幕間23(聖龍⑥)
「すまんが、ここに住まわせてくれないか?」
湖から顔を出して岩場に乗せていると、田中ハルトと名乗った男が、そうお願いして来た。
腹には若干大きくなった赤ん坊がおり、目をぱっちりと開いてじっと見て来る。
同族殺しを行い、森に捨てられた赤子だが、この子に堕天の様子はない。
自我の無い状態での行いであり、事故だったので、堕ちるような事はなかったのかも知れない。
「キュア!!」
魔力の砲弾が放たれ、聖龍の頭部を殴打する。
「おい!?こらっ!!」
お願いされているのに、暴力を受けるとは思わなかった。
それでも、効くような威力ではなく、大したものではない。所詮は、この赤ん坊の生理現象のようなものでしかなく、悪意も善意も何もないものだ。
そんなことに、一々目くじらを立てるはずもない。
「キュア!キュア!キュア!キュッ!?」
「こらっ! すまんすまん、最近、元気よすぎて困ってるんだ」
大丈夫、聖龍は温厚な生物だ。
この程度で怒ることはない。
枕にしていた岩が壊れてしまったが、作り直せば良いだけだ。大した問題ではない。ただ、お前はもっと早く止めろよとは思わないでもない。
「グア」(好きにすると良い)
「そうか、助かる。この子の親が迎えに来るまでになるが、よろしく頼む」
念話が使えない環境で、田中に聖龍の言葉は理解できていないはずだ。
それなのに、何故か聖龍の意思を理解している。
いや、そもそも理解しているのではなく、自分の良いように受け取っているだけなのかも知れない。
こいつは結構やばいかもなとも不安になった。
それから、田中は棲家であろう家を建て始める。
しかし、建築は苦手なようで聖龍が手伝う事になる。だが、聖龍が作れる物は、かつての世界にあった物くらいで、世界樹の元にあるような建築物は建てられなかった。
「お、おお〜、凄いな、お前」
完成した屋敷を見て驚いていたが、この程度で喜んでくれるなら容易いものだ。
他にも生活に必要な物を作ってやり、生活の基盤を整える手伝いをする。
この森に閉じ込めた聖龍なりの誠意の表し方だったが、その事実を知らない田中は、素直に喜んでいた。
可能な限り、田中の要望に応えてやろう。
関係のない事情に、勝手に巻き込んでしまった、せめてものお詫びの気持ちだった。
いずれなるだろう己が、田中の手によって振るわれる。
「ふっ、はっ! ふっ、はっ!」
「キュ! キュ! キュ〜」
その隣で、また大きくなった子供が真似をして短剣を振っている。最後は体勢を崩して転んでしまうが、小さい体でよく動けるものだと感心してしまう。
それもこれも、彼女の才覚を受け継いだからだろう。
一目見て気が付いたが、この子にも彼女程ではないが、根源を打ち砕く力が備わっている。
だからこそ選んだのだが、この子の姿を見ると、己がやる行いに虫唾が走る。
「……グル」
嫌悪という感情を、己に持つとはと思わず唸ってしまう。
聖龍は知らず知らずのうちに、この生活に馴染んでいた。
「待てヒナタ!服ぐらい着ろ!」
「キュイ!」
「フウマ、捕まえてくれ!」
「ヒヒーン!?」
小さい子供が翼を羽ばたかせて、屋敷から飛び出して来る。
風呂上がりのようで、全裸で全身がずぶ濡れの格好だ。
最近、一人で飛べるようになった子供は、暇があれば飛ぼうとするのだ。
それを阻止するのは簡単な事なのに、子供を傷付けるかもと躊躇して、田中達は力をセーブしていた。
その様子を見て、仕方ないなと息を吹きかけて屋敷の中へと戻してやる。
「キュ!?」
「助かった! ありがとな、ト太郎!」
裸の子供を捕まえて、屋敷に戻っていく田中。
最初は子供の親が迎えに来るまでと言っていたが、もう迎えは来ないと気付いているのか、しっかりと面倒を見るようになっていた。
何とも微笑ましい光景に、聖龍は少しだけ後悔し始めていた。
田中達を見ているのが、とても楽しいと感じ、心地よくなっていたのだ。
いずれ別れるというのに、こんな感情を持つまでになっていた。
田中は結界に捕らえていた者達を、順調に倒していく。
アマダチと名付けられた必殺の刃は、その者の根源を破壊する恐ろしい力だ。
たとえ、神と謳われた者達でも滅ぼせる、反則級の力でもある。
「うーん、まだまだだな」
訓練をしているのか、大粒の汗を流して反則の刃を長剣に宿していく。
聖龍の加護でその力を補助しているが、それでも扱いは難しいらしく、途中から力が抜けていっている。
その様子をじっと見ているのは、聖龍の頭の上で毛布に包まっている天使の子供だ。
何かを必死に学ぼうとする瞳。
まだ幼く、あれが何なのか理解していないだろうが、何かを掴もうともがいている。
「……キュ」
幼い掌から光の魔法が溢れ出し、聖龍の頭部を殴打した。
「うおっ!? 何だよ、どうした?」
大丈夫、聖龍は光属性に殊更強い耐性を持っている。
だからノーダメージだ。少し驚きはしても、大した問題ではない。
子供のやった事に、いちいち目くじらを立てる筈もない。
「グオ……」
気にするなと、田中に返事をして再び元の位置に戻る。
ただ、そうだなと前置きして、お前は椅子にでも腰掛けていようかと、聖龍は頭から子供をどかした。
かなりの速度で成長する田中。
それに比例するように、結界に捕らえた者達の数が減っていく。
それはとても喜ばしく、奇跡のような出来事であり、少し前までは諦めていたのが嘘のような状況だった。
だが、その快進撃も一度止める必要がある。
来たのだ来客が、田中をこの森に連れて来るために、必要な存在が。
互いの認識に齟齬が出るようにしたのは聖龍自身だ。
名前を黙らせ、必要以上の情報を漏らさないように制約を課す。
それでも、田中は疑問に思っていたようだが、こちらを見るだけで、それ以上何かを語って来る事はなかった。
ナナシと呼ばれる男は、どこか田中と似たような雰囲気を持っていた。
残念ながら、田中のように隔絶した力は持っていないが、底抜けに明るく、周囲を元気づけてくれる気の良い男だった。
そんな男が加わり、賑やかになった森での生活に、思わず笑みが溢れそうになる。
力を失って初めて、対等な存在が現れた聖龍は、世界樹がいたときと同じくらいに満たされていた。
剣を持ったナナシを、天津平次を元の時代へ戻し、再び二人と二体での生活が始まる。
天津平次は剣に導かれ、世界樹の元へ行き、現世へと戻るだろう。
そこで彼は望みを叶える。
それが巡り巡って、田中が探索者として活動するのに手助けとなるだろう。たとえそれが、天津平次の望みとは離れるものだったとしても、そう実行されてしまう。
それが、彼が望んだものを得る代償だから。
そして、代償を払う事になったのは、聖龍も同じだった。
この生活の居心地が良く、時間を引き延ばしにしてしまった。
少しくらいなら良いだろうと、長いこと引き留め過ぎた。
その影響から、二つのイレギュラーが発生する。
齎された記憶にない出来事が起こったのだ。
一つは、田中による力の侵食である。
田中にとって超常の存在の魔力を取り込み、力が一気に増したのだ。
田中が強くなる。
それ自体は喜ばしいことなのだが、その行いは田中という存在が変質する事に繋がる。
今のところ変わりはないようだが、今後、どのような変化をもたらすか分からない。
聖龍と同等の存在になるのか、はたまた別の何かか。
まあ、そのおかげで、聖龍の寿命がまた縮んだが、誤差の範囲だろう。
それともう一つ。
「恐太郎さん、よろしくお願いします」
田中にナナシ二号と名付けられた優男、世樹マヒトの存在である。
本来なら、この場にいるはずのない者。
何故なら、聖龍は世樹マヒトを招待していないからだ。
この地は隔離されており、結界を張っている聖龍の許可がなければ、立ち入る事も出る事も許されない。
それなのに、この地にマヒトは来た。
何者かの介入を警戒するが、この男から何かを感じ取ることが出来なかった。
悪意も、表も裏もなく、目的の為に必死に強くなろうとするだけの男。
そんな男に、いつまでも警戒する気にもならなかった。
穏やかな日常が過ぎていく。
もう少し、もう少しと微睡みのような時間が過ぎていき、ついに限界が来た。
本来なら、一体づつ出現させたかった者達だが、もう、その力も残されていなかった。
「あとで話聞かせてもらうからな!」
聖龍を指差して怒っている田中は、召喚獣のフウマに乗り空に飛び上がる。
「ヒナタ、ト太郎、二号、行ってくる」
そして、かつての聖龍に匹敵する速度で飛んで行った。
「キュ〜」
ヒナタと名付けられた子供は、父親の背中を見て興奮していた。
田中は知っているだろうか?
この子が田中のことを〝親父”と呼んでいることを。
田中は気付いているだろうか?
既に親子と呼んでいい絆が出来ていることを。
「グア……」
すまないと聖龍は呟き、湖の上空で姿を消す田中とフウマを見送る事しか出来なかった。
聖龍は、まだ存在が確定していない田中を呼び寄せる為に、特殊な結界を張り、活動する場所を限定して、田中をこの森に縛り付けていた。
その特殊な結界を維持するのに、必要なエネルギーとして使用されていたのが聖龍の命である。
その命が尽きれば、結界が解かれるのも自然の流れだった。
世界樹を守護する為に張った結界。
それに捕らえた者達。
その者達を全て倒し切った田中は、その役目を終え、聖龍の寿命の限界と共に、元の時間軸へと戻ってしまった。
「キュ?」
ヒナタは、親父の姿が消えて首を傾げている。
ヒナタにとって、父親が見えない速度で移動するのは珍しい事ではなく、また何処かに行ってしまったのだろうと思っていた。
直ぐに帰って来るだろうと、空を眺めていると、黒い物体が落下して湖に落ちる。
田中のアマダチに斬られ、その存在が消滅し掛かった者である。そう時間も掛からずに消滅するだろう、ただの残り滓。
ヒナタは、あの壮絶な一太刀を見て、自分もああなりたいと思っていた。
そんな憧れの親父を待ち、周囲をキョロキョロと見渡すヒナタ。早く戻って来ないかと、じっと待ち続ける。
二号と呼ばれている男は、未だに意識は戻らず、ト太郎にも元気がない。それもこれも、親父が戻って来れば何とかしてくれる。
だから待っていようと、ト太郎に寄り添ってちょこんと座った。
この子の未来を思うと、これからの行動に疑問を持つ。
聖龍の長過ぎる時間からすれば、ほんの一瞬に過ぎない時間ではあるが、田中に限らずヒナタにも情が湧いていた。
本当にこれで良いのかと、自問自答する。
ヒナタはこれから先、地獄のような戦いに身を投じる。
結界に捕らえていた者達と同等の存在から、この森を守り続けるのだ。
繋ぎの子。
田中がこの地に愛着を持たせるための繋ぎの子。
田中が現れるまで、世界樹を守る繋ぎの子。
この純白の翼を、己と仲間の血で染めながら戦い続ける繋ぎの子。
その記憶を見せられて、今だけは安らぎの時間を過ごしてほしいと、最大限に尽力した。
少しでも大切な時間を過ごせるようにと、限界まで田中を引き止めたのも、己の為でもあるが、ヒナタの事を思っての行動でもあった。
もう少しすれば、森の結界が消えたのに気付いた世界樹から、使者が送られて来るだろう。
ヒナタはその者達に連れて行かれて、責任を負わされる事になる。
世界樹を守る者としての責任を。
本当にそれでいいのだろうか。
この子を、力があるからと送り出していいのだろうか。
聖龍が望んだことだが、本当にそれでいいのだろうか。
「キュ?」
長い首を動かしてヒナタをじっと見ていると、首を傾げて不思議そうにしている。
聖龍の体を摩り、元気になったのかと問いかけて来る優しいこの子を、死地に追いやっていいのだろうか。
それを、田中は許すだろうか。
聖龍のミスは、結構ある。
ひとつは情に絆されて、予定を超えて田中を留めてしまった事。
次に、イレギュラーである世樹マヒトの存在を考えなかった事。
三つ目が、聖龍が絶対者であった頃の責任を忘れていた事。
最後に、齎された記憶を信じてしまった事だ。
記憶を疑うべきだった。
そうすれば、聖龍は田中やヒナタとの交流も程々にして、情を抱くことはなかっただろう。
そうすれば、ヒナタを運命の名の下、戦場に送り出せた。
そうさせないように、改竄した記憶を齎したのは聖龍ではあるが、まさか己が己を騙そうとするとは想像も付かないだろう。
だからこそ、聖龍は判断を狂わせた。
そして、ようやくその記憶に疑問を持ち始めた。