両親
華弥と共に神社から家の前に戻ると、消して出たはずのリビングに明かりが灯っているのが見えた。
「父さんと母さんが帰ってきてるみたいだ」
「仕事、けっこう遅くまでかかっちゃったんだね……とりあえず、ちゃんと挨拶しなくちゃ」
真剣な表情で華弥はそう言って、リビングの方を見つめる。
挨拶といっても、結婚前のってわけじゃない。しかし、それくらい緊張している華弥が、とても可愛らしく見えた。
ちなみに華弥との関係は、以前から父さんと母さんに伝えてあり、今日のことももちろん知っている。
「そんなに硬くならなくても大丈夫だよ。僕の両親なんだから」
と笑いながら言うと、
「正直君のご両親だからこそ、そこはちゃんとしたいの!」
華弥は僕の目を見てまっすぐに言う。
その言葉に恥ずかしくなった僕は頬を掻きながら、「そっか」と答えた。
それから「ただいま」と玄関の扉を開けると、父さんと母さんがリビングからひょこっと顔を出した。
「正直、あけおめ~! 華弥ちゃんも、あけおめ!」
そう言いながら、母さんは近づいてきて外国人かのように僕と華弥を順番にハグしていく。
母さんのハイテンションの理由は、おそらく納期が予定通りに済んだからなのだろうと察した。二人が関わったアニメの放映日が楽しみだ。
「はいはい、あけましておめでとう」と淡々と返す僕に対し、華弥はやや緊張した口調で返していた。
「母さん、二人とも困っているだろう」
とやれやれした顔で父さんは母さんの肩を叩く。
「そうね、ごめんなさい」と母さんはいたずらな笑みをしてから、「ささ、リビングで暖まりましょう。玄関は寒いでしょ?」
とリビングに身体を向けて歩き出した。
「騒がしい家内ですまないね。あけましておめでとう、華弥さん。いつも正直がお世話になっています」
父さんはそう言ってにこりと笑いながら、華弥を見る。
「あけましておめでとうございます。そして、はじめまして。彌富華弥と言います。こちらこそ、いつも正直君にお世話になっています」
華弥は深々と頭を下げながらそう言った。
「ご丁寧にどうも。ここじゃ、寒いだろうから、中へ行こうか」
父さんがそう言うと、華弥はホッとした顔で「はい」と答え、家に上がる。
どうやら父さんも母さんも、華弥を受け入れてくれたようだった。
心配はしていなかったものの、少しも不安がなかったわけではない。
僕もホッと胸を撫で下ろしながら、履いていた靴をたたきで脱ぎ、家に上がった。
「年越しそば――じゃないか。年明けそばはいる? 今、食べてたところだけど」
リビングに入って早々、母さんは僕らにそう言った。
キッチンカウンターのすぐ横にある四人がけのテーブルにはすでに父さんが着いており、天ぷら蕎麦を食べている。
リビングに漂う上品な蕎麦つゆの香りが、僕の嗅覚を刺激して腹を鳴かせた。
「せっかくだからもらおうかな。華弥は?」
「じゃあ。私も」と華弥は微笑む。
「ぜひぜひ! そこ、座って待っててー」
母さんにそう言われ、僕らはテーブルにつく。
父さんが定位置の上座(一般家庭の食卓に上座下座なんてルールはないのかもしれないが)に座っているので、僕はいつものように父さんの隣り、華弥は僕の正面に座る。母さんは父さんの正面に座るのが、常だった。
それから母さんが華弥、僕の順番に天ぷら蕎麦を出してくれ、その母さんも自分の分を持ってテーブルについた時、僕らは年明けそばを食べ始めた。
「このつゆ、すごく美味しい……」
つゆをすすった華弥は器から顔を離して、目を丸くしながらそう呟く。
「つゆは毎年母さんのお手製なんだ」
と僕は得意げに答えた。答えた後に、マザコンだと思われたらどうしようと内心焦ったが、華弥は特に何も思わなかったらしい。
「お手製!? すごいですね」
そう言って華弥は母さんの方を見た。
「こんなのちょちょいと出来ちゃうものよ! 今度また、教えようか?」としたり顔の母さん。もしかしたら、娘ができたみたいで嬉しいのかもしれない。
「ぜひ! よろしくお願いします」と華弥は笑顔で答えたのだった。
それから母さんは華弥のことを気に入ったようで、学校での僕のことを根ほり葉ほり聞いたり、聞かれてもいないのに僕の幼少期の話をしたりと――なんだか楽しそうにしていた。
「ああ、もうこんな時間か。私はこの人を部屋に寝かせてくるね」
酒が回ったのか、スヤスヤと寝息を立てて眠っている父さんを見ながら、母さんはそう言って立ち上がる。
「二人もささっとお風呂に入って今日は休みなさい」
「うん、ありがとう母さん」
「じゃあ、ごゆっくり。あ、お風呂は一人で入るのよー」
ニヤリと笑いながらそう言うと、半寝状態の父さんの肩を支えて、母さんは寝室に消えていった。
「ごめんな、騒がしい母さんで」
「ううん。優しくて素敵なお母さんだね。いいなあ」
華弥は目を細めて、呟くようにそう言った。
お兄さんの話は聞いているけれど、お母さんの話はお父さんの再婚相手の人以外の情報はない。
お兄さん同様、酷いことをする人なのだろうか。そんな不安がよぎる。
「華弥のお母さんは優しくないのか?」
「優しいけど、やっぱり本当のお母さんじゃないから――少し気を遣われている感じなんだ」
華弥は苦笑いをしながら答えた。
「そっか」
お兄さんのことを相談できないくらいだもんな。好いていないわけじゃないだろうけど、やっぱり距離はあるのかもしれない。
頼りたいはずの母親を頼れない――それはどれだけ苦しいものなのだろう。僕には、まったく想像もつかないことだった。
「なあに難しい顔してるの?」
そう言って華弥は両手で僕の頬をつまむ。
「ほら、笑え」
「うん」
「いつもの君でいいって言ったでしょ? 余計な心配はしない。君は君でいて。それだけで私は救われるから」
「わかった」
「よしっ!」
華弥はニッと笑ってから、つまんでいた僕の頬を離す。
「じゃあお風呂に入りますか! 今度は一緒に入る?」
「は、入らないっ!」
「私は一緒でもいいのにー」
「ほら、さっさと早く入ってくる! 僕は布団の準備をしてくるから」
「はーい。じゃあ、お先です」と僕の肩を叩き、華弥はリビングを出ていった。
「一緒に入りたくないわけじゃ、ないけどな」
そう呟いてふと、初詣前のアレコレを思い出し、全身がカッと熱くなる。
「布団の準備しないと」と誤魔化すように言って、リビングを出た。
廊下は冷蔵庫の中のようにひんやりしている。体の熱を覚ますのには、ちょうどよかった。




