奈落⑩(川)
長いです
死ぬかと思った。
奈落に来て毎回死ぬ思いをしているが、大怪獣と出会う度に地殻変動クラスのエネルギーのぶつかり合いをするので、存在そのものが消し飛んでしまうのではないかと思ってしまう。
怪獣三体の決戦の結果がどうなったのか分からないが、海亀の怪獣は、復活するなり俺を殺したくて仕方なかったようだが、他の二体を前によそ見は出来なかったようで、俺は見逃された。
その後、なんだかんだ逃走に成功……出来るはずもなく、戦いの余波に巻き込まれて、どこか遠くに飛ばされてしまった。
フウマを抱えてシェルターを作り出して殻に籠ったのだが、余りの強烈な勢いに気を失ってしまった。
そして、川の近くで目を覚ました。
近くにはフウマもおり、そして怪獣大決戦の敗北者もそこにいた。
目の前には巨大な海亀の甲羅。
目玉は無く、生命の脈動も感じない。
海亀さんよぉ、また負けてしまったんかい?
まるで以前の焼き直しのような光景に頭痛を覚えるが、リミットブレイク・バーストを使い、魔法で攻撃してから海亀を収納空間に入れた。
念には念をである。
また復活されても困るのだ。もう、マジックポーションは残っていないのだから。
何はともあれ、フウマも起きた所で食事を済ませて、どこに行こうかと思案する。
目の前に広がる光景は大きな川、背後に広がる光景は草原。
川の流れは穏やかなのだが、果てしなく広く向こう岸が見えない。
草原の方は当たり前のように地平線である。
どちらに行こうかとフウマと顔を見合わせると、フウマが足を上げて川を行こうと指し示す。
それにどんな真意があるのかと尋ねると、魚が食いたいとジェスチャーで正直に語った。
いやいや、ここに出るのはモンスターなんだから、食えるかどうか分からないからな。
仮に魚がいても、毒があるかも知れないんだから食えねーよ。
何?食料も厳しくなっているから行くしかないって?
確かに、残りの食料は残り少なくなって来ている。
ダンジョンに入る前に、大量に買い込んでおり、三ヶ月は飢える心配はないはずだった。それに、天闘鶏や幻惑大蛇を狩っているので、普通に食べていれば半年分は十分にあった。
それが、底を突き掛けている。
一食の量が多いのもあるだろうが、それだけの期間、この奈落で過ごしているのかも知れない。
朝と夜での時間の経過を図れない以上、どれだけの時間が過ぎたのか知る術は無い。だが、少なくとも地上に戻った時に、かなりの時間が過ぎているのは間違いないだろう。
それに、終わりも見えない現状は精神的にもかなり来るものがある。
もしも帰れなかったら……俺もあんな風に……。
無念のまま亡くなった彼の姿が思い浮かぶ。
思い出すのを止めようと、振り払うように頭を振る。
考えるのは止めよう。
とにかく前に進むのだ。
それしか道はないのだから。
草原を探索しきれたとは言えないが、これ以上探しても見つかる気がしないので、川を渡ろうと思う。
フウマに跨り、川の上を風属性魔法で駆ける。
どこまでも続く水平線。
川のように一定方向に流れているのに、まるで海のように広く感じる。
万が一を考えずに大海原のような川に飛び出したが、もしも岸に到着しなかったら、もしも向こう岸がなかったら、俺達は川魚の餌になってしまうかも知れない。
そんな事を思っていたからだろうか、川から何かが跳ねた。
それは、人を丸呑みしそうなほど大きい鯉だった。
大口を開けて迫る鯉のモンスターを風属性魔法でなます斬りにすると、収納空間に入れようと手を伸ばす。
しかし、何かが唸るような感覚がして、思わず手を引っ込めてしまう。
次の瞬間、黒い線のような何かが通過し、なます斬りにした鯉がみじん切りになり落ちて行く。
そこに残ったのは、黒くうねうねと動く線の塊。
まるで寄生虫のようなそれは、俺達に向かって線を振り、無様に落下して行った。
そりゃ俺達は空中を移動中だ。同じように空中を移動できるか、ここまで跳ぶか、遠距離攻撃がなければ俺達には届かない。
通り過ぎた場所が、激しくバシャバシャと水が跳ねている。きっと寄生虫が暴れているのだろう。
この川には魚のモンスターが居るのは分かったが、地上と同様に寄生虫が存在しているようだ。しかもビッグサイズ。
これは食べられない。たとえ加熱したとしても、それで寄生虫の卵が死ぬとは限らない。ましてや相手はモンスターである。食べた瞬間に、腹を食い破られる恐れもある。
フウマに残念だったなと話し掛けると、まだ分からん!と鼻息を荒くして、低空での飛行に戻った。
低空飛行しているのは、川の中に生息しているであろうモンスターを誘い出す為だ。
川の水質は透明でとても澄んでいる。それでも川底は見えず、一体どれほど深いのか想像も付かない。だからといって、確かめるつもりもなく、触れるつもりもない。
食料は残り少なくても、水に関して言えば十分に足りている。魔法陣で生成も可能だし、少量の魔力で済む水を生成する花瓶だっである。
だから水は気にしなくて良い。
だからさ、わざわざ水が起き上がる必要はないと思うんだ。
まるで天地がひっくり返ったかのように、大量の水が天へと向かって流れて行く。文字通り天を突くのではないかと思うほどまで成長すると、俺達を巻き込もうと流れ落ちて来る。
魔法陣の拡大、増強、持続を展開すると、風属性魔法を使い特大の竜巻を生み出した。
巨大な竜巻と大量の水と衝突すると、高く上がった川を吹き飛ばして行く。
川の中にいたモンスターが牙を向くが、フウマがチャクラムを飛ばし、モンスターを切り裂き、頑丈そうなのは魔法で軌道を逸らしてくれる。
よし、天を突くような川はこれで乗り切れた。
そう思ったが、既に第二波が来ていた。
二度目の川には対応が遅れてしまい、対処出来ずに飲み込まれてしまう。
錐揉みしながら深く深く沈んで行く。飲み込まれる勢いに意識を失いそうになるが、必死に意識を繋ぎ止めてリミットブレイク・バーストを使用する。
全力の魔力を不屈の大剣に込め、微かに明るい方向へ向けて振り抜いた。そして大量の水を切り裂き吹き飛ばす。
空気が降りて来て、一度だけ呼吸をすると、目を回しているフウマを掴み風属性魔法で空高く舞い上がった。
これはやばい。
この川は普通の川じゃない。
せめてフィールドだけは普通であってほしかったが、川自体が意思を持ち、殺しに来ているみたいだ。
上空で咳き込み、飲み込んでしまった水を吐き出す。
ついでに、フウマの背中を叩いてやると、ドバッと水を吐き出して意識を取り戻した。
安全を確保するため空高くまで上がったのだが、俺達を引き摺り込もうと川が再び天に向かって伸びて来ている。
こんなの相手にしていられるかと、フウマに跨り猛スピードで離脱する。起きたばかりで申し訳ないが、ここはフウマの移動速度に頼るしかない。何故なら、他の場所でも天に向かい川が流れ始めているからだ。
四方八方、広範囲に俺達を囲むように伸びて来ており、更に高く上がっても、川もそれに追随して伸びて来る。
ちくしょうと歯軋りして上がりに上がって見た景色は、どこまでも続く平面の世界。
どこまでも続く青い空と、ようやく見えた広大な大地。
これまでの階層には、行き止まりと思われる霞がかった景色や、険しい崖があった。
それが、ここにはどこにも無い。いや、あるのかも知れないが、少なくともここからでは見えない。
フウマが風の魔法の力を使い疾走する。
俺の驚きとは関係なく、フウマは現状の危機を打開する為に行動を起こしていた。
そうだ、無事に川を渡り切らなければ、この奈落がどうなっていようと考えるだけ無駄なのだ。
俺は不屈の大剣に魔力を込め、上段に構える。
既に全方位に川は上がって来ており、更に上がろうにも上昇速度だけで言えば、川の方が速くなっている。
ならば、これ以上、上昇するだけ無駄だろう。
全てを蹴散らすつもりで、天まで上がった川に突撃する。
「リミットブレイク・バースト」
俺の全力に呼応して、フウマが嘶き黄金に染まる。
馬鹿げた質量の川に向けて剣閃を飛ばし、川を真っ二つに切り裂いた。しかし、それは少しの間で、新たな水が昇って来ている。
だが、力を解放したフウマの速度はそれ以上に早く、飲み込まれる前に駆け抜けてしまう。
一つ、二つ、三つと蹴散らし、全てを突破すると更に加速し、音を置き去りにしてこの場から離脱する。
あとは陸地に到着すれば、この川ともお別れだ。
遥か遠くに薄っすらと見える陸地に向けて、ひたすらに駆け抜ける。フウマの魔力がガンガン減っているが、俺の魔力も使えばギリギリ辿り着けるはずだ。
気を抜いたつもりはない。
脅威は去ったと安心はしたが、警戒は怠らなかった。
それにこの速度だ。追いつける存在が現れるとは思っていなかった。
下で大きな魔力が唸っているのを感じ取る。
巨大怪獣ほどではないが、俺を殺すには十分な量の魔力だ。
下を見ると、多くの雨粒が散弾となって天へと打ち上げられていた。
フウマのホルダーから昇竜の戦輪を取ると、魔力を流し操作する。魔法陣の速度上昇と拡大の二つを全ての戦輪に付与すると、風属性魔法を使い放つ。
昇竜の戦輪は俺達の下に張り付くと、強力な気流を作り出し、下から迫る雨を去なして行く。
上昇する雨を全て耐え凌ぐと、今度は普通の雨のように降り注ぐ。しかし、その雨に宿る魔力はそんなに生優しいものではない、寧ろ先程よりも増えてさえいる。
昇竜の戦輪を上空に向けて、暴力的な雨に備える。
すると、昇竜の戦輪から流れる気流が全ての雨を避けてくれる。
その雨が形を変えるまでは。
雨が突如として霧へと変わると、気流へと乗り干渉を始めた。
くそっと悪態を吐くと、より強く魔力を込める。
だが、霧の干渉を止める事は出来ず、気流は止まり昇竜の戦輪を絡め取られそうになる。
それだけはまずいと急いで回収して、再度気流を作り出そうとするが、今度は濃霧に巻き込まれて視界が一気に不明瞭になる。そして凍った。
何が起きたのかと考える余裕もなく、霧が一瞬で凍り付き、俺達もそれに巻き込まれてしまったのだ。
フウマの勢いは少しの間続いたが、それも薄く細い氷の膜に囚われて動きを止めてしまった。
意識が遠のいて行く。
空中で動きを止めているのだが、落下する気配はなく、フウマに跨った状態で静止していた。体は雪のような白い粒に覆われており、ただでさえ動けないのに、これはかなりまずい状況だった。
意識が暗闇に落ちていく。
まるで、それが死者の世界への入り口のように感じる。
終わる。俺はこれで終わる。
暗闇の中でそう察して、嫌だと抵抗する。
必死に意識を繋ぎ止めようと足掻くが、どうしても沈んでいってしまう。
それでも足掻いて足掻いて、魔力に意識を向けると、体に少しだけ温かみが宿った。
それは、太陽の日差しを浴びたときのような暖かさで、体に熱をもたらしてくれる。熱のおかげで、少しずつ体が動くようになり、必死に繋ぎ止めていた意識が浮上する。
意識が戻り、視界が戻り、呼吸が戻ると何が起こっているのか理解する。
俺とフウマの体は氷柱に串刺しにされていた。
氷柱はフウマを貫き、守護獣の鎧を貫き、俺の腹に風穴を開けていた。
そんな状態で生きていたのはフウマのおかげだ。
フウマは常春のスカーフを装備していたおかげで、凍ることはなかった。
そして、俺が意識を失った直後に貫かれながらも、常春のスカーフに魔力を送り、かつ治癒魔法を使い俺を延命してくれていたのだ。
俺は傷口が広がるのも構わず、不屈の大剣で氷柱を砕くと、フウマを抱き抱えて全力で治癒魔法を施す。
馬鹿野郎、無茶しやがって……。
フウマは死に掛けていた。
治癒魔法が使えるようになっていたのに、自分には使わずに俺に使っていたから……。
クウと小さく鳴くフウマは、俺を見て安心している。
前にもこんな事があったが、あの時は外傷だけだったから直ぐに回復ができた。しかし、今回はフウマの体内に異物となる水が入っており、それを取り出すことが出来ない。
今、命を繋いでいるのは治癒魔法を掛け続けているからだ。
これを止めたら、フウマは助からない。
それに、ここは敵の中だ。
俺達が絶命したと思ったのか次の攻撃は来ないが、この氷の牢獄が解かれたら、追撃は再開するだろうか。
時間が無い。
何か、なにか、なにかないか……!?
一か八かだった。
収納空間から水を生み出す花瓶を取り出すと、なりふり構わず魔力を流して、光を帯びた水をフウマの傷口から体内に流し込む。
ビクンと跳ねるフウマ。それと同時に、傷口から魔力が宿った水が流れ出して来た。
ここだと思った俺は、フウマに全力で治癒魔法を使い傷を治療して傷口を塞いだ。
治癒魔法を掛け続けると、やがてフウマの呼吸が戻り、静かに寝息を立てていた。
良かった。一命を取り留めた。
安堵した俺は、すかさず次の行動に移る。
先程も言ったが、ここは敵の中だ。川自体がモンスターかどうかは分からないが、川が意思を持っているかのように襲って来ているのは間違いない。
水を通じて俺の状況を把握しているのなら、俺達が生きているのは知られているはずだ。
既に氷は溶け出しており、長居すれば、次はこの牢獄ごと圧縮されかねない。
フウマを抱え、剣閃を飛ばして牢獄に穴を開けると、すかさず飛び出した。
陸地が見える。
あそこまで行けば、この危機を乗り越えられるはずだ。
そう思い、もう何も無いでくれよと願いながら、風属性魔法で加速する。
急げ急げと進んで行くと、またしても魔力を感じ取った。
それは殺意が籠もった魔力であり、背後から高速で接近して来る。魔鏡の盾を出して振り返ると同時に掲げ、放たれた水の砲弾を無効化する。
飛び散り霧散する水は、氷の矢へと形を変えて追撃してくる。しかしそれは、不屈の大剣を収納空間から取り出し、氷の矢を切り払った。
強制的に振り向かされた先に居たのは、カエルの頭に着物姿の女性だ。胸も大きく、腰はくびれておりそのスタイルの良さが伺える。カエルの女の手には大きな杖があり、暴力的な魔力を宿していた。
「ケロロロロローーー」
鈴の音のような鳴き声は、まるで言葉を発しているようにも聞こえるが、残念ながら俺にカエルの言葉は分からない。
カエルの女は杖を振り、何もない空中を石突で叩くと、辺りに波紋が広がった。
『私の意思は届いていますか?』
先程は音だけだった鳴き声が意味のある音へと変わり、俺の頭に直接流れ込んで来る。
モンスターが喋るのか!?そう心底驚くが、その感情は表に出さないように努める。
モンスターの中には明らかに意思を持った個体もいたし、オークに至っては友もいる。別に驚くような事ではないと言い聞かせて、冷静に言葉を返した。
ああ、届いている。
俺の声がカエルの女に通じているかは知らないが、どうしてわざわざ話しかけて来るのか分からない。
そのまま追撃を仕掛けられたら、残り魔力量の少ない俺では逃げきれるか微妙な所だった。
それが分からないほど、目の前のカエルの女は無知ではないはずだ。
だったら目的は何だ?
『貴方は誰の許可を得て、ここを通っているのです?』
許可?そんな物は無い。地上に戻る為に渡っているだけだ。
『地上? では、貴方様はこの世界の外から来られた方ですか?』
……そうだ。ダンジョンの外から来た。
この世界と言われて、何のことか一瞬分からなかった。それがダンジョンを示しているのではないかと思い、ダンジョンと言って相槌を打つ。
『ダンジョン……貴方様はそう呼んでいるのですね。 事情は分かりました。ですが、ここを通りたいのであれば、相応の対価をお支払い下さい。今回はそれで許可としましょう』
対価? 何でも良いのか?
命を狙われ殺されかけたが、何か物を渡して安全に通れるのならば、それに越した事はない。
はっきり言って、このカエルの女には勝てない。万全の状態ならフウマと二人掛りで勝てそうだが、魔力を消耗しフウマも気を失っている状態では、万に一つも勝ち目は無い。
『相応の対価と申しました。 そうですね……そちらの獣を頂けたら、それを対価と認めましょう』
ふざけるな!フウマは大切な仲間だぞ!
『では、貴方様自身を対価と認めましょう』
待て!他に何かないか!?どんな物なら良いんだ!?
カエルの女の魔力が杖に流れ込み、高威力の魔法を放とうとしていた。それに、カエルの女は一人だけではない。いつの間にか、四人に囲まれていたのだ。
これでは逃げるのは難しい。
下手をすれば動き出した瞬間に、命を落としているかも知れない。
だから、交渉しか道はなかった。
時間を、少しでも時間を稼ぐんだ。
たとえ、このカエルの女の目的が俺達の包囲だったとしても、魔力を少しでも回復すれば、まだ手はある。
会話をしながら、並列思考の意識を魔力循環に集中して魔力の回復に当てる。フウマが目を覚ましてくれたら、更に生存率が上がるが、死の淵まで頑張ってくれたフウマにこれ以上無理させるのは鬼畜の所業だろう。
次は俺が頑張る番だ。
『ならば何を差し出す?』
そうだなぁ……。
呼吸を整えて魔力を練り出す。それに呼応するように、カエルの女達も魔力が高まって行く。
息を大きく吸い込み、力強く吠えた。
お前達の命ってのはどうだっ!!
全てを吹き飛ばすつもりで竜巻を発生させ、カエルの女達を巻き込む。しかし、この程度でダメージは受けてはおらず、氷の上に立って微動だにしない。
そうなるのは分かっていた。
ただ、少しの間だけ魔法を使わせる手を遅らせればそれで良かった。
フウマお得意のバシ○ーラを使い、更に高く飛ぶ。
このダンジョンの天井がどこにあるのか、それとも存在しないとも限らないが、地上ならば大気圏の高さまで行っているのではないだろうか。
そこから陸地に向けて更に上昇しながら進む。
下降するにはまだ早い。下からはカエルの女達が空中に水を生み出し、水から水へと渡り泳いで来ている。その速度は速く、距離を引き離せないでいた。
これで下に向かえば、直ぐに魔法の射程距離に入り、魔法が放たれるだろう。
陸地は見えている。あそこまで行けば、逃げ切れる。
カエルの女の魔法が空を埋め尽くす。
巨大な湖が空の上に生まれたのだ。しかし、俺と湖との間には高低差があり、とても届くものではない。
ならば目的はなんだと訝しんでいると、その中をカエルの女達が泳いで来ていた。
いちいち水を生み出していては、追い付けないと判断したのだろう。その狙いは正しく、カエルの女達は一体を除いて俺に接近して来ている。
一体は遠くに残されており、この魔法を維持する為に動けないのだろう。
カエルの女達が水の上を滑るように移動する。
そして、杖を一斉に振ると魔法陣が展開し魔法を行使する。
その魔法は湖から水が枝のように生え、馬鹿げたスピードで成長して俺を追って来る。
幾つもの枝に分裂しながら迫って来ており、先の尖った水の枝は殺傷能力を有していた。
そして何より、その上をカエルの女達が移動して来ているのだ。
下は湖になり、水の枝で高さを得た。
ここから本格的な攻撃が始まる。
手始めは、水の砲弾だった。
水とは思えないほどの、硬質化した砲弾が四方から迫る。
一方に狙いを定めて剣閃を飛ばすと、剣閃は砲弾を両断するが、水は形を変えて氷の戦輪となり迫る。
魔力の流れを操り、他の水の砲弾と氷の戦輪をぶつけるが、結果は氷の戦輪の数が増えただけに終わった。
ちっと舌打ちをして、こちらも昇竜の戦輪に風を纏わせて操り、氷の戦輪を落とすべく解き放った。
高速でぶつかり合う二種類の戦輪。
火花が飛び散り、過ぎて行く景色に彩りを与えてくれる。
しかし、そんなものを鑑賞する余裕は無く、カエルの女が新たな魔法を使う。
ケロロローと鳴き声を上げて放った魔法は、雷を纏った大きな水球。
大きな水球は俺に向かって高速で飛んで来るが、避けれないものではない。
何でもないと避けるが、それと同時にカエルの女達は湖の深くに潜ってしまった。
まさかと思い水球を見ると、俺の進む先に到達すると同時に弾け、水の弾丸が雷撃を伴って広範囲に降り注いだ。
風を操り気流を生み出し逸らそうとするも、昇竜の戦輪が無いと魔法の力が弱く、風の盾を突き抜けて来る。
ならばと魔鏡の盾で防ごうとするが、残念ながら範囲が狭く、フウマを庇うだけで精一杯だった。
不屈の大剣で切り払おうと薙ぐが、一振りで払える量なんてたかが知れている。
水の弾丸が守護獣の鎧を貫通……することはなく、粘着性を持った物質のように張り付くと、バチバチと鳴り雷撃が俺の体を焼く。
がっと焼かれながらも意識が明滅を開始する。
必死に意識を繋ぎ止め、治癒魔法で回復して行くが、雷撃による攻撃は一度では終わらない。
体に張り付いた水が、二度三度と連続して雷撃を放ったのだ。
俺の体は焼かれ、治癒魔法でも追い付けない程の傷を負う。そして、ようやく効果が無くなったのか、粘着していた水はただの水になり落ちて行った。
しかし、これで終わりではない。
雷を纏った水弾はまだ舞っていたのだ。
並列思考で昇竜の戦輪を操り、こちらに引き戻す。
氷の戦輪に対して無防備になるが、この際仕方ない。この雷を纏った水弾をどうにかしないと、治癒魔法を使う魔力まで無くなってしまう。
昇竜の戦輪を操り、気流を作り出すと、降り注ぐ水弾の雨を全て退ける。
これで一安心かというと、そうではない。
不発に終わった水弾が再び集まり始めたのだ。
また来るのかと、気流の勢いを上げて備える。
だが、大量の水弾は飛んで来たかと思えば、気流に乗ると同時に爆発を起こした。
爆発は凄まじく、気流が掻き消され、昇竜の戦輪の操作が中断されてしまい、進んでいた陸地への歩みを止めてしまう。
そして、その間に氷の戦輪が迫って来る。
不屈の大剣で受け止め、弾き返すも片手では限界があり、滑空して避けるが、そこにはカエルの女が待ち構えていた。
しまったと後悔して魔鏡の盾で防御体勢を取ると、杖による強烈な打撃を受けて湖に叩き付けられてしまい、水切りのように何度も弾かれてしまう。
弾かれながらも湖の中を見れば、カエルの女達が追って来ており、ここで沈めるつもりなのだろう。
そんな事になれば助かる道はない。
急いで風属性魔法を使い上空に逃れようとするが、カエルの女が、正にカエルの如く舌を伸ばして俺の左足を絡め取る。
その圧力は凄まじく、グシャと潰れる音と共に左足に激痛が走った。
痛みで顔を顰めるが、今更その程度の痛みで動揺することはない。
不屈の大剣で舌を切り落とし、今度こそ上空へと逃げる事に成功する。
湖では一体のカエルの女が舌を切られて絶叫しているが、これで攻撃の手を緩めてくれるなら、片足を負傷した甲斐はあった。
治癒魔法で左足を元に戻すと、足に少しの違和感を覚えるが、それも少ししたら無くなった。
もしかしたら、あの舌には何か毒のようなものが含まれていたのかも知れない。
カエルの女達から怒気が発せられる。
このモンスターは、仲間意識を持っている種族なのかも知れない。てか、言葉をやり取りする知能があるのだから、不自然な事ではない。
もしも、この川を渡る方法を知っていて、それを遵守していれば、この争いは起きなかったのかも知れない。
まあ、今更ではあるがな。
俺の魔力も残り少ない。
魔力循環で回復していても、消費量が多いせいで間に合わないのだ。この量では、リミットブレイク・バーストを使えば、一分も待たずに空っぽになるだろう。
風属性魔法を使い、急いでこの場から離れているが、カエルの女達は追って来る気配は無い。
負傷した仲間を治療していたが、こちらに向ける怒は本物だったので、誰も追って来ないというのは不気味さを感じる。
しかし、このチャンスを逃す手はない。
急いで離れるんだ。残りの魔力全て使ってでも、今のうちに陸地に辿り着く事こそが先決だ。
フウマのように上手くはいかないが、風を当てて飛ぶだけでなく、足場に空気の層を作り、それを足場にして更に加速する。
慣れない魔法の使い方と、並列思考の使い過ぎで脳が焼き切れそうだが、何とか上手くいっている。
この調子でいけば、あと数分で到着するはずだ。
それも、カエルの女達が大人しく見逃してくれたらの話だが。
巨大怪獣を彷彿とさせるような魔力の高まりを感じる。
焦って振り返ると、遥か遠くにいるカエルの女達が集まって何かをしようとしていた。
魔力が高まり、形を成そうとして大気を震わせる。
それは水の光だった。
言葉で表現するには、そうとしか言いようがない。
その水の光は、爆発を巻き起こしながら広範囲に広がり、俺の元にも秒と経たずにたどり着く。
魔鏡の盾で防御するが、とてもではないが受け止められるものではない。収納空間から海亀を取り出そうにも、その動作の間に俺の体は消滅するだろう。
はっきり言って、魔鏡の盾で受け止められただけでも奇跡だ。
それでも、この状態はいつまでも維持できるほどの余裕は無い。
ちくしょうと呟き、必死に耐えていると、その頑張りを無に帰すような勢いで光が増した。
ギッと歯軋りをしてリミットブレイク・バーストを使い、スキル頑丈に意識を集中する。
全身がバラバラになりそうなほどの爆発が起こり、何の抵抗もできずに吹き飛ばされた。
只々フウマを抱えて、死を覚悟して、地面に叩き付けられて、かなりの距離を転がった。
地面だ。
やっと陸地に辿り着いた。
地面に叩き付けられた衝撃で、フウマを手放してしまったが、見る限り無事なようで安心する。
ただ俺の状態が悪いだけで、何とか生き延びた。
全身の骨が砕け内臓も損傷しており、魔力も空っぽだが、まだ何とかなる。
出来ればポーションを取り出して飲みたいところだが、腕がまったく動かないどころか、顎も動かないのでポーションを噛み砕いて飲む事も出来ないのだ。
まあ、魔力循環で魔力を回復させれば、治癒魔法で一命は取り留めるだろう。
そう思って意識を魔力循環に集中していると、空間把握が何かの接近を察知する。
奴らだ。
カエルの女が陸地だというのに上がって来たのだ。
『よくも同胞をやってくれたな』
殺意の孕んだカエルの目が、動けない俺を睨む。
そうだ。どうして勘違いしていたんだ。
陸地に上がれば安全だなんて根拠は、どこにも無かったのに。
無理だったのだ。
最初から、こいつらから逃げるのは不可能だったのだ。
ちくしょうと何度目かの悪態を心の中で吐き、悔しさで体が震える。
カエルの女達は杖を構えると、俺を髪の毛一本も残さないつもりなのか、膨大な量の魔力を込め始めた。
俺も必死で魔力の回復を図ろうとするが、間に合うはずもなく、カエルの女達の魔法が発動しようとして……止まった。
どうしんだと訝しんでいると、カエルの女の一体がケロロローと叫び声を上げ、他の個体も同じように叫び出し、何かに怯え出したかと思うと、この場から去って行った。
……助かったのか?
何が起こったのか分からずに呆然としていると、空が反転して闇に閉ざされる。
奈落に夜が来たのだ。
ーーー
ステュクスの精霊(カエルの女)
大河ステュクスの精霊。カエルの頭、人間の体を持った人型の精霊。ステュクスの意思を汲み取り行動する。ステュクスの一部を自在に操る事が可能で、水属性魔法を得意とする。舌には触れた相手に呪いを掛ける事が可能で、一度触れると逃げるのは難しい。
ーーー
大河ステュクス(川)
川にお辞儀をしてお願いをすると渡らせてくれる。お供物をすると、精霊を呼び向こう岸まで連れて行ってくれる。無断で渡ろうとする者は許さない、川の生き物を殺すのも許さない。知らなければ、特別に一度だけ見逃す寛容な川。
ーーー
田中 ハルト(24+1)
レベル 39
《スキル》
地属性魔法 トレース 治癒魔法 空間把握 頑丈 魔力操作 身体強化 毒耐性 収納空間 見切り 並列思考 裁縫 限界突破 解体 魔力循環 消費軽減(体力) 風属性魔法 呪耐性
《装備》
不屈の大剣 守護獣の鎧(改)
《状態》
デブ(各能力増強)
《召喚獣》
フウマ
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フウマ(召喚獣)
《スキル》
風属性魔法 頑丈 魔力操作 身体強化 消費軽減(体力) 並列思考 限界突破 治癒魔法 呪耐性
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