奈落72(オリエルタ)
一番古い記憶は、屋根の上に乗り、この翼でもっと高く飛ぶんだと思いを巡らせている場面だった。
近くには、同年代の子供たちが元気に飛び回っており、その中にはアミニクやミューレにキューレ、更に多くの友人達がおり、毎日を楽しく過ごしていたのを覚えている。
オリエルタはそんな子供たちの中心となり、覚えたての魔法を使い様々な悪戯をしてはよく怒られていた。
幼少期のオリエルタは天才と呼ばれるほど魔法の習得が早く、この年代の代表となる守護者になると期待されていたほどの腕前だった。
しかし、その天才は幼少期のものでしかなかった。
成長するにつれ、ある者が頭角を現した。
それが、後に英雄候補と呼ばれるキューレである。
キューレは引っ込み思案な性格で、自己主張するような子供ではなかったが、全ての魔法を武技を見れば覚える真の天才だったのだ。
オリエルタはこれまで期待されていただけに、不貞腐れてキューレに強く当たるようになった。それに怒ったミューレと喧嘩になったことも数知れず、いつも大人を困らせてばかりいた。
性別を男に選択したのも、キューレと同じは嫌だと反発したのが原因だった。幼稚な思いからの選択だったが、後になってこの選択は間違いではなかったのかと悩むことになる。
最初にキューレが性別を選択すると、ミューレも同じように女性を選び、アミニクも女性を選んだ。正直、アミニクは男を選ぶのではないかと思っていたので、これは意外だったのを覚えている。
性別を選択して、大きく力を付けた子供たちは守護者となるための訓練を開始する。
基本的に職業の選択は自由なのだが、その種族としての成り立ちからほぼ全ての者達が守護者になっていた。
そうでない者も、何らかの形でユグドラシルを守る役目に着いており、無碍に扱われるようなことはない。
全ての天使が、世界樹を守るという思いを本能に刻まれており、必ず何らかの形で世界樹を守るようになっていた。
もし例外がいるとすれば、それは同族殺しをした者か、本能という楔を断ち切った者だろう。
そんなわけで、オリエルタ達も守護者になるべく訓練に励むようになる。
身体を鍛え、武技を学び、魔法を覚え、自分に合った武器を選択して更に訓練を行なっていく。過酷な訓練も中にはあるが、元々のスペックが高い天使ならば、それらを乗り切るのは難しいことではなかった。
『距離を取れ! 余裕のある者は魔法で援護を、私が前に出る!』
聖龍の森でのモンスター討伐の訓練中に、キリングマンティスという森でも上位に位置するモンスターが現れた。
未だ大人になりきれていない天使では、勝ち目は薄く次々と負傷しては戦闘不能に陥ってしまう。
そんな中でも、オリエルタは仲間達と立ち向かい、倒そうと必死になる。勿論、これは訓練であり守護者の護衛が着いているのだが、命の危険になるまで動く気はないのか、様子を眺めているだけである。
それを理解して、オリエルタはこのモンスターが今の自分達でも倒せるのだと判断する。そうでなければ、このモンスターと戦わせたりはしないだろうと考えたからだ。
その考えは正しくもあり、間違いでもあった。
必死に槍で攻撃を加え、魔法で牽制し、削っていく。
これならば、時間を掛ければ倒せるという確信を持っていたのだが、劣勢を悟ったキリングマンティスは翅を鳴らして仲間を呼んでしまう。
その行動に顔を青くするオリエルタ達。
これでモンスターの増援が来れば勝てない。
それを理解して守護者の方を見ても、腕を組んでいるだけで動こうとはしなかった。
痺れを切らしたオリエルタが抗議しようとすると、一人の天使が降り立つ。
『私がやります』
それは、金髪の天使であるキューレだった。
双子のミューレと同じ顔だが、表情は自信なさげでとても強そうには見えない。しかし、彼女が持つ力はオリエルタよりも、いや、全天使よりも遥か上をいっていた。
キューレは自身と変わらない大きさの大剣を手に取ると、キリングマンティスの首を斬り落とす。
未熟なオリエルタ達の目では追えないレベルの動き、それだけでキューレとの差を実感させられる。更に続くモンスターの増援。それさえも、ものの数分で全滅させてしまった。
オリエルタ達が、あれほど苦戦していた相手がである。
きっとこの時、キューレには勝てないと悟ってしまった。
それから何十回もの昼と夜の日々が過ぎ去り、やがてオリエルタ達も成長して守護者となる。
当初は守護者三級という階級に属されるのだが、森の外のモンスターをたった一人で、しかも複数を討伐出来るまでに実力を伸ばしていたオリエルタは、実績を認められて守護者二級から開始になる。
あの時、キューレとの実力差を見せつけられたからといって、努力を辞めたわけではない。たとえ追いつけなくても、この身を活かすことは出来るはずだと、折れることなく鍛え続けたのだ。
それは、オリエルタだけでなく、多くの天使達がそうだったのだ。おかげで、同期の天使達は例年よりも高い実力を持ち、注目されるようになっていた。
その中心にいるのはいつもキューレだが、今更嫉妬したりしない。それだけの実力差があるというのもあるが、出会う機会がなくなっているというのも大きかった。
守護者と一口に言っても、その数は膨大で五千万以上在籍している。三級の守護者は各地に配属されており、二級といえど新人のオリエルタもまた例外ではなかった。
都ユグドラシルで世界樹ユグドラシルを守護するキューレと、地方に飛ばされたオリエルタでは、出会うことすら奇跡だったのだ。
それから長い間、オリエルタは地方で勤務することになる。そこは多くの巨人族が住んでいる土地だったが、彼らは基本的に穏やかで争いを好まない傾向にあり、代わりに多くの物を作り出す技術を持っていた。
そのせいか、この地にはドワーフやホビットのような手先の器用な種族が集まっており、文明の発展に大きく寄与していた。
そのような土地で己の鍛錬を欠かさずに行い、この地に住まう住人達との交流を深めて、偶に森から入って来るモンスターを討伐する。そんな日々を過ごす。
それは決して悪いことではなく、偉大な聖龍がこの地を守ってくれているからこその平穏である。
森の外に出れば、そこは地獄が広がっているのを守護者達は知っている。だからこそ、この平穏こそ一番守らなければならないものだとも理解していた。
だから、平穏な日々に感謝しつつ、いつものように鍛錬をして帰ろうとすると、懐かしい顔がしゃがんでいるのを見つけた。
『……キューレか?』
懐かしい顔を見たせいか、思わず声を掛けてしまった。
双子のキューレとミューレの区別は、自信があるか無いかで判断していた。壁に向かってしゃがんでいる自信が無さそうな顔は、間違いなくキューレだった。
『……オリエルタ?』
振り返ったキューレの顔は、相変わらず覇気が無く自信が無さそうだった。色々な情報媒体でその顔を見てはいたが、やはり昔から変わった様子はなかった。
『久しぶりだな』
『うん、久しぶり』
『ところで、その腕にいるのはなんだ?』
キューレの腕の中を指差すオリエルタ。
その腕の中にいるのは、死にかけの犬型のモンスター。ただ、まだ子供のモンスターで、先日討伐したモンスターの生き残りなのだろう。
『……この子、助けられないかな?』
『モンスターをか? それは見過ごせない提案だ』
『……そう、だよね。ごめんね、変なこと言って』
寂しそうな顔をするキューレ。
数々の戦いを乗り越え、英雄候補と呼ばれるほど成長した天使。だが大人しく、自己主張をしない所は昔から変わっていなかった。
最強の天使であるキューレ。
そのキューレの落ち込んだ顔を見て、少しだけ心が動かされた。
『……使い魔、にする、なら良いんじゃないか』
『え? うん!』
思えば、キューレの笑顔を見たのは、この時が初めてだったかも知れない。仲間達といたときも、ミューレと行動しているのを見かけたときも、いつも不安そうに自信なさげな表情をしていた。
他全てを圧倒する力があるにも関わらずだ。
犬型のモンスターの治療を行い、餌も与える。
体が動くようになり、助けてくれたキューレに懐く……ようなことはなく、敵意を剥き出しにしていた。
幼いモンスターだが、理解しているのだ。自身の両親を殺した奴の仲間だと。
だから治療されたとしても決して懐くことはない。
更に言えば怯えていた。キューレという化け物を前にして、怯えて、必死に抗っているのだ。
『大丈夫だよ、危害は加えないから……』
まるで子供をあやすように優しく接しようとするが、モンスターが心を開いてくれることはない。
どうしようと困ったキューレは、オリエルタの顔を見て助けを求めた。
ため息を吐いたオリエルタは、子供のモンスターを掴むと持っていた捕獲用の檻を展開して中に入れる。驚いたモンスターは檻の中で暴れるが、大人のモンスターでも耐える頑丈な檻を破壊するのは不可能だった。
檻を縮小させて持ち運べる大きさにすると、ほらとキューレに手渡す。
『ありがとう』
嬉しそうに手に持つキューレだが、檻の中のモンスターは怯えている。これで使い魔に出来るのかは不明だが、最悪の場合、処分されるかも知れないなと少しだけ心配になった。
『……育てられないと思ったら、他の者に預けると良い。都ユグドラシルには優秀なブリーダーもいるからな』
『うん、そうします』
怯えるモンスターと、それを見て喜ぶキューレ。
側から見れば、虐待しているようにも見えてしまいそうな光景である。
それにしてもと、オリエルタは疑問に思う。
どうして地方のここに、英雄候補であるキューレはいるのだろうかと。
一人で行動するのはおかしな事ではないのだが、本来なら都ユグドラシルで、世界樹ユグドラシルを守護する役目のキューレがここにいるのが不思議だったのだ。
『なあ、ここには何かの任務で来たのか?』
直接たずねるオリエルタだが、その言葉にピシリと固まったキューレはギチギチと音がしそうな動作で、オリエルタに顔を向けた。
『あの、お願い! 私がここにいるの黙っていて下さい!』
そして、急に大きな念話でよく分からない要望がされてしまった。
一体何を言っているんだと訝しむオリエルタを見て、キューレは自分がここに来ている理由を語りだした。
何でもキューレは、守護者の中でも崇拝されているらしく、いつも敬われて居心地が悪いらしい。
理由はその隔絶した実力から。
守護者はその勤めの在り方から、強さを尊ぶ傾向にある。中には調和を重んじる者もいるが、アーカイブで観る外の光景と全てを破壊する神如き存在を知ってしまうと、少なからず力を重んじるようになる。
その上、キューレは天使族である。
ユグドラシルが守る土地において、天使族とは特別な存在とされている。
エルフ族を除いて、天使族というだけで憧れの対象であり、一部では救いの使者と崇拝されていた。
キューレはその天使族の中でもトップである。
同族からは尊敬され、同族以外からは神のように崇められている。唯一別の接し方をするエルフ族は、キューレを警戒して近付いても来ない。
その上、唯一対等に接してくれる双子の妹は任務で出ていて、当分戻って来ない。
寂しくなったキューレは逃げ出したのだ。
ユグドラシルを守るという責務を放棄して。
『……逃げたのか、寂しくて』
『……うん』
予想外の理由に唖然としてしまう。
責務から逃げるという発想がまずなかったのと、寂しかったという理由が理解出来なかったのだ。
だが、と考え直す。
本当に逃げているのなら、それは大問題だ。
守護者が逃げ出したとなれば、その資質が問われる。それも天使族がである。しかも、それが最高戦力であるキューレだ。この事実が広まれば、混乱は避けられない。
ここは一度怒って……いや、それは昔に散々やったな。
オリエルタは思い直して、キューレとの接し方を見直すことにした。
『キューレ』
『はい』
『お前は、昔から寂しかったのか?』
『? 子供の頃は寂しくなかった、です。みんなと遊んで楽しかったから。でも、守護者になると、みんな離れて行って、ミューちゃんくらいしかそばに居てくれなかったから……』
悲しそうに、念話に乗せた思念が萎んでいく。
まるで子供のような言い分に困ってしまうが、これなら何とかなるかも知れないと思い直した。
『任務が無いときは何しているんだ?』
『部屋にいるか、訓練してます』
『そうか、なら暇なときは遊びに来い。私も時間があるときなら、話しくらい聞いてやれる』
『オリエルタが?』
『……私じゃ力不足だろうが、何だったら女性の守護者を連れて来よう』
その返答にキューレは頭を張って否定する。
『オリエルタが良いです。これまで、ちゃんと話したことなかったから……』
そうだったかと考えるオリエルタ。
昔は悪戯ばかりして困らせており、キューレに対しても意地悪しかしていなかったのを思い出す。
成長しても、まともに会話したことなどなく、一方的にライバル認定して毛嫌いしていたのだ。
あの頃の私は幼稚だったなと反省して、キューレに話かける。
『まあ、暇潰しにはなると思う。ただ、あくまでも任務が最優先だからな』
『うん』
その表情は相変わらず自信なさげだが、何だか嬉しそうに見えた。
二人の交流が始まり、互いに絆を深め合っていくのにそう時間は掛からなかった。
これからの長い生を、共に歩んでほしいと告白したのはオリエルタからだった。
『えっ、でも、私は……』
守護者最強であり、ユグドラシルの英雄になることを期待された天使キューレ。
英雄になれば、その生は永遠に続くものへと変わり、オリエルタとは同じ時間を歩めなくなってしまう。
それはきっと、キューレにとって悲しみを残すことになるだろう。今あるすべての命が消えても、キューレはここにあり続ける。ユグドラシルを守護する英雄として。
そんな悲しみを、オリエルタはキューレに残したいのかと言うと、そうではない。
『キューレ、君が生き続ける限り、共に歩んで行く者達を育んで行きたいんだ。君を一人にしないように、君の心の支えになれるように、私が出来るのはこれしかなかった』
『えっと、あの、どういうこと?』
キューレの反応を見て、オリエルタは真っ直ぐに見つめて言う。
『君と家族を作りたい。そして、子供達が君の支えになれるように、育んで行きたいんだ』
その告白はどうなのよとキューレは思ったが、オリエルタなら仕方ないかと微笑ましくなる。
『ふふ、オリエルタって不器用だよね』
『自覚してる』
こうして二人は夫婦となり、共に歩むようになる。
キューレが崇拝の対象だというのもあり、祝福されたかというと、そうではないが、ユグドラシルの一言で沈静化したので問題ないだろう。
昼夜が何度も過ぎ、一つの世界が飲み込まれて、新たな世界に移動する。
その世界では多種族が生息しており、様々な国家が乱立する世界だった。また、特殊な技術も持っており、一時的に地上に顕現した天使がその技術を持ち帰っていた。
掌に転がる黒いガラス玉のような物。
それはスキルソウルと呼ばれており、生物の命と引き換えにして生成される恐怖の産物でもあった。
また、このスキルソウルは強い種族には使用不可能で、魔法などの特殊な能力を持たない種族にしか使用できなかった。
その理由は、魂の拒絶である。
この世界で作られるスキルソウルは、生者から魂を強制的に抽出し融合させる技術であり、魂が強靭な者ではそれを拒絶してしまうのだ。
だからこそ、魂の弱い者にしか使用できず、その使用数も限られていた。仮に必要以上に使用すれば、その魂は崩壊して消滅する。それほど、恐ろしいアイテムだった。
『今回の時間のズレはどうだ?』
『大きいですね、こちらの倍以上の早さで進んでいます』
守護者の管制室では、地上の協力者との情報交換で、時間の進み具合を観測することができる。
これまでにも進みが速いことはあり、反対に遅いというのもあった。また波がある場合もあり、その際は観測するのが困難になる。
この世界では時間の進みが早く、下手をすれば、これまでの半分の時間で飲み込まれる可能性もあった。
地上での協力者は、世界樹を信奉する組織を作り出すことが多く。目ぼしい人材を集め、いずれ来るであろう終焉の時に備えていた。
守護者の役割はユグドラシルの守護の他に、終焉を迎える世界の人材の救出にある。
今回の終焉する世界での救出に、オリエルタやキューレも参加していた。強力なモンスターを滅して多くの者達を救い、ユグドラシルの守護する地に連れ帰る。
救世の使徒、天使。
天使族が崇拝される理由はここにあった。
やがて、この世界にモンスターが溢れ、文明社会を築けなくなった頃、キューレが産気づいた。
それは突然だった。
いくら天使族でも、子を産み落とす前は安静にしておくべきなのだ。それが、キューレは自身の妊娠に気付いておらず、余りにも急な話に驚いていたくらいだ。
英雄候補の妊娠。
それは大々的に発表するべきなのだろうが、一つの世界が終わろうとしている時に、発表するのはどうかという意見があり見送られた。
結果として、それが最悪な形で功を奏する。
『……キューレが……死んだ?』
キューレの出産と世界の融合が重なり、その余波で赤子が魔力暴走を起こしたと説明を受けた。
その説明を聞いても、オリエルタはまったく理解できなかった。
あのキューレが死ぬはずないと、英雄候補で天使族最強であるキューレが死ぬはずないと、オリエルタは全力で否定したかった。
だが、突き付けられる現実は無常なものだった。
オリエルタの望んだ未来は、暗く閉ざされてしまった。