百八十六日目②
「初めまして、世樹麻耶と申します」
「あっ、田中ハルトです。よろしくお願いします」
世樹麻耶と名乗った女性は、まるで西洋人形のように美しく、日本人とは違った顔の造形をしている。
道を歩けば、皆が注目するほど容姿が整っており、白くゆったりとした服装と相まって、浮世離れした存在のようだ。
「私は日本人ですよ。母は×××人ですが、人生の大半を日本で過ごしております」
じっと見てしまったからだろう、その視線の意図を察した世樹が微笑みを浮かべて答えてくれた。
「あっ失礼しました。 あの、どうして俺は連れて来られたんですか?」
今更だが、尋ねなければなるまい。
謝礼を貰えると聞いて付いて来たのに、何故か世樹という女性と面会させられている。
彼女が教会内で、どういう立場の人物なのか知らないが、歳若い女性一人を送り込む理由は何だろうか。もしかして、俺を勧誘する為のハニートラップかとも考えたが、世樹の纏う雰囲気は人は寄せ付けても、幸福にするものではない。
ような気がする。
勘だから何とも言えないが、関わるべきではないと、俺の本能が伝えて来るのだ。
「田中さんは治癒魔法を使い、信者の方々を治療してくれたそうですね?」
「はい、しましたけど……まずかったですか?」
「そんなまさか!とても感謝しております。 私達は、全ての人々に救いの手を差し伸べる事を命題としております。 しかし、人の手が足りない以上、やれる事にも限界があるのです。 私共の考えに共感し、お手伝いしてくれる方もおりますが、それでも手が足りない状況なのです」
その手と言うのが、治癒魔法使いの事ですか?
これは聞いちゃいけないだろうなと、口を噤んで、そうですかと頷く。
「ですから、私は田中さんに感謝しているのです。 是非お礼をさせて下さい」
「えっ?世樹さんがお金くれるんですか?」
「……それは後ほど用意しましょう。 その前に、ミンスール教会を見て行ってはどうでしょう? きっと皆さんも歓迎してくれますよ」
「いえ、面倒なんでいいです。金を貰ったら帰りますんで、金下さい」
世樹の額に血管が浮かぶ。
スーハーと深呼吸する世樹は、顔に笑みを貼り付けて、笑っていない目で俺を見る。
「そんなこと言わずに、どうぞこちらです。皆さん待ってますよ」
世樹に手を取られて移動する。
その手には有無を言わせぬ力が籠っており、反論したら許さないという気迫を感じた。
大人しく世樹の後に続き移動すると、人参を食べ終えたフウマも付いて来る。そのフウマを横目で確認する世樹は、従順な子ですねと興味なさそうに呟いた。
フウマのどこが従順なのか分からないが、世樹に見られたフウマは微かに背筋を震わせていた。なんとなくだが、フウマが恐怖心を抱いているように感じる。
俺は一度足を止めて、フウマの頭をわしゃわしゃと撫でて待ってるかと尋ねると、ブルッと頭を振って付いて来る意思を示した。
「そうか、無理すんなよ」
再び足を動かして世樹の後に付いて行く。
案内された先では、信者であろう人達が集まっており、大きな木が描かれた壁に向かってお祈りしていた。
その壁の前には一本の苗木が置かれており、微かだが魔力を浴びている。
「気付かれましたか? あの苗木は、我らが崇拝する世界樹の枝になります」
「世界樹?」
ファンタジーなゲームでよく出て来る名前だ。
全回復や復活のアイテムとして活躍してくれる以外では聞いた事も無いが、その世界樹の一部があそこにある物らしい。
一気に胡散臭くなったな。
「そうです。世界樹は、この終わり行く世界を唯一救える存在です。 どうですか、一度お祈りして行きますか?」
「止めときます。世界が終わるとか、よく分からないんで」
胡散臭すぎて断っておく。
世界が終わるってのも胡散臭いし、世界が終わるのに、どうして枝に祈る必要があるのかも分からない。仮に世界が終わるなら、その大元を排除する為に行動するべきじゃないだろうか。
「……そうですか、次はこちらになります」
世樹は断られると思っていなかったのか、少しだけ戸惑っていた。
廊下を進み、窓から中庭の様子が見える。
そこでは子供達が遊んでおり、健康そうな子も居るが、体のどこかを悪くしている子達が大半を占めていた。
「あの子達を治療して上げたいのですけど、そこまで手が回らない状況にあります」
「……大変ですね」
「ええ、ですが、貴方に力を貸して頂ければ、それも改善すると思っています」
「……」
廊下を進み、辿り着いた大広間では多くの人がおり、五つの列を成していた。その列の先には、五人の女性が待機しており、治癒魔法を使い並んだ人の治療を行なっている。
治癒魔法と言っても、その効果は弱く、魔法を受けた人は体調が改善したと喜んでいるが、とてもその根本を治療出来たようには見えない。
「彼女達はミンスール教会の聖女部隊の方々です。私も普段はあちらに座り、皆様の治療を行っております」
「聖女部隊……」
「ええ、年末に行われたグラディエーターにも治療係として控えていましたので、ミンスール教会で最も知られた部隊になりますね」
そうですかと相槌を打ち、再び治療の現場に目を向ける。
治癒魔法を使っている女性は、魔力が枯渇したのか、マジックポーションを飲んで魔力を回復させると、再び治癒魔法を使用する。それも三人に使うと魔力が尽きたようで、倒れるように椅子から落ちそうになる。その女性は背後で待機していた人に支えられ、部屋から出て行くと、代わりの女性が席に着き治癒魔法で治療を開始した。
なんだかライン工みたいだなと感想を抱いた。
その様子を見学していると、世樹にこちらにと言われて誘導される。
そこは治癒魔法を使う女性の側で、その治療の風景を間近で見ろと言う事なのだろう。だが、そんなものに興味は無いので、時間を潰す為に部屋を見渡す。列には計百人近くの人が並んでおり、俺が入室して来た扉とは違う扉から、次々と人が入室している。
その人達が入って来る扉には、男性の顔写真が大きく飾られており、皆が一礼して入室していた。
「どうですか、田中さんも参加してみませんか?」
「え?何がです?」
「信者の方々への治療です。田中さんは、凄い治癒魔法の使い手だとお伺いしました。その力を使って人助けをしてみませんか?」
「止めときます、一日は一善までって決めてますんで」
「二善も三善も積んで良いと思うのですけど……」
「いえ、一日一善以上やると、俺の心が持たないんで」
「では、報酬があったらどうです?」
「やりましょう!」
治療をしていた女性を押し除けて席に座り、はよ来いと手招きしてお爺さんを前の席に座らせる。
そして、軽くトレースして腰痛と左腕の麻痺をしているのを確認すると、治癒魔法で治療する。
はい次!と流れるように捌いて行き、三十分もすると全ての人がいなくなった。一人でやった訳ではないが、百人近く治療したと考えると、凄い事をやってのけたように感じる。
「素晴らしいです!こんなに治癒魔法を使用しても、魔力切れを起こさないなんて!正に神に選ばれた方なのですね!?」
「いえいえ、それ程でも。それよりも報酬下さい」
「はい? 何の話ですか?」
「さっき報酬をくれるって……」
「先程は〝報酬があったらどうですか?”と尋ねただけで、報酬が発生するとは申しておりませんが」
「え、じゃあ、俺はタダ働きをしたと……」
「そんな事はありません。田中さんも見たでしょう、治療を受けた方々の笑顔を、感謝の言葉を、それだけでも十分な報酬ではありませんか!」
「……」
ふざけんな!と叫びたいところだが、ここはグッと我慢する。ここにいるのは世樹だけでなく、治癒魔法を使っていた人達もいる。彼女達は、魔力の使い過ぎでぐったりとしており、迷惑を掛けるのは忍びなかった。
怒りのボルテージはそのままだが、平常なフリをして世樹の後に付いて移動する。目の前の後ろ姿を殴りたくなるが、そんな事をすれば完全に俺は悪者だ。
どうやったら、この怒りのボルテージを鎮められるかと考えながら拳を固く握りしめた。
次に連れて来られたのは、ミンスール教会の成り立ちというか、聖典というか、教義というか、そんな物が所狭しと展示された資料室のような所だった。
世界の終わりが云々、世界を平等に云々、ダンジョンから得られた物は云々、私達が救われるには云々語られたが、へーっと鼻を穿りながら頷くだけで終わってしまった。
どれにも共感出来なかった俺は、ミンスール教会の教えに合っていないのだろう。
最後に裏庭に連れて来られた。
そこには、多くの花々が植えられており、裸にはなっているが、立派な木も立っている。その木は魔力を帯びていない普通の木だが、何処かで見た記憶のある木だった。
裏庭に設置された椅子に座り、どこだったかなーと思い出していると、世樹がお茶を出してくれた。
あざっすとカップを受け取り、口に含む。
むっ、これは毒!なんてはずもなく普通に飲み込む。ハーブティーなのだろう、とても飲みやすくホッと一息付ける。
「どうでしたか? 我が家の居心地は?」
「我が家って言うのはミンスール教会の事ですよね?」
「ええ、信者は皆、ミンスール教会を帰るべき我が家だと呼びます」
「俺には良くわかりませんが、良い所なんじゃないですか、皆さん笑顔でしたし」
「そうでしょう、ここでは探索者相手に被害に遭われた方も大勢居ます。そのケアも行っているのです。立ち直るためのお手伝いもさせてもらっていますし、ミンスール教会は正しい行いをしていると自負しております」
世樹はですからと言葉を続けて、俺を真っ直ぐに見て言った。
「私達と一緒に、正しい教えを世に広めてはくれませんか?」
「お断りします」
ハーブティーを啜り、ふうっと息を吐き出す。
フウマは暇なのか、横で欠伸をしていた。
「……はい?」
俺の返答が聞こえなかったのか、世樹は美人な顔を歪ませている。
「だから、お断りします」
「何故です? 貴方の治癒魔法ならば、世の救済を実現出来ると言うのに」
「それは俺でなくても出来るでしょう?」
「そんな事はありません、田中さん並みの治癒魔法使いはおりません。貴方は自覚ないようですが、体の欠損をあの短時間で癒すなど、普通の治癒魔法使いでは不可能なんですよ」
「そうなんですか?」
「ええ、しかも、貴方にはまだ余裕がある。それほど魔力に恵まれた治癒魔法使いは、貴方以外いないでしょう」
「それは大袈裟でしょ、他にも居ますよ。 そう、例えば貴女とか」
瞬間、緊迫した空気が張り詰める。
世樹は感情を感じとれない瞳で俺を見ている。
俺も不敵な笑みを浮かべて対応するが、はっきり言って強がりだ。
世樹から発せられるプレッシャーがやばい。
それを感じ取ったフウマが、まるでモンスターに対峙するようにブルッと嘶く。
「買いかぶりですよ、私にそれほどの力はありません」
「そうか? 魔力量は少なくとも俺より多そうだけどな、治癒魔法も使えるだろ、少なくとも俺以上には」
「……まるで知っているような言い方ですね」
「知りはしないが、どうやら当たりみたいだな。世樹さんが居れば、俺なんて必要ないだろう?」
「私一人では限界があります。どうでしょう、今一度考え直してはもらえませんか?」
「無理です」
「何故ですか?」
「貴女が嫌いだから」
「…………は?」
俺の言葉が理解出来なかったのか、呆気に取られた顔で固まっている。
言いたいこと言ったし帰ろうと腰を上げる。
報酬を貰いに来たのだが、今回は諦めよう。これ以上ここに居たら、何をされるか分かったものではない。
「待って下さい! 私の何処が嫌いになったのですか!?報酬を渡してないからですか!?」
どうやら報酬は意図的に渡さなかったようだ。
まあ、それはもういい。良くはないが、世樹が悔しがってくれるなら、それで良いだろう。
「んー、嫌いな人に似てるからかな」
「嫌いな人? それはどなたですか?」
「言っても分かんないと思うけど、黒一って男に似てるんですよ」
世界が殺意に染まり、魔力が荒れ狂う。
俺は収納空間から不屈の大剣を取り出し、前方から迫る光を切り裂いた。
「誰が、誰に似てるってーっ!!」
美しかった顔を憤怒に染めて、まるで山姥のような顔で俺を睨み付ける。その殺意は、草木を揺らし、周囲の気温が急激に下げる。
世樹から流れ出る魔力は、光の暴力と成り正面から降り注いだ。
「ぐっ!?」
不屈の大剣に魔力を込めて質量を持った光に抵抗するが、防ぎ切れず弾けた光が体に当たり焼いていく。
どこのウル○ラ○ンの光線だとツッコミたくなるような攻撃だが、その威力は笑えたものではない。
「くそがっ!!」
悪態を吐いて地属性魔法を使い、土の壁を正面に作り出そうとして、失敗した。
「何が!?」
魔法が使えない。
魔力は操れるが、魔法として形に出来ない。
俺は不屈の大剣に大量の魔力を流し込み、剣閃として光に抵抗させる。
「りゃっ!」
走る剣閃は光を切り裂き、世樹へと迫るが、白い布が剣へと形を変えて剣閃を掻き消した。
なんじゃそりゃと悪態を吐きたいが、それよりも早く世樹は動く。
「誰と似てるだ!このブタ野郎ぉ!!」
「口が悪過ぎじゃないですかね!?リミットブレイクッ!!」
この際、黒一を知っているのかという疑問は後回しにして、目の前の事に集中しよう。
不屈の大剣と布の剣が打ち合い、辺りに衝撃が走り草花を散らす。更に一合二合と打ち合い、衝撃で建物のガラスが割れ、木が激しく震える。
その惨状を見た世樹はチッと舌打ちをして、攻め方を変えた。世樹が一歩下がると、俺の真下から水が噴き出す。
魔力の流れは見えていたので、俺も大きく下がり回避した。
あの水は魔法だ。どういう効果があるのか分からない以上、迂闊に近付くべきではない。
「世樹さん、失礼なこと言ったのなら謝りますんで止めませんか?」
正直、勝てる気がしない。
黒一のクソ野郎といい、武器屋の店主といい、ここ最近、勝ち目の無い連中と戦ってるなと自分の不幸を呪う。
正気を取り戻してくれたら、戦いを止めてくれるかと期待したが、世樹の目は殺意に満ちている。
どんだけ黒一が地雷なんだよ。
「お前を鳴かすまでは許さない!」
「泣けば良いなら幾らでも泣きますよ」
「鳴くのは悲鳴だ!」
水が消える。
それは無くなったのではなく、霧のように小さな粒へと形を変えたのだ。
「がはっ!?」
途端に呼吸が出来なくなり血を吐き出す。
苦しくなったと思ったら、血が迫り上がっていた。いつ攻撃されたのか分からないが、攻撃手段はこの霧だろう。
ならばと霧を飛ばす為に、風属性魔法を使おうとするが、先程と同じように魔法が発動しない。
「な、に…が……」
呼吸が出来ず、体が動かなくなり膝を突く。
不屈の大剣を地面に突き刺し、なんとか立ち上がろうとするが力が入らない。
「あら?ごめんなさい、鳴かせる前に動けなくなっちゃったわね」
残忍な笑みを浮かべ、俺を見下ろす世樹。
とても聖女には見えないその姿に、化け物と罵りたくなる。
世樹は布の剣を振り上げ、俺に止めを刺そうとして、風に吹き飛ばされた。
「きゃっ!? なに!?」
世樹を吹き飛ばした風は、一緒に霧も吹き飛ばしてくれた。俺は咳き込み、必死に呼吸をして風を吹かせたであろう存在に目を向ける。
フウマだ。
フウマが、風を起こして助けてくれたのだ。
今も、世樹に向かって威嚇しており、周囲にチャクラムを浮かせ、いつでも攻撃できるように準備している。
しかし、その姿勢とは裏腹に足が震えている。
恐怖だ。フウマは世樹に対して恐怖を抱いている。必死に嘶き、その恐怖を押し殺そうとしているが、それでも拭えるものではない。
「この馬、魔法を……まさか召喚獣? 田中さん貴方には、もう少し鳴いてもらいたいですね」
世樹の笑みが更に深くなる。
こいつが聖女なら、世の女性は全て女神に見える。
俺はポーションを飲み喋れるようになると、世樹を無視してフウマに呼びかけた。
「フウマ!逃げるぞ!!」
「ヒヒーッ!!」
俺の声に反応したフウマは風属性魔法を使い、これまで何度も使った忌まわしい魔法を発動する。
「させない!」
世樹が逃走を妨害しようと、何かの魔法を使おうと魔力を操る。
それに抵抗する為に魔法を使いたいが、何故か俺だけ魔法が使えない。ならばと、再び不屈の大剣に残りの魔力を込めて抵抗する。
世樹から光が放たれ、剣閃と衝突し拮抗する。
しかし、それも一瞬のことで、あっという間に剣閃は飲み込まれ、光が俺達に迫る。
それでも、忌まわしきバシ○ーラの魔法は発動し、竜巻が俺達を遠くへ吹き飛ばしてくれた。
「覚えてろよーーーーッ!!!」
最後に中指を立てて、負け惜しみを言いながら逃走に成功したのだった。