幕間34(天津大道)
長いです。
「おい、その剣はどこで手に入れたんだ?」
先程まで飄々としていた男の様子が一変する。
その姿はまるで、死者を裁定する閻魔様のように、罪人を睨み罪を見定めているかのようだった。
「聞いているか? 俺の質問に答えろ。その剣をどこで! どうやって手にした!」
暴力的な魔力が噴出する。
これに一般人が当てられたら、卒倒してそのまま死ぬだろう。だが、奇跡のような魔力操作により、魔力は男の制御下に置かれて害を及ぼす事はなかった。
大道は己の過ちを悟る。
これまで鍛え上げた全てをぶつけても、通じない相手が現れて焦ってしまった。
冷静さを欠いていた。
祖父に、無闇に使うなと禁じられていた力に頼ってしまった。
そのせいで、この男を激怒させてしまった。
素直に男の質問に答えて、許しを請えば良かったのだろう。そうすれば、怒りを収めてくれただろう。
だから、そうしなかったのは己の我が儘だ。
「誰が教えるか。知りたかったら、俺を倒してみな」
無謀な挑発だとは分かっていた。
だが、大道はそうしなければならなかった。
「……ふざけるなよ、実力差くらい分かってんだろうが」
誰よりも努力して来たのだ。
最強に至るために、孤独に戦い続けて来たのだ。
「知るかよ、ばーか」
ここで意地を張らなければ、祖父に、最高の探索者と謳われた天津平次に顔向け出来なかった。
ーーー
天津大道には、父親の記憶がない。
それは、大道が物心つく前に行方不明になったからだ。
友達が父親と楽しそうに遊んでいるのを見て、母の道世に「ぼくのおとうさんは?」と尋ねると、凄く悲しそうな顔をしていた。
それ以来、母に父について尋ねなくなった。
周囲が父親と母親で遊びに行く中、大道は母とよく出掛けた。それは、大道に惨めな思いをさせない為だったと、今なら理解出来る。
何せ多忙な母には、本来遊ぶ時間なんて無かったのだから。
おかげで、と言うか最初からだが、寂しいと感じた事は一度もない。
母に加えて、大好きな祖父もよく一緒にいてくれたのだ。これで寂しいと思うのは、余りにも贅沢だろう。
祖父が勤める探索者協会で、よく絵本を読んでくれたり昔の話をしてくれた。探索者協会の職員も親切で、お菓子やらジュースやら色々とかまって貰っていた。
だから、寂しいという思いは一度たりとも抱いたりはしなかった。
母と祖父が、机の上に飾ってある、よく知らない男性の写真を愛おしそうに見ている姿は、どこか悲しそうで嫌だなと思っていた。
二人を悲しませないで欲しいと思いながら、机の上の写真を手に取る。
その写真の男性は、何処となく祖父の面影があり、大道にも似ている所があった。
だからだろう、幼いながらもその男性が父親だと察せられた。
立ち姿を見て、祖父や母と同じく探索者だったのも理解する。そして、ダンジョンで死んだであろう事も、何となく察してしまった。
それからの大道は、祖父にダンジョンの話をせがむようになる。
話をせがんだ理由は、父親であろう人物が、どんな事をしていて、どんな結末を辿ったのか聞くきっかけが欲しかったのだ。
そんな幼い大道の思いを知るはずもない祖父は、喜んでダンジョンの話をしてくれた。
その内容は、大道の求める話ではなかったが、子供心を熱くさせる物語りばかりだった。
きっと大半が作り話だったのだろう。
迷宮に潜るようになると、それを強く実感した。
どこにも空を隠すほどの木々が並ぶ森なんてないし、首の長い恐竜もいない。翼の生えた子供も居なければ、化け物染みた馬だっていない。ダンジョンに発展した文明なんてない。
そして何より、ダンジョンで暮らす仙人なんて絶対に存在しない。
ましてや仙人と友達で、武器を貸して貰ったというのは、流石に無理があった。
だが、それでも、これらの話を聞いて大道は探索者の道を選んだ。
迷宮に挑むまでの間に、祖父にお願いして鍛えてもらい、母にお願いして模擬戦をしてもらった。
探索者最高峰の二人から指導を受けた大道は、とても恵まれていたのだろう。
ただ、大道が才能まで恵まれていなかっただけだ。
才能がまったく無い訳ではない。
ただ、天才と呼ばれた道世と並ぶと見劣りする。
そして当代最強と呼ばれる祖父とは、比べられる物ではなかった。
だから、二人からの大道への評価は、プロ探索者にはなるがその先に行けるかどうか、という物だった。
それは、本来ならば十分な才能のはずだった。
だからこそ周りは、そこまで期待していなかった。ただ、無事に成長してくれたらいいと、そう願っていた。
だがそれは、他人の意見であって、大道の意思ではない。
大道には、この二人の血を引いている己が、その程度で終わるはずがないという強い思いがあったのだ。
その思いは驕りでもあり、盲目的に強さを求める原動力にもなる。
大道は当初こそ、パーティを組んで探索者活動をしていたが、20階を突破すると一人で潜ると言い出し、そのパーティを解散してしまったのだ。
俺なら一人でどうとでも出来る。
何せ、最強の二人の孫で子供で弟子なのだから。
そう信じて大道は一人で進んで行く。
しかし、その思いは早々に打ち砕かれる。
「くっ⁉︎ なんだこの数は!」
大量のモンスターに襲われ、命からがら逃げ帰ったのだ。
こんなの聞いた事がないと、祖父に尋ねると、
「迷宮はな、予期せぬ行動を取る。お前は俺に似て無鉄砲で無茶するからな、迷宮に目を付けられた可能性があるな」
「目を付けられたってなんだよ、あんなのが毎回起こるのか?」
「逃げ続けりゃ、そのうち飽きられるだろうよ。だがな、立ち向かえば相応の報酬を得られるぞ。命を取るか力を得るか、大道、お前はどうする?」
祖父に言われて、大道は立ち向かう決意をする。
決意して挑んだ戦いは、どれも勝ち筋が見えない戦いばかりだった。
それでも、細い糸を手繰り寄せるように勝利を掴んで行く。それもこれも、祖父と母から鍛えられたおかげだろう。
だが、一度だけ現れたユニークモンスターから逃げ出した。
そのユニークモンスターは、ゴブリンキングと呼ばれるモンスターで、これまでのユニークモンスターとは一線を画した強さを持っていた。
生き残れたのも、相手が優しいゴブリンキングだったからだ。
殺されそうになった時、ゴブリンキングは動きを止めて大道に逃げろと促してくれたのだ。
逃げた。
殺し合いをしていたのに、敵に見逃されてしまった。
悔しいとは思わなかった。運が良かったと安堵した。
ゴブリンキングの瞳に、知性が宿っていたのにも気付かずに、ただ生き残った事を喜んだ。
それ以来、ユニークモンスターやモンスターの大群に遭遇する事はなくなった。
本来ならば、それは良い事なのだろう。
ダンジョンで最も重要なのは、無事に生還する事にある。それが困難になるイレギュラーとの遭遇など、本来なら無い方が良かった。
なのだが、心にある思いは、そうではないと否定する。
あそこで逃げるべきではなかった。
死に物狂いで戦い、四肢を失ってでも勝利をもぎ取らなければならなかった。
逃げた後悔は、自分を殺しかねないほど大きかった。
ダンジョンから出ると、酒に溺れるようになる。
これ以上の成長は見込めないと不貞腐れて、己がどれだけ恵まれた境遇にいるのか、理解していなかった。
偉大な祖父に鍛えられ、最強の探索者と呼ばれる母に指導してもらった。
それなのに、活かしきれていない。
それもこれも、才能が無いから。
「大分荒れているようですね」
BARで飲んだくれていると、隣の席に教会の司祭のような格好の老人が座っていた。
その手には大きな杖を持ち、ニコニコと笑顔を浮かべている老人だが、普通じゃない存在というのは察した。
しかし、今の大道には、そんな人物に対しても態度を改める気はなかった。
「うるさい、俺に話しかけるな」
「ははっ、これはかないませんね。平次君は昔の自分に似ていると言っていましたが、似ても似つきませんね」
祖父の名前を出されて、大道はグラスから手を離す。
「何だよあんた、爺ちゃんの知り合いか?」
「ええ、私と平次君は兄弟弟子、と言ったところでしょうか?」
「兄弟弟子? 出鱈目言うな、爺ちゃんが誰かに師事してたなんて、聞いた事ないぞ」
「本当ですよ。平次君は彼の方にナナシと呼ばれて、私は二号と呼ばれてましたからね。あっ、私の名前は二号ではないですよ。自己紹介が遅れましたが、私は世樹マヒトと言います。よろしくお願いしますね」
世樹マヒト、その名前を聞いて大道は警戒する。
ミンスール教会という、治癒魔法使いを勧誘している怪しい宗教団体の創立者の名前だったはずだ。
どうしてこいつは俺に接触して来た?
その疑問は、次の言葉で更に訝しむ結果になる。
「警戒しなくても取って食いやしませんよ。君のお爺さんからお願いされてね、多少荒くても良いから、鍛え直してくれと依頼されたんですよ」
「鍛え直す? あんたが俺を? 悪い冗談ならよそでやってくれ。今は、相手する気分じゃないんだよ」
誤魔化すようにグラスを取ろうとして、そこに何も無いのに気付く。
どこに? と隣を見ると、グラスを凍らせているマヒトがいた。
「酔った頭では理解出来ないでしょう。酔い覚ましついでに、迷宮に行きましょうか」
「なにを……⁉︎」
お代ここに置いておきますね、とマヒトはバーテンダーに告げる。それから大道を掴み、転移魔法を発動した。
ダンジョンの前に転移した二人は、ポータルで30階に移動する。
31階に向かい、人気の無い場所に移動すると、マヒトによる一方的な暴力が開始された。
酔いは一瞬で覚めた。
身体中に衝撃が駆け巡り、血反吐を吐き出すと、治癒魔法で強制的に回復させられる。
倒れる事は許されず、防御不可能な攻撃が繰り出される。
いや、防御が不可能なのではない。
マヒトと大道の間には、それだけの実力差があるのだ。
相変わらずニコニコと笑みを浮かべたマヒトは、杖から壁のように見える数の魔法を放つので、大道の視界が潰されてしまう。
魔法を幾つか避けても、全てを回避するのは無理で体に鋭い痛みが走る。
顔を歪めて、一瞬視界がグラつくと、既に目の前にはマヒトが接近していた。そして、治癒魔法が施された杖で殴打されるのだ。
痛みと回復が同時に襲って来て、地面を転がりながら立ち上がる。
「何なんだ! あんたは何がしたいんだ⁉︎」
「鍛えると言ったじゃないですか。大道君、あなたは平次君には似ていませんが、勘兵衛さんには似ています。私が知る限り、人の中でも最強の探索者だった彼に似ているんですよ」
「勘兵衛?」
「あなたの曾祖父さんです。私に取って、恩人でもある人物です」
初めて聞く名前に困惑する。
曾祖父さんがどういう人物かなんて、これまで聞いた覚えがなかった。祖父の平次からも、幼少期の頃に亡くなったと聞かされたくらいで、詳しくは知らないと言っていた。
マヒトの姿から、祖父より年上なのは理解出来るが、それでも十は離れていないだろう。
「これが終わったら、どのような人物だったのか教えてさし上げますよ」
話はこれで終わりだと、マヒトによる攻撃は再開された。
それからの大道は、年単位でマヒトに鍛えられる。
その過程で、自分がどれだけ祖父と母に甘やかされてたのかを知った。
祖父と母は、大道が倒れたら追撃なんてして来なかったが、マヒトの教育方針は違う。倒れても起き上がり、命がある限り足掻き続けろというものだった。
命のギリギリをいく修練は容赦がなく、何度も心が折れかけた。
というより、何度か逃げ出した。
だが、その度に捕縛されて連れ戻された。
地獄だった。
マヒトに依頼した祖父を恨んだりもした。
だが、そのおかげで強くなった。
それは戦闘面だけでなく、心も強くなったのだ。
おかげで、黒一が単独でダンジョン50階を突破したと聞いた時も冷静でいられた。
「あれは破綻した天才ですから、真似してはいけませんよ。貴方は貴方の道を行きなさい」
「うす」
師匠のマヒトは黒一をそう評価した。
それは大道も理解しており、一目見て拒絶したいタイプの人間だと思った。
「なあ、マヒトさん」
「なんですか?」
「どうして俺をミンスール教会に入信させないんだ? 一応、マヒトさんの弟子な訳だしさ、加入した方が良いんじゃないのか?」
これまで鍛えられて来て、マヒトに対して恐怖はあれど嫌悪感は欠片も無い。寧ろ尊敬しているくらいだ。だから、誘われたら参加するつもりなのだが、それが一切なかった。
「ああ、宗教団体を作ったのは、少しでも救われる人を増やす為ですからね。それが必要ない方を入れても、仕方ありませんよ」
「救うって、何からなんだ?」
「それは……私よりも平次君から聞いた方がいいですね。教えてもらえるとも思いませんが……」
じゃあ聞く意味ないじゃんと思ったが、口にはしなかった。少なくとも、大道には必要がないのだと分かればそれで十分だった。
それから大道はダンジョン探索を再開する。
長いこと足踏みしてしまったが、鍛えられた実力は本物で、40階のボスモンスターであるサイクロプスを単独で撃破した。
ただ、問題はここからだった。
ダンジョン41階以降は環境も敵に回る。
毒沼や、火山地帯、大きな川を渡る必要もあり、強力なモンスターに加えて様々な準備をする必要があった。
空でも飛べたら攻略も簡単なのだろうが、そんな真似すれば魔力が直ぐに尽きてしまう。
「上手くいかねーなー」
そう愚痴るが、不貞腐れる事はなかった。
様々な対策をして、ダンジョンに挑む。歩みが遅くなり、パーティ結成を勧められたが、それは頑なに断った。ここまで一人でやって来たのだ。こればかりは意地を通したかった。
そんな毎日を送っていたある日、祖父が倒れたという連絡が入る。
「爺ちゃん⁉︎」
「うるさいね、もう少し大人しくしな」
「母ちゃん、爺ちゃんは?」
病室に入ると、母の道世が治癒魔法使いを連れて平次の治療に当たっていた。
平次に意識は無く、ベッドの上で横になっている。
「今のところ心配は無いよ、そのうち目覚めるから静かにしな」
「そうか、良かった」
一安心と胸を撫で下ろす。
だが、疑問も浮かんだ。これまで、祖父が病気をしたという話を聞いた事がないのだ。
なら何で倒れたのだろうか。病気なら、大抵の治療は可能だ。それこそ有り余る金でどうとでもなる。
「なあ、倒れた原因って何なんだ?」
「……分からない」
「分からないって、鑑定や解析のスキル持ちがいるだろう。そいつらに調べさせないのか?」
「それでもはっきりとしなかったんだよ。分かったのは、平次さんの先が短いというくらいさ」
「先が……短い?」
言葉の意味が理解出来なかった。
原因も分からないのに、寿命が尽きようとしているような言い分。そんな言葉を聞いても、誰も納得しないだろう。
「意味が分からねーよ。一体どういう事だ⁉︎」
「だから静かにしなって。言葉の通りだよ、原因不明の病で生い先が短いて話さ」
あっけらかんと言い放つ母に激怒しそうになる。
だが、拳を握る手を見て、それ以上の言葉を続けられなかった。
昔、祖父は母を救ったという話を聞いた覚えがある。詳しい状況までは知らないが、命の恩人であり義父が亡くなろうとしているのだ。今も悲しみの感情を押さえ込むので、精一杯なのだろう。
無事に目覚めて、長生きして欲しい。
この願いは、二人とも同じだった。
その願いが届いたのか、平次は一時的に目覚める。
「……んんっ……ここは? ……俺は倒れたのか?」
「爺ちゃん! 大丈夫か⁉︎ どっか悪いなら言ってくれ、薬を直ぐに取って来るから!」
それが可能な実力が大道にはあった。もっと言うなら、それ以上の実力者である道世もいる。
倒れた原因が病ならば、簡単に治せただろう。
だが、それを平次自身が否定する。
「ああ、やめとけ。俺はそう長くないだろうからな。それよりも……すまない道世、席を外してくれないか。大道に託したい物がある」
「……はい」
祖父に言われて病室から出て行く母。
一体どうしたのかと、大道は祖父を見る。
「大道、お前に託したい物がある……」
真剣な表情の祖父。衰えたとはいえ、その身に宿った力は本物で、現役である大道でも敵わないと思わせる迫力がある。
身内とはいえ、そんな人物から頼まれる。
知らず知らずのうちに、大道は緊張していた。
「昔、仙人について話した事があっただろう、覚えてるか?」
「ああ」
「あいつに、権兵衛に返して欲しい物がある。俺が勝手に持って来た物だ。権兵衛にはすまない事をした……」
仙人というのは聞いた覚えがある。だが、探索者として活動しているうちに、それが自身を喜ばせる為の作り話だと思うようになっていた。
そして、その思いは今も変わっていない。
だが、祖父の言葉では、まるで本当に存在していたかのような口振りだ。
そこを問おうと考えるが、即座にその考えを撤回する。
「俺はあいつから、大事な武器を奪っちまった。これを、ナナシからだと言って返してやって欲しい」
祖父が掌を上に向けると、光を纏った一本の長剣が姿を現した。
大道は、その剣の恐ろしさに息を呑む。
見た目は美しく、触れてはいけないような神聖さを感じる。しかし、この長剣に秘められた力は、そんな見た目で誤魔化せるような物ではなかった。
刃を見ると、全てが破壊されそうな感覚を覚える。
これほどの物を、人が作り出せるとは思えなかった。
「大道、受け取れ。この剣はな、人に使い熟せる物じゃない。いいか、もしも力を使うなら最小限に止めろ。剣はお前に力を与えてくれるが、滅ぼしもする。無闇に使おうとするな、分かったな?」
祖父の鋭い眼光を受けて、力強く頷く大道。
それを見て笑みを浮かべた祖父は、長剣を大道に差し出した。
大道は自然と頭を下げて、長剣を受け取る。
尊敬すべき祖父から、祖父と呼ぶには偉大な人物から託される物だ。粗末に扱うなど、出来るはずもなかった。
長剣を受け取り、祖父の手から離れると、急速に衰弱していき横になる。
「爺ちゃん⁉︎」
「気にすんな、剣の力に頼った代償だ。大道、俺はな、特別な存在じゃねーんだ。道世みたいな天才でもなけりゃ、親父のような最強でもねー。ましてやマヒトさんのように、何でも出来るわけでもない。ただ運が良かっただけの奴さ。その点、お前は見所がある。気張れよ、俺の孫なんだからな」
拳を作り、大道の胸をポンと叩く。
威力なんてない拳だが、これまでで一番胸の奥に響く一撃だった。
一週間後、天津平次はこの世を去る。
葬儀には多くの人が参列し、探索者の英雄の死を悼んだ。
それからの大道は、変わらずにダンジョンに挑んでいた。
ただ、変わった点は、その胸元にミンスール教会員の証である木の葉の首飾りがあるくらいだろう。
大道がミンスール教に入信したのには、二つ理由がある。
一つは、マヒトに恩があるからだ。
平次は、長剣を手放した時に亡くなっていてもおかしくはなかった。それを、優れた治癒魔法で延命させてくれたのだ。おかげで、平次は生前にお世話になった人達に挨拶が出来たのだ。
もう一つは、仙人に渡してくれと頼まれた長剣にある。
大道は残念ながら、その仙人がどこにいるのか知らない。話を聞く限り、ダンジョンの中にいるそうだが、40階以降も探索しているのに一向にそれらしき存在を見付けられない。
そこでマヒトに相談したら
「ああ、権兵衛さんですか。彼はいずれ現れますから、のんびり待ちましょう」
と、まるで友人かのような口振りをしたのだ。
どんな関係なのかと尋ねると、
「弟子、ですかね。前に話したと思いますが、平次君も彼の下で鍛えていたんですよ。私達は同門という事になりますね」
長剣について尋ねると、
「権兵衛さん愚痴ってましたよ。大事な武器を奪われたって。平次君に伝えたら、あちゃーって顔してましたよ」
どのような人物か尋ねると、
「すらっとした優男、と言った感じでしょうか。気の良い、面倒見のいい方でしたよ。あのような過酷な環境で、瀕死の私達を助けてくれたんですから。ある意味、聖人なのかもしれませんね」
などと言うので、大道の中で仙人のイメージが変な方向に傾いてしまった。
まあ、それはともかく、仙人を知っているマヒトと共にいれば、いずれ会えるだろうという打算から入信を決めたのだ。
しかし、その選択は間違いだったかなと思うようになる。
「大道さん、少しは新しい信者の獲得を手伝って下さらないかしら?」
マヒトの娘である麻耶から、満面の笑みで詰め寄られるのだ。
正直な話、入信はしてもよく分からない世界樹なる物を崇拝する気は無かった。だから、よく知りもしない神様の為に働けと言われても困るのだ。だがここは、分かったと了承しておく。
「お願いしますよ。タダで治癒魔法をお教えしているのですから、それくらいは役に立って下さいね」
笑顔で恩を着せるように麻耶は告げる。
そう、大道は治癒魔法の使い方を、聖女部隊の面々に教えてもらっていた。
あの日、長剣をこの身に宿してからというもの、様々な魔法が使えるようになっていた。
様々な魔法が使えるようになる。
それは聞こえは良いが、使えるというだけで、使い熟せているわけではない。
実戦レベルまで使い熟すには、訓練が必要なのだ。
それで、一番有益な治癒魔法を習得しようと考えて、教えを請うたのだ。
なので、大道は聖女部隊の方々には頭が上がらない。
麻耶には一度も教えてもらっていないので、多少は強く出ても良いのだろうが、それを聖女部隊は許さない。
だから、従うしかない。
だって怖いから。
だが、麻耶には何か違和感を感じた。
本当に些細なものだが、普通とは異なる者が発する特有の危うさ、それを感じ取ってしまった。
黒一にも似たような物を感じたが、あちらは破綻した精神から来た物だ。あれと深く関わると、不幸にしかならない。奴はそういう人物だった。
それとは違う、別の何か。
それが分からなくて、マヒトに相談してみた。
「……そうですか。あの子には、教会の運営を任せていましたから、負担が大きかったのかも知れませんね。今度、話をしてみます」
何か違う気はするが、それで改善してくれるのなら大道としては問題なかった。
それからの大道は訓練をして、ダンジョンに潜り、到達階層を更新して行く。
その間に、長剣を使ってもみたが、恐ろしいまでの身体能力の向上。知覚範囲の拡大、魔力の操作能力に加えて魔法を察知する能力が格段に上昇していた。
使うと気分が高揚して、全能感に支配される。
これまで手古摺っていたモンスターをあっさりと葬り、続くモンスターも始末した。
「……こりゃやべーな」
高揚した気持ちを制御して、長剣をその身に戻す。
もしも、マヒトに鍛えられるよりも前にこれを手にしていれば、間違いなく力に溺れていただろう。
だが、地獄のような日々が、この力の危険性を教えてくれる。
手軽に手に入るような力に、碌な物はない。この力は、いざという時に使うべきだ。
祖父が言っていたように、この力は身を滅ぼしかねない。
大道はダンジョンから出ると、適当に入ったBARで適当に喋った奴らに勧誘のチラシを渡す。
そのチラシは、大抵の場合直ぐに捨てられるか、そのままテーブルの上に放置されてしまう。
それを見ても別に気にしていない。大道だって勧誘されたら同じようにするだろうから。
そんな中で、何度か飲んだ太った男がいた。
いろいろ悩んでいるようだが、まあいいかとチラシを渡す。
悩みに加えて、迷惑な顔をしているのが面白かった。
まあ、探索者の先輩として酒を奢って、色々とアドバイスしてやってるんだからこれくらい良いだろう。
「良い探索を〜」
出て行く時にそう声を掛けてやると、めちゃくちゃ嫌な顔をされる。そこもイジりがいがあって面白いなと思った。
そんな太った男と別れた日から二ヶ月後、大道はダンジョン50階を単独で突破した。
これは探索者として、二人目の快挙となった。
長剣による能力の向上があったとしても簡単な事ではなく、ボスモンスターすら長剣を使わずに撃破している。
大道の実力は、道世や黒一のような天才の領域に到達していた。
これはめでたい出来事だが、反対にトラブルも発生していた。
「おい、何を考えているんだ。マヒトさんは知っているのか?」
「お父様には許可を頂いております。信者の獲得の為にも、参加する事が最善だと判断しました」
最近、麻耶の様子がおかしくなっていたのだ。
元々、何かの目的の為に動いているのは知っていた。それはマヒトにも共通している所があり、彼が何とかしてくれるだろうと思っていた。
だが、マヒトはある調査の為に世界を飛び回っており、麻耶と向き合えないでいるようだった。
「大道さん、貴方にはグラディエーターに参加してもらいます。近衛隊の方々にも、いずれは参加してもらいますので、その旨の通知を行っておいて下さい」
「マジかよ。……なあ、何か悪巧みしてないか?」
強引な命令に嫌な予感がして麻耶に尋ねる。
すると視線が鋭くなり、殺意すら感じる物に変化した。
「……そのような事はありません。貴方は貴方の職務を全うして下さい」
それだけを言うと、麻耶は取り巻きを引き連れて去って行った。
この旨をマヒトに報告すると、拒否しても構わないという返答が来た。だが同時に、麻耶の監視を頼まれてしまう。
可能なら戻りたいようだが、オーストラリアにある新たに出現したダンジョンの交渉に時間が掛かっているようで、直ぐには戻れないという。
「あの人は、どんだけの仕事してんだ?」
祖父の平次よりも歳上なのに、やっている仕事は前戦での戦闘やサポートだ。それで、海外にも信者を獲得しており、その影響力は折り紙付きだ。
「しゃーねー、一ノ瀬にも警戒するように言っておくか」
一ノ瀬は大道と同じように、マヒトに世話になった者だ。
そういう存在は、ミンスール教会に他にもおり、探索者としての実力が高い。特に一ノ瀬は麻耶とも仲が良いので、情報も得やすいだろう。
ただ、この時にもっと警戒すべきだったと後悔する。
ここで力尽くで止めていたら、ネオユートピアの悲劇を防げたかも知れないから。
グラディエーターが開始して、お遊びのような時間が過ぎて行く。
大道の出番は、休憩時間に適当に戦えば終わりのようなイベントだ。
はっきり言って退屈な仕事だった。
今の所、麻耶におかしな行動は無い。
特別席でネオユートピアの有力者達と歓談している。
しかし、休憩時間の大道の出番となった時に、その姿は消えていた。
探しに行きたい所だが、目の前の挑戦者を相手にしなければならず、それは不可能だった。
一ノ瀬が付いているはずなので、いざとなれば動くはずだが、安心は出来ない。
何故なら、麻耶は一ノ瀬よりも強いから。
今の麻耶なら、邪魔する存在を消してしまう恐れすらあった。
だから、このお遊びをさっさと終わらせようと考えたのだが、挑戦者が増えてしまう始末だ。
その上、最悪の太った探索者まで現れてしまった。
「お前は……」
「よう、昨日ぶり。ほら、驚いてないで構えろよ」
「どうしてお前が参加してるんだ?」
「別にいいだろう、俺が最後の挑戦者だろうからよろしく」
何を言っているのか分からなかった。
この男の後にも、何人か参加しようとしており、時間一杯まで戦うのはほぼ確定していたからだ。
「ほら、早く構えろって。そうじゃないと……」
目の前の男から、信じられないようなプレッシャーが発せられる。
「あっという間に飲み込むぞ」
大道はこの日、理外の存在と剣を交える。
ーーー
「うおおおーーーっ!!!!」
長剣を握り、目の前の太った男を攻め立てる。
ギギギッ‼︎ と激しい剣戟の音が鳴り響き、闘技場を激しく震わせる。
普通の剣ならば、長剣とぶつかった直後に砕けるだろう。だが、男の使う剣は、卓越した技術により最小限の衝撃に抑えられ、十度の衝突を実現させていた。
そして、十一度目の剣戟で男の剣を打ち砕く。
ここから更なる猛攻を仕掛ける。
複数の魔法を同時に使用して、男に向かって放つ。
一発一発の威力は、40階を突破した探索者でも葬れる力を持っており、もしも観客席に降り注げば、その被害は尋常では済まないだろう。
だが、この魔法を使った。
この男には、これだけの魔法を使っても足りないと判断したから。
それは、防がれるという確信を持っていたのかも知れない。
パンッと音が鳴る。
同時に魔法は霧散して、まるで何もなかったかのように両手を合わせた男が佇んでいた。
大道は悔しさで噛み締める。
己の力が通じないのは分かっていた。
だからこそ、奥の手の長剣を使ったのに、それでも届かない。
否定される。
最高が否定される。
祖父の、平次の力が否定されてしまう。
「なめるなーーっ‼︎‼︎」
再び長剣を握り締めて、接近戦を仕掛ける。
魔法が通じない以上、もうこの長剣に頼るしかなかった。
更に言うと、相手は丸腰だ。新たな武器があったとしても、この長剣の前には無意味だ。
そう判断したのだが、それか間違いだったと悟る。
ギンッ! と先程までとは違う感触。
「いい加減、話す気にはなったか?」
面倒くさそうな声が大道の耳に届く。
だが、それ以上に注視すべき現象が起こった。
相対する男の手には、黒い大剣が握られており、この長剣の斬撃を受けても傷一つ入った形跡がなかったのだ。
声が届いてないと分かったのか、男は力任せに大剣を振り抜き、大道を反対側の壁まで弾き飛ばされてしまう。
「がはっ⁉︎」
壁に衝突し、闘技場が揺れ壁には大きなヒビが入る。
崩れそうになる壁だが、誰かの魔法か、新たな壁が出現して崩壊を塞ぐ。
「っく⁉︎ うおおおーーー!!!!」
己の中にある恐怖を打ち消すように雄叫びを上げ、もう何度目かの攻撃を仕掛ける。
踏み込む度に地面は割れ、衝突する度に闘技場が震える。
二人の戦いは、本来ならこんな狭い場所で収まるような規模ではない。その余波だけで、闘技場を崩壊させる事だって可能なのだ。
だが、そうなっていないのは、片方が圧倒的な力量でコントロールしているからである。
それを理解して、大道は悔しくなる。
目の前の男との力量の差に絶望しそうになる。
そして何より、この男がまったく本気でない事に怒りを覚える。
この太った男は怒りを演出していたが、実際のところ欠片も怒っていない。
戦っているというのに、殺気がまったく感じられないのが、その証拠だ。
それは、詰まるところ大道を敵として認めていないのだ。
鍔迫り合いになり、力負けして再び壁に叩き付けられる。
「はあ、はあ、はあ、くそ! どうして本気で来ない! 俺じゃ相手にならないとでも言うのか⁉︎」
実際そうだろうというのは、大道も理解していた。
だが、それを認めてしまえば、祖父を蔑ろにされるような気がして嫌だったのだ。
「だから、さっきから言ってんだろうが。その剣を、どこで手に入れたのか教えろっつってんだ! 何回、言わせんだよおっさん⁉︎ いい加減にしてくれよ!」
黄金のマスクから、うんざりしたような声が吐き出される。
そうだった。
戦いに夢中で、この男の目的を忘れていた。
だからこそ、この男の本気を見たかった。
「殺して奪ったって言ったらどうする?」
反応を見るための言葉だった。
本気を出させる為に、探る目的で発した心にも無い言葉だった。
だがそれが、この男の怒りを買ってしまった。
拳が見えたのは奇跡だったのだろう。
顔面にめり込んだと気付いて、今の言葉がこの男にとって触れてはいけない言葉なのだと理解した。
「くだらねーこと言ってんじゃねーよ」
強烈な拳に殴り倒されて、大道の意識は遠退いて行った。