トラウマ
ゴブリンの一人が俺たちの存在に気がつく。そしてゴブリンの群れ全体に伝わり、奇声をあげてこちらを見ている。
おそらく連中はこう思っているのだろう。「また新しい新鮮なおもちゃがやってきた」と。
「い、いや……どうして。」
この世界のゴブリンの生態を分析している横で聞き慣れぬ声がした。
「や、やだ……!!ごめんなさい、ごめんなさい!!なんでも……なんでもするからやめて!!やめて!!」
雪華だった。息が荒く、気が狂ったかのように髪をかき乱し叫んでいる。先程までの彼女とはまるで違う、豹変したかのようだ。
「アイビー、この付近で精神攻撃の類をするモンスターがいるのか。」
『探知。情報一致せず。未識別のモンスターの確認もできません。ここにいるのはゴブリンのみです。』
「そうか……どうしたんだ雪華?」
取り乱す彼女の正面に立って肩に手を当てる。ゴブリンたちの狂宴は俺の身体で多少は見えないで済む。もっとも悲鳴は聞こえるが。
「助けて……助けて……いやだ……死にたくない……なんでもするから……誰か助けて……。」
目を見る。一時的に正気を喪失しているようだった。ゴブリンたちを見て発狂してしまったのだろうか。あれだけ殺人現場を見慣れている雪華が?
彼女の言葉に戸惑ったが、俺は彼女の肩に触れていた手を引き、背中に回した。そしてゆっくりと彼女の身体を自分の方に引き寄せた。彼女の髪の匂いや温もりが感じられる距離だった。
「大丈夫だ。安心しろ、俺が全部終わらせるから。」
後ろを見る。ゴブリンたちは相変わらず下卑た笑みを浮かべ俺たちを見ている。気がつくと囲まれていた。逃げ場はない。
ゴブリンの一人が縄のようなものを俺たちの前に投げつける。そしてそれを首につけるようにジェスチャーを始めた。つまり……投降すれば命だけは助けてやるということだろう。
俺は投げつけられた縄を手に取る。柔らかい……想像どおりこれは人間の腸だ。
ゴブリンたちは俺の姿を見てニヤニヤと見ている。そんな連中の前で、俺は縄を引きちぎった。インカムの電源を落とす。
「舐めてんじゃねぇぞゴブリンども。俺を誰だと思っていやがる。忘れたなら思い出させてやる。お前らの誰もが恐れた魔王の力をなぁ!!」
そこに立つのは次元の違う相手。ゴブリンが逆立ちしても決して敵わない、魔王と呼ばれた男。だがゴブリンたちは知らないのだ、よもやこの少年の中身が、そのような恐ろしい相手であったことに。
俺の警告を無視して、ゴブリンたち数人が飛びかかってくる。
本当に、本当に連中は勘違いをしているようだ。そんな迂闊な行動……ユグドラシル界では子供にだって通用しないことに。
肉体強化魔法を展開する。さらに拳と足に魔術的属性を付与。拳を一発。ゴブリンの頭部は砕かれる。即死である。蹴りを一撃。ゴブリンの上半身は消し飛ぶ。こちらも即死。
『マスター、魔法倫理コードレベル、現地点では極めて低いです。広域魔法でなければ使用可能。一掃することを推奨。』
周囲に誰もいない。雪華は怯えた様子で今も俯いている。そしてここは異界域、高濃度の魔力が渦巻いている。なるほど、条件は揃った。
「天よ、我が声に応えよ。空に満ちた力を解き放ち、敵を焼き尽くせ。これが我が願い、これが我が命令。雷球よ解き放て!」
詠唱を唱える。空中にいくつもの雷球が浮かび上がる。雷球は周囲を取り囲むゴブリンに向かい次々と雷撃を与えるのだ!一瞬にして雷撃で焼け焦げたゴブリンの死体で埋め尽くされる。
「ゴブリン風情が、引き際を見誤ったな。下手に出ていれば、この世界の人間と共存もできたかもしれないというのに。」
雷球を納める。自分の正体を隠すためには、このようなものは見せられない。
「終わったぞ雪華……どうしたんだお前本当に。」
ゴブリンたちはいなくなったというのに彼女は未だ震えてろくに話ができない。ここに置いていくわけにもいかないので、無理やり引っ張ってゴブリンたちが根城にしていた広場に下りる。
「ありがとうございます、ありがとうございます……。」
捕まった人たちを助け出す。中には涙を流してお礼を言う人もいたが、多くは呆然としていた。
「こちら先発隊、ゴブリンの根城を一つ潰した。応答してくれ。」
「こち……ザザ……よ……ザザ……れ……。」
ノイズが酷い。電波状況が悪いのだろうか。周囲を見渡すが遮蔽物があるわけでもない。スマホを取り出す。圏外と表示されている。原因は不明だが通信環境で何か問題が起きている。





