7.病院
次の日、ミウリは本当に腹痛に襲われた。冷や汗もでてきて、起き上がることもままならない。母は心配し、すぐに救急車を呼んだ。
結果は心的外傷後ストレス障害と診断された。食べ物も喉を通らないので今は点滴を受けているが症状は安定し、今は普通に過ごしている。
母は安心してパートの仕事に出かけていった。夕方また迎えに来るという。
正午過ぎ、退屈になって廊下に出ると人がごった返していた。こんなに病院にくる人がいるのかと感心していると、見知った顔を見つけた。
林檎と桃だ。二人は突き当たりにある病室の前で誰かと話し込んでいた。声をかけると驚きと同時に紹介される。
「こちら嵐山宣子さんのお母さん。同級生の一ツ橋美兎くんです」
「いつも宣子がお世話になってます」
嵐山ママと紹介され、慌ててミウリも頭を下げる。病室の前には面会謝絶のカードが貼られ、中に嵐山さんが入院していると聞かされた。
「容態は、いかがですか」
「今は眠っていますが、じきに目が覚めると思います」
「そうですか。それは良かった」
「心配をおかけしました。でもそちらも何か、大丈夫ですか?」
嵐山ママはミウリの腕から伸びる点滴を見つめて、逆に心配してくれた。大丈夫ですと挨拶して、嵐山ママと別れた。
「ホントに大丈夫なの?」
「うん。もう平気」
林檎は念を押すように聞いて来たので、ミウリは今、全然痛くないので胸を叩いて大丈夫だとアピールした。
三人は近くの長椅子に座ると、嵐山さんがいる病室を見つめた。
「でもよかった。来月には学校に出られるかもって話だよ」
「そうか、意識不明って聞いたときはどうなるかと思ったけど、安心した」
「え? 何言ってんの」
「は? 何が?」
二人の反応にミウリは理由を尋ねると、ある事実がわかった。
「意識不明じゃない?」
「そ、誰がそんなごじゃっぺな事言ったの?」
「ごじゃ? 何だって?」
「いい加減な事! だってふつうあり得ないでしょ」
考えてみれば、屋上から誰かが落ちれば学校中が大騒ぎになる。全国ニュースにもなりかねない大事件だ。
林檎は頷き、桃は呆れていた。
――夕方。母と一緒に家に帰った。夕食は普通に食べることが出来た。父はたいしたことないだろうと笑っていた。
――翌朝。不思議なことに、また腹が痛くなった。あまりに痛くて母に頼んで、その日は学校を休むことになった。
「学校に行きたくないとか、最近ストレスに感じることありましたか?」
病院の先生は電話口でそう話していた。とにかく様子を見ましょうと言うことで、今日は一日寝て過ごすことになりそうだ。
――夕方。寝ていると、良吾が様子を見に来た。浜谷くんを連れてきていた。
「どーだ調子は。まだいてーのか」
「ゴメンナサイ」
先日、学校で掴みかかったことを謝りたいと、良吾に話をして連れてきてもらったそうだ。事情を聞くと、あれは嵐山さんの事ではなかった。
「俺の方こそ、ゴメンナサイ」
ミウリは正直に謝った。いじめたこともそれを忘れたことも。
「ミウリは薄情な奴だ。こんな奴は許さなくていいよ浜谷くん」
「あ、いえ。理由がわからないのは残念だけど、いじめた事も忘れられたら、もうそれ以上どうしようもないっていうか」
「かー、甘いな浜谷くんは。甘い、甘すぎる」
「甘い。でしょうか?」
「じゃあ、どーすればいいんだよ」
ミウリはやけになって良吾を問い詰めた。良吾はしばし考えると、手を叩いて一人頷き始めた。そして、
「浜谷くんの願いを何でも一つ叶えてあげる。どう?」
言われてどうともリアクションがとれなかった。浜谷くんは照れ笑いを浮かべるが、そのうち下を向いてしまう。
「ちょっと待って、まず願いの内容聞いてから、考えるにして」
「ちっ、つまんねー。いじめたんだからそれぐらいいーだろーがー」
「よくない」
良吾の反対を押し切り、浜谷くんの意見を聞く。浜谷くんは恥ずかしいのか、なかなか話し出そうとしない。見かねた良吾はいじわるな提案をする。
「じゃー、今から十秒以内に叶えたいことを言わないと無効ね、じゅーう、きゅーう……」
良吾はどんな立場なのか、遊んで楽しんでいるだけなのか、勝手にカウントダウンを始めた。それに焦った浜谷くんは手で待ったをかけるが、良吾は手を払いのけて、カウントダウンを続けた。
「さーん、にー……」
「宣子さんと、文通続けてあげて下さい!」
良吾はカウントダウンをやめ、目を丸くした。ミウリも驚いた顔で、浜谷くんを見ている。
浜谷くんは照れながら理由を説明してくれた。
「僕の願いはもう動物園で叶ったので、手伝ってくれた宣子さんにお礼がしたいんです」
浜谷くんは実にいいやつだった。最後にもらった手紙は怖かったけど、その事を忘れるくらいいいやつで、良吾は笑い、ミウリも笑った。
「でもその願いは叶えられない。だって俺も文通続けたいけど、嵐山さんがもう手紙は書けないって返事くれたから」
「そんなぁ」
浜谷くんは残念そうにうなだれた。ミウリも残念そうに肩を落とした。そして結局願いは、浜谷くんの事を、諭と呼ぶことに決まった。