ようこそ、速水家へ
駅前通りを抜けた先には、閑静な住宅街が続いている。そこにある数件の住宅には、玄関扉にしめ縄がかけてあり、すでに正月ムードを漂わせていた。
それを除けば、ふだんの学校帰りに一人で歩くいつもと変わらない眺めのはずだった――けれど、今日は少しだけ違う。
華弥が、隣にいる。そして、家まで一緒に歩くのだ。
その緊張で歩き方がつい、ぎこちなくなってしまっていた。はたから見れば、寒さで身体をすくめながら歩いているように見えるかもしれない。
それが若干、恥ずかしかった。穴があったら是非入りたい。
「正直君の家、どんなだろうな。確か、お母さんってガーデニングが趣味だったよね」
華弥のその明るい口調に、今さっきまで僕が不安に思っていたアレコレは杞憂だったことを知る。
ホッとしつつ、そんなところも好きなんだよなあとなんて思いながら、僕はいつものように華弥を見つめて答える。
「ああ。秋ごろに球根を植えていたからな。春にはまた綺麗なアネモネが咲くと思う」
「そっかあ」と華弥は嬉しそうに言った。
そんな彼女に僕も思わず微笑み、あの春に見た花壇を思い出していた。
春の陽射しをしっかりと受け止めるように開かれた花弁。それらは密集していると、花壇上に広がる絨毯のように色彩豊かで美しい。
僕は、その光景を彼女にも見てほしいと思った。
「春になったら見に来てよ。すごく、綺麗だからさ」
あの光景を前に、僕らは並んで何を見るだろう。思うのだろう。
そう考えると、僕も春になるのが待ち遠しくなった。
「うん! 楽しみにしてるね!」
そう言う華弥の顔を見て、僕は不思議に思った。
ずっと好意を寄せていた相手がいま、自分の隣にいる。こんな奇跡みたいなことってあるんだなと。
これが一時の幸せにならないように。彼女がずっと本当の笑顔でいられるように。僕はできる限りのことを頑張ろう――
「ずっと黙ってどうしたの?」
華弥はきょとんとした顔で言う。僕が黙って見つめていたことに気付いたのだろう。
「華弥と一緒にいられることが幸せだなあって考えた」
僕は素直な気持ちを伝えた。
「へえ――そっか」
華弥はそう言って、僕から顔を背ける。
どうしよう。もしかしたら、華弥に引かれたのかもしれない。
せっかく恋人になれたとしても、やっぱり華弥は高嶺の花だし、いろんな男子生徒が狙っていることも知っている――。
中学生の時、華弥と一緒に居るようになってから、僕は同級生たちから嫌がらせを受けたことがあった。
校舎用のシューズがトイレに流されたり、ノートに落書きがされていたり。雨傘なんてへし折られ、昇降口前の花壇に刺さっていたなんてことも。
さすがに高校生になると、そんな幼稚な嫌がらせはなかったものの、やはり男子生徒からの視線は痛い。
ついでに華弥を崇拝しているソフトテニス部員たちも、僕の存在を快く思っていないらしいのだ。
恋愛に障害はつきものとはいいつつ、誰からも歓迎されないのは辛い。
華弥が簡単に僕のことを見捨てるような人間ではないことは分かっている。
けれど、あまり周囲が悪く言うと、華弥だって僕のことを嫌になるかもしれないし、僕よりも信用できる男が現れれば、そっちに行ってしまうかもしれない。
恋愛は好きになった方が負け、というのはよく言ったものだ。
「はあ」
「え!? 大丈夫? もしかして、私が家に行くのが嫌、だった?」
華弥は心配そうな顔で僕の顔を覗き込んでいた。
「そうじゃないよ! 僕も頑張らなきゃなって思っただけ」
「もしかして、進路のこと?」
「それもそうだけど……まあ、いろいろだね」
華弥は少し考えた顔をすると、
「私は、今のままの正直君が好きだなあって思うよ」
と言って微笑んだ。
「もしかして、心が読めるのか」
何それ、と華弥は笑いながら続けた。
「私は自分の思ったことを言っただけ。心なんて読めないよ」
それから華弥はゆっくりと空を見上げる。
「背伸びしようとしなくていいし、私のことで気に病むこともないよ――ってね。私は、君と一緒にいられるだけで嬉しいんだ」
そう言って、華弥は恥ずかしそうな笑みを浮かべた。
華弥のその表情を見て、全身がポッと熱くなる。
一番好きな人にそんな風に言ってもらえて、嬉しくないはずがない。
「あ、ありがとう……」
「ほほう。照れた顔も可愛いねぇ」
「可愛いとかいうなよー」
唇を尖らせながらそう言うと、華弥は楽しそうに笑うのだった。
そしてそれからの道中はここ数日にあったことを楽しく話して歩き、あっという間に僕の家へとたどり着いた。
表札を越えて家の敷地内に入ると、華弥は急に立ち止まり、庭の方をじいっと見渡しはじめる。
「何かあったのか?」と僕が尋ねると、華弥は右手を額に当て、「噂の球根ちゃんはどこかなあっと思って」と答えた。
「ああ、花壇は奥の方にあるんだよ。あっちの角を曲がった方にね」
「へえ」
「見たいのか?」
「いいの!?」
「何にもない花壇だぞ?」
「いいよ! 見てみたい!」
そう言われ、僕は華弥を花壇まで案内した。
石の枠で囲まれ、少しだけ盛り上がりのある土。春に色とりどりのアネモネの花を咲かせていた花壇は、閑散としていた。
「本当に何にもないね」
「だから言っただろ」
「でも、ここにたくさんの花が咲くんでしょ? すごいねえ」
華弥はしゃがみこんで、土しかない花壇を見つめ微笑む。
長いまつげ、高い鼻筋。形の良い頬が寒さでピンクに染まっていた。ポニーテールヘアのおかげで彼女の綺麗なうなじが見え、ドキッとする。
やっぱり華弥のうなじって綺麗なんだよな。夏祭りの時にも思ったけれど。
そんなことを考えていると、華弥がこちらを向いた。
「今、いやらしいこと考えてなかった?」
「そ、そんなことないって! ただ、綺麗なうなじだなあって考えていただけで」
「男の子はうなじが大好きってネット記事で読んだことある!」
「でも、別にいやらしいことは考えてないから!」
「はいはい」
華弥はからかい口調でそう言いながらスッと立ち上がり、また花壇を見つめた。
誤解させてしまっただろうか。華弥は、異性からそういう目でみられることが好きじゃないはず。もしかしたら、僕に嫌悪感を抱いたかもしれない。
せっかく華弥と楽しい大晦日を過ごそうと思っていたのに、と重たい石を乗せられたみたいに両肩が下がる。
「寒いし、家に入ろうか。カウントダウンまでには父さんと母さんも帰ってくるからさ」
そう言う声のトーンも下がっていた。
しかし、そんな僕の不安はまたも杞憂だったようで、「うん!」と華弥はいつもの笑顔だった。
それから僕は華弥を連れて家に入り、リビングに向かう。
「大掃除、本当に頑張ったんだねえ。えらいえらい」
と華弥から称賛の言葉をもらった僕は、一人で大変だったが、大掃除を頑張ってやってよかったと心から思った。
それから僕らはソファに並んで掛け、再放送のドラマや年末特番のお笑い番組を観ながらカウントダウンを待つことにしたのだった。




