奈落56(世界樹15)改
「……ブル」
置いて行かれた。
主人の隣にいたのに、ナチュラルにスルーされた。
え? と隣を見た時には、すでに主人の姿は無くなっていた。代わりに、気不味そうにしているユグドラシルとオリエルタの姿があった。
『……うむ、フウマここにおっても良いぞ』
「ブルル」
申し訳なさそうしているユグドラシルの申し出を拒否する。
『オリエルタ、ハルトの下にフウマを送ってやってくれぬか』
「ブルル」
それも必要ないと拒絶する。
今のフウマは、あからさまに不機嫌になっていた。
別に、いつも主人と一緒にいたいわけではない。
しばらく漫画が読めなくて不機嫌になっているわけではない。
ここに来て、自分の扱いが悪くなってね? と疑問に思い機嫌を悪くしているのだ。
「ブル」
もう行く。そう言い残すと、不貞腐れて部屋から出て行った。
「……ブル」
扉を開けた先は廊下、かと思ったら緑が広がっていた。
なんや森か? と思ったら足下には長く太い枝が伸びており、その上をトコトコと歩いて行く。
しばらく歩いていると、つるんと足を滑らせてしまい、真っ逆さまに落ちて行く。
それで、ここがどこか理解した。
ここは神樹ユグドラシルの枝。
先程までいたのは、ユグドラシルのウロなのだろう。ウロを改修して、一つの部屋にしたのだ。
「ヒヒン」
なんて手間の掛かることを。
下にある巨大な神殿を見ながらそう思った。
風を起こしてふわっと神殿の前に着地する。
さあ、どっか行くかと歩き出そうとすると、神殿内で何やら騒ぎが起きているようだった。
野次馬根性が出たわけではない。ただ、ほんの少しだけ興味が湧いただけだ。
開かれた神殿の扉から、そっと中を覗くと、
『殺してくれ‼︎ 俺を殺してくれ‼︎』
そこには、必死に懇願するハイオークの守護者の姿があった。
自害しようとするハイオークは、先程ハルトに襲い掛かったベントガである。
『落ち着け! 勝手に死ぬな! 沙汰はユグドラシル様が決めるんだよ! ここで死んだら、ハルトの考えも分からなくなるだろうが!』
それを必死に止めているのは、オベロン含めた数名の守護者達。
なんか、面白そう。とか最低なことを思ったが、巻き込まれたら面倒そうなので離れることにした。
『あっ……』
「ブル……」
しかし、オベロンと目が合ってしまい、動きを止めてしまう。
これがいけなかった。
『フウマ助けてくれ! こっち来て説得してくれ!』
「ブルル」(いやや)
なんでそんな面倒なことせなあかんねん。そう思っての拒絶したのだが、フウマの声はオベロンには届かない。
『助かる! ハルトの仲間ならベントガも聞くはずだ』
「ヒヒーン⁉︎」
フウマは悲しみの声を上げた。
別に無視して行っても良かった。でも、期待したオベロン達の目を無視することは出来なかった。
「……ブル」
仕方ないなあと神殿の中に入ると、一部の種族の守護者が残っているだけだった。
最も多かった天使族の姿は無く、なんとも寂しい光景に見えた。
んで、何があったんだと顎をクイッとして促すと説明してくれた。
ベントガは、守護者の中で最も直情的で、とても家族思いの愛すべきバカだった。
それだけを聞くと、何故か主人の顔が思い浮かぶが、それは今は関係無い。
昨日、獣人区での一件が終わると、ベントガの娘が暴行を受けたと連絡があった。
可愛い娘が重傷を負い、心に大きな傷を負ってしまったという。
美しい娘だった。
優しい娘だった。
他者を敬う心を持ち、尊敬される娘だった。
その証拠に、娘の周りには常にハイオークが集まっており、親衛隊っぽい物が出来上がっていた。
ベントガに取って、目に入れても痛くないほど可愛い自慢の娘だった。
それが、傷付けられた。
許してなるものか。
怒り狂ったベントガは、暴行を加えた者を探す。
撮られた映像を解析して、誰が娘を傷付けたのかは判明した。しかし、それがどこの誰かが分からなかった。
守護者が取り扱うデータベースには、都ユグドラシルに住まう住人の顔が全て登録されているのに、まったくヒットしなかったのだ。
おかしい。
犯人が誰か分からないというのは、まずあり得ないのだ。
この地は神樹ユグドラシルにより管理されており、生まれた子供は全て登録されている。それは、どんな者でも例外はなかった。
農業用プラントで働く者達に聞いても、最近入ったというだけで、それ以上のことを誰も話さなかった。
ただ、尋ねた時の表情が、とても清々しいものだったのが印象的だったという。
何の情報も得られずイライラしていると、族長のハイオークから呼び出しがあった。何でも、英雄ヒナタの育ての親が現れたらしく、迎える為に集まれというのだ。
この知らせに驚き、ベントガは急いで向かう。
娘のことも大切だが、英雄ヒナタの育ての親と聞いて、そちらを優先してしまった。
決して娘を蔑ろにしているわけではない。
ただ、ベントガにとって英雄ヒナタは、命の恩人であり、憧れの存在であり、崇拝すべき対象だった。
だからこそ、育ての親という存在に会ってみたかった。
会って感謝の言葉を伝えたかった。
あなたがいなければ、英雄ヒナタはいなかったと。
あなたが育てなければ、英雄ヒナタに俺は救われなかったと。
あなたでなければ、都ユグドラシルは存在しなかったと感謝の言葉を伝えたかった。
偉大な聖龍様に、感謝を伝えたかったのだ。
そう、ベントガは話を途中から聞いておらず、てっきり聖龍が現れると思ってしまったのだ。
これには、一般に出回っているヒナタの生い立ちの話とも関係していた。
聖龍に見出されて、英雄になるべく育てられる。
これが、公然の事実として広まっているせいで、ベントガは聖龍=育ての親と思ったのである。
期待を胸に、友人である獣人の守護者ガンドと共に登場を待っていた。
しかし、そこに現れたのは、先日獣人区に出現したよく分からない存在だった。
『……おい、あいつはミューレ様に討伐されたんじゃないのか?』
「フンーッ!」
ガンドの疑問に鼻息で答えるベントガ。
最高戦力の守護者に連れて行かれたのに、平然とした姿でステップを踏むように登場した。
もしや、こいつが聖龍なのだろうか?
そう考えると、そう見えて来るから不思議だ。
圧倒的な強者。見た目を擬態していると思えば、あの間抜けな姿も納得出来る。
だから、あれが聖龍様かと頷いて見せた。
一人納得するベントガに、ガンドはどうかしたのか? と問うが、ただ頷くだけだった。
しかし、その頷きも直ぐに止まる。
次に顔を覗かせた奴に、見覚えがあったからだ。
『あいつはっ⁉︎』
『ベントガ? おい、何やってるベントガ⁉︎』
ガンドの制止を振り切って、大きく跳躍。
武器を展開しながら、憎っくき奴の前に降り立った。
そいつは、まるでオークのような弛んだ肉体をしており、とても同族のハイオークには見えなかった。
こいつが、この醜い肉体を持った奴が、娘のピアリンスを傷物にした。
許してなるものか‼︎
『おのれ‼︎ ハイオークの面汚しめ‼︎ よくも我が娘を傷物にしてくれたな‼︎ その命で償えーっ‼︎』
ゴー‼︎ と雄叫びを上げ、巨大な棍棒を振り下ろす。確実に当たるコースで、今更避けようとしても無駄だと力を更に込める。
これを食らって、無傷でいるのは守護者筆頭でも不可能。
憎っくき相手が、トマトのように爆ける姿を幻視する。
しかし、そうはならなかった。
パチンと小さく鳴ると、棍棒が破壊されて木っ端微塵になる。
何かの力が迫って来るのを感じ取るが、視認出来ない。
そして、その不可視の力が己の命を奪うと理解してしまった。
視界が暗転する。
一瞬死んだのかと思ったが、拘束された体を見てまだ生きていると理解する。しかし、拘束する力が増していき、ベントガは絞め落とされてしまった。
次に目を覚ましたとき、周りにはハイオークの族長と守護者達が取り囲んだ状態だった。
『おっ、目覚めたか』
『……俺は、どうなったんだ?』
気さくに話しかけてくれるオベロンに尋ねる。
すると、ニカッと笑顔で教えてくれた。
『リュンヌに拘束されて気絶させられた。自分が何をやったか覚えているか?』
『ん? 当たり前だ! あいつを殺さないと、俺の気がすまない‼︎』
『ああ、分かってないのは分かった。ベントガ、族長から話を聞いていなかったのか?』
『話しってなんだ?』
オベロンはハイオークの族長を見ると、しっかり説明したと答えた。
つまり、ベントガが聞いていなかっただけの話なのだ。
『お前が襲ったのは、お前が敬愛するヒナタの育ての親だ』
ベントガが英雄ヒナタを崇拝しているのは、周知の事実だった。
そして、同じように崇拝する者は多い。
それはもう大いに責められた。
何をやっているんだと、英雄の育ての親になんてことをしてくれたんだと、とことん責め立てた。
『俺を殺してくれー‼︎』
その結果、自害しようとしていた。
言っておくが責められたから、ベントガは自害しようとしているのではない。
命の恩人の育ての親に、攻撃しようとした己が許せなかっただけだ。
というのを聞いて、フウマは即座に行動する。
「グガッ⁉︎」
風を操り、ベントガの上から強烈な圧力を掛けて、もう一度昏倒させたのだ。
「ヒヒーン!」
一丁上がり! と気前よく嗎声く。
暴れて危険なら、気を失わせたら良い。
とても簡単なことだった。
『そうじゃないんだよなー……』
何とも言えないと、天井を仰ぐ面々。
説得してくれと頼んだのに、まさかの実力行使。
それで解決出来るなら、オベロン達だってやっていた。それをしなかったのは、田中ハルトがベントガの攻撃など気にしていないと知って欲しかったからだ。
沙汰はユグドラシルが決めるとは言ったが、ほぼ間違いなく無罪になる。
ハルトは気にしていなかったし、ユグドラシルがそれを望まないだろう。
だから、無駄死にして欲しくなかった。
きっと起きたらまた暴れ出す。
もっと言うと、フウマに攻撃されたことを、ハルトの敵認定されたと思う可能性もある。
まあ、そんな頭は無いと思うが、万が一そうなったらとても面倒くさそうだった。
皆がお互いに見合う。
誰になすり付けてやろうかと、狙っているのだ。
そして、その視線のほとんどはオベロンに向いていた。次点でガンドだが、オベロンの半分もいない。
『……お前ら、俺が第一級守護者なの忘れてないか?』
『オベロン様、今ここで、それは関係ないんですよ……』
緊張が走る。
一触即発ではないが、どうやって逃げ出そうかと即座に思考を巡らせたのである。
しかし、その思考も無駄になった。
『そこで何をやっておられるのですか?』
それもこれも、予期せぬ乱入者のおかげである。
『おお、オリエルタ良いところに来たな』
こういうのは、まったく別の奴に任せる方がいい。
ここにいる奴らでは、ベントガを説得出来なかったのだ。だからこそ、血縁ではヒナタの父であるオリエルタは最適といえた。
それからオベロンは軽く説明すると、
『じゃあ、あとは頼むな』
そう言い残して、他の者達は神殿を後にした。
残っているのはオリエルタとベントガ、そしてフウマとオベロンである。
オベロンが残っているのは、やっぱり見捨てられなかったからである。過去にベントガの面倒を見たこともあり、馬鹿は馬鹿なりに可愛いと思ってしまっているのだ。
だからしゃーないと、最後まで付き合うことにしたのである。
『……とりあえず、ユグドラシル様の下に連れて行くか』
オベロンの言葉に、オリエルタは頷いてベントガを持ち上げようとする。しかし、突然風が吹き、小さな渦がベントガを持ち上げた。
「ブル」
手伝うよ、とフウマは申し出る。
ベントガの気を失わせた時の反応で、やっちまったな〜と失敗を悟っていたのだ。
自分でやってしまったから、まあここは仕方ないと諦めて、ユグドラシルの所まで運ぶ。
『……感謝します』
そのことを知らないオリエルタは、微笑みを浮かべて感謝する。
そして、この者達がいたから、ヒナタは育ったのだなと寂しく思ってしまった。