奈落45(世界樹④)
都ユグドラシルに夜が訪れてから幾らか時間が過ぎた。
窓から覗く下界の光景は光に溢れており、建築物と浮島を繋ぐパスはまるで血管のようにも見えた。
まるでこの都自体が生物のようだと、青髪の天使であるオリエルタは感想を持った。
そんな都ユグドラシルを守護する為、オリエルタは次の業務に向かう。守護者準一級という位を持つオリエルタは、有数の実力者であり、職務に忠実で規則を守り多忙な日々を送っていた。
そんなオリエルタが、ある人物から呼び止められる。
『これはこれは、英雄のお父上ではありませんか。毎日のお仕事、お疲れ様です』
揶揄いの言葉を投げかけられ、足を止めて振り返ると、一匹の妖精が空中に浮かんでふんぞり返っていた。
先の言葉と態度が合っていないが、それはいつもの事なので、オリエルタは指摘したりしない。
『お戯を、オベロン様』
オリエルタは深々と頭を下げて、ふんぞり返った妖精族に敬意を示す。
その様子を見た妖精のオベロンは、つまらなそうに鼻を鳴らした。
『フンッ、つまんね。もっと怒って殴り掛かって良いんだぞ』
『それは出来ません。評議員の方に手を上げるなど、この場では許されていませんから』
『それって、ここじゃなきゃやってやるぞって、言っているようなもんだぞ』
『言葉の綾です。お許しください』
『……あの反抗的なガキが、こうも変わるとはな』
『昔の話ですから』
『やっぱり、つまんね』
何を言っても態度を変えないオリエルタに興味を失ったオベロンは、これで話は終わりと道を引き返して行く。
その小さな背中を見送り、手に力を込める。
英雄の父。
そう呼ばれるようになったのは、聖龍の結界が無くなり少ししてからだった。
これまで強力なモンスターの侵入を防いでいた結界が無くなり、初めてこの地に、世界樹ユグドラシルを殺せる災害級の強力なモンスターが来訪した。
それを撃退する為に、多くの守護者が立ち向かい散って行く。有効なダメージを与えられず、無為に羽虫のように始末されていく守護者達。
そんな絶望的な状況のなかで、突然黒い翼の子供が現れ、一撃で倒してしまったのだ。
圧倒的な力を持つ少年。
あれは誰だと話題になると、世界樹ユグドラシルから発表があった。
だが、その内容は歪んだものになっていたのだ。
かつての英雄候補の落とし子であり、今は亡き聖龍の元で育てられていた選ばれた子だと報じられたのだ。
それは間違っていないのだが、同族殺しの情報は一切報じられず、少年のこれまでの境遇も正確には伝えられなかった。
その内容が報じられ、オリエルタの立場は一変する。
英雄を産んだ父として、持ち上げられたのである。
勿論、それはオリエルタの良しとする所ではない。寧ろ、そう言われる度に、悔しさと後悔に苛まれていた。
悔しさは、事情を知る者からの同情から。
やっかみではなく、同情である。
同族殺しをした者は、即刻処置される。それは不変であり、今なお実行されている絶対的なルールだ。それを実行までしたオリエルタを責める者は一部のみで、その後の子供の活躍を想像できないと、ただただ同情されたのである。
それならばいっそ、オベロンのように揶揄ってもらった方が良かった。お前は馬鹿な判断をしたのだと指摘してくれた方が、よほど楽になれたのだ。
しかし、先ほど揶揄したオベロンでさえ、その事情を理解して敢えて揶揄っているに過ぎない。つまり、オリエルタは同情されているのである。
それがどうしようもなく悔しかった。
後悔は、聖龍との約束を守れなかった事にある。
〝無理強いするな〟その言葉を守りたかった。
天使の創造主であり、偉大な龍の遺言を守りたかったのだが、凶悪なモンスターを前にして、あの子に縋るしかなかったのだ。
多くの守護者が殺され、このままでは世界樹を守れないと思い、縋ってしまったのは他でもないオリエルタだった。
手放した子に縋るしかなかった。殺そうとした子供に縋るしかなかった。聖龍との約束を破ってまで縋るしかなかった。
そうしなければ、世界樹は守れなかったのだから。
握る手に力が籠る。
自分に、彼女ほどの力があればと、どれほど思っただろう。
そうすれば、あの子にこれ以上……。
オリエルタは再び前を向いて歩いて行く。
下らない妄想をする暇はないのだ。
これまでのモンスターの襲撃により、多くの守護者を失っている。
幾ら、英雄がいるからと、直ぐに助けてくれる訳ではない。
守護者の人員が減るというのは、それだけ世界樹の守りが薄くなるのという事だ。なので、人員の補充を急務で行わなければならなかった。
訓練は順調にいっているが、目ぼしい者は居ない。
戦える者は多くいても、森の外のモンスターと戦える程の強者まで育てるには、時間が必要になる。
次の襲撃に英雄の到着まで耐えられるのか、それさえも未知数である。
焦る気持ちを抑えて、オリエルタは廊下を進んでいく。
『あーオリエルタ。すまんが、部下を連れて来てくれないか?』
そんな焦る気持ちなど知ったことかと、先ほど去って行ったオベロンが気まずそうに戻って来ていた。
『場所は第一階層、獣人地区第二訓練場で間違いないですか?』
オリエルタと他三名の天使とオベロンは、浮島の岸壁から地上を見下ろして位置を確認していた。
どうしてこのような事をしているのかというと、妖精族からオベロンに連絡が入ったらしく、強力なモンスターが都ユグドラシルに入り込んでいるというのだ。
その話を聞いたとき、オリエルタは訝しんだ。
モンスターが侵入しているなら、少なからず被害が出ており、その情報は各地に散らばったゴーレムにより齎されるからだ。なので訝しんだのだが、その事を知っているのはオベロンも同じだった。
それに気になる事もある。
妖精族は、この地にいる種族の中で、最も他者の能力を測るのに長けている。
その妖精族が言うのであれば、僅かながらでも可能性はあった。
『うーん……合っているそうだ。じゃあ行こう』
耳に付いた機器を操り、下にいる妖精族と連絡を取っているようである。
入り込んだモンスターの居場所はすでに把握しており、あとは守護者達で討伐して終わりになる。
天使四名と妖精一匹は、浮島から飛び降り、目的地まで一直線に降下する。
他の空飛ぶ種族からも見やすいように、白い光を灯しており、それは守護者のみが許される色でもあった。
四つの線が浮島より走り、第一層の森に比較的近く獣人が多く暮らす地区、その中の第二訓練場へと向かった。
到着すると、翼を広げて減速し着地する。
訓練場では主に獣人の少年少女が武器を手に模擬戦をしており、訓練に励んでいるようだった。
オリエルタ達が着地した位置は訓練場の中心で、突然の守護者の来訪に驚き、少年少女達は動きを止めてしまう。
『……守護者だ』
最初に反応したのは犬の獣人であるロックだった。
それから一斉に騒めき出す。
都ユグドラシルにおいて、守護者とは憧れの存在である。
この地の要であり、神にも等しい存在である世界樹に仕え守護する者。
その大半を天使が役割を担っているが、別に他の種族が成れない訳でもない。
『妖精族の守護者、オベロン様までいる』
『うん、英雄のお父様もいるよ』
黒猫の獣人クロエが呟き、それに続くように白猫の獣人のシャリーが答えた。
守護者には多くの者が在籍しているが、その中でも有名なのが英雄の父であるオリエルタ。それに続く形で、妖精族唯一の守護者であるオベロンも知られている。
他にも有名な守護者はいるが、その内の二名の登場に模擬戦を行っていた少年少女達は、何かのサプライズかと期待に胸を膨らませる。
しかし、それとは逆の反応を示したのはママリリだ。
『どうしてここに守護者が……』
守護者は、憧れの存在ではあるが、その役割には都ユグドラシルの治安維持も含まれている。
そして、今ここに降り立つ理由を、ママリリは一つしか思い浮かばなかった。
そっと横目で、檻の中で寝そべっている太った何かを見る。
そこには横になるどころか、仰向けになり、だらしなく口を開いている豚の姿があった。
「ニュ?」
ママリリは、その豚の蹄にある模様を見る。
それは六角の形をしており、どこかで見た覚えがあるものだった。ただ、それが何処か思い出せない。六角など、どこにでもある模様ではあるが、誰かの体に同じ物を見た気がするのだ。
どこだったっけと考えて、その答えを思い出していると、オベロンが檻の方を指差して呟いた。
『ああ、こりゃやべーわ』
オベロンは強い。
評議会は各種族の代表者一名と、世界樹ユグドラシルを守護する守護者上位三十名の一級守護者で構成されている。その中でもオベロンは、代表者と一級守護者の枠を一人で確保している。
どの種族も一級守護者を一名出すのなら、別に代表者を一名参加させて発言力を高めようとするのだが、根っこからの面倒くさがりの妖精族は、面倒だからオベロン一人でいいんじゃねと押し付けたのである。
そんな面倒ごとを押し付けられたオベロンは、怒りのままに戦いまくり、実力を付けていった。
魔法は勿論、小さい体を活かした高速での接近戦は守護者でも上位に入る強さである。
そのオベロンがやべーと評した者は、不遜にもその場に佇んでおり、顎に手を当て何か考え事をしてた。
その様子は、まるでこちらの事など眼中にないような振る舞いだった。
見た目は普通の魔人族。
背中に蝙蝠の翼が生え、豊満な体に母性溢れる顔立ち。それなりに実力があるのは分かるが、守護者と比べると数段落ちる実力しか感じ取れない。
『オベロン様、本当にあいつが、ですか?』
『マジでやべー奴だ。今まで襲撃して来た奴らと遜色ない』
『まさかっ!?』
『ガチだ、応援を呼べ。大人しくしてくれるなら、それに越した事はないが……』
嘘だと思いたかったが、オベロンの反応を見るに、それは望み薄だろう。
オリエルタは天使の一人に応援を呼ぶよう指示を出し、もう一人に、この訓練場に居る獣人達の避難を始めるよう指示を出す。
指示を聞いた一人は守護者部隊に連絡を入れ、即刻人員を集めるように伝える。
そして、もう一人は獣人達の避難誘導を開始した。
その行動に驚いたのか、対象はこちらを振り向いた。そして、こちらに向かって駆け出して来たのである。
まるで敵意を発していない対象だが、こちらを敵とも認識していないなら、それも仕方ないのだろう。
檻の中で、のんびりと伸びをしている豚を羨ましく思う。
『オベロン様、オリエルタ、援護をお願いします』
この場に残された天使は、オリエルタと年若い天使の一人。
その若い天使は、腰にある棒を手に取り魔力を流して剣へと展開すると、即座に構えて動き出す。
『あ?おい!?』
翼を広げ、突撃する若い天使を見て驚くオベロン。
その向かう先を見て、こいつは対象を勘違いしているというのに気付く。
手を伸ばして静止させたいが、天使の動きが早く止められない。魔法で止めようにも、その猶予もない。
オリエルタも焦り動き出すが、仕掛けた以上、やるしかないと腹を括る。
瞬く間に距離を詰める天使は、剣を全力で首目掛けて振り下ろした。
「ニュ!?」
突然の強襲に驚き固まるママリリ。
ママリリは子供達の戦闘訓練を面倒見るだけあり、それなりに実力はあるが、守護者の攻撃を避けられる程ではない。
鋭い刃が当たれば、碌に抵抗も出来ずにその首は跳ぶだろう。
『ーー馬鹿な!?』
しかし、その剣は途中で止められてしまう。
剣は弾力性のある空気の膜のような物に止められ、天使の体も前に進めないように、同様の空気の膜で拘束されていた。
ママリリは剣と迫る天使を見て、固まっていた。
守護者である天使が降り立ち、子供達を誘導を始めたので、やはりこれが原因かと邪魔にならないよう移動しようとしたのだ。だが、そこを強襲されてしまった。
強襲したのは、世界樹を守る守護者だ。
どうして自分がと考えている間に、刃が迫っていた。
手を上げて、命をコンマ数秒の時間稼ごうとするが、それは無意味でしかない。
意味も分からず、終わりを拒絶するように目を瞑る。
戦いにおいて、目を逸らすのは死でしかないのは理解している。しかし、ここまでの実力差があれば、それも意味を成さない。
目を閉じて固まっていると、強襲して来た天使から驚きの声が上がる。
その声に恐る恐る目を開けると、何か見えない物に囚われている若い天使の姿があった。
『オリエルタ! そっちじゃない!』
『っ!?』
大きな念話が辺りに響き、すぐ側で動きを止める気配がある。
隣を見ると、英雄の父として有名なオリエルタがおり、翼を大きく広げて急停止していた。
その顔は焦った様子で、オベロンに視線を向けていた。
『じゃあ、何処に!?』
『檻だ!檻の中にいる奴だ!』
『まさかっ!?』
オリエルタは驚いて檻の中を見るが、それらしき者が居ない。
殆どの使い魔は隅の方に寄っており、唯一だらけた生き物が寝ているだけで、その中に脅威と思える存在が見当たらなかった。
『攻撃するなよ、こいつから敵対する意思は感じない。ただ、彼女を守る為に魔法を使っただけだ』
『……オベロン様、私にはどれが脅威なのか、分かりかねます』
正直に答えるオリエルタは、檻の中を何度も目を走らせるが、見つけられない。若い天使も、止められていた魔法が解除されて、檻の中を眺めるが、何処にもそれらしい者を見つけられなかった。
『そいつだよ、そいつ』
オベロンが指す方向には、だらけ切った生物がおり、まるでこちらを気にした様子がない。
ある意味、強者の余裕のように感じ取れる態度ではあるが、やはり何度見ても、その姿に脅威を感じ取れなかった。
それどころか、親近感さえ湧いていた。
じっと見ていると、その生物もこちらに気付いたようで、何だよと見つめ返して来る。
初めて見るはずなのに、何処かで出会った既視感を覚える。
それは、若い天使も同じようで、何処か惹きつけられていた。
これは何だと困惑していると、目の前を獣人の少女が通り過ぎる。
その少女は白猫の獣人で、先程まで訓練をしていたのか所々汚れていた。
白猫の獣人であるシャリーは、檻を徐に開くと、帰るよと言ってその生物を連れ出した。
「メ〜」
『ここ危ないみたいだから、早く避難しないといけないんだよ』
まるで空気を読まないシャリーは、謎の生物を引っ張り一緒に避難しようとする。引っ張られた謎の生物は、悲しみの泣き声を上げながらも、抵抗せずに後に着いて行く。
トコトコと歩いていく姿は、まるで人畜無害の生物のようで、やはりオベロンの話を信じる事は出来なかった。
『おおーい!? お嬢ちゃん、そいつから離れろ!つーか、どういう関係だ!?』
絶叫するオベロン。
その生物から敵対するような意思は感じないが、側にいるのも危険過ぎる。シャリー程度での力では、とてもではないが抵抗すら出来ない。
『ええと、ペットです』
『ペット!? 嘘つくな、そいつをペットに出来る訳ないだろうがっ!』
力を感じ取るのに優れた妖精族。
その長であるオベロンから見た謎の生物は、正に化け物と呼んで良いほどの力を秘めていた。
触れてはいけない、刺激してはいけない、討伐するならば英雄を呼ばなければならない。それほど危険なモンスターにしか見えないのだ。
だから焦る。余計な事をしないでくれと願うのだが、天使含めて、不用意な行動が多過ぎる。
しかも、天使達は警戒していない。
強さを感じ取れないのは理解出来なくもないが、それでも、その身から溢れる質の違う魔力を感じ取れば理解出来るはずだ。
それなのに、反応は芳しくない。
未だに、オベロンの言葉を疑っている気配さえある。
和やかな雰囲気の中で、一人だけ焦っているような場違い感。
これが、この謎の生物の攻撃手段なのかも知れない。
強力なモンスターには、理解不能なほど特殊な能力を保有した者もいる。ならば、この地に着いた瞬間から、意思を歪められている可能性すらある。
『くっ、とにかくそのリードを離して避難しろ。そいつは危険だ』
『え?』
そう言うのが精一杯だった。
もしもこの謎の生物が動き出せば、最初に犠牲になるのは最も近くに居る獣人の少女だ。
残念ながらオベロンには、この化け物から少女を助けるだけの力はなかった。いや、オベロンに限らず、誰も助けられないと断言できた。
困惑した少女の目は、オベロンと謎の生物を行ったり来たりしている。
ペットというからには、それなりに愛着はあるのだろう、踏ん切りが付かない様子だ。
そんな緊張感か、よく分からない空気のなかで新たな守護者がこの地に降り立つ。
その守護者の着地音は凄まじく、かなりの重量が落下したのだと察する事が出来る。
『よりによって、あいつか!』
面倒な奴の登場に、オベロンは悪態を吐く。
状況がどうなるか分からない以上、好戦的な奴は避けて欲しかった。
『おうおう、ちっさいオベロンよう、そいつが危険な奴なのか!?』
訓練場の地面を砕き現れたのは、大きな肉体を持つハイオークの守護者だった。
ーーー
守護者
世界樹ユグドラシルを守護するための組織。序列は一級〜三級まであり、一級のみ準一級が存在する。守護者一級は百名おり、序列はユグドラシルの判断で決められている。また、一級守護者の上位三名はユグドラシルを凌ぐ実力を持っている。
ーーー