ネオユートピア③
髪がボサボサで、目の下に大きな隈がある女性を連れて、近くのベンチに離れて座る。
離れて座るのは、その女性が臭いからだ。
風呂キャンセル界隈の人なのか、かなり臭いがきつくて辛い。
どうして風呂に入らないのだろう。
疲れて、風呂に入らないにしても限度がある。
湯船につからないのはまだ分かるが、どうして体を洗わないのだろう。
俺はダンジョンを探索している時でさえ水浴びしていたというのに、どうして自ら不潔になろうとするのだろう。
皮膚病のリスクだってあるのに、怖くはないのだろうか。
セルフネグレクトという物を聞いた事があるが、そういうお方なのだろうか。
ふと思い出す。
その昔、大学時代の同期が、「風呂って週に三回で良いらしいよ」と言っており、実際に頭の三日間入浴してあとは入らない奴がいた。
だがそれは、四日連続で体を洗わなくて良いという意味ではない。しかも夏場でそれをやられたので、「お前臭いんだよ!」の大バッシングを受けていた。
人と接するなら、せめて気を付けて欲しい。
やるなら、相手に嫌がらせをする時にして欲しい。
……え、もしかして嫌がらせされてる?
まさか初対面で、嫌われた感じ?
なんて冗談はこのくらいにして、この女性とどう接するかを決めよう。
どうぞお茶です。と女性に先ほど買ったお茶を渡す。
俺の飲み物が無くなってしまったが、この人の隣だと食欲も消え失せてしまうので問題無し。
ああ、お礼はこっちのフウマに言って下さい。
俺は何もしてないんで。
どうして追われていたのかは、聞かない事にするんで気にしないで下さい。あとは自分で……って、別に無理に話さなくていいですよ。
大丈夫ですから、そんな余計な事情に巻き込まれたくないですから。
だから話さなくてっ……え、マジ?
女性の名前は夢見未来というらしく、ある企業に雇われた探索者だという。
夢見さんは、予知夢というスキルを持っており、未来の出来事を夢に見るらしい。
そこで見た未来を変えることは不可能ではないが、かなり難しいという。
そんな予知夢で見た物は、このネオユートピアの崩壊だった。
それを、みんなに知らせて避難させないと、多くの犠牲者が出るという。だが、所属している企業が公表をしないという決定をした。
何でも会社の利益を得る必要があり、ギリギリまで発表するつもりはないらしい。
時期は分かっているのかと尋ねると、今度のグラディエーターが終わった後だという。後と言っても、その正確な日にちは不明で、次の日か一週間後かは分からないらしい。
んー結構曖昧だ。
そもそも、この話を信じられるのかというと、それは無理だ。
この夢見という女性を知らないというのもあるが、何か追い詰められており、精神的に危ない人の様にも見えるからだ。
つまり、妄言を言っているのではないかと疑っている。
そんなに危ない出来事が起こるのなら、どんな企業でも公表すると思うのだ。
多くの命が危険に曝されるというのに、人命を無視するなんて、普通しないだろう。それこそ、企業のイメージダウンに繋がるのではなかろうか。
というのは俺の感覚なので、何とも言えない所ではあるがな。
俺の中では、この情報はとりあえず保留だ。
俺達もグラディエーターが終わったら、二泊して帰るつもりなので、それまで何も起こらなければ問題はない。
え、他にもあるの?
仲間が殺された?
……そっか、何か悪い事聞いたな。
手掛かりに繋がるかも知れない夢を見たのか。
そうか、着いて行こうか?
関わる気はなかった。
でも、仲間が殺されたと言った時の顔を見ると、どうしても思い出してしまう。
あいつらを助けられなかった、情けない俺の顔を。
未来を連れて向かったのは、ネオユートピアでも片隅にある海岸沿いだった。
ここで仲間の一人が殺されたらしく、発見された姿は焼け焦げていたそうだ。
殺されてから、かなりの時間が過ぎているそうだ。それでもここに来たのは、ある人物の夢を見て、見覚えのある物を発見したらしい。
調査という名目で、海岸沿いを歩く。
埋立地なだけあり、堤防の向こう側は深い海になっている。一般人が落ちたら、まず助からないだろう。
その向かい側の道に、未来は歩いていた。
反対には街路樹が植えられており、その先には整備された公園がある。
あった。
未来が呟いて手に取った物は、木の葉の形をした首飾りだった。
ただし、黒く焼け焦げており、何者かに燃やされた形跡が見える。
それを持った未来は歩き出す。
どうやらそれが目的だったようだ。
焦げたネックレスに何の意味があるのか俺には分からないが、何となくこの場所で遺体が見つかったのには疑問が残った。
どうしてわざわざ燃やしたのだろう、どうしてここに残したのだろう、どうして海に捨てなかったのだろう。
まるで、発見してくれと言っているかのような場所だ。
まっ、俺が気付くような事は、警察も気付いているだろう。
考えても無駄だな。
そうして考えるのを辞めて、未来の後について行く。
風下に立ってしまい、少しきついので俺も風を操って受け流す。
何をとは言わない、そんな空気じゃないから。
暫く歩いていると、ここにはいないだろうと思っていた人物と遭遇する。
麻布先生?
そう、俺に魔法陣を教えてくれた尊敬すべき先生が歩いていたのだ。
その足取りはゆっくりしたもので、周囲の景色を楽しんでいるかのようだった。いや、実際に楽しんでいるのだろう。格好もスポーツウェアで、散歩でもしていたのかも知れない。
先生、お久しぶりです。
そう声を掛けると、麻布先生は驚いた顔をしていた。
どうやら、先生にとっても俺がここにいるのは意外だったのだろう。
はい、元気にしてます。
麻布先生は、どうしてこちらに?
仕事ですか?
そうですか、お子さん達と離れて……大変ですね。
俺ですか?
今度、グラディエーターがあるじゃないですか、その治療係としてついて来ています。
ええ、実はそうなんですよ。俺、治癒魔法が使えるんですよ。
ありがとうございます。たまたまスキルを手に入れただけなんで、自慢は出来ませんけどね。
今は散歩中ですか?
運動してるんですか。へー体力の維持って大変なんですね。
あっ、ここの近くで事件があったらしいので、気を付けて下さいね。
ん? 未来、どうした?
未来は麻布先生の前に出ると、先程拾ったネックレスを掲げて尋ねる。
このネックレスに心当たりはありませんかと。
それに対して、先生はじっとネックレスを見る。
そして心当たりがあるのか、これがある宗教団体のメンバーの証だと教えてくれた。
ミンスール教会。
多くの治癒魔法使いを抱えた宗教団体で、教祖は死者すら甦らせる力を持っているらしい。
その力は、国を動かせるほどと言われており、下手に近付かない方がいいらしい。治癒魔法使いを無理矢理加入させているという噂もある危険な集団なのだとか。
へーやべー団体ですね。
そう言うと、麻布先生は苦笑していた。
それから、教祖が世樹マヒトという人物だというのも教えてくれた。
…………あの野郎、何やってんだ?
宗教を作ったのは聞いていたが、まさかそんなやばい団体だとは思わなかった。
それだけ話すと、じゃあ運動に戻るからと麻布先生は行ってしまった。
その後ろ姿をじっと見つめている未来。
どうしたんだと尋ねると、このネックレスを見つけた人の夢は、麻布先生の物だったという。
ただの偶然だろ。
散歩していたら見つけただけの話だ。
そう言いながら、俺は自信を無くしていた。
何故ならネックレスの半分は土に埋まっていたから。
偶然だと信じて、俺は麻布先生の後ろ姿を見送った。