幕間32(ヒナタ)その⑤
あれは親父だった。
探し求めた人物だった。
最初、姿形が変わっていて気付かなかったが、あれは間違いなく親父だった。
ヒナタは切り落とされた腕をさすりながら、椅子に腰掛ける。
弱かった。
信じられないくらい弱かった。
フウマもそうだ。
あの凛々しい姿の面影が、カケラも存在していなかった。
消耗しているヒナタにも敵わなかったのだ。
どうなっている?
あれで、どうやってアクーパーラを倒したというのだ。
疑問が浮かび、ある事に気付いて頭を抱えてしまう。
〝そう遠くない未来に、親しい者と戦う事になる〟
ガネーシャに言われた言葉だ。
予言を聞いた時は親父を連想していたが、余りにも長い間何も起こらないので、間違いだと思っていた。
それが今更起こるなんて、誰が予想出来るだろうか。
『……親父』
どうしたらいい。
誰かに頼りたくなって、長剣に触れようとする。
しかしそこには何もなく、腕と一緒に置いて来てしまったのを思い出す。
また頭を抱えて、ユグドラシルに報告するかと逡巡して手を止める。
報告してどうする。
あの程度の力では、無謀な戦いに送り込まれて死んでしまうだろう。
そもそも、親父にはユグドラシルの為に戦う理由がない。
ヒナタ自身、仲間達のためという理由がなければ戦っていなかった。今ではユグドラシルを信用しており、守るのに疑問は無くなっているが、親父は違う。まったく部外者の親父では、無理強いすれば敵対する恐れすらあった。
実際、ヒナタは襲ってしまったのだから。
どうする。
次、会ったとき戦えるのか?
仲間の為に親父と戦えるのか?
ユグドラシルの為に親父と戦えるのか?
「……キュー」
無理だ。ガネーシャは躊躇するなと言っていたが、それは無理な話だ。
脳裏にチラつくのは、あの森での生活ばかり。
思えば、ヒナタの平穏はあそこにしかなかった。
親父と離れ、ト太郎が姿を変えて以降、戦いに身を投じ続けて来た。
平気なフリをして戦って来たが、あの日々を思い出すと途端に辛くなってしまう。
助けてくれ。
その思いが誰に向けたものなのか明白だった。
だが、その思いが届くことは無い。
ヒナタは動けなくなってしまった。
ーーー
どれだけの時間が過ぎただろう。
ユグドラシルとの連絡を断ち、いろいろと考えながら過ごしていた。
考えている最中もデーモンの生成は続けており、胎盤に大量の魔力を流し続けていた。
おかげで、これまでにないほどの数まで増えてしまい、強さも守護者並になってしまった。
数が余り過ぎたので、あっちこっちに探索に出していたりする。
デーモンからの新しい情報の中には、ゴーレムの軍団が現れたというのもあり、大量のデーモンを投入して全て破壊したりもした。
そんな事をしながら、いろいろと考える。
どうしようか?
親父は無事か?
俺を恨んでいるだろうか?
都ユグドラシルはどうなった?
ガネーシャはどこにいる?
どうしてフウマは不細工になったんだ?
どうして親父は醜くなってしまったんだ?
そう言えば、ギョクは倒せなかったな。滅多に出会わないのに、傷を負うと直ぐに逃げてしまう。
あのタイミングで、良く現れたな。誰かを狙っていたのか?
じゃあ、誰を?
「キュ⁉︎」
最悪を想像してしまって、久しぶりに世界樹の枝を取り出す。
『ユグドラシル、親父が現れた! もしかしたら、ギョクに狙われているかも知れない!』
『落ち着け、お主の親父は無事じゃ。今は地上に戻り、親しき者たちとの別れを済ませておる。ヒナタもこちらに戻って来い。アクーパーラはもう現れん』
『……なんだって?』
『アクーパーラはもうおらん。お主の親父が、田中が己の空間に閉じ込めておる。それは見たことがあるじゃろう?』
『でも、どうやって倒したんだ? とてもじゃないけど、倒せるほどの力は……』
『うむ、ほぼ偶然だったようじゃな。ウロボロスに負けたアクーパーラを収納空間に閉じ込めたらしい。お主に勝てない実力だったが、収納空間というスキルは、力に関係なくアクーパーラを閉じ込められるようじゃ』
『そう、だったのか。……どうして俺より弱いって⁉︎』
『ふっふっふ、お主は隠しておったようじゃが、これまでの行動は全て筒抜けじゃ! デーモンも地底世界も海底都市もガネーシャの予言も魔王ゴッコも全てな!』
「っ!? キューーーッ!!!!」
マジかよおい!
魔王ゴッコが見られていたなんて恥ずかし過ぎる!
『見ていて、なかなか愉快であったぞ。有益な情報も集めて、誠に見事である』
愉快そうに笑うユグドラシルの声を聞きながら、頭を抱える。
『どうして言わなかった⁉︎ 俺にプライバシーないのか⁉︎』
『ちゃんと報告せんからじゃ。我とて、他者のプライベートを覗き見とうないわ。しかも、重要な情報まで隠しおって。ちと、反省せい』
まるでどうしようもない子供に言い聞かせるように言うユグドラシル。
それに納得出来ないヒナタは、力を入れ過ぎてバキバキと世界樹の枝をへし折ってしまう。
『おい、止めぬか! 転移出来んじゃろうが! 言っておくが、田中はお主を恨んではおらんからな! 心配しとったから、無事な姿を見せて安心させてやれ。落ち着いたら戻って参れよ、分かったな……』
世界樹の枝を折ったせいで、ユグドラシルとの通信が切れてしまった。だが、おかげで気持ちが落ち着いて来た。
いつ親父が戻って来るのかを聞き忘れてしまったが、そう遠くない内に戻って来るのだろう。
それまでに、こっちの後片付けもしないといけない。
城の外を見る。
そこには視界を埋め尽くすほどのデーモン達が飛び回っていた。
ーーー
都ユグドラシルに戻り、最も高い場所である世界樹の頂上に腰掛けて、どこまでも広がる森を見渡す。
空は暗く、吸い込まれてしまいそうな色をしている。反対に都ユグドラシルからは光が放たれており、生命の暖かさを感じ取る。その先にある森からも淡い光が放たれており、幻想的な景色を生み出していた。
もう何度も見た景色。
それでも、ここから見る景色がヒナタは好きだった。
理由は、昔住んでいた場所が見えるからだ。
流石に夜の世界では暗くて見えないが、昼の世界では湖の跡地が見えていたのだ。
もう枯れてしまった湖。
時間の経過と共に森が侵食して、大地が埋め立ててしまった。
その光景を思い出して「キュフー」と息を吐き出す。
あと少しで、また同じ時間が送れるのだと思うと心が踊ってしまう。
今のヒナタの格好は、腰にマントを巻いていた魔王スタイルとは違い、英雄に相応しい物となっている。
カザト錬金術工房で造られた、ヒナタ専用の装備を身に付けており、長剣の代わりとなる武器も手にしている。切り落とされた腕も治癒魔法で再生させており、万全な状態を維持していた。
『楽しみか?』
『ああ、やっと会えるからな』
近くに現れたユグドラシルにそう告げる。
一陣の風が吹き、枝葉をさわさわと揺らす。
どこかで、風の魔法でも使っているのだろう。
『あの胎盤、本当に封印して良かったのか?』
胎盤とは、デーモンを生み出していた球体の事だ。
ヒナタはそれも持って帰っており、ユグドラシルに預けたのだ。
『ああ、デーモン達も任せてしまうけど、問題なかったか?』
『問題大ありじゃ。あれだけの数を生み出しおって、幾ら魂が無いからとはいえ、形はあるのだぞ。ぞんざいに扱って良い存在ではないのだぞ』
胎盤と一緒に、デーモン達もよろしくと任せていた。
始末しようなんて発想はなかったので、自然とこの選択肢になってしまったのだ。
解放して自然に解き放つのも可能だったが、それだと真っ先に地底世界を襲いそうだったので却下していた。
『ごめんごめん。でも、言うこと聞くから大丈夫だろ?』
『そういう問題ではない。得体の知れない者達を恐れて、誰も近付こうとせぬし、能力も守護者並じゃから扱いに困っとる』
横目でユグドラシルを見ると、眉を顰めており分かっているのかと怒っている様子だった。
なので、少しだけ話題を変える事にする。
『あのデーモンを生み出していた胎盤って何なの? それが分かったら、デーモンの存在を消せるんじゃないか?』
『血も涙も無い事を言いよるのう。あれは、神の一部だった物じゃな。元の持ち主は……恐らく亡くなっておろう。己の眷属を生み出す為の器官だったはずじゃが、切り離していた所を見るに、胎盤が狙われていたのかも知れぬのう』
あくまで推測でしかない。
だが、神の胎盤の有用性を知っていれば、狙われてもおかしくはなかった。
ヒナタはそれを聞いて、「キュウ」と頷いた。
胎盤をいい道具のように使っていた身からすると、なんだか申し訳ない気持ちになってしまったのだ。
まあ、やってしまったものは仕方ないなと思い直して、強めの風を堪能して、違和感に気付いた。
『風が吹いている。どこからだ?』
立ち上がり周囲を見渡すが、原因らしきものが見当たらない。
この世界では、自然に風は吹かない。何かが動くか、魔法によるものでしか風は発生しないのだ。
じゃあ、この風はどこから?
どこからか、何かが割れる音が聞こえてくる。
また強い風が吹き、森の木々を激しく揺らした。
更に割れる音が大きく鳴り、どこから鳴っているのか判明する。
上空を見上げる。
暗い空はヒビ割れており、音を立てながらそのヒビを広げて行く。
それを都ユグドラシルの住民達も見上げており、突然の怪奇現象に不安そうにしていた。
『何が起こってる?』
その疑問に答える者はおらず、ただユグドラシルは、
『馬鹿者め!』
ここに居ない誰かに向けて、罵っていた。
ヒビ割れが止まると、一拍置いてガラスが割れるように空が落ちて来た。
空の破片は煙のように消えてしまい、その先に現れたのは、都ユグドラシルに似たどこかだった。
背の高い建築物。
不恰好な管のような物で建物を繋いでおり、文明の光も見える。
そして、なにより。
『親父の魔力?』
そこからヒナタの親父の気配がしたのだ。
その力は暖かく、蘇生魔法を使っているのだと理解出来る。
一体、何が起きている?
困惑するヒナタをよそに、状況は進み続ける。
かつて住んでいた湖の方から、一際強い気配が現れたのだ。
大地の中から現れたのは、三対の翼を持つ龍。
アーカイブのデータでしか見たことのない姿だが、誰もがその神を知っていた。
『ト太郎?』
決定的に違うのは、肌の色だ。
純白だったはずの色は、夜のような真っ黒に染まっており、形以外はまったくの別物と言って良かった。
その龍が飛び立つ。
向かう先は空に現れた世界。
『何が起こっている⁉︎』
状況はまったく飲み込めていないが、あの龍だけは駄目だと理解出来た。
ヒナタは龍の後を追い、空に現れた世界に飛び立った。