幕間27(調 千里)その1
うーん、どうしてだろう……
千里には約一年間の記憶が無い。
その理由も、経緯も聞いて理解しているが、どうしても心に空虚な思いが宿ってしまう。
その思いを誤魔化すために、必死に勉強して、探索者をやっていた頃の装備は隠した。
元を失った悲しみを誤魔化すように、千里に対して過保護になった両親。心配させないように、出来るだけ一緒の時間を過ごした。
千里にとっては、突然居なくなってしまった仲間達。
現実感も無く、まだどこかにいるような気がして、死を受け入れられないでいた。
だが、両親は違う。
息子の亡骸を見て、絶望して千里が無事だった事に安堵する。大切な息子を失い、残った娘を大切にするのは当然だった。そして、空いた心を埋めるように何かに執着しなければ、両親の心も持たなかったのだろう。
だがそれでも、両親にも仕事があり、時間の経過と共に千里に対する執着から仕事に没頭して、寂しいという思いを誤魔化すようになっていく。
その頃になると、千里も外に出るようになっていた。
このタイミングで、仲間達の家を回り現実を知る。
仲間達の遺影があり、本当にもうこの世にはいないのだと実感が湧いて来てしまった。
千里の家にも元の遺影は置いてあるが、どうにも現実味がなかったのだ。
いや、もしかしたら、まだどこかにいると思い込もうとしていたのかも知れない。
だが、各家に置かれた彼らの顔を見ると、涙が溢れて止まらなくなってしまった。
彼らは兄の友人であって、千里とは探索者とでしか関わりはなかった。だが、記憶のある一年半の探索者生活は、とても大切で、楽しい仲間達との思い出だった。
彼らの為に泣くには、十分な時間を共に過ごしていた。
どうして私だけが生き残ったの?
空虚だった心が喪失感に当てられ、絶望へと変貌する。
一人だけ取り残されたような気がして、後を追おうかと考えてしまう。
実行する勇気も無いくせに、下らないことばかりを考え出すようになる。
そんな生きているのか、死んでいるのか分からない空虚な心になった千里は、ふらふらと繁華街を彷徨う。
きっと今頃、両親も心配しているんだろう。
それは分かっていても、なぜか家に帰る気にはならなかった。
心配した両親から着信が入るが、無視してぼーっと歩いていた。
そんな千里を狙った男達が、ナンパ目的で近付いて来る。
それさえもどうでも良くて、ただ考えたくなくて、男達に囲まれても抵抗もせずに壁際でジッとしていた。
「千里?」
女性の声が千里を呼ぶ。
誰だろうと顔を上げると、男達の間から友人の美桜の顔が見えた。
「美桜?」
久しぶりに出会う友人に、懐かしさから心が動かされてしまう。
男達を押し退けて美桜のもとに行こうとするが、欲望を隠さない男達から掴まれる。
反射的だった。
魔力で肉体を強化してしまい、男を壁に叩き付けていた。ガハッと息を吐き出し、頭を打ち付けた男は気を失い地面に落ちる。
それを見ても、現実感の湧かない千里は「美桜」と呟いて友人に向かって歩き出した。
仲間がやられた男達はというと、気を失った男を心配していた。
危害を加えた千里に仕返ししようとしないのは、千里が探索者だと気付いたからだ。
それも強い部類の。
男達も一度はダンジョンに潜っており、その環境に音を上げた者達だった。
そして、この地で、探索者を相手に喧嘩を売るような真似はしてはいけないとも知っていた。
だから大人しく引き下がる。
目の前の弱った女性は、見た目にそぐわない力を持っていると理解したから。
仲間が死にかけているような傷を受けているが、仕返しをしようなんて考えられなかった。
仲間を救うため、救急車を呼ぼうとスマホを手に持つ。
しかし、それが発信される事はなかった。
「千里待って。傷を癒しますから、その人を動かさないで下さい」
美桜は倒れた男に近付き手をかざす。
そして使われた癒しの魔法が、男の傷を完全に治してしまった。
治癒魔法は使い手の能力によって効果が違う。美桜の物は、一度でも治癒魔法を見たことがある者ならば気付くほど、優れた能力を持っていた。
その光景を多くの人が見ており、中には当然、美桜の力に気付く者がいた。
気付いた者は、ここでは話し掛けずにスマホで美桜の写真だけを撮りその場を去る。これがきっかけで、更に危険な者達にも狙われるようになってしまう。
だが、そんな事になっているとはつゆ知らず、治療を終えた美桜は弱っている千里に向き合う。
千里からすれば数ヶ月ぶりに会う友人。だが美桜からすれば、一月前まで頻繁に会っていた仲だった。
もっと言えば、パーティメンバーに加わろうとしていたのだ。
「……美桜、久しぶりだね」
「そうね、一ヶ月ぶり……だけど、覚えてないよね?」
「うん。……ごめんね、連絡しなくて。……美桜、探索者になってるし、これまでに何かあったんだよね?」
「本当に覚えてないのね……。東風さん達は……」
それ以上言葉を続けられなかったのは、千里が目に見えて落ち込んでしまったからだ。
大切な仲間を失ったのだ。
もう少し配慮すべきだったと美桜は後悔する。
「千里こっち」
美桜は千里の手を引いて移動する。
ここは人の往来が多く、無駄に注目を集めてしまう。
ただでさえ男の一人を怪我させているのに、これ以上の注目は集めたくなかった。
移動した先は、カフェの一番奥の席。
千里の精神状態がよくないと察した美桜が、どこか落ち着ける所をと選んだのである。
公園という選択肢もあったが、天気が悪く降って来そうなので断念した。
「……私、何も覚えてないんだよね」
席に座り少しだけ落ち着くと、千里はぽつりぽつりと話始めた。
「お兄ちゃんに東風さん、瑠璃さんに武さん、騎士くんも。どうやって死んだのか見ているはずなのに、全然覚えてないんだ……」
「それは、必要だったからって……」
「うん、一応事情は聞いてる。分かってるし、納得もしてるんだけど、私は忘れちゃいけないんじゃないかって考えてしまうんだ」
東風達が誰かに殺されて、千里だけが救われた。
今日、彼らの実家に行った時に、かけられた言葉は「息子(娘)の最後を教えてほしい」だったのだ。
千里はそれに答える事が出来なかった。
肝心の記憶が、まったく残っていないから。
その記憶のせいで、千里が廃人になっていたとしても、せめて家族には伝えるべきだったのではないかと考えてしまう。
沈んでいる千里を見て、美桜はただ思っている物を言葉にする。
「……最低な事を言うかも知れないから、先に謝っておくね。私は、千里が助かってくれて嬉しかった。大切な友達が無事って聞いて、心の底からホッとした。千里が記憶を失っているって聞いた時も、それで立ち直ってくれたらって期待してた」
美桜がそこで一度言葉を切ると、千里は顔を上げて美桜の顔を見る。
何で泣きそうにしてるの?
美桜は泣きそうな顔をしており、それでいて安心したかのような表情をしていた。
「私が死者の思いを語るべきじゃないんだろうけど。千里、貴女はここで立ち止まってちゃダメなんだと思う。お兄さんや仲間の人達も、残った千里には精一杯生きて幸せにほしいんじゃないかな」
いなくなってしまった仲間達の顔を思い浮かべる。
その誰もが、前に進めと軽く背中を押してくれそうな人達で、千里の不幸は望まないだろうと理解している。
「……それでも、だから、良い人達だったから、忘れられないのよ」
美桜の言葉がその通りだからこそ、千里は受け入れられない。
そんな人達が死んだのに、どうして自分だけが生き残ったのか。どうして他の人じゃなかったのか、考えずにはいられなかった。
「私が死ねばよかったのに……」
頭に浮かぶのは、自分が犠牲になっていればというものばかり。
そんな事を口にしたからだろう、千里の頬にパンッという軽い音と鋭い衝撃が走った。
千里は正面を見ると、立ち上がった美桜が手を抑えていた。
それを見てようやく、自分が頬を打たれたのだと気付く。
「千里、しっかりしなさい! 今のは絶対に言っちゃいけない言葉でしょう! 貴女は生き残ったのよ! 死んだ人達の分を生きろだなんて言わないけど、貴女がそんなんじゃ助けた人達が馬鹿みたいじゃない! 真っ直ぐに前を向きなさい! 仲間が安心できるくらい幸せになるのよ! 分かった、調千里!」
泣きながら怒る美桜は初めて見たな。
そんな呑気な感想が浮かび、酷く後悔した。
東風達に助けられた命なのに、死んでもいいと口走ってしまった。それは、みんなの行動の否定に繋がってしまう。
それだけは許されない。
「ごめん、美桜。私どうかしてた」
美桜に謝ると、千里は心の整理が着いたかのように表情に生気を取り戻していた。
泣きながら美桜は「うん、うん、私も叩いてごめんね」と謝っており、安堵していた。
その様子を見て、千里は良い友達に恵まれたなと心の中で感謝する。
昂った美桜の感情が落ち着くまで待っていると、よく分からない人達がカフェに入って来る。
その人物達は格好はバラバラだが、胸元に木の葉を模ったネックレスをしていた。
千里は何故か彼らから目が離せなかった。
そして、彼らがこっちに来る気がしてしまう。
「……美桜、あの人達と知り合い?」
「え?」
言葉の意味が分からなかった美桜だが、カフェの入り口を見て固まってしまう。
そして、鞄を手に持つと立ち上がって千里を見た。
「ごめん千里。私、行かなきゃ」
まるで彼らから逃げるかのように、美桜は店から出て行こうとする。
引き留めようと千里は手を伸ばすが、掴むことが出来なかった。
まるで、彼らから逃げるように動き出した美桜は、迂回して出入り口に向かおうとする。
その彼らはというと辺りを見回しており、まるで誰かを探しているようだった。
もしかして、美桜を狙っているの?
でもどうして?
美桜の態度から直ぐに察した千里だが、その理由が分からない。しかし、彼らの首に掛かったネックレスには見覚えがあった。
ミンスール教会。
ダンジョンが終わりを齎すと世界の終末論を唱え、不安を煽っては多くの人を勧誘している宗教団体。
治癒魔法使いを多く抱え、一般市民から政財界まで多くの人物の治療を行っており、年々規模を拡大させていると聞く。
そんな彼らの特徴は、木の葉をあしらったアクセサリー。それを彼らはしていた。
まさか、美桜を狙っている理由って。
さっき、千里が傷付けた男を美桜は治癒魔法で治していた。
その力を狙っているんじゃ……。
無理な勧誘はしないと聞いた覚えはあるが、それは当てにならない。上位の者達がそうでも、末端がそうだとは限らないからだ。
「美桜……!」
千里は美桜の後を追って走り出していた。
ーーー
約一年という記憶を無くしていたとしても、千里の身に宿った力まで消えた訳ではない。
肉体が覚えていた身体強化を無意識のうちに発動して、駆けて行く。
美桜がどこに向かったのか分からないが、何故か千里には居所に心当たりがあった。
通った事もない場所だが、何故かそこにいると確信が待てた。
どうしてという疑問は今はさて置き、入り組んだ路地裏に入りどんどんと進んで行く。
そして、そこには十名ほどの集団に囲まれた美桜の姿があった。
その集団に脅威は感じない。
しかし、まるで生者に集う亡者のように、盲目的に行動しているように見えた。
その人物達を掻き分けて、千里は美桜の手を引く。
「美桜! 行くよ!」
多くの人に詰め寄られて逃げるに逃げれなかった美桜は、「千里」と呟いてその手を取った。
だが、その集団は美桜を逃すまいと、千里にも手を伸ばす。
「邪魔しないで!」
元来、千里の性格は強気なものだった。
いろいろとショックを受けてしまい精神が弱っていたが、自分を救おうとしてくれた友人の為なら、その本領を発揮する。
待てと一般人に掴まれても、探索者として活動していた千里の前では無力に等しかった。
掴んだ男性を一緒に引きずって行き、周囲を驚かせる。それだけで、集団は力尽くで去って行く千里達を追いかける事はせず、ただ見送っていた。
理解しているのだろう。
千里が腕の立つ探索者であると。
そして、その引き際もしっかりと認識しているようだった。
改めて千里は美桜を見て、「早く行こう」と言い足を進めて行った。
「ごめんなさい、千里。貴女を巻き込んでしまって……」
「気にしないで、友達を助けるのは当然じゃない。それに、あれくらいなら、どれだけいても問題ないわ」
先程までの気弱な千里の姿はいなくなり、友人の為に動く、元の優しい千里がそこにはいた。
その後、ミンスール教会からの勧誘は無くなり、代わりに権力者達が美桜を狙い出した。




