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アネモネの花言葉  作者: しらす丼
第七章 冬
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華弥の決意

「明けましておめでとう、速水君。今年も仕方がないから仲良くしてあげるわ!」


 そんないつも通りの瑠璃川からの挨拶を聞き、新学期が始まったのだなと思った。


 クリスマスパーティ以降、瑠璃川とは会っておらず、毎週日曜日のお出かけも無期限休止することになっていたのである。


「明けましておめでとう。今年もよろしくな」


 シンガポールでの思い出を聞こうと口を開きかけた時、瑠璃川に会話の先を越されることになった。しかし、内容は冬休みのことではない。


「そういえば、華弥を見ていない? 今朝は部活に顔を出さなかったみたいなの」


 首を捻りながら瑠璃川は言う。


 なぜ華弥が朝練に出ていないことを瑠璃川が知っているのだろうと思いはしたものの、すぐに見当はついた。


 おそらく僕が来るまでの間に、ソフトテニス部員に聞かれていたに違いない。


「いや、何にも聞いてない。でも年明けくらいから家でいろいろあったみたいだぞ。そのことで忙しいんじゃない――か」


 そう発してから、何か嫌な予感がした。


 なぜ今日まで気が付かなかったのだろう。家のことというのは、彌富家のことなのか、それとも――


「おはよー」


 少しトーンの下がっている声がして、扉の方を見ると疲れた顔をした華弥の姿があった。


「華弥、どうしたの。その、顔」


 瑠璃川はぎょっとした顔で華弥に駆け寄る。彼女の頬には大きなガーゼが貼られていたのだ。


 こんなことをする奴なんて――。


「え、ちょっと転んじゃって。あはは、私ってば本当にドジだよね!」


「華弥、ちょっと!」


 僕は華弥の腕を掴み、教室を出た。今の時間誰もいない実習棟まで歩くと、華弥に向き直って立つ。


「それ、お兄さんがやったんだろ」


「――あはは、バレちゃった?」


「どうして……連絡をくれれば華弥の家に行ったのに!」


「それは。……出来なかった。だって」


 華弥はそう言って俯き、両手で拳を握る。


「だって……なんだよ」


「兄さんね、大晦日に紗月の家の前にいたんだって。私が紗月と年越しするって嘘をついたから」


「え、でも。その日、瑠璃川は」


「兄さんが言ったの。あの子、純粋そうで可愛いなって。華弥みたいに躾けてやらないとなって」


「それって、瑠璃川にも手を出そうとしたってことか」


「うん。だからそれはやめてって言ったら、また――」


 華弥は身体を震わせながら、その身を抱く。


 今すぐ彼女を抱きしめたい。そう思ったけれど、結局そうすることはできなかった。


 その権利が、僕にはないと思ったからだ。


「ごめん。僕があの返信の意味をちゃんと理解できていたらよかった」


 あの時にそうできていたら、華弥がまた傷つけられることはなかったのに。


「いいの。犠牲になってよかったって私は思っているんだよ。だって紗月を、兄さんから守れたんだから」


 華弥は声を震わせながらそう言った。


「華弥、あの――」


 華弥のお兄さんは嘘を言っている。

 大晦日、瑠璃川は日本にいない。だから瑠璃川家の前で華弥のお兄さんが瑠璃川を見ることはありえないからだ。


 けれど、今の華弥にそんな事実は伝えられなかった。きっと、彼女をもっと傷つけることになるから。これ以上、華弥が傷つく姿は見ていられない。


「何?」


「ううん。何でも、ない……」


「そう。……ねえ初詣の帰り、おぼえてる? 軽自動車が横切ったこと」


「ああ」


 それを見た華弥の様子がおかしかったことも、僕はちゃんとおぼえていた。


 けれど、どうして今その話を持ち出したのだろう。僕はそんな疑問を抱く。


「その車、兄さんのだったんだ。だから兄さんは、正直君と私のことを薄々勘づいてるの」


「え、じゃあその頬の怪我って僕のせ――」


「それは違うっ!」


「でも」


「このことはいいんだよ、もう」


 ガーゼをつけた頬に手を当て、悲しげな顔で華弥は言う。


 華弥がこんなにも苦しんでいるのに、どうして誰も何も出来なかったんだ。僕だけじゃなく、彼女の両親も。


「なあ、ご両親はなんて言ってるんだ? 華弥の、その傷を見て」


「転んだって言ったら、素直に信じてたよ。あはは、笑っちゃうよね」


 華弥のその言葉に、僕は奥歯を強く噛む。


 何もできなった自分への不甲斐なさと、華弥の家族に対する怒りの感情のやり場が他になかったからだった。


「そんなに気にしないでよ。――いつものことなんだしさ」


 そう言う華弥は、今にも壊れてしまいそうに見えた。


 仕方ない。しょうがない。そう言ってずっと我慢し続けてきた華弥は、今回もそうやって自分に言い聞かせ、無理やり笑みを浮かべている。


 君の抱えているものを僕も一緒に背負いたい。それは元旦に決心した想いだったはずだ。


「僕に家に来なよ。きっと父さんも母さんも理由を言えば許してくれる。このままじゃ、華弥が」


「そんなことをしたら、正直君のご両親にも迷惑をかける。だから、それはできない」


「だったら! 僕が華弥の家族にいうよ。華弥はお母さんのことがあるから言いづらいだろ。もしも聞く耳を持たないっていうのなら、僕のうちにくればいい。きっと父さんも母さんも、華弥の味方をしてくれる! 望めば家族にだって」


 届いてくれと僕はそう願った。華弥は一人じゃないんだと。今は僕も傍にいるんだと。


 しかし、華弥はゆっくりとかぶりを振る。


「……大丈夫。私が、自分で伝える」


「でも――」


「自分で伝える」


 僕はこの時、まっすぐに向けられた華弥の瞳をただ黙って見つめることしか出来なかった。


「私が伝えなきゃダメなんだ。お母さんや兄さんとこれからちゃんとした家族になるために」


「ちゃんとした、家族……?」


 華弥の言いたいことがわからなかった。


 華弥のお母さんは華弥とお兄さんのことも知らないばかりか、その状況にすら気づいていない酷い人なのに。どうして。


「うん。正直君の家に行って正直君とご両親の関係を見ている時に思ったんだ。私も、お母さんや……すぐには無理かもしれないけど、兄さんとも、ちゃんと家族になれたらなあって。それを、いま思い出した」


「華弥……」


「そりゃあ兄さんのことは許せないよ。でも、時間が経てば兄さんだって、本当の兄さんになるかもしれないから」


 憂いを帯びた目で華弥は言う。それから小さく息を吐くと、唇の端をゆっくりと持ち上げた。


「だから見守っていて。私のことを。そして、信じてほしい。私たちがちゃんとした家族になることを」


「……わかった」


 そんな不甲斐ない返事しか、今の僕には出来なかった。


 大きくなっていたのは気持ちだけで、自分自身が変わったわけじゃない――。


 彼女の助けになりたい、支えたいと思っているのに、僕は自分が無力であることを現実に思い知らされる。


「でももしも無理そうなら、その時は正直君を頼るね。……それで、いいかな」


 華弥の訴えかけるようなその瞳に、僕は力なく首肯する。


「約束、だからな」


「うん。じゃあ、教室に戻ろ! 予鈴鳴ってたよ」


 華弥はそう言って微笑みながら駆けだした。


 その背を見ながら、沈んでいた太陽がようやく大地を照らす時が来たのかもしれないと感じる。


 華弥は自分で頑張ると覚悟を決めた。

 そんな彼女のために、今の僕ができることは見守ることなんだ。


 それから僕は、華弥の後を追って駆け出した。


 意に沿った回答は得られなかったものの、華弥の行動は何かしら状況の変化をもたらすことだろう。


 もしもその行動の代償として華弥の身に危険が及んだときは、僕が必ず華弥を守る。どんな過酷な運命が待っていたとしても。


 彼女が放つ光を、もう二度と失わせないために。

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