5.名無しさん
学校での生活は変わらず充実していた。林檎から声を掛けられ、皆が集まり談笑する。その輪の中にミウリの姿があった。
嵐山さんは前列窓際。一方ミウリは最後尾の中央なので基本的に交わることはない。教室を出るときも、授業中も。班分けをするにも最近は林檎と組むので嵐山さんと一緒になることはない。
返事が来なくなって、嵐山さんとの距離が前より遠くなった気がした。何がいけなかったのだろう。たまに視線を送るが、嵐山さんはエリート集団に囲まれ様子を伺うことさえできない。知ってしまったからこそ一抹の不安が残る。
クラスには大きなグループが三つ存在している。
林檎、桃たちがいる女性中心のグループ。母体は女子のリーダー的存在、芽頭歌恋。今、ミウリはこの派生グループに取り込まれている。
そして嵐山さん有するエリート集団。一年の時から学級委員を務める菅谷栄光が偏差値の高い男女に声を掛け、勉強や教養を高める目的で構成されたグループ。
もう一つは良吾や謙信が身を寄せるグループ。ちょっと悪いイメージが格好いいと思っている集団で、長身でイケメンの大島翔がリーダー格を務める。ここには美少女ハーフの斉木マリアも属しており、翔と付き合っているのではという噂もあるが、マリア目当てで入っている男女も多い。
ミウリや良吾は野良に近いが、徒党を組む時もあるし、禁忌やルールがあるわけでもない。ただし三人のリーダー格はクラスの柱になっていることは明白で、シオミー(担任)も一目置いている。
ある日、下駄箱に便せん(名無しさん)が届いた。今までとは内容が異なり、かなり切迫した悩みが書かれていた。
『いつもよくしてくれる友人の元気がない。心配で事情を聞くが理由を話したがらない。なんとか力になりたくて、僕は君との関係を告白した。
すると友人は泣き出してしまった。どうしたらいいんだろう。何がいけなかったんだろう。後悔しても友人は元気にならない。何をすればいいんだろう。僕には何ができるんだろう。この苦しみを誰かに知ってほしくて、わがままな僕を許して』
名無しさんも苦しんでいる。友人の力になれない無力さを悲しんでいる。こういう時にこそ手紙を送って勇気づけてあげたい。
いや、それが迷惑かもしれない。人はそれぞれ自分の価値観を持っている。そこまでしてほしいのか。沈黙することで、時間が解決してくれるのではないか。
いつの間にか名無しさんの悩みが自分の悩みとリンクしていた。ミウリもその解決方法を知りたい。どうしたら友人を助けられるのか、どうしたら嵐山さんに気持ちが伝わるのか。
この悶々とした気持ちが収まらず、帰宅したミウリはすぐに机に向かい、再びボールペンを走らせた。
『嵐山さん、突然ごめんなさい。どうしても聞いてほしいことがあって手紙を書きました。
先日話した名無しさんから手紙をもらいました。とても悩んでいる手紙でした。それを読んで俺は胸が締め付けられました。落ち込んだ友人を元気にさせたいけどできなかったと言っています。すごく自分は無力だと。
俺はこの名無しさんもその友人も助けてあげたい。悩みがあるなら助けになりたい。元気づけてあげたい。でも俺はバカだから、その方法が全く思いつきません。
嵐山さん、何かいい方法はないでしょうか。こんなことを頼むのはおこがましいとは思いますが、今の俺には嵐山さんの言葉が必要なんです。
どうか知恵を貸してください。見返りに何でもします。俺ができること、時間がかかっても必ずします。だからどうか、どうか俺に力を、もう一度だけチャンスを下さい。
一ツ橋美兎』
書き終えた手紙に念を込め、切手を貼ってポストへ投函する。この手紙に返信がきますように。そう願いながらポストへ向かって柏手を打ち、深々とお辞儀をして家に戻った。
・・・・・・
「ミウリ、いるか?」
日曜のお昼過ぎ、良吾が家にやってきた。小学校の頃からの腐れ縁だ、当然両親も彼を知っているので笑顔で迎え入れた。部屋に入るなり、良吾は腕を頭の後ろに抱えると、そのまま寝そべりため息をついた。
「どうしたんだよ、急に来てその態度。今度は何があった?」
ミウリの願いは届かなかったのか、まだ手紙の返事がこない中で、今度は良吾に悩みがあるようだ。家に来てこの態度の場合、何かしら相談したい事がある。いつの間にかそういう合図みたいなものになっていた。
「聞いてくれよー、ミウリー」
「はいはい」
良吾は起き上がりこぼしのように姿勢を正すと、なぜか鼻を指でつまみながら早口で答えた。
「ケンチンニバレタ」
「なんて?」
鼻をつまんでるせいで、よく聞こえない。けんちんニラレバ? 意味不明だ。
「謙信にバレたの!」
首をかしげるミウリに逆ギレしながら良吾は言い放った。謙信にバレた? しかし何がバレたかわからない。目で続きを話せと合図を送る。
「俺が、桃と付き合ってるのが、バレて、怒らせた」
ははーん。ミウリは納得して頷いたが、確か謙信はリン親衛隊だったはずだ。事情を聞くと、話はちょっと複雑になっていた。
謙信はリン親衛隊の発起人になるくらい、林檎のことが好きだった。ただしいつも桃が邪魔してくる。桃は窓口のように矢面に立って、謙信とやり合っていた。そしていつしか桃とあーだこーだ話をすることが、ルーティーンのようになっていった。
そうなると何がどーしたのか桃が気になる存在に思えてきた。その事は良吾も相談を受けたと言う。そこで良吾は後押しした。謙信もその気になって、いつしか桃と話すために林檎にアプローチするようになっていった。
だがしかし、良吾が最近、桃と付き合うことになった。学校でそういったそぶりは見せない。いつもは学校が終わってから待ち合わせしてデートしていたが、先日グループの一人にその姿を目撃されてしまい、謙信に話が伝わって問いただされ、本当のことを話した結果だった。更にグループ全員にその事が知れわたり、グループにも居づらい状況になっているそうだ。哀れな。
元々、ミウリも良吾も野良だし、いいんじゃないかと言ってはみたが、謙信とは今後もうまくやっていきたいらしい。さてどうしたものか。
「それにミウリはどうなんだ? 結局まだ付き合ってないって聞いたぜ。何迷ってんだよ。謙信に言わせれば、お前は何様だって話だぞ」
ごもっとも。ここは男らしく付き合った方がいいのかもしれないし、付き合わなくてもいいんじゃないかとも思っていた。
「何で? お前のモテ期、もうこないぞ」
「なにおぅ」
「それほどのことだぞ。謙信にとっても」
「謙信はいい。あんな奴知らん」
良吾は頭を抱えた。そこへ母がやってきた。
「はい、ジュースでも飲んで。あと、これ彼女から手紙、来たよ」
「うわぁ!」
なんとも最悪のタイミング。これじゃ良吾にカミングアウトしたようなもんだ。嬉しいのに悲しい。嵐山さんとの秘密が音を立てて崩れ去っていく。
「ごゆっくり」
母は素知らぬ顔でジュースと手紙を置いて部屋を出た。良吾は便せんをじっと見つめる。そして目が合うと、続きを話せと顎を引いて合図してきた。
「まじ、最悪」
まず手紙の中身を確認する。良吾に絶対見られないように部屋の隅に背を向けて。
「誰から?」
「誰からの手紙?」
「彼女って、林檎ちゃん?」
矢継ぎ早の質問には答えず、息を殺し一気に手紙に目を通すと、大きく息を吐きながらその場にへたり込んだ。全身の力が解放され、このままもう眠りたいくらいだ。
「何だ、どうした? ミウリ?」
脱力したミウリがその後も無反応なので、良吾は我慢できず手紙を奪うと、食い入るように内容を確認した。
『ありがとう。美兎くんの気持ちは伝わりました。その名無しさんも、友人の方もきっと元気になるでしょう。これからも文通するかどうかは、正直まだ答えられませんが、本気なら今度の日曜日の午前十時、森の小町動物園に来て下さい。
追伸、手紙、私もうれしかったです。
嵐山宣子』
その差出人の名前を見て良吾は絶句し、ミウリのように脱力した。二人はしばらく放心状態のまま、ただ無駄に時間が過ぎていくのだった。
「で、説明はなし?」
良吾はジュースを飲み干すと、勢いよくテーブルを叩いた。そして置かれた手紙をリズミカルに人差し指で叩いてみせる。
「なんていうか、実験? みたいなやつ?」
その説明に良吾は腕を組んで首を横に振る。
「ホント。文通を試してくれるっていうから俺はその提案に乗ったって言うだけだから」
まず文通が謎だと言われた。このSNSがある時代にだ。そこを説明するともっとやっかいになるんだが。
「それにここ。名無しさんと友人さん。誰? 合コンでもしてんの?」
中学生が合コンなんてするかと言ったら、俺はしてると真顔で論破された。なんて時代だ、ぐうの音も出ない。
ミウリは降参して、はじめから順に説明していった。良吾は驚いていたが、嵐山さんのイメージに文通はありかもと納得していた。
「だから付き合うとかじゃなく、ただの文通相手として手紙でのやりとりをだな」
言いながらハッとした。来週の日曜日に森の小町動物園。良吾に知られてしまっている。なんてこった! この文章を読む限り本気を見せるなら行くしかない。どうしたもんか。
「行くのか?」
「なんで? 行かねーよ」
「行けよ」
「え?」
良吾から行けと言われるとは思わなかった。ただの文通相手と動物園で待ち合わせ。この突っ込みどころ満載の情報に、良吾は真顔でもう一度、行けと言った。
「なんで?」
ミウリの問いに、良吾は一考したあとニヤリと笑った。
「ミウリのモテ期は最後だから」
まだそれを言うか! 抗議をするミウリに良吾は笑いながら謝った。いつの間にか普段の良吾に戻っていた。
次の日、いつもと変わらない教室で、林檎を初めてミウリから誘った。
「林さん、ちょっと今日の帰り時間ある?」
悲鳴にも似たどよめきが、クラスをザワつかせた。林檎は驚きながらも大丈夫と言ってくれた。
学校帰りのファーストフード店。他校の学生も多かった。ミウリは辺りを見回しクラスメイトがいないことを確認する。
「何、何、どうしたの?」
林檎はおどけて見せるが少し顔が赤らんでいるように見える。熱でもあるのか尋ねたが大丈夫とハンカチを取り出し顔の前でパタパタし始める。
「実は良吾の事で相談があるんだけど……」
言った途端に林檎は固まってしまった。しばらくすると何事も無かったように笑っていたが、明らかに態度が変わった。焦っているようだ。
「田崎さんにもお願いできるかな?」
「うん、ちょっと相談してみるね。話ってそれだけ? じゃあ私、帰るね」
林檎は返事も聞かず、荷物をまとめると慌ただしく店を出て行った。なんだ用事があったのか、悪いことをしたなとミウリは一人、林檎の去って行く後ろ姿を見送った。
――運命の日曜日、天気は良好。絶好の行楽日和となった。ミウリは頭の中でシミュレーションを繰り返していた。電車に乗るタイミング、バスの出発時刻、動物園入口のどこで待つか。何を見るか。見る順番は。そこでは何を話すか。それらを全て計画していた。
問題が起きなければ大丈夫。順番通りやればいいだけだ。
午前十時になった。三十分以上前についてしまったミウリは、異様に汗をかいていた。すごく緊張しているのがわかる。汗でセットした髪型は崩れてないだろうか、この動物園で合ってるだろうか。今のうちにトイレに寄っておくべきか。不安ばかりが頭をよぎる。しかしその心配は徒労に終わった。
バスから嵐山さんが降りてくるのが見えた。その顔を見てほっとした。しかし近づいてくる間に新たな不安が生まれた。一人ではなかった。最初は同乗してきた客かと思ったが、二人は談笑しながら歩いてきた。こちらに気づいたのか嵐山さんは軽く手を振ってくれた。慌ててミウリも振り返す。
二人はミウリと合流した。嵐山さんの私服姿は可憐だった。今日は化粧しているようで、眼鏡フレームもいつもと違うせいか、別人のようだ。
「あ、こちらは、浜谷諭くん。ほとんど初対面だよね。で、こっちが一ツ橋ミウリくん」
「あの、一応同じクラスで、廊下側の前列に座ってます。気軽にサトルって呼んで下さい」
浜谷くん? ああ、確かに。ミウリは大きく頷きながら照れ笑いを浮かべ、手を差し出す。同級生なのに何故か握手をしてしまった。
「知ってるよ。話すのは初めて、かな。嵐山さんと話すのも実際初めて、だよね」
「そういえば、そうだね。えへへ」
三人はぎこちない挨拶をして間を笑顔で埋めようとしていた。
「とりあえず、入ろうか」
「うん」
「行きましょう」
色々質問したいが、ここで言い合いになって気まずくなるのが怖い。平常心を装いながら動物園の入場券売り場へ向かった。
「ミウリくん、生徒手帳持ってきてないの?」
「忘れた」
中学生以下は小人料金で入れる。但し証明が必要だと今、気がついた。二人はしっかり持参していた。計画は家を出た時、既に破綻していたのだ。
「あんたたち友達同士だろ。中学生かい。なら小人料金ね。」
天の救いか、入場券売り場のおばさんがミウリを含めて中学生と認定してくれた。うれしくて涙が出そうだ。皆が財布からお金を取り出しているのを見て、慌ててミウリも小銭を取り出し……。
チャリーン。チャリーン。
今日は厄日か。今度は小銭を落としてしまった。アスファルトを転がる百円玉と十円玉が数枚。硬貨は意思があるかのように我が道を右へ左へ突き進む。
「ああ、待ってぇ」
情けない声を上げながらお金を追いかけるミウリ。それが他の客の足下に転がった。
「すみません。あり……あれ? 何で?」
拾ってくれたのは、私服姿の林檎だった。それだけではない。桃と良吾、謙信までいる。ミウリは驚いた顔で、え? え? と繰り返すしかなかった。
「なに遊んでんだよ。ミウリー」
「同中に恥かかせんなよ」
「フフッ」
「バッカみたい」
散々の言われよう。しかし言い返す余裕もない。入場券を買った嵐山さんと浜谷くんが駆け寄ってきた。
「やあ、嵐山さん、と浜谷くん?」
爽やかに良吾は挨拶した。二人は驚きながらもお辞儀しながら挨拶を交わす。ミウリの計画はズタズタに引き裂かれた。全てが想定外だ。
「やー、何か誰かさんが俺っちのために、サプラーイズな事をしてくれるって聞いて来たら。ほら、林檎ちゃんと桃ちゃんがデートしてくれるって言うじゃない。いやー最高、マジ感謝」
謙信は終始嬉しそうに自慢している。林檎はすかさず小声で、「今日だけね」と補足してくれた。先日ミウリが相談した件を林檎と桃は一日デートする事で解決してくれたって訳だ。晴れて桃と良吾の二人は付き合うことができるし、良吾と謙信の仲直りができた。それは大変喜ばしいことだが、何故ここにいるんだ、しかもこの時間に。
「たまたま桃が動物園に行きたいっていうから、じゃあいくかって話で、そっちとかち合ったのは偶然。全くの偶然だよう、ミウリくーん」
良吾は悪そーな顔で、全く説得力の無い理由を口にした。
お前は知ってただろーが。お前が首謀者か! キッと睨むと、キャー怖ーいっておまえは乙女か! ふつふつと湧き上がる負の感情が爆発しそうなミウリに良吾は近づいて肩に手を乗せ耳元で囁いた。
「ありがとな」
ちくしょう。何なんだコイツは! それ以上もう何も言えなくなっちまった。
「あ、心配しないで。こっちはこっちでやってるから。そっちはそっちで、クラスにも言いふらしたりしないから」
嵐山さんに向かって良吾は宣言すると、返事を待たず歩き出した。謙信は全身で喜びを表しながら、一目散に入場券売り場へ向かっていった。
その時、嵐山さんが一際大きな声で皆を呼び止めた。
「あの! よかったらみんなで回りませんか?」
「え?」
ミウリは意外と大きな声が出る嵐山さんに驚いた。皆も驚いた表情をしている。
「だめかな? ミウリくん」
またそんな困り顔をされたら、世の男たちに拒否権なんてない。
「俺は別にいいけど……」
なんとも頼りない声でミウリが答えると、良吾はバッと素早く女子たちから聞こえないくらいの距離にミウリを誘導してから、「ホントにいいのかよ」と小声で是非を問いかけてきた。
「それにほら、浜谷くん? 何でいんの? 偶然?」
「わからない。今日はもうダメな結末にしかならない気がする」
肩を落としてうなだれるミウリに、しっかりしろと良吾は喝を入れた。小声で会話する二人とは対照的に、林檎は明るく嵐山さんの提案に乗ってきた。
「いーじゃん、行こ。嵐山さんてこーゆーとこ好きなの?」
「はい、今はあまり行けないんですけど、実は大好きで」
「意外! でもせっかくだから色々話しよーよ。桃もいいよね」
「リンがいいなら問題ない。嵐山さんて真面目で優等生ってイメージ強いから、アニマル好きって可愛いとこあんじゃん」
「じゃあ、あの。リンさん、桃さん。よろしくお願いします。あ、私のことは嵐山さんでいいですよ。その方が話しやすいし」
「ノブコウね、オッケー。じゃあ、そこの辛気くさい二人はほっといて行きましょ。ノブコウ。浜谷くんもね。行こ!」
「あ、サトルでいいです。僕もリンさんて呼んでいいですか?」
「オーケーオーケー、じゃあ皆でゴリラ見に行こー」
「多分、順路決まってるから、ゴリラは最後の方ね」
「えー、まいっか。レッツゴリラー」
「ゴリラ推しすぎ」
良吾とミウリの密談は、あえなく賛成多数で同意するしかなくなった。何も知らない謙信は、皆の分の入場券を買って合流すると、同行することに驚いたがノリノリの林檎と桃の様子を見て、控えめに歩く浜谷くんと肩を掴んで意気揚々と入場した。青いなー、青春だなー。
「はい、これ」
嵐山さんはミウリたちに入場券を渡すと、はにかみながら踵を返し、林檎たちの元へ走って行った。その姿に思わず二人は顔を見合わせると、観念するように後を追いかけた。
「マジか、これマジか」
謙信は叫ぶゴリラに興奮していた。いや、両脇には林檎と桃がいる。たぶんそっちに興奮しているんだろう。両手に花とはこのことだ。
嵐山さんと浜谷くんも三人とは少し距離を置いて、別のゴリラを観察している。時折指を指しながら談笑している様子は、とても自然でカップルのように見えた。
その様子をミウリと良吾は遠目で眺めていた。二人は中学生でありながらスタミナ切れをおこし、売店前にあるパラソル付きのガーデンベンチで休んでいたのだ。
「で?」
良吾はまだ元気が残っていたのか、顔を近づけコソコソとさっきの疑問の説明を求める。なぜ浜谷くんが一緒なのか。それはミウリも知りたかった。
嵐山さんの手紙の内容。まるで解決したように書かれていたのが気になっていた。名無しさんへの助言を求めた手紙に対して、アドバイスはなく元気になると書かれていた。嵐山さんが名無しさんを知っていたらどうだろう。名無しさんへ直接対応して、結果を報告したと言うことになる。
すると名無しさんは返信のできないミウリになぜ苦悩する手紙をよこしたのかという疑問が残る。少し手紙をやりとりしただけで、嵐山さんの凄さは感じていた。知り合いなら嵐山さんに相談すればよかったんじゃないか。
名無しさんの手紙にはミウリとの関係を話したら友人が泣きだしたと書いてあったな。なぜミウリと名無しさんの関係を知って泣いたのだろう。
一つの点と点が繋がったとき、全ての謎は解明する。そんなこと、凡人が分かるわけないだろ。
謙信たちがゴリラを満喫して、ミウリたちの座るガーデンベンチへやってきた。
「何だ君たち、その疲れようは。楽しみはこれからだってのに。ねー林檎ちゃん、桃ちゃん」
「ゴリラ最高、まじサイコー」
「ゴリラ推しすぎ、私疲れた」
謙信は二人がスルーしても全然気にせず上機嫌だった。笑いながら皆のジュース買って来てやるとか言って売店へ向かった。この勢いだととんでもない飲み物を買ってくる気がする。
「じゃー俺、謙信見張ってるから、いくぞ桃ッチ」
良吾は桃の手を引っ張って謙信の後を追いかけていった。桃は不満を口にしながらもあっさり従った。ミウリと二人きりになった林檎は、急に黙って手をパタパタさせながら下を向いた。ミウリにとってもこの状況は緊張して、何も言葉が出なかった。
そこへ嵐山さんと浜谷くんがやってきた。さっきまでの楽しそうな顔は消え、思い詰めたように嵐山さんが話しかけてきた。
「あの、リンさん。ミウリくんちょっとお借りしていいですか?」
「え、ああ、ああ、別に、私ここで桃たち待ってるよ。うん、いってらっしゃい」
そう言って林檎は桃たちが向かった売店の方へ顔を向けた。ミウリは黙って腰を上げると、導かれるように二人の後をついて歩いた。
少し離れたカバの展示エリアに到着した。一匹は沼の中で頭と背中だけだして沈んでいた。耳がピクピクとせわしなく回転している。もう一匹は木の陰でグッタリしている。おそらく寝ているんだと思う。
ここからだと林檎たちに話が聞こえることはない。きっと今日の目的を告げるためだ。すると浜谷くんは持ってきたバックを開き、一通の封筒を取り出した。
ミウリは目を丸くした。その封筒は黒く、キツネのシールが貼られている。そして宛名の文字は丸みを帯びていた。
「それ、なんで浜谷くんが……」
ミウリは一瞬バレたと思ったがそうじゃない。嵐山さんが連れてきた理由はこれだったんだ。
「ゴメンナサイ。僕がこの手紙を書いてました」
浜谷くんは封筒を手に持ったまま思いっきり頭を下げた。一緒に嵐山さんも頭を下げる。そんな二人を見てミウリは胸が熱くなった。
「アリガトウ」
頭を下げる二人に今度はミウリが頭を下げる。二人は驚いた声を上げるが、再び頭を下げて謝った。それに対してミウリはもう一度お礼を言った。その行為は何度も続けられ、周囲の注目を浴びることとなった。
「何してんの? なんかのゲームか? 俺にもやらせろ」
事情を知らない謙信が、ミウリたちの行動を見て割って入ってきた。新しい遊びかなにかと勘違いしている。
「アリガトウ」
「ゴメンナサイ」
「いーや、アリガトウ」
互いが謝り、互いが感謝する。そんな掛け合いをしているうちに、だんだん楽しくなってきた。それを見ていた家族連れの子供がマネを始めると、その輪が広がり他の子供たち、カップル、家族たちがお互いにお辞儀をしながら、感謝と謝罪を口にする。
挙げ句、カバたちも陽気に騒ぎ出した。口を大きく開け首を縦に振る。対になったカバたちは交互に声を上げる。
――楽しいひとときはあっという間に過ぎ去った。浜谷くんから封筒を受け取り、後で読んでほしいと頼まれた。
謙信は最後までアリガトウを繰り返していた。最後はみんな、アリガトウと言って笑顔で別れた。家に帰ったミウリは風呂に入り、楽しい思い出と共にぐっすり眠った。浜谷くんからの手紙はテーブルの上に置いたままで。