幕間23(聖龍⑦)
聖龍に齎された記憶は、田中が去った後、ヒナタは世界樹から来た天使に連れて行かれ、同族殺しという罪を着せられ、守護者としての地位を強制されるというものだった。
その後、襲う数々の強敵から仲間と共に世界樹を守り、田中が訪れる前に、若くして死んでいく。そんな呆気ない最後を迎えるのが、ヒナタの運命だった。
世界樹を守る結界が無くなり、役目を終えた聖龍は長剣へと姿を変えてヒナタに使われる。それ自体に間違いはないのだが、他は改竄されたものだった。
『聖龍様!?』
世界樹から送られた使者が、空より降り立つ。
その数は記憶にあるものよりも多く、もっと言えば先頭にいる者が女性から男性に変わっていた。
世界樹の守護者である天使が、実に十人も降り立ち、聖龍の元へと駆け付ける。
「キュッ!?」
何だお前らは!と警戒するヒナタは、即座に立ち上がり、腰にある剣を引き抜いて威嚇する。
『どうしてここに子供が……いや、それよりも聖龍様、ご無事ですか!?』
『……』
『聖龍様?』
寿命が終わりへと向かい、体にも力が入らず、反応するのも億劫になっていた。それに加えて、考えていた。今の状況と記憶の違いに、ようやく疑問を持ったのだ。
『……オリエルタ』
『どうした?』
武装した天使の一人が、この隊を指揮している男に向かって呼び掛ける。その声音は深刻そうでもあり、戸惑っているようにも感じる。
その天使の一人が、ヒナタを指差して口を開いた。
『こいつ、忌児だ』
『なに?』
オリエルタと呼ばれた天使の男は動きを止めて、聖龍からヒナタへと顔を動かす。
天使が言う忌児とは、所謂、同族殺しを行った子供のことを差している。そして、直近でそれが起こったことはなく。最も新しいものならば、オリエルタの子供が魔力暴走を起こした事故しかなかった。
『まさか……』
驚愕に染まったオリエルタは、ヒナタの顔を見て言葉に詰まる。
似ている。
愛した者の面影があり、そうとしか考えられなかった。
オリエルタは掛けていたゴーグルを上げ、もう一度、ヒナタの顔をじっくりと見る。
そして確信したのか、腰にある短い棒を手に取り、魔力を流して一本の槍へと変え、刃先をヒナタへと向けた。
『おい!?』
『止めるな! これは俺の責任ぐっ!?』
「キュッ!?」
『オリエルタ!?』
突然、槍を向けられて、速攻で攻撃を仕掛けたのは教育の賜物だろうか。
ヒナタの最初の剣は受け止められるが、そこからの連撃と光の魔法を受けきれずに、オリエルタは大きく後退させられてしまう。
高性能のプロテクターのおかげで、負傷せずに済んでいるが、同じ条件で戦えば、今の攻防で決着はついていた。
『おのれっ!?』
『待てオリエルタ!同族殺しの罪を被るつもりか!?』
『そうだ!』
『貴様!?』
『分かったら、そこをどけ』
この隊を取り仕切るのはオリエルタだ。
それは、ここにいる天使の中でも、最も腕が立つという意味でもある。しかし、だからといって止められない訳ではない。
世界樹を守護する部隊には、軍隊のような厳しい決まりはない。部隊を組織していても、各人の意思で行動することが多いのだ。だから、仲間を堕とさない為に、天使は動く。
『どけっ! 私はそいつを……』
『それを許すはずがないだろう。生きているのなら、然るべき場所で決めるべきだ』
『だがっ!』
『だがではない。我らは、そんな事をしに来た訳ではないのだぞ』
「きゅ?」
置いてけぼりにされたヒナタは、こいつらやっちゃっていいんだろうかと、暴力で解決しようとしているのも教育の賜物だろう。
全ては暴力で解決する。
そう教えられた訳ではないが、背中で語った馬鹿がいるのだ。
つまり、悪いのはぜんぶ田中である。
ヒナタに罪はない。
『おい!?』
仕掛けようか、どうしようかなと迷っていると、また別の天使から声が上がる。
今度は何だと皆がそちらを見ると、そこには世樹マヒトを指差している天使がいた。いや、正確には世樹マヒトが持つ杖を指していたのだ。
『この感じ……まさか、世界樹様の枝か?』
『間違いない、なぜこの者が持っている?』
世界樹の枝とは、世界樹が信頼した者、取り込みたい者に渡す枝である。それを持った者は、世界が滅亡したとしても、世界樹の元へと避難できる効果を持つ。
その枝を持つ者は、多くはない。
守護者の上位者も世界樹の枝を持っているが、それの効果はまた違っている。
『保護しろ! この者を世界樹様の元へ連れて行くのだ!』
オリエルタの指示の元、動き出す天使達。
しかし、それを許さない者がいる。
「キュラッ!」『止めろ!』
天使達が使う念話を学び、即座に使い熟すヒナタ。
口を動かせば、キュルが基準である天使にとって、念話の技術は必須である。
これは田中が教えることの出来なかった技術であり、ヒナタはようやく他者との交流手段を学んだ。
そのヒナタが剣を手に、天使達の前に立ち塞がる。
小さな体だが、その身に宿した力は母親譲りであり、その技術は育ての親譲りである。
剣を一度振り、魔力を辺りに放出し正眼に構える。
何度も何度も見てきた、憧れた姿。
田中は魔力を放出するような事はしていないが、そう見えるほど、その身から溢れる魔力は圧倒的だったのだ。
『くっ!?』
『何という圧力っ!?』
『これでまだ子供だと…!?』
ただの演出ではあるが、ヒナタの膨大な魔力とその操作能力に圧倒される天使達。
確かに、ヒナタの実力は雌雄を決めておらず、同年齢の天使からすると隔絶したものではある。だが、実際の実力はオリエルタと変わらない程度しかない。
つまり、多勢に無勢で圧倒されてしまう。
「キュハー!?」『卑怯だぞ!?』
天使達に取り押さえられ、タイマンでやれと宣うヒナタ。
しかし、どこぞの人間辞めた反則野郎と違い、火事場の馬鹿力でどうにか出来ることはなかった。
『今のうちだ、早くその者を連れて行け』
「キュオー!」
畜生と叫ぶヒナタは、最後は地面に倒されて捕縛されてしまう。
このままでは、ヒナタもマヒト同様、世界樹の元へ連れていかれる。そうなれば、ヒナタは記憶で見た未来を迎える事になるだろう。
本当にそれでいいのか?
聖龍は自問する。
あの男ならどうするだろう、ヒナタを死地に送り、見殺しにした者達を許すだろうか。
考えるまでもない。
田中ならば、大切な子供を殺した者達を決して許したりはしない。
当然、そのなかには世界樹も含まれる。
それでは、これまでの苦労が無駄になってしまうだろう。
いや、言い訳はやめよう。
聖龍自身が嫌なのだ。
ヒナタを死地に送り込むことに、我慢ならないのだ。
世樹マヒトは二名の天使に連れていかれる。
思えば、この者が現れた時点で記憶を疑うべきだった。
田中や天津平次と違い、世樹マヒトはこの時代に生きる者だ。
その者の介入があったにも関わらず、記憶にはその情報が一切ない。
歴史が変わったのかとも考えてもみたが、それよりも簡単な方法がある。
それは、記憶を改竄して届けることだった。
「……グァ」
『聖龍様?』
こんな簡単な事にも気付かなかったのかと自嘲する。
それだけ追い詰められていたというのもあるが、記憶を改竄してまでヒナタを守りたいと思ったのかと、以前の聖龍では考えられない行動に驚く。
これまで世界樹との約束の為に動いていたというのに、死に際になって己を通そうとするとは……。
『やめよ、その者を離せ』
『聖龍様、何を……』
これまで動かなかった聖龍が言葉を発して、固まる天使達。
天使にとって聖龍とは絶対的な存在である。
力を与えた上位者であり、見方によっては創造主と呼んでも差し支えない。
だから、聖龍の言葉に逆らえる天使は存在せず、ヒナタを押さえつけていた天使は、ただその言葉に従い解放するしかなかった。
突然喋り出した聖龍に驚いているのは、ヒナタも同じだ。ゆっくりと立ち上がり、トボトボと聖龍の元へ歩いて行くと、その大きな顔に触れた。
『……ト太郎?』
『無事か?』
『ト太郎?』
『どうした?』
『お前、喋れたんか!?』
「グアッ!?」
そこでそれかいと、どこか的外れな会話は田中譲りなのだろう。
これは、育ての親の責任だ。
つまり、田中が悪い。
気を取り直して、聖龍はヒナタと向き合う。
力もそれほど残ってはおらず、終わりも近いのだ。
それまでに、ヒナタに真実を伝え、これからどうしたいのかを問わなければならない。
『ヒナタ、あの男は戻って来ない』
「キュ?」
『お前の親父は、もう戻って来ない』
『……なんで?』
小さく震え出す小さな体。
声も震えており、もしかしたら薄々気付いていたのかも知れない。
この子は、決して馬鹿ではない。
田中の影響は受けていても、とても賢い子だ。
『あの男は、私の目的の為に、先の世界より呼び寄せた者だ。その役目を終えた今、もうこの地に留めておくことは出来なかった』
『じゃあ、また呼び出してよ!』
『無理だ。私には、その力はもう、残されていない』
『そんな……』
真実を告げられて、震えながらキュルルルと大粒の涙を流して泣き出す。
出来るなら、気の済むまで泣かせてやりたいが、その時間も残されていない。
『聞け、ヒナタ。お前は決めなければならない』
「キュルル、キュルル」
『もう一度、会いたくはないのか?』
「キュ?」
その言葉は、悲しくて話を聞く余裕のないヒナタを正気に戻した。
泣くのをやめて、ヒナタは聖龍を見る。
その目は真っ直ぐにヒナタを見ており、何かを決めさせようとする意思を感じた。
『ヒナタ、お前には二つ選択肢がある』
『選択肢?』
『一つが、そこの者達と故郷に戻り、世界樹を守護する任につくこと』
『世界樹?』
初めて聞く単語に、よく分からないといった反応をする。
ヒナタの生活は聖龍の結界内で完結しており、それ以外は田中の話か漫画でしか知らないのだ。
天使の中では常識だとしても、ヒナタにとっては知らない世界である。
『こいつは!?』
話を聞いていたオリエルタは、ヒナタが世界樹を知らなかった事に怒りを覚える。しかし、仲間に遮られてそれ以上の行動は抑えられた。
その様子をチラリと見たヒナタは、再び聖龍を見て尋ねる。
『世界樹ってなに?』
『ヒナタの故郷を守る大樹のことだ。お前たち種族は、昔から世界樹を守護する任に就いている』
その話を聞いて、ふーんといった様子で興味がなさそうにしている。
聖龍は、まあそうだろうなと納得して、次に進む。
『もう一つが、この地を捨てて外の世界へ行く事だ』
「キュ?」
親父が必死に探していた外の世界。
あれだけ探し回っても、森から出られなかったのに、聖龍から告げられた言葉はその方法を知っていたようだった。
『行けるの?』
『ああ。そこで、あの男が現れるのを待ち、探せ。それがもう一つの選択肢だ』
『ト太郎も一緒に?』
『私は行けない。もう直ぐ、この肉体は朽ちるからな』
「キュ!?」
『聞けヒナタ。私が死ぬとき、お前に剣を託す。それを持って好きにしろ。ヒナタ、お前は自由だ』
『ここで待ってちゃダメ?』
『止めておけ。お前が行動しなくては、あの男はこの地に現れない』
『そんな……』
困惑するヒナタ。
まだ幼い子供に、決断させるのは酷なのかも知れない。だが、行動しなくてはならない。
世界樹を守る道を選べば、待っているのは死だ。
だが、外に飛び出しても、無事に生き残れる保証もない。
田中がどのような形で、剣を手にしたのか分からない。
記憶にあるのは、地に落ちた剣を手にする姿だが、それも、もう信用できない。
少しでも、ヒナタが生き残れるように、もう一度、田中と出会えるようにと、ただそれだけを願うしかなかった。
『……僕は』
ヒナタは決断したのか、真っ直ぐに聖龍を見て口を開く。
そこに、またしても記憶にない者が現れる。
「なんだよ、変なのが集まってら」
邪悪で薄汚れた男が、腰蓑ひとつで森から現れた。