幕間39(調千里)
千里達は、モンスターが溢れたネオユートピアから脱出しようと移動していた。
現れるモンスターは大して強くはなく、千里が武器無しでも倒せる程度だ。だがそれは、千里がダンジョン30階を突破した探索者だからだ。
一般人では勝てるはずもなく、次々に犠牲になっていた。
「早くこっちに!」
千里はローレライの首飾りに魔力を送り、精霊を召喚する。そして、一般人を襲おうとしていたオークを討伐する為に、精霊に水の魔法で攻撃するように命令する。
その魔法は、ウォータージェットのような水魔法で、オークを一瞬で輪切りにしてしまう。
集団は避難に遅れた一般人を回収して、再び移動を開始する。
この集団はかなりの人数になって来ており、戦える者達は、集団の外側に行き守っていた。
「千里ちゃん、かなり出来るわね。うちに来ない?」
「お誘いは嬉しいですけど、遠慮しておきます。荒事には極力関わりたくないんです」
千里をスカウトしたのは、ホント株式会社社長の本田愛だ。
愛自身もそれなりに戦えるのだが、武器が無い状況では足手纏いにしかならないと理解しており、大人しく集団の中にいる。
そんな愛に返答しながらも、千里は精霊に指示を飛ばしてモンスターを倒して行く。
ローレライの胸飾りは三回しか使えない。
それも一度の使用で五分間と短い。
他の探索者が戦ってくれているが、この集団が更に膨れたら、千里が戦う頻度も増えて来るだろう。そうなると、使用制限が来て、何も出来なくなる。
まだ、ネオユートピアの出口まで距離があり、何事もなくというのは難しいだろう。
周囲を見渡せば、彼方此方で悲鳴や破壊音が鳴り響いており、地獄のような光景が広がっていた。今もこちらに向かって、助けを求めている人達もおり、この集団は増え続けていた。
それに心配もある。
無事だとは思っているが、田中とフウマの姿がまったく見えないのだ。
私の心配なんて必要ないと分かっていても、どうしても心配してしまうのだから仕方ない。
そんな時に、建物の隙間から異様な光景が見えた。
「なに、あれ?」
「どうしたの?」
歩くのを止めて一点を見つめる千里。
それに気付いた美桜が尋ねる。
「あれ……」
千里が指差した方向には、多くの人が空中で磔にされており、かなりの速度で進んで行く姿が見えた。
「まさか、ユニークモンスター⁉︎」
美桜が叫ぶと、聞こえていた探索者の間で緊張が走る。
この状況で現れるユニークモンスターならば、どのレベル帯のモンスターでもおかしくはなかった。下手をすれば全滅の危険すらある。
だからこそ、最大限に警戒する必要があった。
だが、その心配も杞憂に終わる。
道の先からまず現れたのは、空中を飛ぶ芦毛の豚、もといフウマだった。
そのあとを、空中に磔にされた大勢の人々が、怖いのか顔を引き攣らせて移動していた。
フウマを知らない人達は、恐怖で悲鳴を上げており、こちらに来ませんようにと祈る事しか出来なかった。
「あの子、もうちょっと何とかならなかったの?」
「んー、ハルトさんの召喚獣だからね……」
千里が呆れながら呟くと、美桜は主がアレだから仕方ないと諦めるように答えた。
だが、手段はどうあれ、フウマは田中に言われた通りに大勢を救っている。それは称賛はされても、非難されるべきではない。
それに、フウマは目に付いたモンスターを全て滅ぼしており、この状況で最も貢献した存在なのだ。
フウマが通った後は、モンスターが居なくなっており、ネオユートピアの出口まで無事に脱出する事が出来た。
ネオユートピアから出ると、フウマが連れて来ただろう大勢の人達がおり、避難の為に闘技場を目指して移動しているようだった。
それに倣って千里達も移動する。
熊谷達や、己の腕に自信のある探索者は、救助の為にネオユートピアに戻って行く。
「田中くんほど活躍は出来ないだろうが、俺達にも出来る事はあるからな」
雇い主である愛に許可をもらい、熊谷達はそう言い残して救助に向かう。
千里は、熊谷達の姿を見て、羨ましいと思ってしまう。
荒事には関わりたくないと言いながら、理不尽に抗う力が欲しいと思ってしまったのだ。
「千里、行こう」
「……うん」
きっと今も彼は、その理不尽に抗っている。
一人で戦わせているのが悲しくて、悔しかった。
ーーー
闘技場に到着すると、そこには入り切れないほどの人で溢れ返っていた。
それはそうだろう。
ネオユートピアは、百万人以上が暮らしている人工島だ。そこから一部が避難するだけでも、数万人規模の闘技場では満杯になるのも当然だった。
だから、千里達は外で待機する事になった。
そこからはネオユートピアの様子が良く見えており、今もパスが光り輝いていた。しかし、その下では火の手が上がり、黒煙を生み出していた。
「あれは……なに?」
その様子を見ていると、突然、空にヒビが入る。
そのヒビは広範囲で、ネオユートピアの上空だけでなく、闘技場の上、更にもっと先まで広がっていた。
そしてガラスが割れるように空が砕けると、そこに現れた景色を見て全員が圧倒された。
現れたのはネオユートピアに似たどこか。
だが、ネオユートピアが陳腐に思えるほどに発展した世界。見たこともない建築物に、空に浮かぶ島、そこにある物全てが、高度に発展した文明の産物だと分かる物ばかりだった。
そして何より、その圧倒的な存在感を放つ大樹を見ていると、何故だか跪きたくなる衝動にかられた。
実際に手を合わせた人もおり、中には涙を流している人もいた。
しかし、それも少しの間だけだった。
「っ⁉︎」
呼吸が出来なくなる。
中には卒倒した者もおり、心臓の弱い者はそのまま死んでしまってもおかしくはなかった。
そんな惨状なのに、誰も動けない。
鳴いていた虫も動きを止めており、無音の世界が広がっていた。
空に現れた一体の龍。
その龍は、黒い鱗に覆われており、三対の大きな翼を持ち、大樹とは違う死を連想させる圧倒的な存在感を持っていた。
誰もが願う。
助けて下さいと、死にたくないと、何でもしますからと、どこの誰でも良いから助けてと懇願する。
しかし、そんな思いなど知った事ではないと、黒龍から世界を終わらせるような破壊の息吹が放たれる。
狙われているのはネオユートピアだが、その破壊の力がここまで届くと誰もが理解していた。
みんな生きるのを諦めた。
世界の理不尽がこれほどなのかと、絶望しながら、そっと目を閉じた。
だが、その終わりは訪れない。
救いの閃光が地上から放たれ、破壊の息吹を消し飛ばしたのだ。
ドゥッ! と衝撃が走る。
それを合図にしたかのように、息を潜めていた動物達が逃げ出し、虫さえも辺りからは消えてしまった。
「ハルトくん?」
黒龍に向かっていく光を見た。
千里は、その光に田中ハルトを見る。
誰もが、あの光が救ってくれたのだと理解する。そして、どうかあの邪悪な龍を倒して下さいと光に願う。
その願いは祈りになり、神に縋る思いへと変化する。
人々が願い祈る中で、巨大な黒龍と人を超越した者の戦いが始まる。
祈る者の中には、この様子をスマホで撮影して、世界に発信する者もいた。
命が掛かったこの状況で、それは不謹慎だろうと誰も止めない。正確には、止めるだけの余裕がなかった。
この映像はあっという間に広がり、多くの絶望と希望と願いを生み出していた。
だが、これが結果として良い方向に動く。
田中が新たに手に入れた【象徴】とは、他者から向けられた思いを力に変えるレアスキルだ。
一人ひとりから与えられる願いは小さくても、多くから集まれば、それは凄まじい力になる。
少しずつ集まり始めていた。
多くの願いが、思いが、田中に届けられようとしていた。