奈落60(世界樹19)改
黒い視界が晴れると、緑の深い森の中にいた。
長いこと暮らしていたのもあり、懐かしく楽しかった思い出が幾つも蘇る。
そんな思い出が、熱くなった頭を冷やしてくれる。
ヒナタがいろいろやらかして、俺やフウマ、ト太郎が止めて説教をする。
落ち着いて来たかと思えば、今度はイタズラを覚えて、たくさんの迷惑を掛けられた。
そうこうしている間に、剣を振れるようになり、魔法を使えるようになり、勉強も俺が教えられるものなんて直ぐになくなってしまった。
優秀な子だった。少々暴力的だが優しい子に育ってくれた。きっと俺だけだとこうはならなかった。フウマにト太郎も一緒に育ててくれたから、優しい子になったんだ。ユグドラシルを見捨てられなかったのも、その優しさのせいなのかも知れない。
はあ、と思わず息を漏らす。
楽しかった日々は過ぎ去り、ト太郎は姿を隠してヒナタは英雄として戦いに身を投じている。
ユグドラシルから話を聞くに、ヒナタが戦っているのは、俺が森で戦っていた連中と同レベルの奴らだろう。
その上、それ以上の化け物ともやり合っており、逃げるだけで精一杯だった俺とは大違いだ。
まったく、自分を捨てた所なんて、さっさと見捨ててしまえばいいのに。
死角から飛んでくる闇の刃を避け、誘導された場所に展開された魔法を、魔力の波で無効化する。
『少しは落ち着きましたか? ヒナタの事情は、一部の者のみが知っています』
どうして一部なんだ? ヒナタはユグドラシルを守る英雄なんだろう?
『これが知られたら、都ユグドラシルの安寧が揺らいでしまう。それだけ、ヒナタの影響力は強くなってしまっています。ヒナタは望まなくとも、崇拝する者達が黙っていない。都ユグドラシルは混乱に陥る!』
リュンヌの焦った思念から、今のが真実だと分かる。
大袈裟な話ではなく、それだけヒナタが多くの者達に受け入れられているということなのだろう。
だったら邪魔をするな、オリエルタにけじめ付けさせれば、それで納得するだろう。
収納空間から武器を取り出しながらリュンヌに告げると、首を振って否定した。
『それは出来ません。オリエルタを許すと言ったヒナタの意思。これはあの子を見捨ててしまった私達が、守らなければならないのです』
……ちっ、これじゃ完全に悪者じゃねーか。
そう悪態を吐きながら剣を構える。
ヒナタがオリエルタを許しているというのは理解した。ミューレに続いて、リュンヌも言うのなら本当なのだろう。だが、今もあの光景を思い出してしまい、納得が出来ない。
『それでも、剣を納めてはくれませんか?』
ああ、俺にも我慢ならないことがあるからな。
頭では理解していても、感情がそれを許さない。
これが間違いで、単なる八つ当たりだったとしても、俺は止まる気はない。
元の場所に戻せ。
『今のあなたを戻すわけにはいかない‼︎』
強く決意したリュンヌの黒い瞳が開く。
それと同時に、明るい森の世界が闇に染まりリュンヌの姿を覆い隠した。
闇が広がっていき、全てを覆い尽くそうとする。
一体何がしたいんだと、魔力の波を作り出しその闇を払い除ける。しかし、その効果も一瞬しかなく再び闇に包まれてしまった。
視界はなく、音も無く、聴覚も効かない闇の世界。
こんなところに長時間いれば、精神が崩壊しそうだが、焦る必要はない。
一瞬でも無効化できるのなら、連続して無効化し続ければ良いだけの話だ。
そんな脳筋な対処法で大丈夫かと思うだろうが、何事も成せばなるである。
足をダンッと鳴らし魔力の波を作り出す。
それを連続して発生させて、その闇を全て取り除いていく。だが、それでも闇は侵食していく。光と闇のせめぎ合い、ではないが、側から見ればそういう光景が広がっているだろう。
焦った思念が闇のどこからか飛んで来る。
『くっ⁉︎ ヒナタでもここまで抵抗出来なかったというのに‼︎』
思念に残った魔力の残滓をたどると、石の槍を作り上げる。毎度お馴染みの速度上昇の魔法陣を展開して、狙いを絞り射出。
狙った場所から高速で動く気配があり、大量の魔力を使って波立たせて闇を払う。すると、闇に隠れていたリュンヌの姿が現れ、驚いた顔でこちらを見ていた。
それに一瞬で距離を詰めると、リュンヌの体を剣で貫いた。
しかし、伝わる感触は軽く、リュンヌと思われた存在は黒く変色して、どろりとコールタールのように溶け出し俺の手に纏わりついて来る。
チッと舌打ちして、足で地面にを鳴らして波立たせようとするが、トプンと足が泥に浸かったように沈んでいく。
そこから抜け出そうと踏ん張るが、もう片方の足も闇に捕らわれ動かせなくなっていた。
『無駄です。貴方は私の術中にハマっている。決して逃したりはしない!』
ったく、やり難い。
リュンヌに、俺に殺意がないから尚更だ。
あくまでも時間稼ぎ。
俺が冷静に物事を考えられるようになるまでの時間稼ぎ。
リュンヌを殺す手段はある。だが、その気の無い奴をやる気にはなれなかった。
闇の勢いが増し、魔力の波を凌駕して闇が全てを覆い隠す。
リュンヌに俺を殺す気は無い。しかし、油断すればただでは済まないだろう。
「リミットブレイク」
だったら、こっちも力を持って応えよう。
増した力でへばり付いた闇を引き剥がすと、魔法など無駄だと一際強い魔力の波を立たせた。
そして現れた光景は森の中ではなく、大きな魚が泳ぐ暗い水の中だった。
は?
理解不能な突然の状況変化に付いていけてない上、急激な圧力を受けてがはっと息を吐き出してしまう。
更に、空間把握が大きな魚が此方に迫って来ているのを感知する。魚はある程度接近すると、大口を開いて俺を捕食しようとしていた。
収納空間から土を大量に取り出すと、石の槍を作り出して掴み、空気が昇って行く方向へ発射する。
魚の口から逃れ、水上を目指して突き進む。だが、なかなか終わりが見えて来ない。その上、急激な圧力の変化に血液が沸騰しそうになるが、身体強化と治癒魔法を併用して耐えてみせる。
魔法陣を展開できたら良かったのだが、魔法陣を生身で通過したときの影響を考えると、それは出来ない。体に影響を及ぼさない魔法陣があれば良かったのだが、残念ながら俺は専門外なので、今後の発明に期待するしかない。
なんて何気にピンチながらも、水中から無事に脱出しする。
その瞬間に無数の風の刃を生み出し、剣で突き刺さんと迫るリュンヌに向かって放つ。
『反応しますか⁉︎』
驚いた表情のリュンヌは、風の刃に貫かれていく。
しかし、そのリュンヌはまたしてもその肉体が闇へと変わり、上から降り注いで来た。
そして、またしても視界が闇に染まってしまう。
これはもしかして、闇を祓い除けると、またどこか別の場所に飛ばされるのだろうか?
まったく、面倒だ。
闇の世界で周囲の気配を探っていると、彼方此方からリュンヌが姿を現した。しかも、その数は一人ではない。二人三人と増えていき、やがて百人くらいのリュンヌが双剣を携えて立っていた。
まるで、無数の私に殺されろと言っているようで、なんとも恐怖を覚えるような戦法である。まあ、それでも殺意は感じないんだがな。
このままリュンヌ百人と戦ってもいいが、時間も掛かって面倒くさそうだ。なので、魔力の波を立たせて闇を払い除けた。
魔力の波によって闇は祓われ、百人のリュンヌも姿を消す。そして次に現れた景色は、大地が溶岩で燃え上がり、火山が噴火を続ける地獄のような世界だった。
どこかで見たことあるなぁなんて感想を抱きながら、暑苦しい大地から飛び上がる。
上空から見える景色は、どこまでも燃え上がる大地が広がっており、並の生物ではまず生きていけない環境だろう。
だがそれは、並ではないモンスターならば、この環境でも生きていけるというのを意味していた。
ギュオー‼︎ という鳴き声が噴火する山々から上がり、赤い翼竜が飛び上がる。
その翼竜の姿は、昔戦ったワイバーンと似ていた。だが、決定的に違っているのは、その大きさと内包する魔力だろう。
かつて戦ったワイバーンが、まるでトカゲに見えるほどの差があり、それに比例するように飛ぶ速度も桁違いに早かった。
まあ、だからと言って焦る必要もない。
俺に狙いを定めた翼竜達に向かい、石の槍を向ける。石の槍に竜巻を纏わせ、速度上昇、貫通、分裂の魔法陣を展開する。
そのまま上へ上へと昇り、翼竜が軌道上で重なると石の槍を放つ。
チッと音が鳴り、多くの翼竜が石の槍に貫かれて落下して行く。それでも、絶命したのは数えるほどしかいないだろう。それだけ生命力が強くなければ、この環境では生きていけないのだ。
完全に倒すには止めを差す必要があるが、そこまでするつもりはない。
何故なら、ここの異物は俺だから。
彼らのテリトリーを侵したのは、俺達の方なのだ。
なあ、そうだろ?
『そうですね、彼らには可哀想なことをしました』
こうやって、いろんな所に連れて行って、観光でもしたいのか?
『それも楽しそうですけど、貴方のっ⁉︎ ……少しは冷静になったかと思っていました』
油断したところを風の刃で切断したのだが、残念ながら手応えはなかった。
切断されたリュンヌの体は、またしてもドロリと闇に変わると俺を飲み込んでしまう。
その後も、何度も闇を祓い、別の場所に飛ばされ過酷な環境に晒される。
呼吸さえもままならない極寒の世界。
毒の霧が充満する沼地。
酸素濃度が低く、重力の軽い宇宙のような場所。
大地に縛り付けられるほどの重力に襲われ、動くこと自体が過酷な世界。
様々な環境を体験させられ、リュンヌを倒す度に闇の世界に連れて来られる。
終わりが見えない。
リュンヌも魔法を使い過ぎており、かなりの魔力を消費しているはずだ。それなのに、リュンヌの動きが止まることがない。
だが、それに伴う攻撃を仕掛けて来ないから困惑してしまうのだ。
時間だけが過ぎていく。
俺の体力と魔力も消耗しているが、魔力循環を意識すればすぐに回復できる範囲でしかない。体力も蟻蜜を飲めば一発で回復するし、量も十分にある。
このまま続ければ、先に消耗するのはリュンヌの方だろう。
洞窟の中を暴れ回る六足歩行の齧歯類のモンスター。それを、地属性魔法で飲み込み押し潰そうとするが、このモンスターも地属性を持っているのか抵抗して来る。
なので、地属性魔法を解除して飛び出した所を、威力を細く凝縮した竜巻で貫いて始末する。
『こうも簡単に突破されると、自信を失いますね』
いつまで続けるつもりだ?
いくらやっても無駄だ。俺達は、ここを突破してあの森にたどり着いたんだよ。今更放り出されたところで、何も変わんねーよ。
洞窟内に現れたリュンヌは首を振って否定する。憂いを含んだ表情は、洞窟内という状況を鑑みても、とても絵になる姿だった。
だが、俺の問いに答える気がないのか、剣を握り再び切り掛かってくる。
これまでは即座に倒していたが、今回は剣で斬り結ぶ。
この剣は残念ながら特別な物ではない。
デーモンが使っていた武器の一つだ。魔力を込めれば、炎が宿り攻撃力を増すことが出来るが、言ってしまえばそれだけである。アマダチはもちろん、全力で振るっても壊れる恐れがあった。
ただリュンヌと剣を合わせる。
『まだ、考えは変わりませんか?』
何度言われてもな、変えられない思いってのはあるんだよ。あのクソ野郎を斬り刻まないとなぁ、俺の気が収まらないんだよ!
胸元に拳を繰り出し、リュンヌの装備を破壊する。その衝撃でリュンヌは離れて行くが、ダメージは大して受けていないようだった。
『くっ⁉︎ 私の剣では貴方に届かない』
苛立ったリュンヌは、剣を構え静かに魔力を高めて行く。それは、余りにも暴力的で荒々しく、全てを喰らい尽くしそうな凶暴性を見た。
しかし、それだけの魔力を操りながら、ミューレは再び剣を構える。
『貴方からすれば拙い剣技かも知れません。しかしこれは、長い時をかけて積み上げた私の剣技です』
リュンヌの剣は決して悪くはない。
長い時と言うだけあり、それなりの重みを感じる。
隙もなく、縦横無尽に動きながら振るう剣は大したものだと思う。
だが、その動きも幼少期のヒナタに毛の生えたレベル。
『だから、私は手段を絞る必要があったんです。正攻法で勝てないのなら、搦め手で。たとえ卑怯と言われようと、私はこの手段を選んだんです』
どういう意味だと問おうとすると、リュンヌは踊り掛かってくる。その動きに反応して、俺は咄嗟に剣で貫いてしまった。
リュンヌと目が合う。
黒髪の天使がニヤリと笑うと、ドロリと溶けて再び視界が闇に染まった。