6.浜谷くん
学校で林檎は嵐山さんと楽しくおしゃべりをしている。今まで無かったことだ。先日の動物園で意気投合したのか、教室でも互いに行き来して話す機会が増えている。一方で林檎はミウリと距離を取った。今までのように頻繁に近づいてくることが無くなった。必然的にミウリに集まる人は激減。またいつものような学校生活に戻りつつあった。
桃は良吾と教室でもおしゃべりするようになった。謙信が認めたことでグループでのわだかまりも解消されたようだ。
浜谷くんは、あれから何も言ってこないし、下駄箱に手紙が届くことが無くなった。いつも一人でいるようだが、特に変わった様子はない。
嵐山さんからの返事はこない。動物園の一件で何か踏ん切りがついたのか、理由はわからない。残念だがそれが答えなら受け入れるしかないと思った。
――学校から帰ると、ミウリ宛てに手紙が届いていた。嵐山さんからだった。急いで部屋に上がり開封して読んだ。
『お久しぶりです。動物園では楽しい思い出をありがとうございました。最後は変な事になりましたが、なんだか楽しくて、夢のような時間でした。
一つ誤解されているかもしれないので、私の気持ちも手紙にしました。
最初に、浜谷くんに文通を勧めたのは、私なんです。でもその相手が美兎くんだった事は知りませんでした。本当です。だから浜谷くんを責めないであげて下さい。
美兎くんから手紙のことを聞かれたときは、驚きました。同世代で文通の事を調べている人がいるんだと感銘を受けました。
実際文通を始めて、私も色々知ることが出来てうれしかったし、楽しかった。
名無しさんのことはすぐに浜谷くんだと気づきました。だから文通に興味を持ったんだと言うことも。
そこで私はとんでもない過ちを犯したと気づきました。もっときちんと説明しておくべきでした。
結果として、美兎くんにも浜谷くんにも迷惑をかけてしまいました。
でも美兎くんの手紙で浜谷くんの思いを知って決心しました。これ以上私のせいで二人が悲しむのはどうしても許せなかった。だから本当のことを全て打ち明けました。浜谷くんはショックを受けていましたが、最後は納得して二人で誠心誠意謝ろうと動物園にお呼びしました。
これが真相です。だから浜谷くんの事を許してあげて下さい。そしてこれからも文通を続けてあげて下さい。私に償いのチャンスを下さい。お願い申し上げます。
追伸:美兎くんは私のことをとても良く書いてくれましたが、実際は失敗ばかりする未熟者です。幻滅させてしまい申し訳ありません。手紙はこれで最後にします。今まで付き合ってくれて本当にありがとうございました。
嵐山宣子』
そうだったのか。ミウリの中で一つ結論が出た。納得できない自分がいた。それが本心なんだと気づかされた。
ふと動物園で浜谷くんからもらった手紙の事を思い出した。
机の引き出しを探ったり、本の間を探したりしたが見つからなかった。
「おかしいな、どこ置いたっけ?」
部屋中を探し回っているうちに、天明小学校の卒業アルバムが出てきた。
▼将来の夢
六年一組、一ツ橋美兎。大きくなったらいっぱいお金を稼いで町中の土地を買い漁り、世界一大きなビルを作る。
「意味分からん。バカだな俺」
六年一組、近藤良吾。有名モデルになってハリウッド映画に出演。脚光を浴びる。大金持ちになる。
「なれるか!」
六年一組、浜谷諭。小説家、芸術家、演出家、医者
「あれ、浜谷くん? 同じクラスだったっけ」
ミウリは浜谷くんが小学校も同じクラスだったことに驚いた。調べると浜谷くんは一、二年生の時も同じクラスになっていた。しかし浜谷くんと遊んだ記憶がございません。
それに浜谷くんの三年生から五年生までのクラスが不明になっている。一体どういうことだ。
「ウーくんご飯出来たわよー」
「うん」
ダイニングに向かい、夕飯を食べながら母にその話をすると、諭という名前には聞き覚えがあるという。
「そうだ。あんたが六年生の時、いじめてた子いるでしょ。確かその子が諭くんだったわ。母さん何度も親御さんに謝りに行って、すごく肩身が狭かったんだからね」
「嘘だろ?」
「嘘なもんですか、ホントに覚えてないの? 確か家にも行ってるはずよ」
ミウリは思い出そうとするが、全く記憶にございません。
しかたなく、部屋で手紙の捜索を再開するが、その日は結局見つからなかった。
――別の日、自宅に帰ると母から黒い封筒を渡された。部屋の掃除をしたときにベッドの下から出てきたという。
「それ、諭くんからでしょ。まさかまた学校でいじめてるんじゃないでしょうね!」
「何言ってんだよ、別にそんなんじゃねーよ」
部屋に入り封筒を確かめる。あの時の黒い封筒。表には一ツ橋美兎様、裏にはキツネのシール、それに浜谷諭と書かれていた。
『今日は動物園に来てくれて本当にありがとう。僕はずっと君に憧れていて、いつか一緒にどこか遊びに行きたいと思っていたんです。どのくらい話せたのか想像すると、自信がありませんが、きっと頑張って話していると思います。
今までは、恥ずかしくて名前を伏せて色々書いていましたが、宣子ちゃんから話を聞いて、自分の愚かさを思い知りました。
知らない人からの手紙って怖いですよね。今まで不快な思いをさせてしまって申し訳ありませんでした。それを謝りたくて、ちゃんと伝わっていれば良いのですが、口下手なので一応手紙を書いておきます。
僕は小学生の頃、まだ低学年の頃ですが、一ツ橋くんはいつもクラスの中心で明るくて、格好よくて、口下手な僕なんかにも優しくしてくれて、勝手にヒーローだと思っていました。
僕はいじめられっ子でした。ずぼらだし影が薄いし、しゃべらないし。そんな僕をかまってくれて、遊んでくれて、クラスの皆と一緒の輪に加えてくれて、今でも大事な思い出です。
そのあとは引っ越して別の町を点々としましたが、六年生の最後の季節、この町に戻ってくることができて一ツ橋くんと再開出来たときは、すごくうれしかった。
でもその間に何があったのか、一ツ橋くんは変わってしまいましたね。僕のことは覚えていないようで、執拗にいじめを受けました。そのショックで僕は学校へ登校出来なくなりました。
何でなんですか? 僕が何をしたっていうんですか? 知りたい。理由を知りたいです。僕はずっと想っています。君のことをずっと……』
バンッと音を立てて、手紙を机に叩きつけた。
「何なんだ、これは」
ミウリはあまりにも恐ろしくなり、途中で読むのを辞めた。鳥肌が立った。遅れて身震いがした。後ろに妙な気配を感じて、椅子から壁際まで這って逃げた。
部屋の中にはミウリ一人。ドアも閉まったままだ。しかし誰かに見張られているようで、脂汗がにじんできた。
――次の日、教室ではいつのも光景とはほど遠い、険悪なムードが漂っていた。リーダー各三人が教壇の前でにらみ合っている。一体何の騒ぎだ?
ミウリが教室に入ると、皆が一斉にミウリを見た。あまりの剣幕にたじろぐと、学級委員の菅谷栄公が詰め寄ってきた。
「ミウリくん、話がある。ちょっと来てくれたまえ」
その表情は硬く、険しい。鞄を置いて言われるがままついて行くと教壇の前に待つ大島翔と芽頭歌恋に睨まれた。二人とも圧が強い。
「お前、嵐山宣子と文通してるんだってな」
翔は悪びれることもなく淡々とミウリに質問した。良吾か。同じグループだし先日のこともある。謙信とのトラブルで言う必要があったのだろう。他の二人がその返答を待っている。目でどうなんだと訴えかけてくるようで、二人の視線が痛かった。
「今はしてない。事情があって辞めたんだ」
「何? いつだ」
今度は栄公が問い詰めてくる。目を見開いて、隙あらば殴りそうな剣幕だ。いつも嵐山さんと同じグループだったのに知らなかった事が気に触ったのだろうか。それともうらやましかったとか。
「時期はたぶん、良吾と謙信が仲直りしたぐらいかな。正確には返事がこなくなった感じだけど」
「フラれたわけか」
栄公は鼻で笑った。やっぱりうらやましかったんだな。今の態度でそう思った。一方で他の二人は考えるような仕草をした。そして翔は言った。
「嵐山宣子が、入院した。意識不明らしい」
「え? ……ハッ、ゴホッゴホッ」
ミウリは息をするのを忘れるぐらい驚いた。頭が真っ白になってしまった。
「嘘、じゃないみたいだね」
歌恋はミウリの動揺を見ながら、真意を確かめる眼差しを向けている。翔も同意見だったようでうなり声を上げる。
「じゃ、誰なんだ。嵐山さんをこんな目に合わせた奴は」
栄公は地団駄を踏んだ。かなり憤慨していて、ミウリは思わず身を一歩引いた。三人の様子に悪寒が走る。
「誰かに、屋上から突き飛ばされたらしい」
翔は苦虫を噛み潰したような表情をしながらボソリと答えた。歌恋は拳を何度もぶつけて、落とし前を付けさせると意気込んでいた。その表情は暗い。だから教室全体が重苦しい雰囲気だったんだと悟った。
担任のシオミーが来ると、嵐山さんが入院したことを伝えた。状態や原因など詳しいことは話さなかったが、生徒の間ではすでに犯人捜しが始まっていた。
授業の間、終始ザワついていた。
――一時限目が終了した。
「浜谷くん、ちょっと時間いい?」
「ひ、一ツ橋くん」
ミウリは休み時間、浜谷くんに声をかけた。手紙のこともあるが、まずは嵐山さんの容態が心配だった。
「嵐山さんのことだけど、かなり大変そうだね」
ミウリは浜谷くんの反応を確かめていた。動物園での姿や手紙の文面からも、かなり親しい友人関係なのはわかっていた。そんな彼なら何か知っていると感じていたからだ。
「ひどいよ、こんなこと……」
突然、浜谷くんは声を荒げてミウリのことを突き飛ばした。普段の彼からは想像も付かない反応に周囲も驚きを隠せない。
「え? 俺は、何もしてないよ。何だよ急に」
戸惑うミウリに浜谷くんは掴みかかり力一杯押し倒した。その目には涙が溢れている。
「ずっと憧れていたのに! ずっと、ずっと憧れていたのに!」
「だから、何。何言ってんだよ。俺は何もしてないっていってるだろ」
ミウリは浜谷くんをはねのけ、逆に押し倒して落ち着かせようと馬乗りになって手を押さえると、ミウリの行動に待ったをかけたのはクラスの皆だった。
男子数人で吊し上げられると、罵声が飛びかった。ミウリは反論するが、誰も味方になってくれる人はいなかった。浜谷くんは泣きながら皆に介抱されている。どう見てもこの場はミウリが悪者になっている。
「何してんだ」
良吾はミウリの腕を掴む男子たちを睨み付けた。慌てて腕を放して一歩下がる。
「行くぞ、ミウリ」
「お、おう」
ミウリはその場を良吾に助けられ、後ろ指を指されながら教室を出た。
――保健室。
ベッドに横になるミウリ。良吾は付き添いという事になっていた。二人はしばらく無言だった。
「お前、じゃないよな?」
良吾の声は弱々しかった。信じているとは思えない声色にミウリはショックを受けた。良吾が信じられなくなるほど、ミウリの信頼度は下がっていたことに。
「そんなわけあるか。俺はただ嵐山さんの容態を知ってると思って確認しただけなのに」
ミウリは言いながらだんだんとトーンダウンしていった。
浜谷くんとの関係は良吾は知らない。動物園の時も、なぜ浜谷くんがここにいるのか気にしていたのに。そのことをまだ話していなかったからだ。
「ゴメン。言ってなかった」
ミウリは頭を下げ、下駄箱に届いた手紙のこと。その差出人が浜谷くんで、浜谷くんは小学生の時、いじめで不登校になった事。その原因はミウリにあること。浜谷くんがいじめた理由を知りたがっていること。ミウリにかなり執着していること。嵐山さんと名前で呼び合うほど仲が良いことなど、洗いざらい説明した。
「何やってんだよ。ミウリー」
良吾はあきれ顔で、ミウリに軽くパンチを食らわした。痛がるミウリに何度もパンチを浴びせる姿は、どこか安堵しているようにも見えた。
「ちょっと、あんたたち。ふざけてるなら教室戻りなさい!」
雪先生に怒られた。しかたなく保健室を出て教室に戻るが、向けられた視線は軽蔑、疑心、怒りに満ちあふれ、とても一日過ごせる状態じゃ無かった。ミウリはその日、体調不良を理由に早退した。