奈落72(オリエルタ2)
掟に従い、己の手で我が子を捨てた。
我が子に対して愛情は無いのかと問われたら、もちろんあると答えるだろう。しかし、アーカイブで過去の出来事を見た以上、この行動に迷いは無かった。
いや、これも言い訳だろう。
小さな我が子を憎んでいた。
この時のオリエルタは、愛するキューレが生んだ子に対する愛情と、それとは正反対の憎しみがぐるぐると渦を巻いていた。
その感情から逃れる為に、オリエルタは森に我が子を捨てたのだ。
もう会うことはないと思っていた。
我が子の泣き声を背に、翼を広げて都ユグドラシルへと帰還する。
それから直ぐに、森全体に変化が起こる。
森に張られていた聖龍の結界が変化したのだ。
聖龍の結界が形を変えてしばらくすると、結界その物が消失してしまう。
これは一大事だった。
結界の外の世界は余りにも過酷で、そこに住まうモンスター達は守護者でも勝てないような者が存在していたからだ。
ユグドラシルの要請により、オリエルタ以下の天使族の守護者が聖龍の下に向かう。
聖龍が住まう場所は、大きな湖。
時間にして一万年以上結界を維持して来た守護神でもあり、天使の創造主でもある。
偉大な聖龍が衰弱している。
衰弱しながらも湖の岩場に顔を乗せ、小さな天使の子供とか細い声で会話をしていた。
どうしてここに子供が?
その疑問は、仲間の天使により知らされる。
“ 忌児だ”
その言葉に反応したオリエルタは、即座に武器を手にする。
聖龍の前であっても、迷いは無い。
他の誰でもない、己の手で決着を付けなければならないのだから。
ーーー
殺そうとした我が子に、全てが救われた。
旅立とうとしたヒナタに縋ってしまった。
〝嫌だ! 俺は親父を探しにいくんだ! ユグドラシルなんて知らない!〟
〝……悔しいなぁ、親父だったらみんな救ってたんだろうなぁ〟
〝気にすんな、親父が来るまでの辛抱だからな!〟
多くの命が犠牲になり、まだ子供のヒナタに救いを求めたのは、他でもないオリエルタだ。
天使としての楔から解き放たれたヒナタは、世界樹への思い入れは何も無く、この地を守る理由もなかった。
マヒトの存在を告げても首を縦に振ることはなく、それならマヒトだけを連れて行けば良いと言う始末だった。
それでも、オリエルタは自身の罪を告げ、己の命を差し出す代わりに、一度で良いから救ってくれと頼んだのだ。
必死だった。
己の手で捨てた命に、救ってくれと頼むのだ。
何と情けなく愚かで滑稽な奴なんだろうと、自嘲することも出来なかった。
それでも、ヒナタは立ち上がってくれた。
いい加減断るのも面倒になり、今回だけと言いながらも動いてくれたのだ。
そして、数多くの地方都市と守護者に被害を齎したモンスターを、たったの一刀で片付けてしまった。
その姿は、かつてのキューレを彷彿とさせた。
使う力の形は違っても、放たれる力は正しく《根源を断つ力》だった。
多くの死を目撃したヒナタは、体を震わせていた。
もっと早く決断していれば、もっと早くに行動していれば、この命達は守れたのだと言われているようで、ヒナタはただ恐怖して震えていた。
そんなヒナタに、声を掛けることが出来なかった。
悔しそうに、自分よりも小さな子と親の亡骸を見て、ただ震えている子供の心を救えなかった。
アクーパーラという、神の化身のようなモンスターに狙われ、この地を去らなければならなくなった時も、あっけらかんと誰かの存在を信じて大丈夫だと頷いて見せた。
マヒトにまたなと言い、親しい者や慕ってくれる者、ヒナタに救われた者達が見送るなかで、不安にさせまいと笑顔で応えていた。
ああ、とオリエルタは思う。
どうして私はキューレのような力が無いのだろうかと。
どうしてヒナタを一人にしているのだろうかと。
己の無力さが、情けなくて仕方なかった。
キューレがこんな自分を見れば、きっと愛想を尽かしていただろう。それとも、仕方ないと諦めていただろうか。
ただ、そんな無意なことを考えて過ごしていた。
いつか本物の英雄の父がやって来て、ヒナタを救ってくれる。
そして、私も断罪される。
それが、オリエルタに出来る唯一の事だった。