奈落17(迷いの森④)
森に夜が来たのだが、この森が枯れることはなかった。
その代わり、というか当然だが、森は暗闇に包まれ視界が悪くなっていた。
おかげで、魔法陣を使って灯した光を頼りに進むしかなく、フウマの進む足も遅くなる。
空間把握で知覚しながら進むことも出来るのだが、それは俺が先行する必要があり、移動速度は多少速くなっても消耗が激しくなってしまう。
疲れた所を狙われたら本末転倒な結果になるので、現状維持が決定した。
森を走る魔法陣の灯り。
その光は良くないものも呼び寄せる。
視界が悪く、前方に向けて強い光を放っているが、それに向かって来る存在がいた。
それは光に群がる虫のようで、まるで違う実態の無い亡霊のような存在達だった。
その亡霊に決まった形はなく、ただの淡い球体だったり、明るいうちに見たモンスターの形だったりと、よく分からない亡霊達だった。
その亡霊になんの力も無いのなら問題は無いのだが、この奈落では肉体の無い亡霊でも力を持つ。
数多の亡霊が魔力を操り魔法を使用する。
青白い火球が放たれ、上空から無数の氷の矢が降り注ぎ、風の刃が火球を追うように迫り、接触するとまるで起爆剤のように爆発する。
地面が隆起して波のように迫り、距離が狭まると腕が生え、俺達を捕えんと迫る。
魔法を受け流し、魔法を当てて相殺し、激しく動き回り回避するが、走る速度が落ちているのもあり、俺の魔法だけでは逃げ切れるものではなかった。
ならばと、フウマも魔法を使う。
空中を駆けるのとは別に、幾つもの風の魔法を使用する。
上空から強烈な風を降ろし、ダウンバーストを発生させて吹き飛ばすと、辺りに竜巻を発生させて亡霊達を一掃する。
しかし、というか当然ながら、その程度で消滅する亡霊達ではない。
再び集まり、魔法による攻撃を再開した。
魔法の攻撃は構わない。
幾ら襲って来ても、この程度の威力なら去なせるから。
だが、亡霊を倒せない。
剣で斬っても素通りするだけでダメージは負わず、ならば魔法でと攻撃しても、一時的に後退させるだけで効いた様子がない。
実体が無いからって、無敵すぎやしませんかね。
そんな悪態を吐きたくなるが、それで状況が改善するわけでもない。朝まで粘れば良いのなら、まだ何とかなるが、この奈落ではいつ朝が来るのか分からないのだ。
そうこうしている間に、赤ん坊が目を覚ます。
激しく動いているが動じた様子はなく、キュルと鳴いて喜んでいるようだった。
こっちの気も知らないで気楽なものだ。
剣閃を飛ばして線上にいる亡霊を一時的に引かせると、そこをフウマが駆け抜け、一気に引き離すため、木よりも高く舞い上がった。
そして後悔した。
木の下よりも、上の方が亡霊の数は遥かに多かったのだ。
更に高く上がる選択肢もあるが、亡霊から逃げ切れる保証もなければ、赤ん坊が俺達の動きに耐えれるはずもない。
選択肢は最初から無かった。
下に戻ろうとするが、上空の亡霊達から注目されているのが分かる。
結果として、多くの亡霊を引き付ける羽目になってしまった。
何か手はないかと思案する。
多くの亡霊に囲まれて、攻撃を食らわないようにするのは簡単だ。赤ん坊に配慮しなければ、この状況を突破するのも簡単だ。だが、見捨てるなら、端から赤ん坊を拾ってない。
「リミットブレイク」
亡霊の魔力を操り、互いに攻撃させ怯ませると、巨大な竜巻を発生させて辺り一体を吹き飛ばす。
悲しい事に、俺に亡霊を消滅させる力は無い。
だから、他の物に頼るしかない。
これは賭けだった。
俺は収納空間から水を生み出す花瓶を取り出すと、魔力を込めて光る水を生成する。
それを風に乗せて一気にばら撒いた。
魔法の風に乗った光を帯びた水は、辺りを照らしながら降り注ぎ亡霊達を飲み込んで行く。
その効果は劇的とまではいかなくても、確かなものとなる。
水を浴びた亡霊は、これまで負わなかったダメージを受けたのか、実態の無い体から煙を上げて逃げて行く。
完全に倒し切れなくても、撤退させることに成功したのだ。
そして、光を帯びた水がもたらした結果はこれだけではない。
木が草が水を浴びたことで、急速に成長を始めたのだ。
あっという間に成長した草は俺の身長を超え、水を浴びた木々は以前より大きく太くなっていた。
そして、水を浴びたのはそれだけではない。
キューアー!
赤ん坊も光りを帯びた水を浴びて興奮していた。
量は少なかったが、水を浴びて大丈夫なのかと視線を向ければ、目をキラキラさせていたのだ。
光を帯びた水を受けてダメージを受けるモンスターもいれば、そうでないモンスターもいる。何か共通点があるのだろうが、それが分からない。
雌牛や赤ん坊には効いた様子は無いが、スケルトン、赤ん坊の親であろう銀髪の男にはダメージはあった。はずだ。
全てに試した訳ではないが、てか殆ど試してないが、悪しき者っぽい奴にはダメージがあるっぽい。
少なくとも、赤ん坊はこの水が好きなようなので、積極的に使っていこうと思う。そうすれば、将来あの男のようにはならないだろう、きっと。
成長した草を魔法で刈り取り、移動しようとすると、ある物を見つけて足を止める。
草を刈った衝撃で一部の地面が捲れており、そこにスーパーでよく見た物が落ちていた。
人参?
何故か地面に人参が落ちており、それは一本だけでなくジャガイモのように何本か連なっていた。
これはどういうことだと一本取り、土を払って水で洗う。まじまじと観察してみると、見た目は完全に人参だった。ただ、ダンジョンに生えている物なので、食べれるかどうかは分からない。
フウマに人参?を差し出すと、躊躇なく齧り付いた。
咀嚼して飲み込むフウマ。
暫く観察するが、特に問題は無いようだ。
もう一本取り、洗って俺も食べてみる。
うん、人参。普通の人参。少し甘いが普通の人参。
俺は移動を取り止めて、草を引っこ抜いて人参の採取に取り掛かった。
光を照らし、採取の結果を眺める。
草を引き抜いて、地面から現れた物は人参だけではなかった。色は赤いがジャガイモっぽい物や、色は赤いがダイコンっぽい物、色は赤いがレンコンっぽい物も出て来た。
その数はかなり多いのだが、採れた範囲が草が成長した所だけだった。そこから抜けると、草はただの草でしかなかった。
なので、試しに光を帯びた水を草に垂らしてみる。
そして、成長した草を引っこ抜いてみると、赤いダイコンっぽい物が生えていた。
ふむふむと俺は理解した。
ここら辺の草は、水をやると野菜が出来るのだと。
アホか、ダンジョンだからってこんな不思議が起こってたまるか。
いや、確かにありがたいし嬉しいよ。でもさ、これはちょっと納得出来ない。
俺は収納空間に野菜っぽい物を入れながら、どうなってんだと考える。
結局は分からないのだが、俺達に都合が良すぎて気持ち悪いのだ。
だが、その悩みも、次の飯休憩で解決した。
オエーッ!
油断した。人参に騙された。
人参は確かに食べれた。だが、他は違った。
ダイコンは切った瞬間に爆発四散し、ジャガイモは湯がくと悪臭を放ち始めたのだ。もうレンコンなんて試そうとも思わなかった。
人参以外を全て放り投げて捨てた。
食べ物を粗末にするなと言われそうな光景だが、あれは食料じゃないから安心していい。
赤ん坊なんて余りの臭さに、さっきから泣きっぱなしだ。フウマに至っては、水を溜めていた樽に鼻先から突っ込んでいる。
風を起こして臭いを霧散させるが、臭いが取れない。服に付いてしまって落ちないのだ。
くそっとフウマが顔を突っ込んでる樽を奪うと、水を入れ替えて羊の毛で作った服を入れていく。
洗濯用洗剤を入れて、光る水でじゃぶじゃぶと洗っていく。付け置き洗いをしている間に、体を洗って行く。
ボディソープなんて、ここのところ使う余裕もなかったが、ここは一気に放出だ。
真っ暗闇の中、亡霊に水を飛ばして追っ払いながら洗い、赤ん坊も洗い、フウマをシャンプーで洗って、ようやく臭いが取れた。
洗い終わると、赤ん坊も泣き止んでいたが、泣き疲れたのかスヤスヤと眠っている。
何だか疲れたので、付け置き洗いはそのままに、収納空間から毛布を取り出して包まって仮眠を取る。
飯は起きてからにしよう、あの臭いの後だと食欲も消え失せてしまった。
微睡んでいると、樽から光が溢れ出していたが、少し疲れているのもあり仮眠を優先させた。
ジョッキを傾けて、生ビールを飲み干す。
「っかーっ!美味い!やめられませんねーこれ」
くはー!まったくだ。
「それにしても、子供拾って大丈夫なんすか?」
ちゃんと親元に返すから大丈夫だよ。
「でも、モンスターですよね? 翼生えてますし、魔力持ってますし。 あっカルビーとロース、あとマルチョウ二人前で」
あと枝豆とタンもお願い。
モンスターだとしても無理じゃん、見捨てるの。赤ん坊だぜ、魔力あっても使いきれてないし、今のままじゃあっという間に死んじゃうじゃん。
「そうは言いますけど、あれのお仲間に殺されかけてるじゃないですかー。 あっサンチュ要ります?」
いる。
まあなー。でもさ、育ててりゃ、こいつの親に会っても見逃してくれるかも知れないじゃん。正直、あの銀髪の男に勝てる気がしないんだよなー。
「ありゃやべーっすね。勝ち目ゼロじゃないですか。でも片手持って行けたんですし、何とかなるんじゃないですか?」
あれは、あの男が油断したからだ。消耗していても、まるで届いてない。最初から殺しに来られてたら助からなかった。クソが!もう一杯!
「でも、なんで引いたんでしょうね?何かしたんですか?あの光水が原因とか? あっ俺ももう一杯」
さあな、知らねーよそんなの。ただ……。
「ただ?」
なんだか、泣きそうな顔してた。
「泣きそうな……あっ肉焼けましたよ。もしかして、水被って理性を取り戻したとかですかね?」
知らねー、どうでもいいよ、考えたって無駄だし。本人にしか分かんねーよ。あっサンチュ取ってくれ、あと豆板醤も。
「はい。まあ、そうですね。 でも、どうします?」
何が?
「このまま、子供を迎えに来なかったら」
……来るだろ。
「分からないっすよ。モンスターなら、子育てせずに一人で勝手に育てって種類かも知れませんよ。もしかして、独り立ちするまで育てるつもりですか?」
さあな、そんときゃその時に考えるさ。
「適当っすね。まあ、田中さんらしいっちゃらしいですけど」
何だよそれ?
「悪口じゃないですよ、楽観視するのも大事だなって話です」
どっからそう繋がるんだよ。
「田中さんから」
ますます分からん。
「鏡見たら分かりますよ。って、そうだ!田中さん、あんたなに痩せてるんっすか!? 最初見たとき、誰か分かりませんでしたよ!?」
今更かい。良いだろう、俺、元々痩せてたんだし。
「うっそだー。田中さん=デブが鉄則でしょ? デブじゃなくなった田中さんは、個性の無いただの田中ですよ」
お前は全国の田中さんに謝って来い。
「あはは、嫌です。っと子供が呼んでるみたいですね。ここらでお開きですかね。また飲みましょうよ」
ああ、今度は他の奴らも連れて来いよ。
「ええ、その時は地上ですかねー」
じゃあ、早く帰んなきゃな。
「無事を祈ってますよ」
ああ、またな。
「はい、また」
キュルル、キュルルという赤ん坊の泣き声で俺は目を覚ました。
ーーー
亡霊
森で殺されたモンスター達の残滓。強いモンスターだったせいで、亡霊になっても力を持っている。満足するまで森の中を彷徨い、いつの間にか消える存在。生者を襲ったのはモンスターだった頃の習慣から。亡霊の半分は襲わない。
ーーー