奈落65(世界樹24)改
都ユグドラシルにおいてエルフ族という種族は、天使族に続く古い種族である。
森林との親和性が高く、高い魔力と長寿という特徴を持ち、天使族の次に多くの守護者を輩出していた。
神樹であるユグドラシルを昔から崇拝しており、命令があれば、喜んで死地に赴くような狂信者共の集まりでもある。
そんなエルフ族は、昔から天使族を嫌っている。
天使族を目の上のたんこぶと思っており、いつか追い越してやろうと日々鍛錬に勤しんでいた。
ただ、嫌っているからといって、罠に嵌めようとしたり卑怯な手は使わなかった。
あくまでも、ユグドラシルを守る仲間という認識は持っており、やるなら真正面から、正々堂々とライバルとして対立していたのである。
ついでに言うと、このような態度に出るのは天使族に対してだけであり、他の種族には多少横柄なところはあれど、公平に接していた。
『それがどうして、こういうことするかね?』
空を行くオベロンは、群衆が暴動を起こして抗議しているのを見ていた。
群衆は、『オリエルタを出せ!』『真実を教えろ!』『ヒナタ様を傷付けた逆賊に死を!』『ヒナタ様を守るのだ!』と、なんとも物騒な内容を叫んでいた。
当初、これがエルフ族がやったとは考えられなかった。だが、情報発信元をたどると、エルフ族の族長であるヨクトにたどり着いた。
『オリエルタ、大人気だぞ』
『…………』
『冗談だって。それにしても、ユグドラシル様の呼び出しを無視して、やることが情報の流出なのか?』
「ブル?」
都ユグドラシルに流された情報は、オリエルタが生まれたばかりのヒナタを捨てたというもの。
これは、民衆の混乱を防ぐ為、一部の者にしか伝えられていなかった情報でもある。
それをエルフが都ユグドラシル中にバラして、混乱を招いている。
何を目的にこのようなことをしたのか、皆目検討が付かなかった。
『とにかく、行って話を聞くしかないな。あくまでも話を聞くだけだ。戦闘は無し、何かあればミューレに情報が行くようになっている。何か質問はあるか?』
『群衆はどうなさいますか?』
『そりゃ管轄外だ、他の奴らに任せよう。アミニク、妨害して来そうな奴らはいるか?』
『進路上にはいません。ですが、群衆の傍らにエルフ族の守護者が待機しているようです』
『群衆の中? 一体何が目的なんだ?』
「ヒヒン?」
あの群衆は、言ってしまえばヒナタを崇拝している者達だ。そんな中にエルフが混ざること自体、異様な光景でしかなかった。
とにかく急ごう。そう促して、オベロン達はエルフが住まう区画を目指した。
エルフの区画は、広大な森林地帯と浮島の一つが割り当てられている。聖龍の結界が健在であった頃は、一つの都市を管理していたが、大きく数を減らした今となっては、この土地の広さでも持て余すようになっていた。
『……妨害は無いな。というか、いつも通りだな』
ユグドラシルの呼び出しにも答えなかったのだから、てっきり種族全体で何か画策しているのだと思っていた。だが、エルフは普通に歩いており、子供達も笑みを浮かべて遊んでいる。いつも通りの平和な光景がそこにはあった。
だが、
『あっ天使だ‼︎』
『ヤバい⁉︎ 連れ去られる‼︎』
『なにあの羽、キモ、マジキモいんですけどー』
『ママに言い付けてやる‼︎』
子供達は、オリエルタとアミニクを指差して逃げて行った。
『徹底してんなー、エルフの教育は』
『…………』
『気にすんなって、いつも通りだろ』
『…………』
「メ〜」
そう、これはいつも通りの光景なのである。
天使族をライバル視する余り、子供達にまで影響を与えていた。大人達は良くないことだとは分かっていても、一万年近く続いて来た伝統を、今更変えられなかった。
落ち込んでないで行くぞ、そうオベロンは呼び掛けると、族長の屋敷を目指した。
族長ヨクトの棲家は、木々を傷付けず、最適なバランスで十本もの樹木に跨って建てられた屋敷である。
本来なら直接、中に乗り込んでもいいのだが、門の前にはエルフ族の守護者が守衛を務めており、そう簡単には通してくれそうもなかった。
更に、
『どうして魔人族がいる?』
エルフの守護者の近くには、肌が紫色の魔人族がいた。
魔人族の多くは、ヒナタを崇拝している。
聖龍の結界が失われ、最初に現れた災害級モンスターにより、魔人族は絶滅しかかっていた。そこをヒナタが救い出し、生き残った者達は皆、ヒナタを慕うようになったのだ。
『……オベロン様?』
魔人族の女性は、オベロンに気付きその名を呼ぶ。
オベロンも記憶をたどり、彼女の名を思い出した。
『ママリリか?』
この魔人族の女性のことは覚えている。
幼少期にヒナタに救われ、英雄と呼ばれるまでの間、共に暮らしていたのだ。
少しでもヒナタの側にいようと、守護者になる為奮闘していたが、残念ながら芽は出なかった。ママリリは、そんな健気な女性だった。
『どうしてここにいる?』
『私は、族長の付き添いでここに。目的は、エルフ族の真意を確かめる為。今は中で会談中です』
簡潔に教えてくれたママリリに、オベロンは頷く。
『分かった。中にはヨクトとララリリがいるんだな? なら俺達も行くぞ』
魔人族の族長であるララリリが、どうやってヨクトにたどり着いたのかは不明だが、今はいい。
それも中で聞けば分かることだから。
オベロンが門を通ろうとすると、エルフの守護者が立ち塞がる。
『待て、許可が無い者を通す訳にはっ⁉︎』
『あ?』
チンピラよろしく、オベロンに睨まれるだけで、エルフの守護者は動けなくなってしまう。
彼はエルフ族の守護者ではあるが、まだ歳若く、強者と呼べるほどの実力は備わっていなかった。
対してオベロンは、妖精族特有の小柄な体型だが、実力は守護者十位に位置する強者だ。その上、妖精族族長という大任も任されている。その覇気だけで、格下を黙らせるだけの力を持っていた。
そんなオベロンに意見出来るのは、同格の強さを持った者だけである。
そう、たとえばエルフ族の族長ヨクトのように。
『うちの若い者をいじめるな』
『ヨクトさん……』
『久しいな、オベロン。英雄の親まで連れて来て何用だ?』
屋敷から現れたのは、族長のヨクト。
若かりし頃は守護者をしており、序列も四位に位置していた実力者だ。上位を天使族が占める中、唯一上位に食い込んだ者でもある。
天使族を除いた多くの守護者を指導しており、オベロンもその一人だった。いい加減な性格の妖精族を、ここまで成長させたのは、ある意味偉業と言えた。
現役時代とは違い年老いてはいるが、その身に秘めた武は確かなもので、衰えを感じさせなかった。
そんな恩師でもあるヨクトに、オベロンは警戒した目を向ける。
『分かってるでしょう? どうしてユグドラシル様の命令を無視するんです?』
『……中に入れ、まとめて説明する』
何かの罠かと疑うが、ヨクトの目的が分からない以上付いて行くしかなかった。
屋敷の中には、エルフの守護者が待機しており、中には一級守護者も混ざっていた。この数に襲われたら、オベロン達は瞬く間に制圧されるだろう。
「ブル!」
そんな中でも、簀巻きにされたフウマは引き摺られながら周囲を威嚇していた。
『頼むぞフウマ……』
「ブル!」
いざとなれば、フウマの拘束を解くつもりだ。
いくら強い守護者でも、ミューレと互角に戦うフウマを相手に勝てるはずがなかった。
持ってて良かったお助けアイテムよろしく、フウマを便利に使うつもりでいた。
よく分かっていないフウマだが、まあ面倒掛けたし助けてやるか〜、的な軽い気持ちで了承したのだ。
案内された部屋に入ると、魔人族の族長ララリリが窓際に立って待っており、オベロン達を見ると深々と頭を下げた。
『やめてくれ、俺がそういうの苦手なの知っているだろう』
『そういう訳にはいかない。形式だったとしても、上位者に対して礼を尽くさなければ、秩序が乱れてしまう』
ララリリと呼ばれる魔人族の女性は、紫色の肌に豊満な肉体の持ち主である。体には種族特有の刺青を入れており、額には赤い宝石を埋めている。この赤い宝石は、族長の証でもある。
『ララリリ殿、なぜここに?』
オリエルタが尋ねると、ララリリは笑みを浮かべて返答する。
『なに、エルフが何やらきな臭い動きをしていてな。調べてみると、ヒナタ関係と言うではないか。ならば、我らが動かない訳にはいかないだろう?』
笑みの中には、ヒナタに害する者を排除してやろうという意思が見えた。
これはララリリだけでなく、魔人族の大半の者がそうなのだ。義理堅く、受けた恩は一生忘れない。それは、受けた怨みも同様である。
これが魔人族。
美しく優しい笑みの中には、一本の鋭い刃が潜んでいた。
ララリリの目がヨクトに向けられる。
『勘違いをするな、我らとて英雄をどうこうするつもりはない』
『だったら何故、ハルトにオリエルタの話をした? この話は、本来ならユグドラシル様から説明するべき事項。それは貴方だって分かっているだろう』
オベロンの問いを、ヨクトは鼻で笑う。
『英雄の育ての親、聖龍に選ばれし者、真なる英雄。……あの者は、大層な異名を持っているようだな。それだけの者が、どういう存在なのか、我らは知る必要があると思わないか?』
『それは、貴方がやるべきことではない。試すような真似をして、もしもユグドラシル様にまで被害が及んだら、どうするつもりだったんですか』
『その為に、オリエルタに向かうようにしたのだ。あの者が暴走しても、被害は一人で済むからな』
それを聞いて、オベロンは我慢ならなかった。
ヨクトは恩師である。しかし、オリエルタも大切な教え子でもある。
たとえ恩ある者でも、仲間を傷付ける者を見過ごせるほどオベロンは耄碌していない。
『ふざけるな!』
一瞬で展開された魔法陣から鎖が飛び出し、ヨクトを拘束する。
それに反応するように、屋敷にいたエルフの守護者達が動き出した。
族長を助けるべく武器を手に部屋に入り、「ブルッ」と即座に制圧された。
上から下から適度な圧力をかけられ、空中で動けなくなってしまったのだ。
『よもや、これほどの力があるとは……』
フウマの力を見て、初めてヨクトの表情が歪んだ。
『フウマ助かる。ヨクトさん、ならどうしてヒナタを捨てた話を広めたんだ? ヒナタの影響力を知っていれば、民衆の暴動が起こるのは分かっていたはずだ』
『…………』
『貴方は何がしたいんだ? ユグドラシル様に弓を引くような真似をして、謀反を起こすつもりだったのか?』
『……分かっていない、お前達は何も分かっていない』
ヨクトが魔力を高めると、拘束していた鎖が砕け散る。ヨクトは、オベロンの魔法に干渉して解除したのだ。
どれだけの時間が過ぎようと、守護者四位という実力は健在である。寧ろ、日々鍛錬は怠っておらず、その実力を伸ばしていた。
そのヨクトが感情を顕にする。
『聖龍様の結界が無くなり、どれだけの被害が出た? 民を守る為に、どれだけ戦った? ユグドラシル様を守る為に、どれほどの仲間が散って行った⁉︎ 確かに英雄がいなければ、もっと多くの犠牲者が出ていただろう。だが、だがな……多くの仲間が死んで行ったんだぞ! いきなり現れた真の英雄がなんだ‼︎ これまで戦って来た我らは無意味だったとでも言うのか⁉︎ オベロン、貴様は許せるのか⁉︎ 仲間がユグドラシル様の為に死んだ! それなのに、求められているのはあの者なんだぞ‼︎ 我らは何だ⁉︎ 時間稼ぎの道具か⁉︎ いいや違う‼︎ 我らは守護者だ! ユグドラシル様を守る唯一の者達だ‼︎ あのような者を認めてたまるか‼︎』
それは一方的な感情だった。
だが、その気持ちをオベロンは理解してしまう。
この中で、最も戦場に立っているのはオベロンだ。
先程まで隣にいた仲間が死に、引退したはずの守護者が戦場に出て散る。教え子まで消えていき、途轍もない無力感に苛まれた。
ユグドラシルがいなければ、この土地では生きて行けない。それは頭で理解しても、心まで持つわけではない。天使族を除いた守護者から、絶望して生きるのを諦める者まで出て来た。
だから、理解してしまった。
『……貴方の気持ちはよく分かる。……でもな、それはやっちゃいけないんだよ』
理解しても、ヒナタという存在に希望を見出してしまった。そして、同等の力を持つ田中ハルトという存在に縋りたかった。
ヒナタを助けてくれと、縋りたかった。
オベロンは魔力の流れを感じ取って、ヨクトから距離を取る。そして、間髪入れずに屋敷の天井部が破壊され、雷が舞い降りる。
雷は天使へと姿を変え、槍をヨクトに突き付けた。
『エルフ族族長ヨクト、貴様を拘束する』
それは守護者筆頭であるミューレだった。