奈落37『幕間21(No.4)』(迷いの森24)
高度に発達した文明世界で生まれたそれは、No.4と名付けられた。
名前が番号なだけあり、同類は番号の数だけ存在していた。
彼らは所謂、ホムンクルスという者であり、ある目的を成す為に生み出された存在である。
ホムンクルスは百を超える数が生み出され、その姿は、虚弱な人のようなものから、獣の特徴を持つ者、虫がそのまま大きくなったような者までいた。
彼らは生まれた時から、ある程度の知識が植え付けられており、それぞれが特異な能力を付与されている。それは身体的特徴に強く出ていたり、脅威的な身体能力や自然を操る者、僅か先の未来を見る者もいた。
そんな中でも、No.4は落ちこぼれと呼ばれる存在だった。
持って生まれた知識に大差は無いのだが、その身に備わった能力が虚弱だったのだ。
その能力は、指先から針を出す程度のものだった。
これでは目的を達成できない。
これでは足を引っ張るだけで、良い結果は残さないだろう。
そう判断した者達が、No.4の廃棄を決めた。
手を引かれて連れて行かれる先は、白く消毒液臭い寝台の上だった。
科学が発達し、魔法という新たな技術が生まれて三百年。その間に、この世界の文明は高度に発展しており、それは医療技術にも同様のことが言えた。
だが、ここで行われる廃棄の方法は、体に毒物を注入するというものだった。文明が発達し、様々な安楽死の方法が確立されているのにだ。
そんな事とは露知らず、No.4は寝台に寝そべり指示を待った。
ホムンクルスは、製作者達の指示に従うように設計されていた。そのせいか、自立して行動するというのは、とても珍しかった。
「針を刺すわね、ごめんなさい、おやすみなさい。そして、さようなら」
No.4に毒物を注入しようとした研究員が、何かを口遊み、注射器を刺そうとしていた。
別に反抗するつもりはなかった。
もしかしたら、研究員が口遊んだ言葉に反応したのかも知れない。
「抵抗するなNo.4!?」
気が付いたら、注射器を持った研究員の足を、指先から出た針で刺していた。刺された研究員は驚いて怒鳴り、足から血を流している。
だが、それだけ。
元々抵抗するつもりなんてなかったNo.4は、何の感情もなく動きを止めた。
視界の端では、怪我をした研究員が仲間から治療を受けているが、傷自体深くはなく、軽い治癒魔法で治ってしまった。
改めてNo.4の命を奪う毒物が注入される。
次は、何のトラブルもなく完遂され、No.4の体は生命活動を停止した。
「不思議なこともあるのね」
そう口遊むのは、No.4に足を刺された研究員だった。
No.4を廃棄したその日の夜、彼女という存在は消え去り、代わりにNo.4に体を乗っ取られていた。
予期していた事ではない。
こうなるとは知らなかったし、誰もが予想だにしなかった現象が起きていた。
これが憑依なのか、No.4の意識を上書きしただけなのか分からないが、少なくとも研究員の人格は消え去り、彼女の肉体はNo.4の物になった。
鏡に映る研究員の体に違和感はなく、問題無く使いこなせる。そして、研究員が持っていた知識もしっかりと引き出せた。その中には、なぜ自分たちホムンクルスが生み出されたのかという情報も含まれていた。
数百年前、大規模な土地開発の実験が行われた。
それは、生命の数が増えすぎた世界で、暮らす場所を広げる為に行われた実験だった。
当時の技術を用いて、広大な海に新たな大陸を作ろうとしたのだ。だが、あらゆる要因が重なり失敗した。
失敗の原因が何なのか未だに解明されていないが、それがきっかけで、新たな土地を開発する必要も無くなってしまう。
実験の結果、大陸を作る予定の場所から、世界の半分が崩壊してしまい、同時に生命の半分が死滅してしまったのだ。
崩壊した世界で生き残った者はいない。
勿論、全てを調べた訳ではないだろうが、当時の調査結果ではそう記されていた。
大規模な崩壊で、世界から多くのモノが失われたが、新たに得られたモノもあった。
この世界とは理が違う世界への入り口、ダンジョンが崩壊した世界に生まれていたのだ。
ダンジョンからは多くの資源が手に入った。それこそ、無限に、永遠に採れるのではないかと思えるほどの量だ。その中には、高度に発達した文明でも作り出すことが不可能な薬品や武器が存在していた。
多くを求めるのは、どの世界の生物でも同じである。
次から次に消費されていく物資。希少な若返りの薬やどんな難病や身体の欠損も癒す薬品。多くの者達が求め、消費していく。
その結果、もっと効果のある薬を、もっと沢山の量をと求めていく。ならば、もっと深く潜れば、より効果のある物が簡単に手に入るのではないかと考えた。
だが、ダンジョンの探索は41階から進まなくなってしまう。
ダンジョンに現れるモンスターが強く、環境が過酷なものに変わったのも原因だが、単純にこの世界の住人が弱かったのだ。
No.4達ホムンクルスが造られたのは、その為だ。より深くダンジョンを攻略するため、強靭な肉体を持つ兵士として生み出されたのだ。
生まれた時から備わっていた知識は、戦闘に関するものと、生命維持に必要な知識だけなのも、これが目的なのかと納得した。
同時に怒りが湧いた。
思考を制限されていたホムンクルスの肉体とは違い、研究員の体ならば、自由に物事を考えることが出来た。そのせいで、怒りの感情が湧いてしまったのだ。
研究員の肉体を得たNo.4は、直ぐに行動に移す。
ホムンクルスに、不遇に造られた兄弟達に自由をと、研究所からホムンクルスを解放しようと行動したのだ。
研究所のセキュリティを殺し、他の研究員を殺し、研究所のロックを解除し、ホムンクルス達を解放した。
そして、助けようとしたホムンクルスの一人から殺された。
「な、んで?」
「僕はカウンターです。スパイや貴女のように正義感を出した裏切り者を、粛清する為に生み出された存在です」
No.44のホムンクルスはそう言うと、腹部に突き刺さった硬質化した腕を引き抜いた。
腹部が深く傷付いており、もうこの肉体は助からないだろう。だが、直ぐに死ぬほどNo.4の生命力は虚弱ではなかった。
腕を引き抜かれると、指先の尖った爪でNo.44の頬を傷付けた。しかし、そこで力を失った研究員の肉体は倒れてしまい、生命活動を終わらせた。
「あ゛あ゛あ゛ぁぁぁーーーっ!?!?」
研究員の肉体の死亡と共に、No.44の肉体にNo.4が入り込む。
No.44は、己が己であるという自認が書き換えられていく感覚に悲鳴を上げる。生命の危機ではないのに、魂とも呼べる物が侵され、己という存在が消えていく感覚に、死よりも恐ろしい恐怖を感じていた。
救いを求めようにも、周りのホムンクルスは無表情に悲鳴を上げるNo.44を眺めているだけだった。それは、仲間を助けるよう設計されていないからであり、研究員達の罪でもあった。
やがてNo.44の全ては奪われてしまい、中身はNo.4となる。
「戻ろう」
No.44の体を奪ったNo.4は、肉体の思考回路に従い、他のホムンクルス達に研究所に戻るように促す。No.4という魂はここから抜け出そうとしているが、肉体の制限には勝てなかった。
造られたホムンクルス達は、翌日に現れた新たな研究員達の手によってダンジョンに突入して行く。
No.44の肉体は、同じホムンクルス達の中でも飛び抜けて優秀だった。
その優秀さが祟り、ダンジョン以外でも、敵対する存在を排除する役割を割り振られているが、それはさして問題ではなかった。
問題は、この百年間で爆発的に数を増やしたダンジョンにあった。各地にあるダンジョンから、モンスターが溢れ出したのだ。
今はまだ、弱いモンスターが出て来るようになっただけなので危機感は薄いが、モンスターが溢れる原因究明の為、ホムンクルス部隊は、これまで以上のペースでダンジョンに潜るように求められた。
その頃のホムンクルス達は、ダンジョンに潜り始めて季節が二巡しており、ようやくこの世界の住人の到達階である41階に辿り着いたところだった。
進みは、研究員達の想定よりも遥かに遅い。
ホムンクルスのスペックを考えれば、もっと早くに到着しているはずだった。その上、ホムンクルス達の数は大きく減らしていた。百人以上居たホムンクルスが30階を突破する頃には半分に減り、40階に到着するまでに更に半分になり、40階を突破出来たのはNo.4が率いるチームだけだった。
実質、このホムンクルスによるダンジョン攻略の計画は失敗していた。
ダンジョンから出る貴重な資材の安定供給ならば、時間を掛ければ不可能ではなかった。それが、深く、より深くと求めた末に失敗してしまったのだ。
それでもだ。
No.44の肉体を得たNo.4は、ダンジョンに挑み続けた。
それが、思考に制限が掛けられているからだと分かっていても、止める事は出来ない。それだけが、この肉体に許された行動なのだから。
その行動を研究員の体で異常だと知ってしまったNo.4は、命令のままに動く体を悲しいと思ってしまった。
41階からのフィールドは砂漠地帯になっていた。
他のダンジョンでは、氷雪の世界だったり、火山地帯だったりと過酷なようだが、この砂漠は幾分か過ごしやすい代わりに、一際動き難い。
砂漠のせいで、モンスターとの戦いで砂に足を取られて動きが鈍り、不利になることが増えて来た。
幾らモンスターの対処方法を知っていても、動けなければ意味はない。残されたホムンクルスは、必死に足を動かして戦い続けた。
そして、No.4のチームにも被害者が出る。
正確には、No.4以外全員が死んでしまった。
しかも、チームメイトを殺したのはNo.4の手でだった。
ダンジョン44階まで進んだチームは、ユニークモンスターと出会う。
それは砂漠狐と呼ばれるモンスターで、本来なら3mはある体長なのだが、その個体は十分の一程度の大きさしかなかった。
まるで小動物のような見た目。
その姿に警戒しろと言われても、無理な話だったのかも知れない。
それでもNo.4は、メンバーであるホムンクルスの八人に、小さいモンスターを倒すよう一斉攻撃の合図を出す。
本来なら、リーダーであるNo.4はそれを眺めているだけでよかった、はずだった。
モンスターに向かって駆け出したメンバーは、動き出すと同時に動きを止めたのだ。
「どうした? 早く仕掛けろ!」
No.4の命令に従わないメンバー達。
どうしてしまったのかと疑問に思っていると、メンバーの隙間から小さな砂漠狐のモンスターと目が合った。
途端に意識を奪われる感覚を味わう。
自分の中に、他者の意識が入り奪っていく。
あの砂漠狐は、No.4と似た能力を持っているのだ。
だから、メンバーが動きを止めた理由にも察しがついた。そして、これから起こる行動にも。
「はあ!はあ!はあ!」
呼吸が荒くなる。
六十度を超える砂漠の世界で動き回り、同族のホムンクルスを殺し、ユニークモンスターである小さな砂漠狐を殺した。
息が上がっているのは、戦いが激しいものになったからではない。
ユニークモンスターを殺して、新たな力を得た。
そして、ダンジョンでは禁忌の同族殺しを犯してしまったからだ。
同族を殺し、大きな力を得たNo.44の肉体が変化する。
ホムンクルスである彼らは、それぞれが様々な特徴を持って生まれて来ていた。
No.44は獣人のような見た目をしているが、その理由は、ダンジョンで狩られた獅子型のモンスターの遺伝子を組み込まれていたからだった。
「ぐうぁぁーーー……っ」
声も出せずに蹲ることしか出来ない。
No.4という意識が必死に痛みと快楽と衝動に耐え、力を受け止めた体が、それに相応しい肉体へと変化していく。
痛みで狂い、快楽で狂い、ホムンクルスであった頃の制限から解放され、獅子のような肉体を手に入れた。
大きな白い獅子の姿は、物語に語られそうなほど逞しく、この世界の住人では太刀打ち出来ないほど強い魔力を宿していた。
突然得た強力な力と自由に、強烈な万能感と破壊衝動を覚えるが、No.4というこの体を支配する魂がそれを制限する。
本来なら、モンスターと成り果てるはずの衝動を、No.4の能力が制御したのだ。
そして思考する。
ホムンクルスに施されていた、物事を考えるのに制限がなくなり、これからどうするかを考える。
この体に変化した以上、地上に戻ればモンスターと判断されるだろう。そうなれば、殺し合いが始まるのは想像に難しくなかった。ならば、ダンジョンから出ずに攻略を進めていくべきだと判断する。
だが、と考える。
No.4は地上で一つだけ確認したい事があった。
それは、先達であるホムンクルスが消えたあと、どうなっているのかという疑問が浮かび、気になったのだ。
そこまで愚かでないと思いたかった。
この世界の住人が、私利私欲のために生命を弄ぶ存在でないと信じたかった。
これはNo.4の本来の思いであり、短い時間といえど研究員の体で思考して、結論を出したのだ。
それは自分達で終わりにしてくれと、これ以上、僕達のような存在は生み出さないでくれと願っていたからなのかも知れない。
「ああ……そんな……」
しかし、その思いは簡単に打ち砕かれる。
獅子の肉体となったNo.44ことNo.4は、この肉体の力を使い地上に戻って来ていた。
そして、No.4達が生まれた場所に訪れると、かつての自分達と同様に生み出された弟や妹達がいた。しかも、状況は更に悪くなっていた。
「なんで、仲間同士で殺し合ってるんだ?」
研究所の中では、生まれて間もないホムンクルス達が戦い、殺し合いを行っていた。
彼らが殺し合っているのは、彼らの意思ではない。あとのない研究員が、より強力なホムンクルスを選抜する為に戦わせているのだ。
ダンジョンでもないのに、互いに殺し合い優秀な個体を選抜していく。百体に一体の割合で選ばれては、残りは廃棄されていく。
「僕らが失敗したからか?」
この気が狂ったような計画は、No.4達先達のホムンクルスがダンジョン攻略に失敗したからだった。
より強い個体を集めて、ダンジョンに向かわせる。無駄を排除した上、成長するまでの時間を掛けなくてもよく、次に生み出すホムンクルスの参考にもなった。とても効率的な作業と言えた。
そこからの記憶は無い。
気が付いたのは、研究所を壊滅させ、最後まで生き残った研究員が命乞いをしている姿を見ているときだった。
「どうしてモンスターが!? やめてくれ! 嫌だ! 助けてくれ!」
「……何を言っているんだ? お前らが、僕らにして来たことじゃないか。喜んで受け入れろよ」
「っ!? ぎゃっ!?」
まさかモンスターが喋ると思っていなかったのか、驚愕に染まった研究員の顔は、足を潰される痛みで苦痛に歪む。
そのコロコロと変わる表情が面白いと思った。
悲鳴を上げて苦しんでいる姿が滑稽で、コメディーでも見ているようで楽しかった。
思えば、このときNo.4は完全に狂ってしまったのかも知れない。
だからだろう、この肉体になって絶え間なく襲って来る衝動に、身を委ねるのも悪くないと思ってしまった。
この世界で、土地開発以来の大規模な災害が世界を襲う。
そのきっかけが何なのか誰も知らない。
知っている住人は、全て消えてしまったからだ。
当事者であるNo.4も、この世界に見切りを付けてダンジョンに隠れてしまった。
それから暫くして、この世界はダンジョンの一部として取り込まれて消えた。
元いた世界が消えても、No.4はダンジョンの中にいた。
ダンジョン内で戦い続けて力を付けていたのだ。
同族を殺して得た力は凄まじく、環境の変化をものともせず、モンスターを狩り続け、60階を突破するまで成長していた。
だが、そこで快進撃は終わる。
61階以降のモンスターが強いからとか、環境に負けたからという理由ではなく、ダンジョンに世界が飲み込まれた際に、最下層である奈落に落とされたのだ。
そこは文字通り地獄のような世界だった。
突然変わる環境に、これまでと段違いに強いモンスター達。苦戦どころか、勝てないモンスターばかりだった。
想像を超える強力なモンスター達を前に、逃げて逃げて、逃げきれなくて殺された。
No.4を殺したモンスターは、空を自由自在に歩く翼の無い鳥のモンスターだった。奈落では強くもなく弱くもない、中間あたりに位置している鳥のモンスターは、空を走りNo.4の姿を捉えて握り潰した。
殺される寸前に、鳥のモンスターに爪先を刺せたのは奇跡に近かった。
No.44の体を失ったと同時に、鳥のモンスターの体に乗り移り、その主導権を奪う。
新たな肉体を得たNo.4だったが、その肉体が体を維持する事は出来なかった。
ホムンクルスであった頃に犯した同族殺しの罪は重く、翼の無い鳥のモンスターの姿を作り変えていく。そして現れたのは、壊されたNo.44の肉体と同じ獅子の姿だった。
体の変化が終わると、訪れる破壊衝動に怒りが湧く。
手に入れたと思っていた新たな肉体が、また元の弱いNo.44の体に戻ったのだと分かったからだ。
だが、それは正解でもあり間違いだった。
体は確かに強化されており、翼のない鳥のモンスターの能力の一部を取り込んでいたのだ。
今回は空中浮遊の能力が使えるようになっており、戦略の幅が広がった。
その後も直ぐに殺されるが、その度に体を乗り換え、新たな能力を獲得していく。
No.4の運のいい所は、格上のモンスター相手でも即死はせずに、擦り傷程度ではあるが傷を与えていた事と、体を乗っ取る憑依の能力に対抗する存在に出会わなかったことだ。
実に百近くの能力を手にしたNo.4は、奈落でも上位に入る存在にまで成長していた。最上位には、理外の化け物達が鎮座しており、とてもではないが太刀打ち出来るような存在ではなかった。
認識されるだけで殺される。
その恐怖が、遠目で見ただけで理解してしまった。
戦いを挑もうと思ってはいけない。蟻が神に挑むようなものだ。もしも奴らに見つかれば、気まぐれに殺されるだろう。
だから、必死に隠れ、逃げる能力を求め手に入れたのだ。
隠れ逃げて、戦い殺されて力を手に入れたNo.4は、巨大な森に足を踏み入れる。
そして、若木を守護する聖龍に目を付けられてしまい、時間ごと森に閉じ込められてしまう。
理外の存在である聖龍が成した魔法を、魔力操作がそれほど上手くないNo.4では認識出来なかった。仮に認識していても、直接、聖龍が討伐することになるので、或いは幸運だったのかも知れない。
閉じた世界で、全てを止められたNo.4が動き出したのは、数千年後のことだった。
突如、世界がモノクロに変わった。
初めての現象に警戒するが、少しすると世界に色が戻った。そして、次の瞬間には大きな力が衝突するのを感じ取る。
その力の一つ一つがNo.4と同レベルかそれ以上のものだった。場所はそれほど離れておらず、空を行けば一分と掛からない距離だ。
胸に熱い物が宿るが、それを無視して逃走を考える。
戦って負けるとは思えないが、何か事故が起こらないとも限らない。何せ、自分と同等以上の存在が五体もおり、邪魔をしてまとめて襲われては、傷を与える事なく殺されてしまうかもしれない。
ならば逃げるべきだと考えながら、上空に浮かぶ、憎むべき研究員とよく似た存在がいた。
頭が憎しみに染まり、ズタズタに殺してやろうと飛び出していた。気配を殺し、隠蔽と認識阻害の能力を使って接近したのは、これまでの癖によるものだった。
空にいる男は、こちらに気付いた様子は無い。
ならば、足に食らい付いて引きちぎり、爪で切り裂いて治らない傷の呪い与えてやろう。
そう思い接近していったのだが、下にいる弱い者に邪魔をされる。
獣の嘶きにより、No.4の存在を勘付かれ、最初の攻撃は防がれてしまう。
それに苛立ちを覚えるが、下を見れば同じような存在がいた。
「おい、何処を見ている?」
その声には、焦りのようなものが混じっていた。
言葉の意味は理解出来なくても、その感情から下にいる存在が、この者の庇護対象ではないかと察する。
笑いが止まらなかった。
この者から奪ったら、どんな反応をするだろうかと考えると、楽しくて楽しくて虫唾が走った。
元のNo.4は、弱者を痛ぶるのを楽しむような性格ではない。ダンジョンの呪いでそうなっているが、その感情を制御するのは可能だった。
No.4の本来の能力である憑依は、魂とも呼べる存在の根源を魔力を利用して移動させ乗っ取るというものだ。
条件は対象を傷付ける事と、今の肉体が生命活動を停止すること。
その肉体と魂が別物という認識のおかげで、奇跡的に呪いを制御出来ていたのだが、こと奈落においては、衝動の制御は無駄だった。
戦い、何としても敵を殺さなければならないこの世界で、余計な感情を差し込むのは悪手でしかなかった。
その証拠に、子供をやるはずだった凶刃は、狙いを外して別の者をやってしまった。もっと言えば、二人まとめてやれたのに、余計なことを考えてしまったせいで仕損じてしまった。
この者達の姿が、かつていた世界の住人に似ていたせいで、昔の自分を思い出してしまったせいだと反省して、衝動の赴くままに行動を開始した。
今のNo.4は、百種類以上の能力を手にした化け物だ。
それこそ、No.4の力だけで元いた世界を終わらせられる程だ。
だから、圧倒的に負けるはずがないのだ。
負けるにしても、敵に傷を負わせる事くらい簡単なはずだった。一対一ならば、先ず圧倒される事はないだろうと高を括っていた。
多くの魔法を使い攻め立てた。
限界まで身体強化を施し、爪に致死の呪いを掛けて襲い掛かった。
僅か先の未来を予測し、不可避の一撃を与えるはずだった。
それが、魔法は全て無効化され、身体能力では圧倒され、致死の呪いは取り込まれた。未来を見ているはずなのに、この者の行動は幾つも分離しており、予測できない。
まずい、まずいまずいまずい!?
「おい、逃げるな、お前から始めたんだろうが」
鋭い魔法に貫かれて、体の半分が爆散する。
即座に自己再生能力で修復するが、治った先から不可視の刃に切り落とされる。
これでも、最初は戦えていた。
No.4の多種多様な能力と手数により、圧倒する場面もあったのだが、全て対処されてしまったのだ。その上、この者には憑依できない可能性がある。魔力を取り込まれたとき、自分自身の根源の消滅を感じ取ってしまった。
こいつは天敵だ。
No.4の能力が通用しない、最も出会いたくなかった存在。
逃げろ逃げろ逃げろ!
破壊衝動は鳴りを潜め、生き延びるために逃走を開始した。
逃げるのは難しくない。
戦いの中で、No.4の動きを目視でしか認識出来ていないのは分かっていた。認識阻害と詐称などの騙す能力を多く使えば、簡単に逃げ切れる。
何より、逃走に最適の魔法もある。
少しの時間を稼ぎ、空間魔法による転移を使えば、森に隠れながら逃げ切れるはずだった。
喉に魔力を溜めて、音を破壊の力に変換して解き放つ。
甲高い音が大地を蹂躙しながら天敵を襲うが、手に持った杖で地面を叩くだけで破壊の音は消え去ってしまう。
土煙が舞い上がり、今のうちにと転移の魔法を使おうとするが、土煙が針に変わりNo.4の体を全身くまなく貫いていく。
今の肉体がまだ生きているのは、運が良かっただけだ。
自己再生能力が即座に治療を開始し、能力が脳が完全に壊れる前に回復していたに過ぎない。もしも、もう少し魔力を込められていたら、肉体の全てが破壊されていただろう。
それでも、まだ生きている。
諦めた。もう、長距離の移動は諦めた。
短距離の転移ならば、即座に使えるのだ。一度使うと直ぐには使えなくなるが、それでも逃げ回れば何とかなる。
だから、転移した。
その瞬間、光に切り裂かれる未来を見るが、今更切られた所で再生すればいいだけの話だ。
そう思って全てが断ち切られる。
No.4の体も、呪いも、能力も、命も、魂も全てが切り裂かれてしまった。
何が起こったのか理解することも出来ずに、魂の残滓だけを残して、No.4という呪いは消滅した。
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No.4 (ホムンクルス)(獅子のモンスター)
ダンジョンの更なる探索という名目で生み出されたホムンクルスの一体。固有能力は憑依。他者を傷付け、自分が死ぬと魂が傷付けた対象に移り変わる。仲間のホムンクルスを殺して魔人化。百種類以上の能力を持って田中と戦い、全てを断つ剣で一部を残して消滅する。
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