その果てに訪れた平穏
数日後。華弥は嬉しそうな顔で僕の席へとやってきた。
「ちゃんと話したよ。そうしたらお母さんがね、辛かったねって言ってくれて……」
どうやら華弥は、約束通りお母さんにすべてのことを打ち明けられたらしい。
言いたいことを伝えることで、華弥の言っていたちゃんとした家族というものに少しでも近づけていたらいいなと思った。
それから華弥は目の端を潤ませながら、その時のお母さんとの話し合いで決まったことを僕に教えてくれた。
一つ目、近々お兄さんは大学近くのアパートに引っ越すことになったということ。
二つ目、お兄さんが引っ越すまでの間、華弥と彼との接触を避けるため、華弥は母親の部屋で寝ることになったこと。
そして三つ目は、両親の帰りが遅い日だけ、外泊の許可を出すということだ。
その話を聞き、僕はほっと胸を撫で下ろす。
これで華弥は自分の部屋で安心して眠れるのだな、と。
「正直君のおかげだよ、ありがとう」
華弥は笑顔でそう言った。
「僕は何も。頑張ったのは華弥だよ」
「そうかな」
「そうだよ」
「でも。正直君がいてくれたから、私は強くなれたんだと思う。だからやっぱりありがとう」
そう言って微笑む華弥を見て、僕の胸の中は温かいもので満たされていった。
「どういたしまして」
ほんの少しでも、僕は華弥の役に立てたのだろうか。もしもそうであれば、この上なく嬉しい。
そんなことを思いながら、僕も彼女に微笑み返したのだった。
***
それから数週間が経ち、二月上旬となった。世間はすっかりバレンタインモードである。
本来の明るさを取り戻した華弥は、以前よりも楽しそう笑っていた。
おそらく、もう無理をして笑う必要がないと感じたからなのだろう。
「僕の役目もいつか終わるのかな」
「何、自虐的なことを言ってるのよ」
大きなため息を吐いていると、なぜか仁王立ちの瑠璃川が僕の席の前にいた。
「いや。華弥って僕のことを本気で好きだったわけじゃないんだろうなって」
「馬鹿なの?」
「瑠璃川よりはな」
ため息混じりに返すと、瑠璃川はあからさまに眉間に皺を寄せる。
「なんだか腹が立つ言い方ね――そう言うことじゃなくて、華弥の気持ちに気付いてなかったのってことよ」
「いろいろあったから僕を頼ってくれていたことは知ってる。でもその必要がなくなれば、何の魅力もない僕と一緒にいてくれるはずないだろ」
分かっていたことなのに、それを改めて自分で口にすると、なんだか胸にくるものがあった。
華弥が僕の胸に詰めてくれた想いは、すべて一時のもの。夢や幻のようなものなんだ。
瑠璃川は突然、「呆れた」と言ったようなため息をつく。
「速水君は残念な思考しか持ち合わせていないのね。というか、実は速水君が華弥のことをそんなに好きじゃないのかしら」
「な、何をいう! 僕が華弥のことを誰よりも大好きなことは瑠璃川が一番よく分かってるだろ!」
毎週日曜日に、どれだけ僕が華弥の良さを語ってきかせたことか……。
「ええ、そうだったわね。ストーカーみたいで気持ち悪かったことを思い出したわ」
己の身を抱くようにして一歩後ずさる瑠璃川。ついでに身震いまでしている。
「おいっ! 僕はそんな――」
「そうね。ストーカーみたい、じゃなくてストーカーだったわね。ごめんなさい、訂正するわ」
「あーはいはい、そうですよー。僕はそれくらい、華弥のことが大好きですよー」
そう返してから、僕は思わず吹き出していた。
瑠璃川とのこんなやり取りも久々だなと思い、なんだか楽しく感じていたからだ。
それは瑠璃川もだったようで、口では意地悪なことを言いつつも、顔には笑みが浮かんでいる。
本当に、瑠璃川は良い性格だ。友人でいてくれることがありがたい。
「まったく――じゃあどうしてそんなに不安になるのよ。もっと華弥の好意を信じてあげなさい。華弥だって速水君のこと、だ、大好きだと思うわよ」
ひとに好意を述べるのは初めてなのか、頬を赤らめながら言う瑠璃川の純粋さに可愛らしさを感じた。
だがしかし瑠璃川よ。何を根拠に、そんなことを言うのだ。
「その確証はあるのか?」
「そんなものは自分で確かめなさい」
瑠璃川はそう言って振り返る。僕はそんな瑠璃川の視線の先に目をやった。
そこにはクラスメイトの女子と談笑する華弥の姿がある。
「何をどう確かめろと?」
「ほら、チラチラと華弥がこっちを見てるわよ。浮気を疑っているのかもね。可哀そうに」
瑠璃川の言葉に、思わず目を見張った。それから華弥の方に視線を向ける。
瑠璃川の言う通り、華弥がこちらをチラチラ気にしているようにも見えた。おかげで変な汗が全身から噴き出てくる。
「これで破局したら、原因は瑠璃川にありだからな!」
「あら。じゃあ速水君が華弥に振られたら、私が華弥の代わりに付き合ってあげてもいいわよ」
したり顔で瑠璃川はそう言った。
まさか瑠璃川は誰かれ構わずこんな発言をしているのだろうか。もしそうだとしたら、多くの男たちを騙していることになる。なんて罪作りなお嬢様だ。
もちろん僕にはこれが瑠璃川ジョークと分かっているので、いつものようにさらりと流してやるけれど。
「はいはい。冗談でもありがとな。そうならないこと祈るよ」
「――冗談なんかじゃ」
「え?」
「何でもないわよっ!」
瑠璃川は頬を膨らませて、自分の席に戻って行ったのだった。




