幕間36 ②(麻布針一)
11月25日、オーバーラップノベルス様より一巻が刊行されます!
はあはあと息を切らせながら走る。
体は疲れているはずなのに、憎しみが動くのを止めてくれない。
己の手で始末したはずだった。
妻の仇である三人の一人を殺し、二人目の夢見焔を殺したはずだった。
それなのに、生き延びて別の場所で、また別の誰かに殺されている。
「ふざけるな! 俺が、俺の手で!」
怒りの余り、足を止めて電信柱を叩く。すると、電信柱が揺れて、止まっていたカラスが鳴きながら飛び立った。
麻布針一は弱くても探索者だ。
他人の力を借りて30階まで突破しており、その身体能力は一般人よりも優れていた。
その力で何度か電信柱を叩き、ヒビを入れる。
それを見てようやく落ち着きを取り戻し、考える余裕が出来た。
もっと早くに行動すべきだった。
自分とは別の目的で、誰かが動いているのには気付いていた。
火口香織は麻布の標的ではなかったのに、何者かに突然殺されてしまったのだ。犯人は分からなかったが、現場に落ちていた首飾りを見て確信した。
ミンスール教が関わっていると。
殺害現場は違う場所だというのも、直ぐに分かった。
火口香織ほどの探索者を焼いた割には、周囲に被害が無かったのだ。
だと言うのに、あそこにわざわざ首飾りを落としていた。それも、以前に麻布が付けていた物をだ。
明らかな挑発、もしくは敵対しているというメッセージ。
犯人の目的は分からないが、少なくとも友好的な関係は築けそうもない。
「……麻耶さんに、確認しないと」
復讐を選択をしたのは麻布自身だが、この道に引き摺り込んだのは、世樹麻耶だ。
知恵をくれたのも、力を与えてくれたのも世樹麻耶だった。麻布の心の闇に触れて、それを引き摺り出したのも世樹麻耶だ。
それなのに、これはどういう事だ?
麻耶が何がしたいのか、分からなくなってしまった。
それでも、たとえ恩人だとしても、邪魔をするなら容赦しない。
憎しみを胸に、麻布はネオユートピアに戻る。
麻耶に話を聞こうと連絡するが応答は無く、宿泊しているホテルに向かっても不在だと追い返された。
ふざけるなと怒りが湧いて来るが、それで何か変わるはずもなかった。
それならと、最後の標的である大吹インカに仕掛けようと考えるが、MRファクトリーから姿を消していた。
あらゆる事が思うように進まない。
途方にくれて、魔力精製所の近くを歩いていた。
ここは、麻耶が最後に確認された場所だった。無駄な行為だと分かっていても、足を運んでしまったのだ。
しかし、この行動は無駄にはならなかった。
どこからか、微かな声が聞こえて来る。
それは助けを求める声で、今にも消えそうな小さな声だった。
道を逸れた所にある林。
これは、景観の為に植えられており、人工的に作り出された林である。
その中に入って、「どなたか、いらっしゃいますか」と声を掛けながら進むと、今度は近くから声がする。
声のした方を見ても、そこには落ち葉があるだけだった。
気のせいかと思い、来た道を引き返そうとすると、布が擦れた音がした。再び視線を向けると、そこには負傷した女性が倒れていた。
「だっ、大丈夫ですか⁉︎ 今、救急車をっ⁉︎」
スマホを取り出し、救急車を呼ぼうとすると女性に服を掴まれた。
「待って、下さい。お願い、です。大道に、伝えて、下さい……」
息も絶え絶えで、今にも死にそうな彼女には見覚えがあった。ミンスール教会の近衛部隊におり、麻耶と親しげに会話をしていたのを覚えている。
その彼女がなぜ?
麻布の疑問は、次の言葉で解消される。
「麻耶が、暴走、しています。手段を問わず、何かを、しています。止めて、下さい。この、まま、じゃ、多くが、犠牲に、なる」
「っ⁉︎ 大丈夫ですか!」
力が失なわれ、麻布を掴んでいた手が離れる。
倒れた女性、一ノ瀬梨香子の様子を確かめると、今はまだ意識を失っているだけだ。だが、このままでは命は助からないだろう。
救急車を呼ぼうとスマホを手に取り、救急に連絡する。しかし、電波が届いていないとアナウンスされてしまう。
どういう事だとスマホを見ると、圏外と表示されていた。
林の中だから?
そう思い移動しようとすると、落ち葉を踏む音が聞こえた。それはまだ遠いが、複数の足音が鳴っていた。
木陰に隠れながらそっと様子を伺うと、それはミンスール教会の近衛隊の者達だった。
その動作は辺り見回しており、まるで何かを探しているかのようだった。
咄嗟に一ノ瀬の上に布を被せる。すると、姿が消えて見えなくなった。
この布は、ダンジョンから取れたアイテムなのだろう。ただ魔力が切れかけており、綻びが見え始めていた。
仕方ない。
麻布は立ち上がると、スマホを手に堂々と歩き出した。
それを見た近衛隊が呼び止めるが、「スマホの電波を探しているんですよ」と説明して誤魔化した。更に女性を見なかったかと聞かれ、「あっちの方に走って行きましたよ」と嘘をついた。
少しだけ怪しまれたが、それ以上追求される事はなく、近衛隊は去って行く。
周囲に人目が無いのを確認すると、麻布は新たなスキル【錬金術】により作り出した球体を取り出す。球体を握り潰すと、煙が発生して体に纏わり付いていき、麻布の姿を覆い隠してしまう。
そして、煙が晴れて現れたのは、二十代後半くらいの男性だった。
球体は『変幻玉』といい、麻耶の知識を参考に麻布が作り出した物だ。
これはただ幻を見せているのではなく、触れても感触はあり、痛覚もあり、力も増している。これは元来、即席の防具を作り出す技術だった。
それを、麻布の技術と知恵により形を変えてしまったのだ。
これ一つの材料費だけでも百万はしており、その効果も十五分と短い。だが、その僅かな時間があれば、奴らを始末する段取りは整う。
そんな変幻玉だが、費用も高額な事から、数に限りはあり考えて使わなければならない。
残り二つのうち一つを使い、負傷した一ノ瀬を透明な布に隠して運び出す。
私は何をやっているんだと自問しながら、救わなければという矛盾した思いを抱いて病院へ急いだ。
その様子を見ていた目は、興味を失い時が満ちるのを待つ。
早く早くと恋焦がれる心を押し殺して、ただ宙に浮かんだ魔法陣を眺めていた。
ーーー
麻布は病院には行かなかった。
一ノ瀬が亡くなったとかではなく、彼女を探していた人物に途中で出会ったのだ。
「どうして梨香子さんが、こんな目に……」
その人物は牡丹と名乗り、姿が見えないはずの一ノ瀬を知覚していたのだ。
更に、負傷しているのにも気付いており、治癒魔法を使い治療してくれたのである。
「かなり危ない所でした。貴方が連れて来てくれなかったら、死んでいたかも知れません」
「ひとつお伺いしたいのですが、大道という方をご存知ですか?」
「……大道さんに何の用ですか?」
名前を聞いた途端に、牡丹の態度は豹変する。
安堵したものから警戒へと変わり、麻布を見る目が鋭くなる。
「待って下さい⁉︎ 一ノ瀬さんに伝言を頼まれたんです」
「伝言ですか? どういった内容です?」
「……可能なら、直接会ってお話したいのですが」
今度は麻布が警戒をする。
牡丹の治癒魔法を見て、聖女部隊に所属していると判断した。ならば、ここで麻耶を止めろなどと言えば、襲われる可能性もある。
「……何やってんだ?」
互いに警戒するなか、当の大道が現れる。
手には長剣を持っており、トレーニングをやっていたのか汗だくの様子だ。
見た目から伝わる強者特有の威圧感。
だがそれも、陽気な性格のおかげで幾分緩和されていた。
そんな大道は、一ノ瀬に目を向けて驚いていた。
「一ノ瀬⁉︎ 何があった⁉︎」
大道は、倒れている一ノ瀬を抱き起こそうとする。
「大道さん待って! 今、治療したばかりだから動かさないで!」
慌てて制止する牡丹。
大道は一ノ瀬に触れる前に止まり、ゆっくりと麻布を見た。
その目は険しくなっているが、怒りとかではなく、何があったのか教えろと訴えていた。
麻布は聞いたままを話した。
世樹麻耶が何かをしようとしており、それによって多くの命が危険にさらされると。
すると大道は頭を抱えて、何かを思い出そうとしていた。
それから大きく息を吐き出し、口を開いた。
「マヒトさんと母さんに連絡をする。多分、俺の手には余る事態だ。他に協力してくれそうな奴に声掛けしてくれ、麻耶関係は絶対に避けろよ、絶対に情報流されるからな。……くそ、何でこんなに早く起こるんだよ」
最後の言葉は、長剣を見ながらの言葉だった。
「麻布さんだったな、逃げるなら早くした方がいい。下手すりゃ、ネオユートピアは無くなるかも知れないからな」
途轍もない忠告に、言葉を失う。
いくら何でもそれは言い過ぎだろうと思うのだが、大道の表情は真剣そのもので、とても冗談を言っているようには見えなかった。
だがしかし、麻布も世樹麻耶の事を知っており、とてもそこまでの事をするような人物には見えなかった。
「い、いくら何でも……私も麻耶さんとは知り合いですけど……」
「あんたは何も分かっていない。あいつは、目的の為なら、全てを切り捨てる。そうさせない為に、俺や一ノ瀬は接して来たんだ。だが、もう、手遅れ、なんだろうなぁ……」
大道からやるせないといった様子に、哀愁が漂っていた。
「麻耶の事は、俺達がなんとかする。あんたは自分の身を守る事だけを考えて行動しな」
麻布の身を案じての言葉だというのは理解出来る。だが、麻布自身も引けない所まで来ていた。
「私も、同行させて下さい」
「はあ?」
「どうしても、決着を付けないといけない奴がいるんです。そいつは恐らく、麻耶さんと一緒にいる」
大吹インカ、このタイミングで姿を消した男。
最後の標的で、妻の仇。
そして、火口香織を殺し、夢見焔を奪った仲間殺し。
奴をやる準備は出来ている。
あとは、奴の杖に刻むだけだ。
最後の憎しみは、今もなお燃え続けていた。