奈落64(世界樹23)改
ユグドラシルーーー!!!!
叫ぶ。
この地の神である大樹の名を叫ぶ。
掌に乗った小さな核。これがリュンヌの本体であり、傷付いて力を失い、命まで尽きてしまった。
これは、俺じゃ救えない。
命が無かったら、どんなに治癒魔法を使っても助けることが出来ない。
ユグドラシルーーーーッ!!
だから叫ぶ。
助けてくれと、この地の神の名前を叫ぶ。
この地にいれば、必ず声は届くはずだ。
俺を重要な人物と認識しているのなら、この声に反応するはずだ。
『まさかリュンヌが死ぬとは……』
思っていた通り、ユグドラシルは現れてくれた。
頼む! リュンヌを助けてくれ!
俺を庇って傷を負ったんだ。
『落ち着け、話は後で聞く。今はリュンヌを救うのが先決じゃ。まったく、どうしてこういろいろと起こるのかのう……』
目頭を押さえて、疲れたような仕草をする。
お前にそんな疲れは無いだろうとツッコミたかったが、そんな空気でもないので無言を貫く。
エメラルド色の髪を靡かせたユグドラシルは、リュンヌを救うため超常の魔法を行使する。
その力は、これまで感じてきた中でも最も清らかで神聖なもので、失われた生命を救い上げる奇跡の力。
『亡くなったのがこの地で良かった。もしも別の地ならば、リュンヌは助からなかったじゃろう』
ユグドラシルは一層力を込めて魔法を使う。
思わず「おおっ」と声を漏らしてしまい、頭を下げて跪きたい欲求に駆られる。だけど、一度直視してしまうと、ユグドラシルの蘇生魔法から目を離せない。生命の根幹に関わる魔法。命ある者を虜にするような、神秘の力。
これを直視すれば、魅入られてしまうのも納得である。
リュンヌの核は、傷付けられた箇所が修復されていき輝きを増す。そこに生命力が流れ込み、リュンヌの肉体は再生されて行く。
意識は無いようだが、生きているのだと何となく理解してしまう。
ユグドラシルは眠るリュンヌに触れて、慈愛に満ちた顔をしていた。
『リュンヌはの、我を守る為にその身を変異させた守護者なのじゃ。その上、己の存在を昼の世界に限定して、力を増しておる。リュンヌのような者は他にもおっての、皆が我を守る為にとその身を捧げておるのじゃ。それもこれも、我が不甲斐ないことが原因じゃ。ヒナタもまた……』
ユグドラシルは言葉を区切ると、俺を真っ直ぐに見つめる。
『ハルトよ、お主には話しておかなければならぬことがある』
それはヒナタのことか? そう尋ねるのも憚れるような雰囲気の中で、俺は真っ直ぐに見つめ返して頷くしかなかった。
ユグドラシルが手を翳すと、リュンヌがどこかに転移される。魔力の行き先からして、別の浮島だろう。
何も無くなると、この場に椅子とテーブルが現れ、ハーブティーっぽい物が入ったカップまで現れた。
ユグドラシルが対面に座ると、俺もどっしりと椅子に腰掛ける。ソーサーとカップを手に取り、お上品に一口。
うん、抹茶。
見た目にそぐわない味わいに、飲む気にならなくてそっと遠ざける。
そんな俺の様子を見て『むっ? 気に入らなかったか? マヒトは好きな味だと申していたのだがな……』とぶつぶつと呟いていた。
もう飲み物はいいから、話ってのは?
『ふむ、そうじゃな。まずは、すまなんだ。ヒナタのことを秘密にするつもりはなかったが、結果として不本意な形で知らせてしまった』
不本意?
捨てたのは本当なんだろう?
自分で言った瞬間に、どうしようもない不快感が湧いて来る。
ヒナタを捨てたという点で言えば、このユグドラシルも同罪だ。都ユグドラシルの決まりだろうと関係ない、相応の裁きを受けさせたくなる。
『そうじゃな……事情がどうあれ、ヒナタを捨てたのは本当のことじゃ。弁解はせぬよ。それでもお主に頼みたい、どうかこの地を守る為に残ってはくれぬか⁉︎』
……は?
いきなりの懇願に困惑してしまう。
ここには、守護者というユグドラシルを守る戦力がいる。それに、ヒナタだっている。今は夜の世界に縛られているとはいえ、その問題も解消されている。あれだけの力があれば、俺がいたところでそう差は無いはずだ。
そもそも、俺にはここを守る理由が無い。
『聖龍の結界が無くなり、この地は何度も襲撃を受けておる。その度に多くの者が犠牲になり、多くの悲しみを生み出しておるのじゃ。我には戦う力も無く、皆に頼ることしか出来ぬ。守りたい者達が、この枝葉からこぼれ落ちて行く。我はそれがとても辛いのじゃ』
いや待て、俺が守るってのは置いておいて、そもそもヒナタが戻って来るんだろう?
俺とヒナタじゃ、多分だけどそう変わらないぞ。
ヒナタがデカい目玉の化け物を撃退したアマダチ。あれは、俺が使っているアマダチよりも強力に見えた。
もちろん負ける気はしないが、直接戦ったら結構僅差になると思ってる。
そんなヒナタがいるのに、俺が必要なのだろうか?
『……枝葉からこぼれ落ちる者の中に、ヒナタもおるのじゃ』
何を言っている?
『ヒナタは、全力で戦うことが出来ぬ身になっておる。アマダチという技。あれを使う度に、ヒナタ大きく消耗して行っておるのじゃ』
そりゃ、魔力を使うからな……。
『そうではない。ヒナタの身では、アマダチに耐えられぬのじゃ。このまま使い続ければ、ヒナタの体は限界を迎えてしまい、その命を燃やし尽くしてしまう……』
ヒナタが……死ぬ?
自分で呟いた言葉が受け入れられなくて、呆然としてしまう。
その話は本当なのだろうか?
信じられるか?
ユグドラシルは、俺を引き止める為に嘘を言っているんじゃないだろうな?
そんな思考に逃げながらも、かつて、ヒナタがアマダチを放った直後の様子を思い出す。
ふらふらとしており、あの頃の俺の刃が届くくらい激しく消耗していた。それだけ消耗する技なのだと思って、深くは考えていなかったが、ユグドラシルの話が本当なら納得してしまう。
……俺のせいか?
俺がヒナタにアマダチを見せたから、あいつも使うようになったのか……。
『それは違うぞ。少なくともヒナタは、ハルトに育てられたことを誇りに思っておるぞ。捨てた我らの為に戦ってくれておるのも、ハルトの背中に憧れたからだと言っておった。ヒナタはお主らに、心から感謝しておる』
……だったら、余計にやめろってんだ‼︎
感謝なんかいらねーんだよ!
命削ってまで、なんで守ってんだよ。自分のことを第一に考えろよ。
お前は、そんな奴じゃないだろう……。
悔しくて拳に力が入り、血が流れてしまう。
俺の背中? そんな大した物じゃないだろう。そんな物、目指してんじゃねーよ。
……なあユグドラシル、ヒナタはここを見捨てれるような奴か?
『それはお主がよく分かっておるじゃろう。ヒナタは最後まで戦い続けるであろう。この地には、ヒナタと親しい者が大勢おる。たとえ我やハルトが止めても、守る為に戦い続けるじゃろう』
その思念には、諦めたような悲しい感情が含まれていた。
恐らく、前に止めたことがあるのだろう。それを拒絶して、ヒナタは戦い続けている。
それはきっと、俺を真似たからだけでなく、かけがえのない何かをここに見付けたからだ。
……俺が代わりに戦えば、ヒナタはもう、戦わずにすむのか?
『断言は出来ん。じゃが、負担は減り、より長く平穏な生活が送れるはずじゃ』
そうか……。
俺がいれば、ヒナタに無理をさせなくてすむ。俺がもっと強くなれば、二度と戦わせなくてすむ。
でも、それはここに残るということでもあり、俺は地上に戻ることが出来なくなる。
父ちゃんや母ちゃん、兄ちゃんに姉ちゃん、友達とも会えなくなる。あいつらの墓参りにも行けないし……千里にも会えなくなるだろう。
それでも、俺は……。
『むっ、あやつらめ、何を考えておる?』
人が真剣に考えてるってのに、ユグドラシルは下の方を向いて何やら呟いていた。
釣られて俺も下を見ると、木の根の隙間から、道を埋め尽くすほどの民衆が集まり、何やら叫んでいるようだった。