幕間32(ヒナタ)その①
ヒナタはずっと願い続けていた。
あの頃のように、またみんなで森で生活が出来るようになりたいと願い続けていた。
ーーー
気を失ったヒナタは、オリエルタの手によって都ユグドラシルに連れて行かれる。
目を覚まして、発展した文明を目にして驚くヒナタ。
だが最も驚いたのは、どこか懐かしいという思いが溢れた事だった。
ここには来た事がある。
そう感じて、浮島から世界を眺めていた。
しかし、それにも直ぐに飽きてしまう。
懐かしいとは思っても、思い出は何も無いからだ。
起きたヒナタは、世界樹ユグドラシルと対面させられる。
この時点で、ヒナタのストレスはかなり溜まっていた。
勝手に連れて来られて、一方的に対面させられたのだ。こちらの話は一切聞かず、ただ言うことを聞けと命令されたのである。
だからユグドラシルと対面したときも『親父を探しに行く』と言って、話を聞く気もなかった。
守護者になって欲しいとの願いにも、
『馬鹿たれかこの! どうしてお前を守んなきゃいけないんだ!』
どこぞの親父の口調を真似して、全力で拒絶していた。
ヒナタの不遜な態度に、見守っていた守護者達が殺気立つ。
敬愛するユグドラシルを馬鹿にされて、守護者達は黙っていられなかったのだ。
『痴れ者め!』
エルフの守護者であり、序列五位のヨクトが武器を手に襲い掛かる。それに続くように、他のエルフの守護者も仕掛けた。
だがそれは、ヒナタにとって脅威ではない。
聖龍の魂が宿った長剣が動き、全ての武器を破壊する。
「キュ!」
遅れて聞こえた声は、峰打ちだとドヤっていた。
武器を破壊した所のどこが峰打ちかは不明だが、それを成したヒナタは大変満足していた。
襲って来たエルフの守護者は、決して弱くはない。だが、ヒナタが森で見て来た化け物共と比べると、圧倒的な弱者だった。
だからこそ、命を奪わずに無力化が可能だった。
『おのれ⁉︎』
『やめい!』
守護者として、矜持を通そうとしたヨクトを制止する声が響き渡る。
それはこの地に住む者の絶対者にして、神であるユグドラシルのものだった。
見た目は、エメラルド色の髪を靡かせたエルフ族の少女。白いワンピースを纏っており、それ以外に何も身に付けておらず、足を揃えて椅子に座っていた。
『そこまでじゃ。元来、この者に我を守護する責務は無い』
『しかし⁉︎』
『聖龍の結界を失い、焦る気持ちは皆同じじゃ。じゃが、身内で争っても仕方なかろう』
ユグドラシルの言葉を聞き、頭を下げて引き下がるヨクトとエルフの守護者達。
他の殺気立っていた者達も矛を納めて、ことの成り行きを見守る。なので、ヒナタは聖堂から出て行こうとした。
誰も何も言わないのなら、もうここに用はないのだ。
『待て! 其方には聞かねばならぬ事がある!』
『なに? 親父を探さないといけないんだけど』
『まずは、この男が持つ杖についてじゃ』
そう言ってユグドラシルが浮かべたのは、気を失った二号だった。
『二号⁉︎ 無事だったのか、良かったぁ』
無事な友人を見て安堵する。
負った傷も完治しており、見た目は寝ているだけのように見える。
『安心しておる所悪いが、この者は目覚めておらん』
『どうして⁉︎ 傷は治っているんだろ? その杖があれば大丈夫だって、親父が……』
『ふむ、皆の者、ここからは二人で話をする。着いて来ることは許さん、良いな』
ユグドラシルはそう告げると、ヒナタを連れて世界樹の中へと転移した。
守護者達はそれは危険だと止めようとするが、それよりも早く姿を消してしまい、何も出来ないかった。
ただ、守護者筆頭ミューレの姿も、神殿から消えていた。
連れて来られた世界樹の中は、大樹の中間くらいにある樹洞の一つだ。
中は明るく照らされており、何も無い空間が広がっていた。
ユグドラシルが手を掲げると、木製のベッドが出来上がり、その上に二号が寝かせられる。二号の手には、親父が使っていた大きな杖が握られていた。
二号に意識は無いが、絶対に離さないと強く握られており、また杖の方からも蔦が生えて、二号の腕に巻き付いている。
その杖を指差し、ユグドラシルは問い掛ける。
『この杖は、我の片割れじゃ。多くの魂、思念を取り込み堕ちたはずじゃった。それが、今こうしてここにある。親父、と言ったな。その者の話をしてはくれんかの』
『話をすれば、二号は目を覚ますのか?』
『保証は出来んが、きっかけにはなるかもしれんな』
『……分かった。親父は……』
ヒナタは覚えている限りを話した。
どう話せば良いか分からない内容も、必死に話し続けた。
どんなモンスターを倒して来たとか、ト太郎とフウマの存在。日に日に強くなっていく姿に憧れたとか、早く追い付きたいとか、その時に感じた感情まで話をしてしまう。
長い長い話だった。
その長い話にユグドラシルの目は輝き、希望を見つけたと高揚していた。
『まさか、まさかこの世界で現れたのか! だから聖龍は結界を消したのだな。ならば、その者が現れるまで待てば良いのか……ミューレ、聞いておるじゃろう?』
『はっ!』
「キュ⁉︎」
突然現れた天使に驚くヒナタ。
聖堂にいた者達の中でも、飛び抜けた実力の持ち主なのはヒナタも感じていた。
だがそれでも、気配を感じられずに背後を取られるとは思わなかったのだ。
『ヒナタよ、この者を紹介しておこう。お主の叔母であり守護者筆頭であるミューレじゃ』
『おば?』
『……そうじゃな、お主の母キューレの話をしてやろう』
ユグドラシルとミューレの話は長かった。
母親であるキューレがどのような天使で、どれほど優れた力を持つ守護者だったのかを話してくれた。それだけで終われば良かったのだが、もっと姉を知ってもらおうと願ったミューレの口が止まらず、永遠に話が続いてしまったのだ。
それこそ、ユグドラシルがうんざりして、二号を目覚めさせるまで続いた。
『無事か二号。どこか悪い所はないか?』
「君は? ……チビさん?」
『ヒナタ。チビじゃなくて、俺の名前はヒナタだよ。やっと名前を言えた』
キュハーとため息を吐き、名前を言えないもどかしさが解消される。
あの森では、ト太郎の力で名前を呼べなくなっており、ナナシの頃からチビというあだ名で呼ばれるようになってしまった。
誰がチビじゃ⁉︎ と最初は抗議したが、どこぞの親父に「あだ名だから気にすんな」と適当にあしらわれてしまったのだ。
思い出しただけでもキュモ〜と、悔しさが滲み出てしまう。
まあ、それはいいとして、二号に体は大丈夫なのかと聞くと、
「大丈夫ですが、何か……残っているような」
と曖昧な返答が返って来た。
大丈夫かよと心配していると、ユグドラシルから二号の状態を説明される。
二号の体内には異物が入り込んでおり、内側から食い破ろうとしている。それを止めているのが、今手にしている杖なのだという。
もしもその杖を手放せば、すぐさま死ぬだろうと忠告された。
「どうにか出来ないのでしょうか? この杖は、権兵衛さんに返さないといけないんです」
『それは、お主が死ぬときになるじゃろう。可能性があるとすれば、その呪いとも呼べる力の持ち主を上回る事じゃな。力を付けよ、そやつを上回り圧倒すれば杖を手放せよう』
「僕が力を……」
困惑する二号を見て、それは難しいだろうとヒナタは思った。
二号を切り裂いた存在は、親父と渡り合える強敵だった。あの獅子の化け物を目の前で見たとき、恐怖で体が震えてしまった。
親父がいなければ、フウマがいなければ間違いなく死んでいた。
ここにこうしているのが奇跡なのだ。
『難しいのは分かっておるようじゃな。そうじゃのう……ミューレよ、この者を鍛えてやれ。やり方はお主に任せる』
『はっ!』
「え? なにが⁉︎」
困惑する二号にミューレが触れると、二人の姿は一瞬で消えていた。
『二号⁉︎』
『安心せい、命に関わるような事はせぬはずだ……恐らくはな』
どこか遠い目をしたユグドラシル。
最後の一言で、まったく信用出来なくなってしまった。
二号を探しに行こうと黒い翼を広げるヒナタだが、それをユグドラシルは制止する。
『まあ待て、お主はこれからどうするつもりじゃ?』
『これからって、二号を救いに行く!』
『そうではない、その先じゃ。育ての親を探しに行くと言っておったが、当てはあるのか?』
『それは……』
『何の情報も無いまま旅立つ必要もなかろう。ここで力を付け、準備を整えてからでも遅くはない。あの者が気になるなら、暫く滞在して行け。住居の用意はしてやろう』
ユグドラシルの申し出はありがたいものだった。
闇雲に飛び出しても、無駄な時間を過ごす恐れがあった。いや、間違いなく進む道を見失うだろう。
だからこそ、ここで外で生きて行く技術を学び、情報を集めるべきだった。だが、ヒナタはそれを断る。
『んー、いいや。二号が無事なのが分かったから、俺は親父を探しに行くよ』
『……そうか、ならば旅立つ準備くらい手伝ってやろう』
残念そうにユグドラシルは了承した。
それから、旅の準備を進める。
食事はもちろん、都ユグドラシルにおいての最高の装備を提供してもらい、外にはどのようなモンスターが存在するのかも教えてもらった。
時間にして、ほんの数日の滞在。
そんな短い時間だったが、親しくしてくれる者もおり、良い所だなぁと思った。
準備も終わり、このまま旅立てたら良かった。だが、それを許してはくれない存在が現れた。
『モンスターが現れた?』
『うむ、討伐するまで暫し待つが良い』
ユグドラシルに告げられて、モンスター討伐の知らせを待つのだが、一向に報告は来ない。代わりに来るのは、討伐の失敗と被害の大きさだった。
しかし、それを聞いたからと言って、ヒナタは動く気にはならなかった。
親父を探しに行くという目標が達成されたらそれで良かったのだ。もっと言えば、ヒナタよりも強い者がここには存在している。
守護者筆頭のミューレもそうだが、序列二位、三位もヒナタより強かった。
だから大丈夫だろうと、そう思い込んでいた。
何かが近付いて来るのを感じ取る。
それは廊下からで、室内だというのに宙を飛び移動していた。よほど緊急の用事なのだろう。
用事があるのは、自分ではないと思っていた。
しかし、扉が開かれると、いつか見た天使がヒナタに縋るように願って来た。
『頼む! 力を貸して欲しい。あの化け物は、我らでは倒せない。頼む、頼む……』
『嫌だ! 俺は親父を探しに行くんだ! ここがどうなっても関係ない! 第一、あんたが俺に頼むのか。俺を捨てたのはあんたなんだろう⁉︎』
『ああ、そうだ。私の命ならば幾らでも差し出そう。だから頼む。お前の力が必要なのだ……』
ヒナタはミューレより父親の存在も聞いていた。
そして、父親の手で捨てられたというのも聞かされていた。
その話を聞いて、余計にこの土地への思いは無くなっていた。もっと言えば、ユグドラシルが少しでも愛着を持つように、準備を遅らせていたのにも気付いていた。
だからこそ、ここを守ってやるものかと決意していた……はずだった。
『頼む、全てが奪われてしまう。聖龍様が守ろうとしたこの地が、ユグドラシル様が消えてしまう』
『……ト太郎』
聖龍の名を出されて、あの優しく首の長い生物を思い出す。
長剣を握る手に力が加わり、どうしたらいいと心の中で問い掛ける。すると、長剣はカタカタと鳴り、好きなようにしろという意志が伝わって来る。
少しだけ考える。
親父ならどうするか。
あの最強の男がどうするかを考えて、決意する。
『……分かった。今回だけ力を貸す』
これが、英雄ヒナタの誕生だった。