実家2
年が明けて数日経ち、その日もいつも通りの朝を迎えるはずだった。
「きゃー⁉︎⁉︎」
「なんだ! どうした⁉︎」
妻の悲鳴を聞いて飛び起きた甚九郎は、何事だと隣のタエコを見る。
すると、はっとしたような表情をして、お腹を確かめて安堵していた。
「タエちゃん、どうかしたのか?」
「ごめんなさい、ジンさん。少し怖い夢を見ちゃって……」
「怖い夢?」
「うん、お腹の赤ちゃんがいない夢。お腹を開いても、何も入っていない夢だった」
大事そうにお腹を撫でる妻。
不安そうな妻に、「大丈夫、ただの夢だよ」と優しく宥める事しか出来なかった。
これで終われば、ただの縁起の悪い夢で終わらせられた。だがその夢は、毎日のように見るようになり、うなされてしまう。
空洞の他にも、膨れた腹には他の何かが詰まっていたり、何も生まれて来なかったり、何者かに殺される夢まであった。
そんな夢を毎夜見るせいで、妻は日に日にやつれて行く。体重が落ち、頬は窪み、夢と現実の狭間が分からなくなって行ったのだ。
次第に寝るのが怖くなり、起きる時間が長くなる。
それが母体に良いはずもなく、肉体だけでなく精神も蝕まれてしまう。
「タエちゃん、それ以上は……」
「この子の為に揃えておかないと。きっと何でも似合うから、沢山用意しないと、この子が可哀想だから」
その結果、目をぎらつかせながら、子供用品を大量に購入するようになる。
これはストレス発散でもあり、お腹に赤ん坊がいるという確認行為でもあった。
あの夢は嘘だ。
あんな夢、現実なはずがない。
そう言い聞かせながら、タエコは買い物を続けていた。
夢にうなされて、購入した品物を見て確かめる。
大丈夫だと信じて、信じ込もうとして、心が摩耗して壊れかけていた。
ーーー
「産婦人科で診てもらったんだが、子供に異常は無かった。それを言っても信じてもらえなくてな、母さんは塞ぎ込んでいったんだ」
母ちゃんをベッドに寝かせて、リビングで話を聞いた。
「夢って、そんな頻繁に見てたのか?」
「ああ、毎日うなされていた。心療内科にも連れて行ったが、妊婦には薬を飲ませられなくてな、ゆっくり寝かせてやる事も出来なかったよ」
疲れた表情の父ちゃんは、実年齢より老けて……いや、まだまだ若く見えるわ。
「父さんも聞きたいんだが、ハルトが使ったのって、まさか……」
「まさかって言うほどの物かは知らないけど、治癒魔法。前にダンジョンに行ってるって言っただろ。その時に、治癒魔法のスキルを覚えたんだ」
「そうか……また今度も、助けられてしまったな」
「よせやい、身内でそういうのは無しで行こうや。それに、まだ母ちゃんが治ったとは限らないんだしさ」
「そうだが、あんなにぐっすり眠れている母さんを久しぶり見たんだ。十分に助かっているよ」
「父ちゃんにも使おうか、結構疲れてるんだろ?」
「分かるか? タカト達にも手伝ってもらっていたんだが、どうにも歳には勝てん」
「その見た目だけで、十分勝ってるよ。ほい、治癒魔法」
父ちゃんに治癒魔法を施すと、そんなに気持ちよかったのだろうか、ほわーと声を上げながら口をかぽんと開けていた。
治癒魔法が終わると「これは凄いな、眠たくなってきた」と言ってソファに横になってしまった。
父ちゃんは、そのまま寝息を立ててしまう。
母ちゃんに負けず劣らず、父ちゃんも追い詰められていたのかも知れない。
不倫してたんだろうなって疑ってごめんって思った。
それにしても、母ちゃんはどうしたんだろうか。
正直、夢云々で動じるような人じゃないと思っていた。
妊娠中だから、そういうのに敏感になっているのかも知れない。それとも、何者かに意図的に夢を見させられているのだろうか。
前者はともかく、後者は無いな。
少なくとも母ちゃんは、人に恨まれるような人物ではないはずだ。
過去に何かしていたら知らんが、少なくとも俺の知る範囲では何も無い、と思う。
んー正直、人って何をしでかすか分からんからなぁ。犯人がいたとして、その動機も分からないしな。
そうなったら、母ちゃんに心当たりはないか聞くしかない。
いやいや、これじゃまるで母ちゃんが悪いことをしたみたいな言い方じゃないか。それよりも、体の心配をした方が良いな。
俺は父ちゃんを抱えて、二人の寝室に向かう。
そして、ぐっすりと眠っている母ちゃんの隣に寝かせる。
さて、俺も風呂入って寝るかと寝室から出ようとすると、母ちゃんが起き上がるのを感じ取った。
そして、その中に何か別の意思が感じ取れた。
「お前誰だ?」
敵意は感じない。
ただ母ちゃんではないのは理解出来る。
振り返ると、ベッドに座る母ちゃんと目が合う。そして、何事もなかったかのように倒れ、深い眠りについてしまった。
「……何だったんだ?」
俺はベッドの上で眠る母ちゃんに触れる。そしてトレースを使用して、体に異常がないかを調べて行く。
治癒魔法の効果のおかげか、母ちゃんに問題は無い。さっきの、よく分からん物の気配もない。だから問題はない、はずなのだが、
「……赤ん坊がおかしい?」
俺の弟か妹のはずなのだが、まだどちらか判別出来ないのだ。それに、何かが足りない。性別以外は体に異常はないのに、何かが欠落しているように感じる。
それが何なのか分からなくて、雲を掴むような感覚に襲われる。
「何だろう、最近感じた気がしないでもないけど……うーん、分からん……」
何とも悩ましい気持ちになる。
さっきの奴なら何か知っているかも知れないが、実体の無い奴だったので、探しても無駄だろう。
「実態が無いか……え? もしかして幽霊?」
途端に股間がヒュンとなる。
とりあえず、この部屋には治癒魔法ばら撒いとこ。
ーーー
実家での朝食は、ご飯と味噌汁、納豆に昨日の残りのおかずと決まっている。
他に食べたいのがあれば、自分で作れというのがこの家のルールだ。
因みにこれは、俺が中学に上がったと同時に始まった。
理由は、食べ物の消費が半端ないのと、俺があれが食いたいこれが食いたいと文句を言いまくったからである。
つまり、俺が悪い。
兄ちゃんと姉ちゃんからは、かなり怒られてしまった。今では反省して、こうして自分で作るようになっている。
天闘鶏の肉を収納空間から取り出して、フライパンで焼いていく。
多めに十人前くらい焼いておこう。
肉も余っているし、これくらい使ってもまだまだ余裕はある。いざとなれば、海亀の物もあるので問題無し。
あいつは、全て食い尽くして始末するのだ。
いつになるかは分からないが、俺が死ぬまでには完食出来るだろう。
「あの野郎、俺を痛めつけやがって、絶対に許さん」
ジュウジュウと肉を焼いていると、二階から人が降りて来るのを感じ取る。
どうやら二人とも目が覚めたようである。
「おはよう」と「お帰りなさい」という声が届き、俺も挨拶を返す。
「おはよう、あと、ただいま」
「ブルル」
足元にいるフウマもおはようと挨拶をする。
母ちゃんが「え、馬?」と驚いているが、まあペットみたいなもんだよと言うと、「ペットで馬ってどうなの?」と至極真っ当な反応が返って来た。
「体調は良いみたいだな」
「おかげさまで。ハルトが助けてくれたって聞いたけど、ありがとね」
「気にしなくて良いよ、それよりも飯にしよう。肉も焼けたし、父ちゃんも仕事があるだろう?」
「そうだが……朝からその量は多くないか?」
父ちゃんが、皿に盛り付けられた肉を見て若干引いている。
「大丈夫だって、残ったらフウマが食うから」
「フウマって、その馬の名前か?」
「そうだよ。言ってなかったっけ?」
「初耳だが、そうかフウマか……」
「もうちょっと、可愛らしい名前が良かったんじゃないの? モモちゃんとか」
「ブルル!」
絶対嫌だとフウマが嘶く。
そんな反応を見てか、「あら嫌なの?」と母ちゃんは残念そうにしていた。
ささっとご飯と味噌汁をよそって、テーブルの上に並べていく。
父ちゃんはその間にテレビをつけて、朝のニュース番組にチャンネルを合わせていた。
母ちゃんはフウマが気になるのか、ちちちと舌を鳴らして興味を引こうとする。それに対して、何だよといった表情で近付いて行くフウマ。よしよしと撫でられており、それを大人しく受け入れていた。
最近気づいたが、フウマは撫でられるのが余り好きではないようだ。
理由は知らない。
背に人を乗せたり、触れられるのは良いのだが、頭を撫でられるとムスッとした顔になる。
他者に危害を加えるという事はないので気にしてはいないが、やり過ぎると逃げ出すかも知れない。
現に母ちゃんの手から離れてしまった。
そして俺の所に来て、はよ飯にしようぜと訴えて来るのだ。
……ただ腹が減っただけだった。
飯にしようと言うとフウマは俺の横に着いて、母ちゃんと父ちゃんはテーブルに向いた。
「いただきます」
手を合わせて食事を始める。
天闘鶏の肉は中々に好評で、二人共歳の割にはかなりの速度で腹に納めていく。
「このお肉美味しいわね、鶏肉? 牛っぽいけど違うわよね?」
「……」
「え、何で黙るの? もしかして猿の肉とか?」
「…………」
「ちょっとハルト! ちゃんと答えて! 人を殺したなら、お母さん着いて行って上げるから! 人殺しする子じゃないんですって、証言して上げるから!」
「誰が人殺しじゃ! 人の肉じゃねーよ! どうしてそこまで飛躍すんだよ! 黙ってたのは悪いけどさー、実の息子が殺人する奴に見えるのか⁉︎」
「……」
「おい、黙るなって。いや、いやいや、いやいやいやいや! それはないだろ! これ、ただの大きな鶏の肉だって!」
「ハルト、落ち着きなさい。今は食事の時間だぞ」
母ちゃんに訴えかけると、父ちゃんに注意されてしまった。
なんか納得いかないが、フウマからも『お前落ち着けよ』みたいな視線をもらい、大人しくするしかなかった。
「まあ、母ちゃんも元気そうで良かったよ」
「久しぶりにぐっすり眠れたから、調子が良いわ。何か凄い魔法を使ったって聞いたげど、大変だったんじゃないの?」
「治癒魔法ね。別に大した事じゃないよ、いつも使ってる魔法だし」
「そうなの。なんにしろ、またハルトに助けられちゃったわね。ありがとう」
「よせやい。昨日、父ちゃんにも言ったけど、身内でそういうのは気にしなくて良いよ」
身内だから助けて当然。なんて考えは待ち合わせていないが、まあ、最後かも知れないんだし、親孝行は今のうちにやっておきたいのだ。
少しだけ、しんみりとしながら食事を続けていると、テレビからある俳優のスキャンダルが流れて来る。
それは、今度の長期休暇で放映される映画の主演俳優で、某アイドルと一緒にいる所を激写されたのである。
ただ問題なのはそのアイドルで、まだ未成年だったのだ。
やっちまったなあの俳優。
このまま映画も上映されなければ良いのにな。
警察沙汰になれば、強制的に映画もお蔵入りだろう。
携わったスタッフさんには悪いが、心の底から願っている。
「なあ、この映画のCMで出て来るのって……」
「違うよ」
「だが「違うよ」……そうか、他人の空似か」
つらい、ここでも人違いをされてしまった。
まったく、俺のそっくりさんがエキストラとして映画に出演したせいで、いろいろと困ってしまう。
ああ、嫌だ嫌だ。
そんな嫌な気分を変える為に、女王蟻の蜜でも飲んでおこう。
コップに注いでテーブルの上に置く。
すると、二人から注目が集まる。
「は、は、ハルト、もう、無いって言ってなかったか?」
「え、何が?」
「それだ、その飲み物だ。前に飲んだのが最後だって言ってたじゃないか」
どうしたんだろうか?
父ちゃんの息が荒くなっている。
もっと言えば、母ちゃんの目が半端ないくらいギラついている。
「どうしたんだよ、二人とも……。蜜は、また手に入れたんだよ。えっと、あー……うん、いる?」
俺の問いかけに二人揃って「是非っ!」「もちろん!」と反応する。
これをお土産に選んだのは間違いだったかも知れないなぁ、と思いつつ、三つのコップに蜜を注いでいく。
そして、コトンと二人と一頭の前に置くと、四人で一気に飲み干した。
「クィーーー!!⁉︎⁉︎」
二人から奇声が上がり、俺とフウマは恍惚とした二人の表情を見て、「なんて醜いんだろう」と戦々恐々としていた。