野郎だ。





