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アネモネの花言葉  作者: しらす丼
第五章 秋
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悪夢のはじまり

 紗月が転校して数か月。お父さんが再婚することになった。


 相手はお父さんと同い年で同じ職場の人らしい。お父さんは自動車部品メーカーで働いていて、その人は昔からの知り合いだと教えてくれた。


 そして、その人には子供が一人いるらしく、私より三歳上の男の子なんだとか。


「今日からよろしくね、華弥ちゃん」


「はい、よろしくお願いします」


 私が笑顔で頭を下げると、新しいお母さんもニコっと笑う。それからお母さんは後ろにいる男の子にちらりと視線を向けると、


「かえでも、華弥ちゃんに挨拶なさい」


 困ったようにそう言った。


「よろしく」


 かえでと呼ばれた少年は俯いたままそう答える。


「よろしく、お願いします」


 かえでを見て、この人は何を考えているのかよくわからない人だなと思った。


 しかし、その細い手足を見るに暴力を振るうような悪い人ではないのだろうと悟る。きっと喧嘩をしたら私の方が勝てるだろう、と。


 そのため、かえでへの警戒はすぐに解けたのだった。




 暮らし始めて数日。新しい家族との関係は比較的に安定していた。


「華弥ちゃん、食べたいものはある?」


「お母さんが作ってくれるものなら、私はなんでもいいよ」


「そうね。じゃあカレーはどうかな? 良かったら、一緒に作らない?」


「うん!」


 新しいお母さんからは、本当の母のような愛情を感じた。


「兄さん、晩ご飯だって」


「……わかった」


 兄になったかえでは相変わらず何を考えているのかは分からなかったけれど、ともに過ごしていて嫌悪感などはなかった。


 新しい家族が始まる。以前とは違うカタチかもしれないけれど、きっと楽しいことが待っているに違いない。


 私はそんなことを思いはじめていた。


 しかし――安定していた日常はある日突然、壊れてしまう。




 中学一年生の夏、両親が社員旅行で家を空けていた夜のこと。お風呂を出た私はベッドに寝転んでスマートフォンをいじっていた。


 部屋の扉が突然ガチャリと音を立てて開き、驚いた私は扉の方に目をやる。


 するとそこには、無表情で佇むかえで兄さんがいた。


「兄さん? 勝手に入ったらダメだよ」


 前にも勝手に兄さんが部屋に入ってきたことがあり、お母さんに文句を言ったことがあったのだ。


 その時に兄さんはこっぴどく叱られたはずだったのに、また同じことを繰り返そうとしている。もしかして、この人はバカなの?


 またお母さんに伝えなきゃ――そんなことを考えているうちに、兄さんはゆっくりと私の傍まで来る。


 無表情の兄さんにゾッとした私は、身体をおこし、兄さんからゆっくりと距離を取った。


「なに……?」


「ずっと我慢していたんだ。でも、もう無理なんだ」


 兄さんはそう言うと私の両手を掴み、そのままベッドに押し倒す。


「兄さん!? 何やってるの! やめてよ」


 抵抗しようと動くと、兄さんは掴んでいた片手をほどき、その手で私の頬を強く打つ。


 驚いた私は、しばらく目を見開いて兄さんの顔を見た。


 その目には漆黒の闇が映っている。微かに上がっている口角が不気味さを醸し出していた。


「大丈夫だ。すぐに、済むから」


 兄さんの腕が私の身体に伸びる。


「いやっ! やめてよ――」


 それから私は兄さんに抗えず、されるがまま時間は過ぎていった。




「――やっぱりナマは違うな」


 兄さんはベッドから身体を起こして満足そうな顔でそう言うと、部屋を出ていった。


 ベッドに一人残された私は、タオルケットを抱きながら蹲る。


 下腹部に微かな痛みが残っていた。その痛みがさっきまでの行為を夢でも幻でもないと証明しているようだった。


 いつか好きな人ができたら、キス以上の関係になれるんだよ――それは以前、クラスメイトの子から聞いていた言葉。


「好きな人……? 好きな人じゃなくても、それ以上になるんじゃない。なんで、こんな……」


 急に身体が震え出し、吐き気をもよおす。


 それから急いでトイレに駆け込み、胃から上がってきたものを吐き出したけれど、口から出たのは胃液だけだった。


「こんなの、ただの悪夢だって言ってよ……」


 そして私は、暗闇の中でトイレの便器に顔を埋め、声を殺しながら涙を流した。


 しかし、そんな私の姿を誰も知ることはないのだろう――。




 その日以降、私の中に入ったかえでの存在は消えることはなかった。触れられた手の温度もあの時の痛みもすべて私の身体に刻み込まれてしまったのだ。


 誰かに相談したかった。しかし、お母さんやお父さんに言えば、また兄さんに頬を打たれるかもしれない。


 普段から信用していないクラスメイトたちには、好奇な目を向けられるような気がして言う気にはなれなかった。


 じゃあ、紗月は――?


 少しだけ逡巡してみたけれど、すぐにダメだろうと答えが出た。


 純粋な彼女に、あの夜のことを伝えるには少し抵抗がある――いや、たぶんそうじゃない。


 紗月は――こんな私を、私と認識してくれないと分かっているからなんだ。


「どうしよう。誰か、助けてよ……」


 けれどその日以降、兄さんが部屋に来ることはなかった。

 それでもあの日のことは、私の心に大きな傷となって残ってしまっている。


 しかし、私は笑顔を崩せない。


 どれだけ辛くても苦しくても、私は笑顔でなければならない。誰かに心配をかけたくない。お父さんにも元気でいてほしいから。


 そして、我慢はいつかなれるもので、そうしているうちに心の痛みは気にならなくなった。


 あの日以降、兄さんも何かしてくるわけではない。何か一時の気の迷いだったのかもしれない。そう思い始めていた。



 しかし――再びその夜はやってきた。



 お父さんとお母さんが忘年会で帰りが遅くなることが分かっていた日の夜。私は机に向かっていると、再び部屋の扉が唐突に開く。


「兄さん、勝手入っちゃダメだって――」


「うん」


 ニコッと笑うその顔に、私は恐怖を覚えた。逃げなきゃいけないと分かっているのに、身体が硬直して全然動かない。


「華弥」


 兄さんは私の身体の輪郭をなぞるようにその手で触れ、ニタっと笑った。そして身体を引き寄せると耳元で囁くように言う。


「今夜は優しくするよ」


 まただ……分かっているけれど、抗えない。


 兄さんの手を振りほどけないまま、私の身体は兄さんに穢されていく――。




 すべての行為を終え、兄さんは以前のように満足そうな顔をして部屋を出ていった。


 私はただ空しい気持ちでベッドに横たわったままだった。


 こんなこと、いつまで続くのかな。せっかく気持ちを入れ替えたばかりだったのに。私はこのまま兄さんの欲求を満足させるためだけに存在することになるの?


 誰かに言いたい。でも、言えない。どうして私がこんな目に遭わなければならないの。ねえ、教えてよ――


 その日の夜を境に、兄さんは週に一度、私の部屋に押しかけ、お父さんやお母さんにバレないようにたまった欲求を私の体で解消していった。


 従わない日は頬を打たれたり、腕を強く掴まれ、アザになったりした。


 兄さんに抵抗できないまま、ただ時間だけが流れていき――私はようやく、彼に出会う。


 そう。中学二年生になり、紗月を助けたという速水君と同じクラスになったのだ。

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