幕間23(聖龍④)
世界樹と呼ばれた大樹が倒れていく。
真ん中に大きな穴を開けられて上半分が倒れ、根元を焼き払われ大地との繋がりを断たれた。
『世界樹!?』
ウロボロスの追撃を行っていた聖龍が、世界樹の倒れる音を聞いて我に返る。
限界を当に超えている聖龍の動きは遅く、早く世界樹の元に向かおうとするが、フラフラと飛ぶ事しかできず、直ぐに駆け付けることが出来なかった。
そして、聖龍が辿り着くと、世界樹が根を張っていた場所に、世界樹の化身が立っていた。
その化身の前には若木が二本植っており、まるで聖龍の帰りを待っているようだった。
『……世界樹?』
『ごめんなさい、失敗しちゃったみたい』
困ったように微笑む世界樹の化身。
その体からは先程までの力は感じられず、それがどういう事なのかを嫌でも理解させられる。
聖龍は不滅の存在だ。
数十万年毎に体を作り変え、永遠に生きる存在だ。その聖龍の一部を使い、生み出された世界樹。ならば、聖龍と同じ不滅の存在かというとそうではない。
世界樹とは、あくまでも聖龍の劣化版でしかないのだ。
人造的に生み出された神である世界樹に、不滅性は備わっておらず、その身を砕かれれば、その存在も消滅する。
それを理解していた世界樹は子供を残す。
自分自身のコピーではあるが、今の世界樹の記憶を受け継ぐ訳ではなかった。つまりは、まったくの別物である。
世界樹の前に降り立った聖龍は、その姿を見て何も発せずに、食い縛るしかなかった。
『聖龍……』
『……なんだ』
『この子達をよろしくね』
『……ああ』
『ごめんなさい、転生を手伝って上げられなくて』
『……ああ』
『生き残った子達と仲良くしてね』
『……ああ』
『ええっと、あと何か言い残したことあったかしら?』
『世界樹』
『なに?』
『守ってやれなくて、すまなかった』
終わりの近い世界樹に、せめてもの謝罪の言葉を口にする。その事が余程珍しかったのか、世界樹はキョトンとして微笑んだ。
『ふふ、貴方でもそんな顔するのね。 ……ねえ、聖龍』
『ああ』
『私ね毎日楽しかったわ。生まれて直ぐは大変だったけど、聖龍がいてくれて、世界には美しい物が広がっていて、それを見ているのがとても楽しかったの』
『……』
『それもこれも、楽しい思いは全部貴方のおかげ。だから謝らないで。聖龍がいなければ、私も存在してなかった。楽しいと思う事も出来なかった。だから……』
『……世界樹?』
『ありがとう、聖龍』
『ああ』
『元気でね』
『ああっ!』
世界樹の気配が消える。
その化身である女性の姿も、光の粒子となって消えてしまった。
そして、肉体が限界に達したのは聖龍も同じだった。
『かはっ!?』
体内から力が漏れ出し、地面に倒れてしまう。
もう聖龍自身にも、時間が残されていない。
世界樹の意思を継ぐであろう若木を託されたが、それを守れるだけの力は、もう残されていなかった。
だから、聖龍もまた誰かに託すしかなかった。
「聖龍様!?」
森の奥から現れたのは、共に戦った彼らだった。
世界樹の向こう側へ飛ばしたが、無事な様子で、その姿に怪我などの目立った外傷はない。
もう彼らに頼るしかなかった。
どれほど早く転生を果たせたとしても、数十年の歳月は必要になる。そして、そのときの姿は、これまでと比べものにならない程の弱者へと成り下がるだろう。
それが想像出来たからこそ、なりふり構っていられなかった。
『お前達に、力を授ける』
彼らの種族の半数は鬼人族だが、それ以外はバラバラな種族で構成されている。
これを行えば、彼らを区別する界は無くなり、その種族特有の個性も消えてしまうだろう。
「聖龍様……一体なにを?」
『聞け、私にも時間がない』
狼狽する彼らを押し留め、自分の我儘を押し付ける。
もう、余裕が、猶予がない。
もう、これしか手はなかった。
若木が成長する可能性も、彼らが生き残る可能性も、この手段しかなかった。
『そこにある世界樹の若木を守れ、それが、お前たちの使命だ。そして、その力を授ける』
転生に使う力の一部を使い、彼らに力を与える。
聖龍が力を込めた光の玉が、この場にいる者達に宿る。
与えられた力は武具としての能力ではなく、生物の根幹に関わる部分。彼らという面影を残しながら、その肉体をより強力なものへと作り変えていく。
より戦いに特化したものに作り変えられる肉体は、強度を増し、魔力の最大量も増え、あらゆる魔法を使えるようになる。更に空中でも戦えるようにと、純白の翼を与えられた。
天使。
聖なる龍より遣わされた、世界樹を守護する種族。
彼らは強制的に、その種族へと作り変えられてしまった。
それでも、彼らに反抗する者はいなかった。何故なら、この変化は拒否しようと思えば出来たからだ。
彼らは望んだのだ。
この地で生きれる力を、もう奪われない力を。
その手段があるのなら、この程度の変化は受け入れた。
だから、聖龍から齎された光の玉を受け入れたのだ。
そして、聖龍から受け取ったものはそれだけではない。
光の玉には、これから聖龍が行う事や、いずれ来るであろう脅威に備えよという情報が込められていた。
……光の玉には、他にも思いを込められた。
だが、これだけは己の口から言わなければならなかった。
『……お前達の家族を守ってやれなくて、すまなかった』
「……」
無言の彼らは、俯き悔しそうにしている。
それは、聖龍や世界樹に対する恨みからではない、己の無力さが悔しかったのだ。
力が無いから棲家を失った。
弱いから仲間を守れなかった。
弱者だから家族が死んでしまった。
だから、強くなりたいと願った。
「……私達は、貴方様の意思を引き継ぎ、必ずや世界樹様をお守りします」
強くなりたいと思いながらも、それでも、天上の力を持つ者達には敵わないと知っている。聖龍から力を授かっても、決して届かないと知っているのだ。
だから、縋るしかない。
天上の力を持ち、我らを守護してくれる存在に。
それがどうしようもない現実であり、この世界で生き残る手段だから。
『頼んだ。 あとは、この子、たち、に』
最後に若木に力を与えようとして、視界が曇り何も見えなくなってしまう。
ああ、もう保たない。そう悟り、二本の若木に力を送り、結界と転生の準備に入る。
結界に使う触媒は己の体。
範囲はこの森全て。
効果は、ウロボロスのような存在から森の存在を隠蔽する事と、世界樹の命に届く者を止めること。
期間は聖龍が生まれ変わり、その命を終えるまで。
これだけの時間があれば、若木も成長して身を守れるようになるだろう。
そして彼らも、その子孫に意思を継がせ守護者として、今よりも強力な存在になるだろう。
そう信じて、聖龍は己の体を糧に、森を守る魔法を使った。
あれから、どれ程の時間が経っただろうか。
気が付けば水の中におり、目を開けると多くの小魚が泳ぐ姿が見えた。
コポリと口から空気が漏れ、水面に向かって上昇していく。辺りを見回せば、そこには以前使っていた体があり、肉は無くなり骨だけになっていた。
転生した己の体を見ると、首が長くなっており、肉体は何故か二足歩行の生物の物と類似していた。尻尾は健在なのだが、三対あった翼は無くなり、どこからどう見ても龍と呼べない姿になってしまった。
そして、この身に宿る力も弱体化しており、とてもウロボロスのような存在とは戦えない。
やれる事といえば、触媒である肉体を使い、森を探り結界を操るくらいだ。
転生を急いだとはいえ、ここまで弱くなっているとは思わなかった。ウロボロスとの戦いで無茶したのもあるだろうが、彼らや世界樹に力を分け与えたのも関係しているだろう。
聖龍は水中を進み、朽ちたかつての肉体に触れる。
『まさかっ!?』
あれからどうなったのか、確認するために触れたのだが、最初に飛び込んできた情報が衝撃的なものだった。
世界樹の若木の一本が、亡霊に取り憑かれてモンスター化し、結界により隔離されていたのだ。
直ぐにでも結界を解除して救いたいと思うが、今の聖龍にはその力が無いと理解してしまい、手を止めてしまう。
『くっ!?』
彼らは何をしていたのだ!
そう怒りが湧いてきそうになるが、彼らが早々に世界樹を見捨てるとは思えなかった。何か事情があるのかと、改めて取り憑いた亡霊を調べてみると、救えなかった彼らの家族の成れの果ての集合体だった。
そして、もうひとつ。
『……馬鹿なことをしおって』
亡霊に取り憑かれたのは、世界樹の若木の意思によるものだった。彼らの無念を少しでも晴らす為に、その身を差し出したのだ。
何故そんなことをしたのだと叱りたいが、元の世界樹が聞けば『私も同じことしたわね』とあっけらかんと言いそうで、親に似たのだと諦めるしかなかった。
まさか最初に閉じ込められたのが、守ると誓った若木の一本とは思わず、溜息が出る。
それから、残ったもう一本の若木を調べると、こちらは順調に成長していた。
周囲には、世界樹の守護を任せた天使達がおり、新たな命を授かっているようだった。
その様子を見て安心するが、少しだけ様子が違った。
彼らには雌雄があったはずだ。それなのに、彼らの子供にはそれが無い。
もしかしたら、力を分け与えた影響で副作用が出たのではないかと心配になる。
その心配は正解でもあり、間違いでもあった。
暫く観察していると、子供の一人が体を変化させる。
子供らしさは消えていないのだが、明らかに性別を判断できるような見た目に変化したのだ。
その子は、女の子の特徴を強く出しており、その様子を見ていた親達は大いに喜んでいた。
更に変化はあった。
性別がはっきりとした子は、その身に宿る力が増していた。
どうやら、聖龍が力を分け与えた影響は、思わぬ形で出ていたようである。
天使となった彼らは、ある程度成長すると、自分で性別を選ばなければならない。
これが良いことなのかは、聖龍には分からない。
もしかしたら不便なことなのかも知れないが、喜ぶ彼らの様子を見ると、そこまで悪いものではないのかも知れない。
かつての己から手を離し、水中から出ようと行動する。
彼らに、自分が復活したことを知らせようと思ったのだ。
水面から顔を出し周囲を見回して、ここが湖になっているのだと気付く。
長い首を湖から出し、地上へ上がると逞しい肉体が光に照らされる。
尻尾を引き摺り、湖から離れて世界樹の元へと向かおうと歩み始める。しかし、その歩みは途中で止まってしまう。
森全体に張っていた結界が、突然揺らいだのだ。
『そうか、ここが限界か』
これ以上、触媒であるかつての肉体から離れると、結界に綻びが生じると理解してしまった。
強力な結界だ。
それを維持するのは、簡単な事ではない。
結界を張った当事者である聖龍が、その中心地から離れられなくなるのも仕方ないことだった。
引き返して、湖の中へと身を沈める。
残念ながら、聖龍が復活した旨を彼らに伝える手段はない。触媒である肉体は、結界内を見ることしか出来ず、無理に操作しようとすると、結界の維持が危うくなってしまう。
この地より離れられなくなるが、それでも、彼らの営みを成長を見守れるならと、湖の奥深くに体を沈めて見守ろうと意識を沈めた。