幕間27(調 千里)その4
美桜の盛大なドッキリに引っ掛かり、千里達は無言でファミリーレストランに立ち寄った。
そこで迷惑を掛けたからと、美桜に奢ってもらったのだが、それで誤魔化されるほどみんなは優しくはなかった。
責めた。
とことん責めた。
あそこまでの流れは一体何だったんだと責めた。
「……ごめんなさい」
寧ろ、美桜の方が説明してほしかっただろうが、それに答えてくれる者はいなかった。
「まあ、何事もなくて良かったと思いましょう」
こうして、昨日の騒動は幕を閉じた。
とはいえ、美桜が脅されていたのは本当のようで、その対策を考えなければならなかった。
「どうしたらいいんだろう……」
電車に揺られながら、千里は窓を眺める。
今日は兄達の月命日で、墓参りに向かう予定になっていた。
朝早くから両親と一緒に、兄の墓参りを済ませている。それから一番遠くにある、東風の墓参りから順番に回っていく予定にしていた。
父からは送って行こうかと言われたが、断っている。
仲間の下へは一人で行きたいというのもあるが、色々と落ち着いて考えたかったのだ。
はっきり言って、プロクラスの探索者が出て来たのなら、美桜を守り切るのは不可能だ。
警察には相談しているが、相手がネオユートピアの住人だとその動きも鈍くなってしまう。
単純な暴力でも負けて、権力なんて欠片も待ち合わせていない千里達には、とてもではないが太刀打ち出来る相手ではなかった。
「……田中さんか」
ぽつりと呟いたのは、美桜を助けたという人物の名前。千里の失った記憶の中にいた人物。
顔立ちは映画の予告で知っているのだが、どういう人物なのか見当も付かなかった。
居ない人を考えても仕方ないかぁ、と考えを切り替えるとバスを降りて、東風要の墓参りに向かう。
「要さんのお墓は……あっ」
先客がいた。
それも大きな体の男性だ。
今日はマスクもサングラスも外しており、その素顔が見えていた。
その容姿は決してカッコ良くはなく、ぶっきらぼうな印象を受けるが、千里は嫌いではなかった。
お墓に向かって喋っていた男性は、千里の存在に気付いたようで会話を中断させた。
目が合う。
ここで言葉に詰まってしまう、どう話し掛けて良いのか分からなかったのだ。
だから苦し紛れの言葉が出た。
「要さんの親族の方ですか?」
この人が田中だとは限らない。
なら、関わらずにすれ違うべきだったかも知れないが、どうしても話をしてみたかった。
「……違うけど、世話になった友人かな」
曖昧な返事だったが、その言葉には親しみの感情を感じ取れた。
「親しかったんですね」
「あーうん、どうだろう。一緒に飲みに行って、ダンジョンの話を聞かされたりはしたな。仲間の話とかもたくさん聞かされた……」
その後も会話は続き、じゃあと帰ろうとする男性。
それを「待って下さい」と呼び止めてしまった。
「貴方は昨日のカフェにいた人ですか?」
「どこのカフェかは知らないけど、一応立ち寄ったな」
「貴方は探索者ですか?」
「そうだけど」
ここで一度呼吸をおき、改めて問う。
「前の私とも知り合いだったって、美桜に聞きました。あなたは、お兄ちゃんや東風さん達の最期に立ち会った人、ですか?」
それに対しての返答は無かった。
ただじっと千里を見ており、何かを確かめているかのようだった。
「君は今、幸せに暮らしているか?」
それがどんな意味を含んだ質問なのか分からない。
ただ、仲間を失い兄を失い、そしてまた友人を失おうとしている今を幸せとは言えなかった。
首を振って否定すると、男性は目を瞑って「そうか」とだけ呟いた。
それから千里は自分の話を始める。
記憶を失ってからの出来事を、支離滅裂に感情の赴くまま話し続けた。
きっと聞き取りにくい内容だっただろう。それでも、この彼は、田中は話し終えるまで待ってくれた。
そして、出て来た言葉は、
「護衛をやめろ、お前じゃプロの探索者には勝てないのは分かっているだろう」
美桜の護衛を辞めろというものだった。
だから反論する。田中がどれほど優れた探索者だとしても、恩人だとしても、美桜を見捨てる訳にはいかなかった。
「嫌です! お兄ちゃんに東風さん、瑠璃さん、武さん、騎士くんも死んじゃったのに、これ以上友達まで失いたくない!」
奪われてばかりじゃない。
今度こそ必ず守るのだ。立ち直らせてくれた友人を、そしてこの記憶も。
この思いが届いたのか、田中はメモ帳を取り出して記入していき、一枚を破いて千里に押し付ける。
「何かあったら連絡しろ。東風達の事は話せないが、お前達は必ず守ってやる」
それだけ言うと田中は去って行った。
用紙には田中の電話番号が記されており、『何かあったら必ず電話!』と一言添えられていた。
田中の後ろ姿を見送り、その用紙をバッグに入れる。
それから改めて、東風の墓参りをしようと近付くと甘い香りが漂って来た。
「なに……これ?」
それは抗えないほど魅惑的な代物だった。
ガラスのコップに注がれた琥珀色の液体。そこから漂う香りは食欲をそそり、体の奥底からこれが欲しいと訴えて来ていた。
膝を突いてコップを持ち上げる。
ーーー
『クイーンビックアントの生命蜜(世界樹産)』
ビックアントの女王蟻の作り出す蜜。世界樹ユグドラシルに奉納された物。
(効果)
美容健康
若返り
基礎能力増
不治の病を高確率で治療可能
ーーー
スキル鑑定を使うと、この項目が頭に流れ込んできた。
しかし、それがどういう意味があるとか、既にどうでも良かった。何故ならコップに口を付けていたから。生命蜜を一気に流し込んでいたから。
「クィーーーッ⁉︎⁉︎」
脳髄を貫き、全身を幸福で満たされる感覚を味わう。
これが、東風に供えられた物だったと思い出しながら、ごめんなさいと呟いて千里は意識を失った。
それから目を覚ますと、田中の顔が飛び込んで来た。
何が起こったのか理解できずに狼狽えていると、
「墓にお供えした物を飲むなよな」
と苦言を呈されて、自分が何をしたのか思い出した。
「ごめんなさい」
「俺じゃなくて、東風に謝ってこい」
その後もいろいろ言われたが、あれは仕方なかった体が勝手に動いていたと訴える。
つまりは、あんな物をあそこに置いていたのが悪いのだ。そんな言い訳をしつつ、田中と一緒に歩いて帰る。
駅までは遠いが、探索者として鍛えられた二人には大した距離ではなかった。
だが、その歩みは普通よりも遅く、のんびりとしたものだった。
道中の会話は、千里がほとんど喋っていた。
話の内容にダンジョンや探索者に関連した物はなく、美桜を巡るゴタゴタも含まれていない。
ただ千里が好きな物や面白かった物を話ていた。
田中は退屈かなと様子を伺っても、楽しそうにしているように感じたので、気にせずに話を続けれた。
この時間が楽しいと感じてしまう。
見た目は好みではないが、何故か安心してしまっている自分がいた。
そこで、ふと疑問に思う。
前の自分は、この人とどういう関係だったのだろうかと。
田中を見ても、特にどうといった反応はなく楽しそうに相槌を打ってくれている。
関係を聞こうにも、何だか意識しているようで照れ臭くて言い出せない。
そんな思いを誤魔化すように、更に話をしてしまう。
おかげで、駅までの道のりを短く感じてしまった。
同じ電車に乗って、一緒にいる時間がわずかに伸びたが、それでも足りないと思ってしまう。
まだ瑠璃や武、騎士の墓参りもしないといけないのに、田中との時間を楽しんでしまっていた。
別れ際にお礼の言葉を言って、
「……私がこうしていられるのは、田中さんのおかげです! 私が友達と遊べているのも、両親といられるのも、夢を叶えられるのも田中さんがいてくれたからです! だから、だから……今度は絶対に忘れないようにするから!」
こう言ってしまったのは失敗だった。
どうにも感情が抑えられずに泣いてしまった。
せめてもの救いは、田中に泣き顔を見られなかったくらいだろう。
次に会ったら、どんな顔をすれば良いかなぁなんて悩みながら、武と騎士の墓参りに向かう。瑠璃の墓参りは遅くなりそうなので、明日行こうと計画を変更する。
涙をながしながら、周囲の注目を無視して目的の駅に向かった。
ーーー
問題が起こったのは、次の日の早朝だった。
スマホの着信で起こされて、電話に出る。
画面を確認もせずに出たせいで、声の主が誰か分からなかった。寝起きで頭が回っていないのもあるが、焦った様子の美桜だったというのも理由だろう。
「えっ、美桜? どうしたの、落ち着いて話して」
支離滅裂で何を言っているのか分からず、一度落ち着くように促す。
それから何度か深呼吸する音が聞こえると、衝撃の内容が伝えられる。
『ネオユートピアから、40階をクリアした探索者が向かって来てる』
「え?」と口にするのが精一杯だった。
何かの聞き間違いかと聞き直しても内容は変わらず、どうしてかと理由を聞くと、
『この前、迎えが来なかったのは、誰かが妨害したかららしいの。その誰かが、私達の誰かだと思っているらしくて、もしかしたら狙われるかも……』
衝撃の内容に意識が完全に覚醒した。
一体誰がやったというのか。
あそこに居たメンバーで一番強いのは千里だ。だが、プロの探索者に勝てるほどの力は持っていない。
「……田中さん?」
『え?』
いや、流石にそれはない。
何故か田中の顔が浮かぶが、昨日出会ったばかりなのに関わっているとは思えなかった。
じゃあ誰が?
その疑問に答えが出るわけがなく、どうするかを考える必要がある。
まず報復として狙われるとしたら、最も強い千里の可能性が高い。しかし、性別が違っていれば大和や翔、古森蓮に向かうかも知れない。
「その探索者は誰にやられたとかは言ってなかったの?」
『うん、ただ被害にあった人に一般人もいたらしくて、もしかしたら公的機関も動くかもって……』
「そんな……」
最悪だ。
探索者を取り締まる組織があるのは噂で聞いている。
40階を突破した者達で構成された探索者を取り締まる組織、探索者監督署。
狙われたらまず助からないと言われており、特殊なスキルを持った者も多数所属しているという。
そんなのが動き出したら、とてもではないが命はない。彼方も法律に反した行動を取っているから、それはないと思いたいが、確信は出来ない。
『私、ちゃんと説明するから。だから、今度は私一人で行かせて。千里達は家にいてほしいの』
「そんなのダメよ! 私も行く。友達を辛い目に合わせたくないのは、私だって同じなのよ」
意地でもついて行く。
どんな結果になっても、美桜を一人にさせたりしない。
もう、誰かが居なくなるのは嫌だ。
その思いは変えられるものではなく、昨日の田中との出会いで一層強くなってしまっていた。
千里は電話を切ると、これまで手にしなかった魔銃を取り出す。
鑑定を使えばその使い方は理解でき、魔弾も多くはないが残されている。
これで、どこまで対抗出来るのか分からない。
だが、やらないよりはマシだ。
かつて使っていたであろう探索者の装備を身に付けて、親に見つからないように家を出る。
これから戦いに行く。これを伝えれば、間違いなく止められただろう。
だから一言「ごめんなさい」と謝り美桜の元に向かった。