奈落16(迷いの森③)
赤ん坊のオシメをして、翼の邪魔にならないように服を着せていると、翼の付け根辺りに赤い太陽のような痣があるのを発見した。
あの銀髪の男にもあったかなと思い出そうとするが、そもそも背中を見てないので思い出しようがなかった。
何はともあれ、準備ができたので腹部に固定し直して出発する。
森の奥に進むに連れて、モンスターが強くなっていく。出現する種類が変わったのもあるが、一体一体が大きく、現れる数も一体だけという事が多くなった。
二足歩行の牛のモンスターが姿を現す。
所謂、ミノタウロスというモンスターだろう。
それにしては、背中にドラゴンのような翼があり、周囲の木々と変わらないくらい大きい。
ミノタウロスというモンスターを、牛が起き上がったくらいの大きさを想像していただけに、このサイズは予想外である。しかし、正に神話で語られる化け物に相応しい姿ではないだろうか、とも思う。
ゲームやアニメでよく見たミノタウロス。
俺は彼に敬意を表して、フウマから降りて戦うことを選択する。
赤ん坊はフウマによろしくと言って預けてある。
フウマは頷くと、赤ん坊を背中に乗せて大人しく下がってくれた。
分かっているのだ。目の前のミノタウロスはかなり強力なモンスターである事を。巨大な肉体から発せられる威圧感は半端なく、内包する魔力もそれなりだ。
そして何より、その手に持つ巨大な斧は白く淡い光を放っており、俺の警戒心が油断するなと警笛を鳴らしている。
長剣を構えると、ミノタウロスとの距離を詰めようとジリジリと近付いて行く。
ミノタウロスはこちらに気付いるはずなのに、襲って来る様子がない。視線は俺に向いているのに、斧を構える事もしない。もしかして敵意の無いモンスターなのだろうか。
その疑問は直ぐに晴れる。
予備動作は無かった。
突如として振り下ろされる巨大な斧。
振り上げるまでの動作を知覚出来なかった。それほど動きが早かったとかではなく、何かの魔法かスキルによるものだろう。
巨大な斧を横に飛んで避けると、斧は地面と衝突し破壊する。
大きな振動と共に崩れる足元。
立っている事が不可能な状況だが、焦る必要はない。
地属性魔法を使い、崩れた地面を全て槍に変え、一斉に発射する。
ミノタウロスから見ても、視界を埋め尽くす数の槍。これだけの量があれば、ダメージは与えられなくても、少なからず当たるだろうと思っていた。
魔力が巨大な斧に通される。
突然、全ての槍が動きを止めた。
意味が分からない。予備動作も無く、場面が切り替わるように全ての槍が止められたのだ。
更に、ミノタウロスが俺の視界から消えていた。
居たのは俺の隣。
次は斧を横薙ぎに払い、俺を切断せんと迫る。
上空に飛び避けるが、空間把握が感知しなかったら、かなり危なかった。
魔力の動きを察知して、俺も風属性魔法を使う。
ミノタウロスは口に魔力を集めると、空中にいる俺に向けて冷気のブレスを放った。
ならばと、俺も対抗して十もの細い竜巻を発生させ、ミノタウロスに向けて放つ。
衝突するブレスと魔法。
その余波で辺りが凍り付くが、それを気にかける余裕はない。またしても、ミノタウロスが移動していたのだ。
ギロチンの刃が可愛く見えるほどの、絶死の斧が振り下ろされる。
長剣で受け、逸らす事も出来ずに俺は地面に叩き付けられた。
余りの勢いで叩き付けられ、肺の酸素を全て吐き出すが、それだけだ。叩き付けられる前に、地面を地属性魔法で操り柔らかくしており、受け止めた長剣が頑丈なおかげで負傷は免れた。
「リミットブレイク」
身体強化を更に使い、巨大な斧を跳ね返す。
そして、立ち上がると同時にミノタウロスに斬り掛かる。が、そこにミノタウロスはおらず、またしても斧を振り下ろす体勢に入っていた。
そうはさせないとミノタウロスの魔力を操り、突風で斧を煽り軌道を逸らすと、大きく距離を取った。
一度、考える時間が欲しかった。
だが、それを許してはくれない。
冷気のブレスが追って来たのだ。
魔力の流れは感じなかった。卓越した魔力操作で感知させなかったのかも知れないが、その可能性は限りなく低い。
地面に着地すると、石の壁を作り出してブレスに備える。
そして、長剣に魔力を込めて、ブレスが壁に衝突すると同時に、横にいるミノタウロスに向かって剣閃を飛ばした。
ミノタウロスから悲鳴が上がる。
剣閃で両断は出来なかったが、体を深く傷付ける事に成功した。
何度も受ければ分かる。
こいつは時間を止めるか、それに近しい能力を使っている。そうでなければ、俺の近くに突然現れる説明が付かないからだ。
ミノタウロスと同じく漫画でよく見る能力、時間停止の能力。
明らかにチート級の能力だが、ミノタウロスの知能が足りていないのか、それとも何かしら制約があるのか使いこなせていない。
負傷しながらもミノタウロスは吠えて、巨大な斧を振り下ろして来る。
その攻撃は超質量で恐ろしくはあるが、技術は無い。
一撃一撃が地を破る威力があるなら、そこに技術は必要ないのかも知れないが、それは同等の力を持った相手が現れなければの話だ。
長剣に魔力を込め、身体強化を全力で施し真っ向から受け止め、そして逸らす。
またしても地が壊されるが、構わずにミノタウロスに接近、足を斬り落とさんと横薙ぎに払おうとして、一瞬でミノタウロスの姿が遠くなった。
だから剣閃を放ち、足の付け根から斬り飛ばす。
上がる獣の悲鳴と冷気のブレス。
それも石の壁を作り出して防ぐと、再びミノタウロスに斬り掛かった。
そこからは消化試合と言って良かった。
特に見せ場もなく、ミノタウロスの巨大な質量と時間の停止、あとは冷気に気を付けておけば倒すのは容易かった。
悲鳴を上げて崩れ落ちるミノタウロス。
体が大きい分、頑丈で耐久力も高く、再生能力も持っていたが、長剣の切れ味が凄すぎてものともしなかった。
改めて思うが、銀髪の持っていたこの長剣は、武器性能で言えば時間停止並のやべー長剣だ。
もしも不屈の大剣で、このミノタウロスを相手にしていたら時間はもっと掛かっただろうし、力も出し惜しみ出来なかった。
ここまで簡単に倒せたのは、長剣があってこそだろう。
あの時、銀髪の男と対峙した時、俺が生き残れたのは遊ばれていたからだろうなと実感する。
技量で負けて、力で負けて、魔法で負けて、武器でも負けていた。
勝ち目なんて欠片も無かったのだ。
どうして見逃されたのか、今となっては分からないが、出来れば二度と会いたくない。
出会っても、この赤ん坊を返したら見逃してくれないだろうか。割とマジで。
そんな希望を抱いていると、当の赤ん坊がキュルルと泣き始めた。
辺りは俺とミノタウロスの戦いの余波で、地面はめくれ、木も無くなっているが、フウマに守られていた赤ん坊は無事のようだ。
ミノタウロスの亡骸と巨大な斧を収納空間に仕舞うと、雌牛の乳を取り出して赤ん坊の元に向かった。
森の中を駆け抜ける。
かなりの距離を進んでいるが、景色に変化はない。
樹齢百年以上の大木が、お互い邪魔にならないよう間隔を空けて生えており、地面には落ち葉と背の低い草が生えているのみ。
既視感を感じる景色が続いているせいで、緊張感も切れそうになるが、定期的に現れるモンスターのおかげで、気の休まる時間はない。
暫く移動すると、赤ん坊がぐずり始めるので、その度に足を止めて乳やりとオシメの交換をしている。
三度足を止めると、近くの木に赤ん坊の似顔絵を刻んで先に進む。
そんな移動を繰り返していると、前方に光が差した。
森の終わりかと思ったが、そうではなく、大きな湖に到着した。
俺は警戒する。
大体、環境が変わると碌なことは起きないと、この奈落に落ちてから散々学んだのだ。
迂回しようと森の中に戻ろうとするが、湖の方から視線を感じる。
敵意は感じないので無視して行こうとするが、大きな魔力の動きを感じ取ったので振り返らずにはいられなかった。
振り返った先には、視線の正体である顔が湖から生えていた。
その頭部は爬虫類のものだが、丸みを帯びた優しい感じがする。敵意は感じず、戦いとは無縁のような雰囲気さえある。
その爬虫類の頭部は、俺に近付くに連れて湖から首を伸ばして行く。その姿はまるで白色のネッシー(プレシオサウルス)のようで、やがて体も湖から現れた。
筋骨隆々のマッチョな肉体で。
優しい爬虫類の頭部に長い首。そして二足歩行のマッチョな肉体。白色というアンマッチな色も、色々と際立っている。
もう、どこからツッコめばいいのか分からない。
敵意があれば問答無用で殺すのだが、てか直ぐにでも排除したいのだが、伸びた首が俺の腹の辺りに近付いており、つぶらな瞳が俺達を見つめていた。
斬るべきか、見逃すべきか、やっぱ斬るべきだろと悩んだ末に考えが傾き、長剣を引き抜くも、腹の辺りからの鳴き声に手を止めた。
キュ〜
赤ん坊が泣き声以外の声を上げた。
腹にいる赤ん坊を見ると、目が開いており、偽物ネッシーをジッと見ていた。
そのままジッと見つめ合う赤ん坊と偽物ネッシー。
徐々に接近していき、何が起こってるんだとたじろぐと、赤ん坊が突然キュア!と鳴き、魔力の砲弾が偽物ネッシーを襲った。
突然の砲弾を受けてのけぞる偽物ネッシー。
これは戦闘開始かと思ったが、偽物ネッシーは何でもないようで頭の位置を元に戻して、再び赤ん坊と見つめ合っていた。
これが何度も繰り返される事になる。
マジで何なんだ、この状況。
カオス過ぎて、先程戦ったミノタウロスが恋しくなる。
あれは良かった。倒し倒される分かりやすい関係。自分が勝つ事が条件だが、単純明快で良い。
それに比べてこれはどうだろう。
ジッと見つめ合い、赤ん坊がキュア!と鳴く度に頭をのけぞる偽物ネッシー。
こんな不思議な交流を始める前に、首を斬り落とすべきだったかも知れない。
やがて赤ん坊はお腹が空いたのか、ぐずり始めたので、偽物ネッシーに終わりだと手で静止する。
すると、その意味が分かったのか大人しく下がってくれた。
最初からこうすればよかったと思いながら、フウマから降りて、赤ん坊に雌牛の乳を与える。目が開いたからか、乳を飲むとき俺の顔をジッと見ていた。
黄金の瞳が俺を直視する。
あの銀髪の男と同じ瞳の色だ。
乳も飲み終わり、赤ん坊が吐き出した魔力を受け流して、暴走する魔力を上空に逃す。
乳を飲む度に繰り返すおかげで、流石に対処も慣れて来た。
腹が一杯になったからか、お眠の時間のようで瞼が次第に下がって行く。やがてスヤスヤと眠りに付くと、また移動しようとフウマに跨った。
偽物ネッシーはその様子を見ているだけで、今度は動こうとしなかった。
俺がじゃあなと一言告げると、ガァと頷いた。
こいつも意思疎通は出来るんだなと思いながら、俺達は湖から離れる。
そして、森に夜が訪れた。
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グレーターミノタウロス(ミノタウロス)
大きく強靭な肉体と冷気を操る能力を持つ。一定間隔の時を停止させる魔武器を持っており、対象に何らかのアクションを起こそうとすると解除される。理由は効果範囲に入ると己も停止する為。武人気質だが、好戦的でなかった為、可能性の獣になり切れなかったミノタウロスの上位種。
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