流転する日常
チャイムが鳴ると千歳は俺の席にやってきた。
「アオト、昼は弁当なんだろう?」
昼休みの時間だ。俺はいつもどおり弁当を机に広げ昼食をとろうとしていた。
「この間の話の続きだ。ひとまずは私の部屋で食事をとりながら話さないか。あそこなら邪魔も入らない。」
現状の整理がしたいということだろう。無事ウタカタとかいうものを保持していることを偽装することはできた。だがそもそもの目的は、俺……雨宮蒼音が何故生きる意思を失ってしまったのかを見つけることだ。
席を立ち、俺は千歳についていく。
「待て。余計なのがついてきているぞ。殺人鬼、君はお呼びではないのだから帰るんだ。」
「嫌、王子様に悪い虫がつかないようにしないといけないでしょう?それに恋人というのはずっと一緒にいるものだし。」
千歳は眉をひそめて雪華を睨んだ。彼女の目には明らかな不快感と憎しみが滲んでいた。親しい人が雪華に殺害されたのだから当然の反応だろう。しかし、雪華はそんなことにまるで気づかないふりをして、俺の腕に甘えるように腕を絡めてきた。彼女の肌は冷たく、俺の心も凍りつかせるかのようだった。
「その殺人鬼は私の部屋には入れないよ。イチャつくなら勝手にどこででもしてくれ。」
冷たく軽蔑したような口調で突き放すような言葉だった。千歳はこの世界唯一の協力者。彼女とは友好的な関係であるべきだろう。
「そういうことだし、俺とお前は他人なんだからついて来ないでくれ。」
「他人じゃないわ、昨夜あれだけ愛し合った仲じゃない。もう忘れたの?ひどい人……それとも言葉で私をなじるのも趣味だと言うの?こんなところで始めるつもりなの……?」
雪華は顔を紅潮させもじもじさせている。何を始めるつもりなのか俺が知りたいわ。
だが大体分かってきた。つまるところ雪華は人の話を聞かない。聞いているようで自分の思ったこと以外は遮断しているのだ。故に説得方法は彼女の要望に沿った形でなくてはならない。
千歳には聞こえないように雪華に耳打ちをする。
「雪華、実はあの千歳という女は俺の元カノでな。しつこく付きまとわれているんだ。でもお前も知ってのとおり、俺の本命はお前だけだ。だからこの際、ハッキリと断ってやろうと思うんだ。でももし逆上したら何をされるか分からない。だから雪華は安全なところにいてほしいんだ。連絡はこのあと必ずするから。」
「ストーカーって……こと?そう……残念だわ。この首輪さえなければ八つ裂きバラバラにしてたのに。人を殺せないって不便なのね。王子様、どうか気をつけて。ストーカーは何をするか分からないのよ。」
デタラメなウソをついた。だが雪華はそれを真に受けて俺の手を握り締める。その瞳は真剣そのものだった。俺のことを心配してくれているのだろうか。それとも、もっと深い感情があるのだろうか。
「大丈夫?本当に?」
彼女の声は優しくて切なかった。俺は彼女の顔を見ることができなかった。嘘をついたことで、彼女に申し訳なさと罪悪感で胸が苦しかった。
『なにやってるんですかマスター。』
アイビーの突っ込みが入る。いや確かにそうだ。ストーカー、殺人鬼……目の前にいる少女がまさしくそれだ。騙されてはいけない。
ともかく雪華を無事振り払うことに成功し、千歳の私室で状況確認となった。
「朝から見ていたけどね。あの殺人鬼と関わるのはやめるんだ。私が見ていて不愉快だからな。」
冷たい目で千歳は蒼音を睨む。まるで説教されているようだった。
「……しかし関わるなっていうのは無理だろう。教科書がないみたいだから貸してあげないとだし、そもそも隣の席だし。」
苦笑しながら蒼音は答える。千歳の言い分は理解できるのだが、向こうから構ってくるのだから仕方ない話だ。
「そんなことは分かっているが、私の気持ちの問題だよ。良いか?関わるなと言ったら関わるな。」
千歳の声が強まる。彼女にとって、ただでさえ憎たらしい殺人鬼だと言うのに、よりにもよって今自分にとって最も興味深い相手である蒼音と仲良くしているのがとても許せなかったのだ。
「まぁ極力努力はするよ……それで本題なんだがこの身体、アオトについてだ。」
あまりこの話を続けたくないのか無理やり本題に戻す。千歳は不満げだったが、少し落ち着きを取り戻す。
「あぁそうだね。まずはクラスメイトに聞き込みをするのが一番だろう。私も手伝いたいが、おそらく虚偽のうわさ話を吹き込んでくる輩が多いだろうから難しいね。」
「虚偽?どうして?」
「考えて見るんだ。私のような美人が一人の男子生徒のために尽力するんだぞ?当然嫉妬するさ。そこで記憶喪失なのを良いことにあることないこと吹聴する。当然の帰結さ。」
堂々と答える。確かに容姿端麗なのは今までの周りの反応から分かっているが、本人がこうも自覚しているのはどうも……。
「自分のことを美人と断言するやつ初めて見たよ俺は。」
提案を受けて休憩時間、記憶喪失であることを理由に全クラスメイトに聞き込みをすることとなった。そして分かったことが少しある。
まず雨宮蒼音の交流関係は極めて悪い。綾音以外と話をしているのを見たことが無いというのだ。次に部活動や委員会などには所属していないにも関わらず、何故か学校には結構遅くまで残っていたらしく、目撃した生徒が多々いるそうだ。
結論から言うと……。
「客観的に見てよくわからないやつということだな……。」
頭を抱えた。八方塞がりである。
「王子様、先程から聞いてましたけど記憶喪失なの?」
「うお!!?お前、いつからいたんだ!!?」
雪華に突然声をかけられて心臓が跳ね上がる。ずっと勝手についてきていたのかこいつ。咳払いをして平静を装う。
「ああ、そうだ。そういえば言ってなかったな。ところで何か用事でも?」
「あのストーカー女になにかされないか見張っていたの。あの女は王子様が記憶喪失なのを良いことに恋人を自称していたのでしょう?つくづく救い難く、哀れな女。」
一瞬頭の中が疑問符で埋め尽くされたが、そういえば千歳はストーカーだって俺が彼女に吹き込んだんだった。頭の中が混乱する。彼女は本気で自分が俺のストーカーではなく恋人だと思っているのだからたちが悪い。
「それよりも王子様。ストーカー女と決着がついたのなら私のお願いを聞いてほしいの。ここでも良いけど、やっぱり愛し合うのは二人きりで、誰にも邪魔にならないところのが良いじゃない?」
言葉では平静そのものだが、雪華は期待に満ちた、そして照れたような表情で息は荒く、指をもじもじと弄っている。傍から見ると熱々のカップルにしか見えない……のかもしれない。
「その愛し合うって誤解しか招かれない表現だけど、具体的に言ってくれない?」
「駄目、言わないわ。王子様?愛し合うのに前情報なんて無粋もいいところなの。それはただの愛情ごっこ遊び。事前に知らされた愛なんて何の価値もない。今までの豚は皆、そうだった。」
思い返すかのように雪華は不愉快そうな表情を浮かべた。"豚"というのは彼女の手で殺害された犠牲者たちのことだろう。
「でも王子様は違うでしょう?私を全力で愛してくれる。だから私も王子様の愛に応えるの。全身全霊で。それでも王子様は私を滅茶苦茶にして……そしてどうしようもなくなった私をゴミを見るような目で……ああ!あのとき見せた目で!私を私を絶望の淵に突き落とすの!!」
昨夜の戦いを思い出したのか、言葉の調子はすこしずつあがっていき、身をよじらせて俺に身を寄せる。身体を震わせて何やら勝手に満足感溢れている表情を浮かべている。
「ずっと脳髄から離れなくて……やっぱり王子様は最高で……早く続きをしましょう?私をこんなにした責任をとってくれるんでしょう?」
「昨夜の続きならできないぞ。」
俺の言葉に雪華はこの世の終わりのような表情を浮かべる。だが無理なものは無理だ。
「何を……言っているの……?王子様?焦らしプレイは好きだけど、それは、それは誤解を招くわ。」
「だって人殺しになるだろ?その首輪は何のためにあるんだよ。」
ハッとした表情を浮かべ雪華は首に取り付けられた首輪を触る。
「あ……あぁ……あぁぁぁ……!!」
「お、おい大丈夫かお前……色々と。」
彼女は嘆き声をあげた。自分の境遇にやっと気づいたらしい。俺は少し同情して、背中をなでた。
「つ、つまり……こんな寸前でお預けの状態を……卒業まで続けるということね……?」
撫でる手が止まる。
彼女はこれ以上ない多幸感に満ちた笑みを浮かべていた。俺は手で顔を覆ってため息をついた。
『───警告、マスター。防御態勢を。』
気が緩んでいたのかと言われると、そのとおりだった。この世界は平和そのものだった。俺のいた世界と比べて子供がこうして安全に教育を受けられる。それだけでも十分だった。
だから警戒するべきだったのだ。この世界で新たに生まれた常識、そこから起きうる異常事態を……想定するべきだったのだ。
突然、耳をつんざく爆発音が響く。教室の中が激しく揺れる。生徒たちはパニックになって悲鳴をあげる。
「なんだ!?ドラゴンが襲ってきたのか!?」
俺は驚いて叫んだ。俺の世界では、ドラゴンは珍しくない存在だった。 そして人類の脅威として認識されていた。
「え、まさか。王子様、そんなファンタジーを信じてるの?これは爆薬でしょう?火薬の匂いがするから。」
雪華は冷静に言った。雪華はこの世界の住人だ。この世界では、ドラゴンは架空の生き物だったようだ。
爆薬なんていうものは俺のいた世界には存在しない。作る必要がないからだ。爆破現象を引き起こしたいのならば爆破魔法を使えばいい。
しかし雪華の指摘が事実とするのならこの爆発は人為的に引き起こされたもの。何者かがこの学校を爆破したのだ。





