幕間23(聖龍②)
ダンジョンが世界に現れて三百年。
世界は、これまでにないほどに発展し、物が溢れてるようになっていた。
この頃になると、世界の名前がイルミンスールと呼ばれるようになる。
世界樹が創造し恵みを齎す世界。
更にいうと、ダンジョンも世界樹が創造した物だと思われている。
『私が、そんな危険なもの作るわけないでしょ』とは本樹木談だが、信じるかはその者の判断となる。
何はともあれ、ダンジョンのおかげで飢餓というものが世界から消え、住人の殆どがダンジョンへと潜り、肉体を強化して病を克服していった。
これまで、この世界で文明の衰退が早かったのは、その寿命の短さと病の流行にあった。
その一つが克服された事により、この世界は全盛期を迎えることになる。
ただ問題もあった。
最初は一つだったダンジョンが、一つ、また一つと増えていき、世界各地に広がって行ったのだ。この点はまだ良いのだが、問題はそのダンジョンから、モンスターが出て来るようになった事にある。
今は低階層のモンスターしか現れないが、いずれは深い階のモンスターが現れるのではないかと考えられていた。
『まずいな』
『そんなに深刻なの?』
『異物が竜脈と重なっている。このままでは、世界が取り込まれてしまう』
『引き剥がすことは出来ないの?』
『やれるなら、最初にやっている。可能性があるとすれば、内側から止めるくらいしかないだろう』
『じゃあ、鬼人族に期待だね』
何を呑気なと半眼で世界樹を睨む。
そんな聖龍に睨まれている世界樹だが、別に楽観視している訳ではない。現状、最も深く潜っているのが鬼人族の戦士なのだ。
他の種族もダンジョンに挑んでいるのだが、世界樹から加護を受けた鬼人族には追い付けない。それだけの実力差が、他の種族の探索者とはあった。
強化された肉体、限界まで高まった魔力。
その二つを武器にダンジョンを攻略して行ったのだ。
それから年月が経ち、ダンジョンから現れるモンスターも強くなっていく。
そんな時に、ダンジョンを攻略していた鬼人族の戦士から知らせが届く。
それは、鬼人族最強の戦士が、60階の攻略に失敗というものだった。
『そう、引き続き攻略に当たって、必要な物があれば揃えるから』
「はっ!」
世界樹の足元に建てられた神殿で、鬼人族との謁見を終える。下がる鬼人族の姿が見えなくなると、世界樹は静かに俯く。これで、この化身に涙を流す機能が備わっていれば、大粒の涙を流しただろう。
自分の命令で、守るべき鬼人族を殺してしまった。
そして、これからも殺し続けるだろう。
そのことが悔しくて、世界樹は一人静かに佇んでいた。
時は流れる。
ダンジョンの攻略に失敗し、世界はダンジョンの物資で溢れ返る。
これで、侵食の準備は整った。
世界樹の力は、世界と繋がり恵みを齎すことと、他者に力を分け与える事に特化している。戦えないこともないが、同格の存在が相手だと、ほぼ何も出来ずに倒されるだろう。それどころか、この世界の住人が全て敵に回れば、負けてしまうくらいには弱い。
その世界樹が今、必死に戦っている。
相手はダンジョンから現れた大きな蛇のモンスター。
それはウロボロスの眷属であり、世界樹でも何とか倒せるくらいのモンスターだったが、周囲を守りながらの戦いになり、危険な状況と言えた。
『くっ、この!?』
周囲の植物を操り、ウロボロスの眷属を捕える。
そして、魔法で攻撃しようとすると、眷属の体が爆発して植物を爆ぜてしまう。
自由になった眷属は地を這い、避難している鬼人族に向かって襲い掛かった。
『だめっ!?』
避難所にしている祠を、太く巨大な蔦で覆い鬼人族を守ろうと力を割いてしまう。
そのせいで、格下である眷属の牙が、世界樹の本体に届く状況が作り出されてしまった。
鬼人族に飛び掛かった眷属の姿は、土塊となって衝突と共に崩れ落ちる。そして、地に潜っていた本物の眷属が世界樹目掛けて走ったのだ。
『しまっ!』
迎撃しようと放った魔法は全て避けられ、毒を含んだ牙が世界樹本体に迫る。
その毒は、たとえ神に等しい力を持つ世界樹でも、解毒不可能な代物だ。一度食らえばその身は腐り落ち、受けた者の魔力を触媒にして、その範囲を拡大させる。
もしも、世界樹が食らえば、この世界の植物は腐り落ち、その周辺にいる者達も毒にやられて消えるだろう。
だが、それを許さない聖なる龍が舞い降りる。
聖龍はウロボロスの眷属を咥えると、青白い炎で燃やし、その毒ごと浄化してしまう。
『聖龍!』
頼れる友人が助けてくれた事に安堵する。しかし、聖龍の焦る様子を見て、何か良からぬ事が起こっていると悟り不安になる。
そして、衝撃の事実を知らされる。
『世界樹!この世界はもう保たない!』
『え?』
『この世界は迷宮に取り込まれる!』
聖龍は、ダンジョンを観ていた。
己がダンジョンに入れれば全てが解決するのだが、竜脈を利用した結界により、聖龍や世界樹のような存在が入れなくなっていた。
無理に入ろうとすれば、竜脈が傷付き、天変地異が起きるだろう。後で考えると、それでも実行するべきだったが、今となっては後の祭りだ。
竜脈と共に流れるダンジョンの力が、突然勢いを増したのだ。その流れは竜脈全てに及び、果ては竜脈全てがダンジョンのものに置き換わってしまったのだ。
そして、ダンジョンから強力なモンスターが大量に姿を現す。
聖龍は呆然としていた。
世界から切り離された感覚を味わい、強烈な孤独感が心を襲ったのだ。
聖龍とは、世界の化身のような存在だ。
この世界がある限り終わりはなく、この世界がある限り、無限に力を使えた。そして何より、どこへ行こうとも、世界との一体感で満たされていた。
それが失われ、心に空洞が空く。
だから、直ぐに行動に移せなかった。
溢れ出したモンスターが、魔法で攻撃しようとしているのは分かっていた。しかし、動けなかった聖龍は攻撃をくらってしまう。
それでも、一時は神と崇められていた聖龍に効くはずもなく、無傷でその場に佇んでいた。
繰り返されるモンスターの攻撃に晒されながら、聖龍は必死に打開策を考える。モンスターを滅ぼすのではなく、世界を取り戻すのではなく、己を満たしてくれる方法を。
考えて考えて、そして浮かんだのが、半身とも呼べる世界樹の姿だった。
数百万年を生きた聖龍が、初めて感じた孤独に怯えていた。もうこれ以上失いたくないと、モンスターをブレスで焼き尽くし、空へと飛び立つ。
本来の聖龍であれば、たとえ世界から切り離されようと孤独を感じる事はなかった。この危機的状況ならば、世界樹を身代わりに使い、世界を救う可能性を選択していただろう。
たとえ、それで世界が救えなかったとしても、世界樹が無駄死にしていたとしても、迷いなく選択していた。
本来、聖龍とはそう作られており、世界を最優先に考えるように設計されているはずだった。
だが、知らぬ間に、それが歪められていた。
ダンジョンが世界に現れ、その目的から聖龍の根幹に干渉していたのだ。
聖龍は気付かない。
だから、最悪を選択せずに済んだとも言える。
何せ、ダンジョンが現れた時点で、この世界に救いはなかったのだから。結末は最初から決まっていたのだ。それに例外はない。
世界樹と合流した聖龍は、世界樹の願いを聞き、生き残った者達を探して世界を飛ぶ。
これまでにないほど繁栄した文明が、一夜にして崩壊する。その原因が、繁栄を齎したダンジョンなのだから笑い話にもならない。
どこにもモンスターが徘徊しており、目に付く物全てを破壊している。各地から火の手が上がり、建築物はモンスターの一撃で倒壊する。
邪魔なモンスターを消しながら進むが、それで誰かが救われることはない。
そんな黙示録のような世界でも、生き残っている者はいる。それは、探索者としてダンジョンに挑んでいた者達だ。
彼らはモンスターと戦い、傷付きながらも生き延びていた。家族を守り、友人を守り、恋人を守り、命をかけて戦い抜いた者達である。
数は多くなかったが、聖龍はそんな彼らを保護して世界樹の元へと向う。
これが、彼らの救いになるとは限らないが、少なくとも、この場を生き残ることは出来たのは、幸運だったのだろう。
この世界の住人で生き残ったのは、一万人にも満たなかった。その生きているのも鬼人族が殆どであり、世界樹が最初から保護していたからにすぎない。
少し前までは何十億人といたのに、ここまで減ってしまった。その事実に、世界樹は自分の無力さに怒りを覚える。
声には出さない。
ただ、歯を食いしばり耐えるしかない。
そうしなければ、保護した者達を不安にさせてしまうから。もう、これ以上、彼らを傷付けたくはなかったのだ。
だからこそ、世界樹は力を使う。
たとえ世界の主導権がダンジョンに持っていかれたとしても、世界樹自身の力が落ちたわけではない。
世界樹が住む地を、その大陸全てを木々で覆い隠し、モンスターから守護する結界へと変える。
『無茶をするな』
『まだ足りないくらいよ。守れたはずなのに……くっ!』
作り出した森の結界は、モンスターを寄せ付けない。大陸にあるダンジョンから、モンスターの出現も防げる。
だがそれは、全てのモンスターに対してというものではなく、ある程度力があれば侵入を許してしまう。
たとえ侵入したとしても、この地には聖龍がいる。
無限の力が無くなったとしても、その強さに翳りがあった訳ではない。消費すれば、時間は掛かるだろうが回復することが出来る。
だから大丈夫。
世界樹は聖龍を見上げて、そう信じた。
事実、それからの数年間は無事に過ごすことが出来ていた。
これは、竜脈の力が変わっても、これまで通り使えたのが大きかった。
だが、それも数年の間だけだった。
世界が闇に覆われ、世界の全てがダンジョンに飲み込まれてしまった。