幕間20(夢見未来)
場所はネオユートピアの居住区。
そこにある高層マンションの一室で、夢見未来は目を覚ます。
時計を見ると既に十時を過ぎており、社会人であればとても遅い起床である。
「……ねむ」
未来はボサボサの頭を掻きながら布団から出る。
その姿は下着だけで、とても異性には見せられるものではない。
ベッドから起き上がると徐にベランダのカーテンを開く。
別にこの姿を見られても気にしない、そもそも高層マンションに住んでいるのだから、そんな心配も杞憂なのだが。
「あっ」
カーテンを開いた瞬間、道を挟んだ向かい側の高層マンションの住人と目が合う。
目が合った中年男性は驚いており、未来も思わずカーテンを閉めてしまった。どうやら恥じらいは残っていたらしい。
起床一発目から恥ずかしい思いをした未来は、気を取り直すようにシャワーを浴びる。ボサボサだった腰まである茶髪も本来の形を取り戻し、時間を掛けて乾かして行く。
髪邪魔だなぁと思いながらも乾かし終わると、パンとスープで朝食を済ませた。
歯を磨いて、鏡の前に座ると、そこには酷い顔をした二十代半ばの女性が居た。
誰だこいつは?
いや、私じゃないかと己でツッコミながら化粧をしていく。
未来の容姿は決して悪くはない。
パッチリとした二重瞼、スッと伸びた鼻にぷっくりとした唇。小顔で、どちらかというと童顔寄りではあるが、中年男性からは受けが良い。
それが良いことなのかは分からないが、誰にも良いと思われないよりはマシだろう。
そんな未来の容姿だが、どうしても隠せないものがある。
それは深い目の下のクマだ。
どんな美人でも見劣りしてしまいそうなクマが、未来の容姿を二段階くらい引き下げていた。
未来は決して寝不足とかではない。
昨日も夜の二十三時には寝たし、朝の十時までは夢の中に居た。
それでもクマが無くなる事はない。寧ろ寝る度にクマが深くなってる気さえする。
「はは、酷い顔」
化粧を終えた鏡に映る顔を見て思わず零れる。
どうしてこんな事になったのだろうと考えて、思わずため息が出る。
こうなったのは、姉に影響されて探索者になったからだ。
姉の焔は学生の頃から探索者をやっており、チームを変えながらも40階を突破した猛者である。
姉の姿を見て、自分も湯水のように金を使いたいと思い探索者になったのが失敗だった。
よりにもよって、最初に手に入れたスキルが酷過ぎたのだ。
スキル『予知夢』
このスキルを得たせいで、常に寝不足と魔力不足に悩まされる羽目になった。
寝る度に夢を見ており、それはこれから起こるであろう未来の夢だった。そして、夢を見ると魔力が消費される上、どうにも寝た気がしないのだ。
更に言えば見る夢も酷い。
身近な人の夢ならまだ良いが、どこの誰とも知らない人の夢や、これから風俗に行くおっさんの夢を見たりと、誰得だよと言いたくなるような夢ばかり見るのだ。
だが、稀に価値のある夢を見る。
それは身近な人が事故に遭うとか、どこかで災害が発生したり、国の重要人物が狙われているとかだ。
一度、数字を当てる宝くじを購入して一等を当てたが、何故か喜びはなく、換金と同時に慈善団体に寄付した。
文字通り、金を湯水のように扱えるチャンスだったが、どうしても使う気にはならなかったのだ。
その事を姉の焔に相談したところ、焔の所属する探索者チームに入らないかと誘われる。
姉の所属しているチームはある事件がきっかけで、半ば探索者を引退していたが、それでは生活が成り立たないと大企業と契約を交わしていた。
40階を突破した探索者。
それと契約するのは、企業側としてもステータスになり、これからの企業戦略としても必要なものだった。
お互いの意見が合致して行われた契約は、未来が加入した事で更に加速して行った。
冷蔵庫から取り出したマナポーションを飲み干すと、体に活力が漲って来る。
相変わらず目の下のクマは無くならないが、それでも寝起きよりは大分マシである。
未来は身支度を整えると、マンションを出て商業地区に向かう。
ネオユートピアの居住区から商業地区まで少々離れており、歩いて行くと三十分は掛かる距離だ。なので、移動手段としてバスを利用する。
バス停に行くと、先程目の合った中年男性が居た。
気まずい雰囲気になるかと思ったが、どうやら未来に気付いていないようである。
「今朝はどうも」
「あはは、失礼しました」
バッチリ気付かれていた。
中年の男性は未来に挨拶をすると、スマホに視線を戻す。その画面には姉の写真が映っていた。
えっと思い、背後から横目で見ていると下にスクロールしてニュース記事が表示される。
ああ、グラディエーターの記事かと気付いて納得する。
姉の焔は、年末に行われたグラディエーターの選手として活躍していた。メインの試合ではなかったが、30階を超えたプロ探索者二人を相手に圧倒していたのは、今思い出しても凄い光景だった。
それにより焔の知名度は上がり、爆発的な人気を獲得していた。
そんな姉を持つ身としては鼻高々だが、危ない事は控えて欲しいと思っている。
「大丈夫ですか?」
「えっ?」
「いえ、疲れているように見えたので、声を掛けさせてもらいました」
「あっ、ああ、はい大丈夫です!お気になさらずに!」
ぼーっとしてたせいか、中年の男性に心配されてしまった。きっと目の下のクマのせいだなと思い、慌てて否定する。
中年の男性はそうですかと呟くと、再びスマホに顔を戻した。
ちゃんとしないと、そう自分に言い聞かせる。
他人に心配される程、ヤバそうな見た目なら、少しは気を張る必要がありそうだ。
シャンと立って背筋を伸ばす。背中がゴキッと鳴るが、自分にしか聞こえてないからセーフだ。
また中年の男性から横目で見られる。
どうやら聞こえていたようである。
こっち見んな。なんて言えるはずもなく、代わりに中年男性を見てみる。
線が細く、スーツ姿に七三のヘアスタイル、ちょび髭を生やしておりメガネを掛けている、どこにでもいそうな中年サラリーマンである。
何が楽しくてこんな中年を見なきゃいけないんだと、自分で始めた事を棚上げにしてバスが来るのを待った。
少しするとバスが到着する。
一口にバスとは言っても、一般のガソリンや電気で走るバスではなく、魔力で走るバスになっている。
そのバスに運転手はおらず、タイヤも付いていない。
ネオユートピアを走るバスは錬金術で作られているらしく、いろんな技術が詰め込まれているらしい。
因みに、未来が契約している企業の商品だが、興味のない未来は気付いていない。
バスが停車すると、ピコンと音が鳴り地面に着地する。
扉が開きバスに乗車すると、高級なソファが設置されており、空間も広く確保されていた。
これは利用客が少人数であると仮定した作りであり、ネオユートピアというブランドを誇示する為の物である。
ネオユートピアでは、大抵の住人はバスを利用しない。
大抵、空を飛ぶタクシーか、マンションやビルの屋上に設置された空中回廊を使って移動する。
空を見上げれば、建物間を血管のように伸びる空中回廊が見える。
人によっては、気持ち悪いと思うかも知れないが、未来はこの景色が好きだった。
まるでネオユートピアが一つの生命体となっているようで、自分もその一部だと思えるからだ。
視線を下に戻して歩道を見ていると、ジョギングしている人や散歩している人が見受けられる。
ここでは、徒歩で移動している人は殆ど見ない。
空中回廊を使った高速移動が便利過ぎて、運動という目的以外で道を行く人を見なくなっていた。
ここではない地方から来た身としては、寂しいと思える光景だが、バスを利用している自分も似たようなものだなと自嘲する。
そうこうしている間に商業地区に到着する。
ここに来ると、近未来の世界をテーマにした映画の世界に入り込んだような気分になる。
先鋭的な形をした建築物に企業のロゴ。治安維持や道案内を目的とした人型ゴーレムや、清掃用の小型のゴーレムが走っている。
まあゴーレムと言っても、まるでロボットのような見た目をしており、ファンタジー要素は薄いのだが。
他にも、空中に大きく映像が映し出されており、その数も一つではなく無数に存在する。
これらは、空中回廊を移動する人達にも見てもらう為の物であり、歩道を歩く人向けの物ではない。
商業地区では、少なからず歩道を歩く人はいるのだが、大半の人が空中回廊を利用しているのに変わりはなかった。
道を歩くと、建物の中には多くの人が居るのは分かるのだが、歩道に人の姿を見ないので、途轍もない違和感を覚えてしまう。
もしかしたら未来の世界では、人は地面を歩かなくなるのかも知れない。
そんなどうでもいい未来を夢想しながら一つのビルに入って行く。
「おはよう御座います。よく眠れましたか?」
「あはは、お陰様で」
受付の顔見知りに挨拶をされた未来は、困ったように取り繕う。
申し訳ない。朝から働いてる人達の前で、昼過ぎに出社しているのが申し訳ない。
この人達は気にしていなくても、私が気にすると足早にエレベーターに向かう。
未来の所属しているチームが契約している企業名は、MRファクトリー株式会社という。元はIT企業だったが、そこから幅広く事業を展開していき、今では日本を代表する企業にまで成長していた。
MRファクトリーは、ダンジョン事業にも参画しており、スキルで錬金術を獲得した者や、有用そうなスキルを得た者をスカウトして商品の開発に取り組んでいる。
ただ、その開発する商品は探索者向けのものではなく、一般人向けの物である。
その一環でネオユートピアの開発にも貢献しており、また多額の出資をしていた。
ネオユートピア内を走るバスを筆頭に、空中に映像を映し出す映像装置やネオユートピア全体の空調装置もMRファクトリーの功績だ。
残念ながら空中回廊には参加出来なかったが、新たに作られる地では、更に出資して参入する計画を立てていた。
そんな企業の戦略はどうでもいいとして、ここでの未来の仕事は簡単なものだった。
「いい夢は見れました?」
「ええ、まあ……」
エレベーターで10階まで上がると、探索者と契約を担当している部署に入室する。
すると、物腰柔らかい女性が和やかに話掛けてくれた。
それを曖昧に返すと、その女性の監視の元、パソコンに向かって今日見た夢の内容を打ち込んで行く。
そう、未来の仕事は、予知夢で見た光景を全て会社側に報告することだった。
「へー、あの俳優の夢見たんですか?」
「ええ、なかなかディープでした」
昨晩見た夢は、某有名俳優が多くの女の子と関係を持っているというものだった。それだけならよくある話なのだが、半年以内に週刊誌にすっぱ抜かれるという内容だったのだ。
正直、こんな下らない夢を見さすなよという思いなのだが、企業側としては有難い情報でもある。
仮にCM起用やスポンサー契約でもしていれば、無用な損失を被るかも知れない。この俳優を会社の顔として、前面に出していたら目も当てられない。
それを回避することが出来る。更に言えば、この情報を他社に売って恩に着せる事も可能だ。また反対に誤情報を流して起用させる事も……。
「そう言えば、加賀見さん達、本日帰還したそうですよ。明日にはこちらに戻って来るそうです」
「本当ですか! あっ皆さん無事なんですか?」
加賀見とは未来が所属するチームのリーダーだ。
以前見た夢を元に探索に向かっており、姉の焔も同行している。
「ええ、大丈夫みたいです。ただ、戦っていた探索者は手遅れだったようです」
「そうですか……」
「探索者の方は残念でしたが、目的の物は入手出来たようですよ。お手柄ですね、恐らく報奨金も出ると思いますよ」
「おお……。前もそうでしたけど、夢しか語ってないのに、貰って良いんですか?」
「それだけの価値が、未来さんの予知夢にはあるという事です」
以前見た夢は、ある探索者のものだった。
力の差があり過ぎたからか、はっきりとは見えていなかったが、クイーンビックアントと戦っている姿は見えていた。映像はぶつ切りで、クイーンビックアントが強力な魔法を使った所で映像が切れたので、恐らくそこで助からなかったのだろう。
スマホに映った日時と場所の特徴を伝えると、姉達は察したようで急いで行くと言ってくれた。
MRファクトリーの求めている、クイーンビックアントの生命蜜があるというのもあるのだろうが、それで助かってくれたらと願っていた。
やっぱり、夢で見た光景は変えられないのかと、落胆してしまう。
そんな未来を他所に、女性は和やかに言う。
「今回の成果で、プロジェクトがまた一つ動き出します。成功すれば、世界に革命が起こります」
「革命……ですか?」
「ええ、今はまだ言えませんが、間違いなく革命と呼ぶに相応しいモノです」
和やかながら自信満々に言い放つ女性。
この女性の話が嘘だった事はない。ならば、余程凄いプロジェクトなのだろう。
「へー凄いですねー」
しかし、そんなものに興味のない未来は、適当に流してしまう。
その態度にピクリと眉が動く女性だが、特に表面に出したりはしない。何故なら未来は大切な存在だから。何故なら未来は予知夢が出来るから。
未来は知らないが、予知夢によってMRファクトリーは多大な利益を出している。
それこそ、契約した他の探索者全てと比較しても圧倒的なものだ。
可能なら軟禁して予知夢を見るだけの存在にしたいが、未来の姉の焔や、その仲間達が黙ってはいないだろう。
以前、会社の中には探索者を侮っている者もおり、冗談で行方不明にしようなんて言う輩もいたが、年末に行われたグラディエーターを見て誰も何も言わなくなった。
あれは無理だ。
人が敵う相手ではない。
たとえ銃火器を使おうとも、一般人では傷付けることも不可能だ。
その昔、探索者の手によって国家が転覆しかけたと学校の授業で習ったが、それが真実なのだと皆が理解した。
「本日はこれで終わりです。また明日よろしくお願いします」
「はい、じゃあまた明日」
未来は女性に挨拶をするとエレベーターに向かう。
雑談含めて、かれこれ三十分の仕事は終わり、残りの時間はフリーだ。
帰りにマナポーション買わなきゃなと思いながら、商業地区を歩いていく。
未来の日常は自宅と商業地区だけで完結している。
商業地区には日本のみならず世界中から多くの物が集まっており、娯楽も大量にある。
収入も十二分にあり、欲しい物は大体買える。
予知夢のせいで、常に寝不足な感じだが、他の人から見たら夢のような生活だろう。
こんな毎日がいつまで続くのか分からないが、辞めるのなら、一生暮らせるだけのお金を貯めてから辞めようと思う。
「今日はどんな夢を見るのかなぁ」
大きく欠伸をして、どうせ下らない内容なんだろうなと思いながら、ディスカウントショップに入って行った。
これは誰の夢だろう?
体は立ったまま動かない。辺りは暗いので夜だろうか?
暗いながらも見えるのは崩壊した世界。多くの建築物が壊れており、多くの所から火が出ている。
悲鳴が聞こえないという事は、ここに人は居ないのだろうか?
激しい衝撃が走り、キャっと可愛らしい悲鳴を上げて転倒する。
何が起こったのだろうと周囲を見渡すと、更に建物が崩壊する。
上から瓦礫が落ちて来ており、急いでその場から逃げ出す。
逃げた先でまた転び、その先にあったガラスに映る人物に見覚えがあった。
私?
まさか自分の夢を見るとは……。
初めての経験に少しだけ興奮する。
だが、ここは一体何処だろう?少なくともこんな廃墟に来る予定は無い。
空に巨大な影が浮かぶ。
それを見た瞬間に、夢の未来は背を向けて走り出しており、その正体が分からなかった。
ただ、酷く怯えているように見える。
手には探索者時代に使っていた短刀を持っているが、刃こぼれが激しく、とてもではないが使える物ではない。
また強い衝撃が走り、辺りの建物は本格的に倒壊を始める。
その中に、良く見るロゴマークが飛び込んで来た。
MとRが重なったMRファクトリー株式会社のロゴマーク。
それを見て、ここがネオユートピアだと理解する。
なに?何が起こってるの!?
混乱する頭を必死に冷静になろうとするが、残念ながら混乱を鎮めることが出来ない。
轟音と共に閃光が走る。
そして遠くで爆発が起こり、暴風が未来だけでなく多くの物を吹き飛ばして行く。
分からない、分からない。
見えない、見えない。
その理由が、夢の未来が目を瞑っているせいだと分かる。
そしてゆっくりと開けられた瞼の先で映る光景は、空に浮かぶ三対の翼を持つ龍、翼を広げた天使、あとは黄金に輝く何かだった。
未来の夢はそこで終わった。