奈落31(迷いの森18)
男が目を覚ましたのは、森に夜が訪れてからだった。
昼と夜の世界が非常に長い奈落の世界では、機器が使えず時間を測る術がなく正確な時間は分からない。ただ、食事を八回して睡眠を三回取るくらいの時間は過ぎた。
その間にも、一度モノクロの世界が訪れており、現れたモンスターは、三つの頭を持つ大きな鳥類のモンスターだ。
恐ろしい速度で飛行する上、短距離なら瞬間移動も出来、風と雷の魔法は辺りを吹き飛ばすほど強力だった。そんな強いモンスターだが、俺にとっては相性の良いモンスターでもあった。
どんな魔法を使おうと全て無効化し、どんなに瞬間移動しようとも魔力の動きで移動先を見切れる。
もう近接での攻撃手段しか残っていなかったモンスターは、無闇に接近してアマダチに貫かれて絶命した。
このモンスターの鳥肉は、珍しく食べられる物で、とても美味だった。
天闘鶏以来の鳥肉。
ヒナタにとっては初めての鳥肉。
海亀の肉が当たり前になっていたヒナタにとって新しい刺激であり、鳥料理がよほど美味しかったのか夢中になって食べていた。
それに対抗して、フウマにもエンジンが掛かってしまい、鳥肉は殆ど消費してしまった。
そして最後の鳥肉も、男の食事に混ぜて出してある。
「あっ、ありがとうございます」
気にすんな、それ食ったら話をしようか。
「はい」
小さく返事をした男は、匙を手に鳥肉の入ったお粥を口に運んでいく。一口食べると、美味しいですねとこぼして、ゆっくりと食事を進めて行った。
男の食事も終わり、対面に座って話をする。
この場には、当然のようにフウマもヒナタもおり、外からはト太郎が覗き込んでいる。
見慣れない生物を見たかのように、男は緊張しており、ヒナタを見て「て、天使?」などと口走っていた。
それで、体調の方はどうだ?
「大丈夫です。あの、危ない所を助けていただき、感謝いたします」
男は席を立ち、頭を下げる。
感謝しているのは伝わって来るが、今はそんなのはどうでも良いので、手を振って止めろと合図を出す。
そういうのは良いから。それに助けたのは俺じゃなくて、あっちの一人と一体だ。お礼なら後で言ってくれ。
じゃあ、先ずは自己紹介をしようか、俺のことは権兵衛と呼べ。お前は名前は言えるか?
「え?あ、ーーー?ーーーっ!?どうして!?」
あーいい、気にすんな、名前が言えなくなるのは前にもあったからな。俺の権兵衛ってのも渾名だ。何だったらお前が決めて、好きに呼んでもいい。
「……」
混乱するのは分かるが、そういうもんだと思って諦めろ。いくら考えても、この現象は変わらないからな。
それで、お前の渾名なんだが、そうだなぁ……二号でどうだ?
「二号……ですか?」
そうだ、前に居た奴の渾名がナナシだったんだ。だからナナシ二号。長いから二号で行こうと思う。どうせ渾名なんだから構わないだろ?
「いや、流石にそれは、もう少し何かありませんか?」
何だよ、シンプルで良いじゃんか。じゃあ何が良いんだよ、うんこ太郎とかか?
「それ、もう子供のいじめですよね? そうですね、せっちゃんと呼んで下さい、小さい頃の渾名なので馴染みやすいです」
せっちゃんか、なんか普通で腹立つな。やっぱり二号って呼ぶわ。
「もう、好きに呼んで下さい。それよりも、その、ここ何処なんですか?あの世じゃないですよね?」
あの世じゃないが、似たような物かも知れないな。
「それは、どういう……」
不安そうな二号に、ここはどういう所なのか、かいつまんで説明をする。この世界が奈落という場所であり、その中でもこの森は、脱出不可能な仕様になっていると。あとは、今の二号の実力では、外に出た瞬間殺されるから気を付けろと付け加えておく。
「じゃあ、権兵衛さんはいつからここに居るんですか?前に居たっていうナナシって人は何処に行ったんです?」
ここに居るのは、いつからか分からん。そこのーーーが赤ん坊からここまで成長するまでの時間はいるな。ナナシか、ナナシは星になったんだ。
「死んだんですか!?」
冗談だ。ナナシは気が付いたら消えていた。もしかしたら、森を脱出できたのかも知れないな。だが、ナナシの実力じゃ、森の外のモンスターには勝てない。だから生きているかどうかも断言出来ない。ただ……。
「ただ?」
あいつはなぁ!!俺の大切な剣を奪って行きやがったんだよっ!許せねーーっ!?
「それは……大変ですね」
そうなんだよ、聞いてくれよ、剣が無くなったせいで俺がどんだけ苦労したかをさぁ〜。
それから暫く、俺の愚痴に付き合ってくれた二号は、もう勘弁して下さいという無言のオーラを放ち始めた。それに気付いてはいたが、あえて無視をして愚痴を続ける。
すると、いい加減うるさいと背後から苦情が上がった。
「キュイーッ!!」
魔力を光らせて、お前ええ加減にせーよと威嚇してくるヒナタ。
愚痴を聞かされて、こっちも気が滅入るわと、二号が困っているだろうがとチカチカと点滅する。
分かった止めるから、眩しいから止めてくれと諌めて、二号と話の続きをする。
それで、どうやってここまで来たのか覚えているか?
「それは……」
俺の問いかけに二号は言葉に詰まり、その瞳は暗く濁ってしまう。
二号の見た目は、何処にでもいるパッとしない純朴な青年だ。野生の獣のようだったナナシとは正反対の見た目である。しかし、その暗く憎しみの宿った瞳は、そのイメージを一変させた。
これまでの会話で、ごく普通の青年であり、知らない他者を気遣う事の出来る人物像だった。そんな好青年が、まるで世の中全てを恨んでいるような目をしており、その思いを隠そうともしていなかった。
いや、その余裕がないのだろう。
おい、落ち着けって。
「あっ……すいません」
何があったのか知らないが、言いたくないなら別に話す必要はない。思い出したくないなら、これ以上詮索する気もない。
「……はい」
それで、他に何か聞きたい事ってあるか?
「私は、これからどうなるのでしょう?」
そりゃお前次第だ。ここで暮らすのも良いし、俺達と一緒に地上を目指しても良い。選ぶのはお前だ、好きにしろ。
「森から抜けられないんじゃないんですか?」
今はな。だからって脱出を諦める理由になるか?十回や二十回駄目だったからって、だからなんだ。地上を目指さない理由にはならないだろ。
「そう、ですね。私も権兵衛さんと一緒に行きたいです。地上でやらなければならない事があるんです!」
そうか、じゃあ先ずは……。
「先ずは?」
地獄の特訓からだな。
「え?」
うん、分かってはいたが弱い。
体力の限界と魔力切れを起こした二号は、力なく倒れてしまい気を失ってしまった。
どれくらい強いのか正確に測る為に手合わせをしたのだが、結果は散々と言っていいものだった。
出会った頃のナナシの強さを十段階中、十と評価するなら、二号の強さはせいぜい六か七程度の強さしかない。
はっきり言って弱過ぎる。この湖の周辺から離れた瞬間にモンスターに襲われて、確実に命を落とすだろう。それが容易に想像してしまえるくらいには弱い。
仮にヒナタが二号を見付けず、フウマが助けに行くのを拒否していれば、二号の命は無かっただろう。
それが分かっていたからヒナタは助けに行ったのだとしたら、この前の俺の杞憂は考え過ぎだったのかも知れない。
ちゃんとヒナタにも、他者を思う心はしっかりと根付いている。
それが分かっただけでも良い収穫なのだが、二号にはせめて自分を守れるくらいの力は付けて欲しい。ヒナタとフウマに守ってもらいながら進むのも可能だが、何処かでミスを起こせば、その命は散ってしまうだろう。勿論、俺も守るつもりなのだが、前に出て戦うのが俺なので、基本的に一緒に居るのが二人になるのだ。
それは、詰まるところ負担にしかならず、ただの足手纏いでしかない。
だから、せめてナナシくらいの強さは身に付けてもらわないと困るのだ。
森のモンスターを相手に生き延びられる強さ。
それが最低ラインだ。
「んっんん〜」
「キュア!?」
目を覚ました二号の顔を覗き込んだヒナタは、治癒魔法を施して意識を覚醒させる。
そう、最近のヒナタは治癒魔法を使えるようになっていた。更に言うと、風属性魔法も習得しており、スキル無しでも別属性の魔法を使えるようだ。
それを見て、俺も火属性魔法や水属性魔法が使えないか試してみたが無理だった。魔法陣を使った魔法ならば使えるのだが、自由自在に形を作り出す魔法は使えなかった。
他の属性が使えるのは、ヒナタの種族によるところなのかも知れない。
「あ、ありがとう、ございます」
「キュム」
自分よりも小さな存在に助けられて恥ずかしいのか、二号は顔を逸らしてお礼を言った。それに対して、気にすんなと頷き男前な一面を見せるヒナタ。
「キュ!」
そして、木剣を差し出して、今度は私が相手をしてやろうと目を輝かせていた。
「ええ〜」
二号はそんなヒナタの誘いを断る事が出来ず、木剣を持って立ち上がると、一分と経たずに再び気を失った。