玖月の血
玖月財閥とはこの地に古くから根ざした家系である。その歴史は古く江戸時代にまで遡る。かつては貿易商としてそれなりの財産を築いていたが、玖月家が財閥と呼ばれるまでに拡大したのは戦後。当時の当主であった玖月九鬼は預言者じみた才覚と手腕で玖月の威光を肥大化させ続けた。
そして現行当主は玖月零士。彼が住まう玖月屋敷と呼ばれる邸宅は東京都内中央に位置しながら莫大な敷地を有しており、観光名所として一部が解放されている程である。
「玖月!いるか!!出てこい!!」
そんな綺羅びやかな建物に似つかわしくない男たちがいた。火柱義焔。ウタカタ革命党の当主である。そして彼の右腕とされる氷川零。
その言葉に反応したかのように男性が奥からやってきた。火柱の怒号を意にも介さず、涼しげな顔を浮かべている。
「火柱さん。ここではなんだ、奥で話をしましょう。」
彼の名は玖月零士。慣れた態度で零士は火柱を案内する。
「どういうことだ玖月。話と違うぞ。我々はあのような人物を知らん!勇者とは何者だ!!」
屋敷奥部、一般公開など当然されていない当主が使う書斎。火柱は壁を叩きつけ怒りを露わにする。
「落ち着いてください火柱さん。勇者の存在は我々も知りませんでした。ですが予測できていたことだ。我々の世界に来た時点で侵略的外交措置をとる可能性など。温室に育てられた箱入り娘でもあるまいし火柱さんとて想像につくでしょう?」
「茶化すな!!そのような事態にならないよう立ち回るのが貴様の仕事であろうが!!」
対照的な二人だった。火柱の熱情的……感情的とも言える物言いに零士はただ淡々と事実を告げる。澄ました顔で零士は両手の指と指を合わせなぞるように動かす。
「そのとおり。当然既に向こうの協力者と話はしています。勇者のことなど知らないと。とぼけているのでしょうが第三勢力という可能性もゼロではない。ここは……様子見といきましょう。」
「ちっ……行くぞ氷川。このような軟弱者に頼りきりなのがまずかった。この国の未来を憂い、革命する気概がまるで感じぬ!」
背を向けて立ち去ろうとする火柱に対して零士は呼び止める。
「また来てください火柱さん。今は情勢が荒れています。貴方の力を存分に発揮できる舞台だ。」
「言われずともそのつもりだ零士!!次来る時はもっと実のある話をできるようにしておくのだな!!」
勢いよく扉が閉められる。抗議のつもりなのだろう。マホガニーのアンティークドアなのだから丁重に扱ってもらいたいものだ。
「だが……妙に火柱は鋭いところがある。勇者を本能的に危険視しているのだろうな。対策を急ごうか。」
書斎から出る。書斎は屋敷の二階奥に位置しており、執務室から少し離れている。執務室と違い裏の人間と話すのにも使うためだ。
執務室に向かう最中に、手すりから一階の中央広間が見える。丁度学校が終わったのか制服姿の娘が玄関を歩いているのを見かけた。
「おかえり綾音、今帰ったのかい?」
「はい、ただいま戻りましたわ。パパはお仕事でしょうか。」
綾音は軽く頭を下げる。
「あぁちょっと大切なお客さまを相手していてね。ひょっとしてすれ違ったかな?」
「お庭を車で送迎してもらっている最中に別の送迎用の車とすれちがいましたが、それがお客様でしょうか。」
「そうだね、ところで学校は楽しいかな?最近クラス替えがあったんだって?驚いたよウタカタのレベルが最高レベルなんだって?流石私の娘だ。」
「お褒めくださり光栄です。これからもパパの期待に応えるよう努力します。そろそろよろしいでしょうか?習い事のお時間ですの。」
彼女は中央広間に置かれた時計に視線を移し焦った様子を見せる。父の話には興味がないような態度にも見える。
「美味しい茶葉が手に入ったんだ、どうかな。習い事が終わったら二人で親子の語らいでもしないか。」
「パパ、いつまでも私を子供扱いしないでください。いつもそうですわね、話をしたい時に限って一緒に食事をしたがる。端的に済む話ならここですればいいのではないですか?」
「ははは、綾音は母さんに似て勘が鋭いな。」
零士は愛想笑いを浮かべて恥ずかしそうに頭を搔く仕草を見せる。
「だが本当に親子の語らいをしたかっただけだよ。学校の生活がどうか……とかね。」
「……。別に変わりませんわ。」
綾音の態度に零士は目を細める。その裏は読めない。
「おや、それは変だな?ほら、幼なじみの……何と言ったかな……そうだ雨宮くんだ。彼とは相変わらず仲がいいのかな?元気にしているかな?」
───。
「パパ、忘れたの?雨宮くんは記憶喪失。私のことも忘れているわ。今は記憶を取り戻すのに精一杯で、学校生活に早く馴染むように奮闘しているわ。」
「そうか、それは好都合。おっと習い事の時間が近いのだろう。先生を待たせてはいけない。」
塞いでいた道を譲る。綾音は一礼して学習室へと向かっていった。その姿が見えなくなるまで零士は見守る。
「娘の態度、反応に変化なし……雨宮くんは本当に記憶を失っているのか。つくづく運の良い男だ。」
あれだけの拷問と絶望を受けたのだ。ショックで記憶喪失を起こしていても不思議ではない。滑稽なのは娘のことまで忘れているということだ。
記憶喪失などそんな都合のいいことがあってたまるかと、半信半疑であったが娘の態度からして雨宮蒼音は本当に記憶を失ったのだろう。
でなければ、一体どのような面を下げて、我が娘に対して顔を見せられるというのか───。





