奈落26(迷いの森13)
何だか最近、ナナシの様子がおかしい、てか気持ち悪い。
「なあ権兵衛、今の動きどう思う?」
「なあ権兵衛、あれはなんていうモンスターだ?」
「権兵衛の作る飯は美味いな」
「権兵衛、次は俺が飯作るよ」
「権兵衛、風呂入るのか?背中流してやるよ」
「権兵衛が好きな物は何だ?」
「権兵衛」「権兵衛」「権兵衛」
距離感が異様に近く、俺のパーソナルスペースにガンガン侵入してくる。
離れろと言っても、気にすんなと宣い、こちらの話しを聞こうともしない。
マジで何なんだ。
思えば三つ目のモンスターを倒した後から、ナナシの様子がおかしくなったような気がする。
危ないから屋敷で待ってろと言ったのに、見学するかのように、のこのことフウマの背に乗って現れたのだ。
それに気付いたのは、三つ目が広範囲攻撃をしようとしたところだった。俺一人なら耐えられる攻撃でも、フウマは別として、ヒナタとナナシは絶対に耐えられない威力を持っていた。
これがト太郎と一緒なら、ト太郎が守ってくれただろうが、フウマでは守り切れるか分からなかった。
その事をフウマも自覚していたようで、かなり焦った様子だった。
これはヤバいと、アマダチを飛ばすしか選択肢はなかった。
ここで超えると誓い、出来ると決めて放った一撃は、見事に三つ目を両断してみせた。
その後、二人と一頭にコンコンと説教したのだが、何故かナナシだけは目を輝かせていた。
「ふっ!はっ!ふっ!はあっ!」
俺が鍛錬を積むその横で、ナナシが俺の動きを真似して剣を振る。
最初は、まあいいかと思っていたのだが、どうにも気になって仕方がない。
俺の動きを見て上達するのなら、幾らでも見れば良いと思うのだが、その保証がないから困る。俺も結局のところ誰かをトレースして、自分に合わせた動きなので、技術としてこれで良いという明確な回答がないのだ。
一応、その旨を伝えてはいるのだが、
「そうか、じゃあ俺もそうする」
一体、何がそうするのかは分からないが、そうするのだろう。
しかし、というか、ナナシに才能があるのか、動きがどんどん洗練され、剣が鋭くなっており、その上達ぶりは目覚ましいものがある。
そして、そんなナナシに触発されたのが一人いる。
「キュキュ!」
いつの間にかヒナタも加わり、真似て剣を振るようになっていた。
俺が使う武器は刀身が2mはある長剣、ナナシが使うのは普通の両手剣、ヒナタが使うのは短剣。
基本の動きは一緒でも、取り回しがそれぞれ違うので、同じ動きをしても意味はないのだが、それでも同じように動く。
これが正しいのかなんて、俺には分からない。
それだけの武を修めた訳でもないし、剣の道に精通している訳でもない。俺が教えられるのは、せいぜいモンスターの倒し方と、生き延び方だけだ。
まあ、何だかんだ言っても、この調子で強くなってくれるなら大歓迎である。
せめて、俺がモンスターを倒す間、生き延びられる強さが身に付けば、地上に戻る手掛かりを探しにいける。
いつまでもここには居られない。
ヒナタが成長するまでと考えて、ここに居を構えたが、ナナシのおかげで計画が早まりそうだ。
希望としては、ヒナタの親が迎えに来てほしいのだが、これほど長い間何の音沙汰もないのなら、望みは薄いだろう。
そういう訳だから、近いうちに出て行くと思う。
これまでありがとな。
「グアー」
ト太郎の頭を撫でて、これまで世話になったと感謝の意を込める。
まだ時間はあるし、森から脱出する手掛かりが見つける必要があるが、それでも、そう遠くないうちに出て行くつもりだ。
ト太郎も寂しそうではあるが、俺達の無事を祈ってくれているかのような優しい目をしていた。
それから、昼と夜が一巡し、ナナシの実力も何とか生き延びられそうな段階まで成長していた。
生き延びられるというのは、モンスターを倒せるという事ではない。俺かフウマが駆け付けるまで、時間が稼げる程度の実力という事だ。
ヒナタの方も順調に成長しており、ナナシを置き去りにして、かなりの実力を身に付けていた。
まあ、それでも、まだ足りないのだが。
「なあ、もう一回だけ手合わせしてくれないか? 俺がどれだけ成長したのか知りたい」
神妙な面持ちのナナシ。
以前の手合わせで、剣を使わせずに終わったのが悔しかったのか、改めて俺に挑戦して来た。
良いだろうと、収納空間から木剣を取り出し、一本をナナシに渡す。
今回は、ヒナタは不参加である。
参加したそうではあるが、フウマにのしかかられて身動きが取れない状態だ。
魔法を使って脱出しようとしているが、最近のフウマは、昇竜の戦輪がなくても魔法を受け流せるようになっているので不発に終わる。
「チビ、今回は譲ってくれ」
ナナシにそう言われたからか、ヒナタは大人しくなった。
何だかんだで、この二人は仲が良い。
二人揃って俺に立ち向かい、ぶっ飛ばされているので、連帯感のようなものが芽生えたのかも知れない。
スッと正眼に構えるナナシ。
それに倣い、俺も正眼に構えた。
途端に空気が張り詰める。
ナナシの眼力が鋭く俺を射抜いた。
良い目だ。
たとえ相手がどんなに格上だろうと、必死に食らいつき、倒すという意思を感じる。
俺が半歩下がると、ナナシは一歩前進する。間合いが少しだけ詰められ、それが開始の合図となった。
「シィ!」
上段からの振り下ろしを木剣で受け止めて、向かって右側に逸らすと、それが分かっていたかのように、ナナシの魔法が発動する。
魔法を放つ言葉は無かった。
手を伸ばすこともなかった。
ただ魔力を操り、スキルを利用して魔法を放った。
その魔法は高熱の線。
以前は火炎放射器のような魔法だったが、範囲を最小に絞り、より威力を高めた魔法。
良い魔法だ。
しかし、まだまだ魔力操作が甘い。
魔法を放つタイミングも軌道も全てが見えている。
俺は敢えて逸らす事なく、動いて避けて見せる。
それを見てか、連続して魔法を放つが、全て避けて見せた。そして接近すると、今度はこちらの番だと剣を打ち込んでいく。
威力は調節している。
木剣が折れないギリギリを見定め、ナナシが受け止めれる限界の速度と力を込めて、連続して打ち込んでいく。
「ぐっ!?」
やがて受け切れなくなったナナシは、一度俺から距離を取る。剣での攻防では、不利だと悟ったのだろう。
ならば次も魔法かと思ったが、突きを放つ構えを取った。
んん?とナナシの動きに疑問を持っていると、ナナシの目の前に魔法陣が展開した。
その魔法陣は俺も良く使っている速度上昇だ。
もの凄く嫌な予感がした。
それは俺にではなく、ナナシの方に。
そして、その予感は的中する。
「行くぞっ!?」
掛け声と共に魔法陣に飛び込むナナシ。
魔法陣の効果は発動され、一気に加速する。
それでも、十分に避けられるのだが、その選択肢は取れなかった。
「リミットブレイク」
木剣でナナシの突きを受け止め、後方に下がりながらナナシの勢いを殺して行く。
それと同時にナナシに治癒魔法を掛ける。
以前、俺もやった事があるが、魔法陣に体を通すと碌なことにならない。魔法陣とは魔法に力を追加するものだ。魔法以外を通せば、ボロボロになるのは必然だった。
それに例外はなく、ナナシも全身が骨折しており、突きの格好で固まっていた。
意識があるのが、不思議なくらいの状態だ。
勢いが止むと同時にその場に倒れた。
まったく、無茶しやがって。
「ははっ、いけると思ったんだがな、ダメだったみたいだ」
当たり前だ。魔法陣は人に使うようには出来ていない。
その事を説明しなかったが、まさか俺と同じ発想をするとは思わなかった。案外、試す探索者は多いのかも知れない。
ギルドはもっと魔法陣の恐ろしさを説明するべきではないだろうか。
ギルドの運営体制はどうなってるんだと疑問を持っていると、ナナシが深刻な表情をしているのに気付く。
「なあ、どうやったら権兵衛みたいになれる?」
前にも、同じこと言ってたな。
だから前と同じように言うぞ。やめとけ、間違いなく死ぬ。俺自身、生きているのが不思議なくらいの経験をして来た。それでもなりたいって言うなら、一人で奈落の世界を生き抜くしかない。絶対に死ぬがな。
「そうか、そうだとしても、俺は権兵衛みたいになりたい。その力があれば、きっと……」
ナナシは手を握り締めると、ジッと見つめ何かを考えているようだった。やがて力を緩め、ふうっと息を吐き出して頭を振った。
「いや、忘れてくれ。地上に戻って、権兵衛が手伝ってくれるならそれで十分だ」
ああ。何をするかは、地上に戻ってからでも教えてくれ。俺に出来る範囲でな。
「ははは、権兵衛なら何でも出来そうだがな。そうだ、一度で良いから、権兵衛の使っている剣を触らせてくれないか?」
ん?まあいいが、切れ味がヤバいから気を付けろよ。
収納空間から長剣を取り出した。
長剣は羊の毛で作った鞘に収まっており、鞘から抜くには魔力で鞘を操るしかない。
それを何度も見ているので、ナナシは迷いなく鞘を操り長剣を引き抜いた。
「……凄いな。なあ、振ってみても良いか?」
気の済むまでどうぞ。だが、絶対返せよ。
「ああ、分かってるって」
俺はナナシから距離を取ろうと振り返り、フウマとヒナタがいる場所に移動する。
そして、一瞬だが、世界が切り替わる感覚を覚えた。
腰を落として警戒する。
別にモノクロの世界になっている訳でも、強力なモンスターが現れたときのような緊張感がある訳でもないが、何か違和感がある。
何だ?とその違和感を探っていると、目を見開いて驚いているヒナタと目が合った。
「キュルル」
ヒナタは俺を指差していた。
いや、指差しているのは俺の背後だった。
嫌な予感がして振り返ると、そこには何も無かった。
「ナナシ?」
そう、さっきまで居たナナシの姿が消えていた。
ーーー
まるでブラウン管テレビの電源が切れるかのように、視界がぷつりと黒く染まると、体が移動する感覚を覚える。
何が起こっているのか分からず、思わず目を閉じてしまい、長剣を握る手にも自然と力が篭る。
しかし、その移動する感覚も一瞬で、直ぐに元の状態に戻った。
「一体なんだよ?」
ゆっくりと目を開き、今のは何だと権兵衛に尋ねようとする。
「権兵衛?」
だが、目の前にいたはずの人物がいなくなっており、それどころか、チビと呼んでいた翼の生えた子供や、バカ強い馬の姿も無くなっていた。
「……おいおい、何かの悪戯か? 権兵衛!チビ!馬ー!恐太郎!どこに居る!」
明らかにおかしな事態に、必死に冷静になろうとするが、四人が居なくなっているだけでなく、見ている景色まで変わってしまっており、その余裕はなくなった。
必死に叫ぶ。
ナナシと呼ばれた男は、自分を助けてくれた存在を、親しくしてくれた者達を求めて探し回る。
屋敷の跡地を見回り、枯れた湖に降りて、何かないかと探し回る。
「おい、何だ、どうなってんだよ。あいつらはどこだ。俺は夢でも見ていたのか?」
そう疑うが、それはないと右手にある長剣が否定する。
確かにいたのだ。夢ではない。
だが、これは何だ。
森は変わらずにあるが、屋敷は無くなっており、前にあった畑も姿を消し、あれだけ大きな湖が枯れ果てており、そこに住んでいた恐太郎の姿も見えない。
「何がどうなってる?」
状況が飲み込めず、頭をガシガシと掻きむしる。
こんなとき、権兵衛ならどうする。
必死に探し回るだろうか。じゃあ、その後はどうする?この場所から離れるだろうか?いや、身の安全を最優先に考えるだろうか?権兵衛ならなんと言う?
あの男ならどうするだろうかと必死に考える。
ナナシの友人で唯一、憧れた男。
まとまらない考えが頭を埋め尽くす。
だが、その考えも、強制的に中断させられる。
「今度はなんだ!?」
右手に持つ長剣がカタカタと鳴り、突然、魔力が溢れ出したのだ。
思わず長剣から手を離そうとするが、握った手が開かない。それどころか、もっと強く握ろうとしている。
自分の意思とは反対に動く現象に、恐怖しそうなものだが、何故か怖いとは思わなかった。
それは、発する魔力が悪意あるものではなく、優しく心地良いものだったからかも知れない。
長剣から流れ出る魔力はナナシの中に流れ込み、まるで土台を作るかのように、その身を強化して行く。
そして全ての魔力の放出が終わると、長剣は砕け散り、その破片もまたナナシの体に収まってしまった。
ナナシは、いや、天津平次は己の身に何が起こったのか理解していない。
ただ、何かを見たような気がした。
そして無性に悲しくなり、涙を流していた。
涙を拭う気にはならなかった。
ただ、もう、あいつらとは会えないという現実が、ただただ悲しくて、涙を止めることが出来なかった。