百七十三日目
昨日、ダンジョンから帰って来たのだが、久しぶりの泊まり掛けの探索で疲れてしまい、片付けは何も出来なかった。
洗濯機に洗濯物をぶち込み起動すると、終了するまでの間に洗い物やテントの手入れをしていく。
食器はささっと洗い、テントは汚れを拭き取ると、乾燥させるために外に干す。場所を取ってしまうのは難点だが、長く使うにはしっかりとした手入れは必要だろう。それに、一千万超えの高額なテントを、中途半端にやってカビなんて生やしたくない。
丁寧に丁寧に整備して、洗濯物を干して午前中は過ぎて行く。
午後になり家を出て駅に向かっていると、今日が神の子の誕生日と呼ばれる日なのだと思い出す。
辺りはカップルだらけで、妙に疎外感を感じると思ったのはこのせいだ。
くそ、なんで他人の誕生日に乗じて盛り上がろうとしてんだよ、お前らには関係ないだろうが!彼を信仰している人達がやるなら分かるよ、でもさ、カップルでいる奴らは違うだろ!邪な考えの奴らが盛ってんじゃねーよ!ちくしょうが!
内心悪態を吐きながら一人で信号待ちしていると、隣にいた子供と目が合う。
その瞳は、まるで本心を見透かしたような目をしており、俺は恥ずかしくなって一歩下がった。
べ、別に嫉妬なんかじゃないやい!
負け惜しみを吐いて、走って駅に向かった。
ダンジョン最寄り駅に到着すると、ホットコーヒーでも飲みながら行こうとコンビニに寄る。
いつも通りにカウンターで注文して、コーヒーカップを貰うとサーバーにセットしてボタンを押す。出来上がるのに数十秒掛かるので、その間に店内に視線を巡らすと、見知った人物を発見した。
それは麻布先生の所のお子さんで、確か麻布亘君だったはずだ。来年、小学六年に上がると言っていたのを思い出す。
その亘君が友達としゃがんで何かをしている。
なんだか嫌な予感がして、見ないようにしながら空間把握のスキルに集中する。
すると、コンビニの控え室で抱き合っている男女の姿を感じ取った。
いや、なんでやねん、どうでも良いわお前らなんて!
改めて集中すると、亘君と友達は商品の一つを手に取ると、そのままポケットに入れてコンビニから出て行こうとする。
その様子は店員にも見られており、このままでは万引き犯として捕まり、警察を呼ばれるだろう。
俺は出て行こうとする二人の肩を掴んで止めると、二人は驚いて振り返った。
お前ら、引き返すなら今のうちだぞ。
何言ってるんだって?ポケットの物出して謝れば、今なら許してくれると思うぞ。
そんなの知らないってな、一部始終見られているからな。最後まで言わせるなよ馬鹿野郎。
俺がそこまで言うと、二人は俯いて黙りこくる。
どうしたら良いのか分からないのだろう、だから更に言葉を続けようとすると、友達の方が俺の手を振り解いて逃げようとする。
逃げようとしたが、残念ながら俺の手を振り切るには力が足りない。
子供の力では、大人の、ましてやダンジョンで鍛えた俺の手をどうにかするなど不可能だ。
諦めろ。これが最後だぞ、正直に言って謝れ。
店員の方に視線を動かして、観念するように促すと、小さな声でごめんなさいと謝罪の言葉が出て来た。
二人はポケットに入れた商品をカウンターに置くと、走ってコンビニから出て行く。そして走りながら「シネデブ!」と捨て台詞を吐いてどこかに行ってしまった。
俺がこの場を無理矢理収めたせいで、店員は困った顔をしているが、この商品と更に追加で購入すると言うと返事をして対応してくれた。
最後に、俺も控え室に向かって捨て台詞を吐いてコンビニを出ようと思う。
盛るなら勤務を終えてからが良いっすよ!
ドタドタと何かが倒れる音が聞こえて来た。そして、控え室の扉がそっと開くと中年のおじさんおばさんが顔を覗かせる。
……子供には見せられんなぁ。
盛るのに年齢は関係ないのだろうが、時と場所を選べよ言いたくなる。
俺は商品を手に、子供達を追った。
ーーー
麻布亘とその友達は、コンビニから出ると走って路地裏まで来ていた。
「はあはあはあ、なんだよあのデブ、邪魔しやがって」
「あいつ、見たことある。父さんを先生って言ってた奴だ」
息を切らした二人は、先程の太った男に怒りが湧いて来ていた。上手く行っていた。店員にバレずにポケットに入れて、あとはコンビニを出るだけだった。
そう思っている二人は、太った男が邪魔したと勘違いしているのだ。
もしも田中が止めなければ、店員に捕まり警察を呼ばれて、親に連絡がいっただろう。その事に気付かない二人は、ただ不満を漏らす事しか出来なかった。
「先生って、亘んとこの父ちゃんって学校の先生だったっけ?」
「違うけど、あいつが先生って呼んでたんだ」
「ふーん。そしたらさ、亘の父ちゃんから、あのデブに怒る事ってできないかな?」
「無理だって、俺たちが万引きしたってバラされるじゃん」
「あっ、そうだった。くそっ!あのデブ邪魔しやがって、シネ!」
「誰がシネだクソガキ」
不満を漏らす二人の背後に太った男が現れた。
太った男、田中は右手にコンビニの袋を持っており、腕を組んで二人を見下ろすように腹を突き出していた。
まだ小学生の二人にとって、田中の姿は迫力満点だったりする。
「やべっ!?亘、逃げるぞ!」
「うん!」
「逃さん!」
二人は逃げ出そうとするが、田中が地面を蹴り、壁を蹴って二人の正面に立つ。まるで映画のアクションシーンのような動きに驚くが、それで止まる二人ではない。
こっちだと言って振り返り、反対方向に逃げ出す二人。
すかさず逃がさんと言って、田中が地面と壁を蹴って二人の正面に立つ。
それを十回繰り返して、もうええやろと田中が二人を取り押さえて御用となった。
「なんだよデブ!離せよ!」
「お前、この前の奴だろ?父さんに言い付けるぞ!」
「五月蝿いぞ、アンマンでも食って大人しくしてろ」
田中はコンビニの袋からアンマンを取り出すと、二人の口にねじ込んだ。
んぐっと言ってねじ込まれたアンマンを咀嚼する二人。食べるつもりはなかったが、口に入れられた上、育ち盛りと言う事もありお腹が空いていたのだ。
田中は大人しくなった二人を引き摺って、どこか座れる所を探す。ちょうど小さな公園があり、ベンチも空いていたので二人を座らせて、田中は二人に向かってしゃがんだ。
「なあ、お前らはこれが欲しかったのか?」
コンビニの袋から取り出したのは、某アニメのトレーディングカードパックだ。近年人気が爆発しており、レアカードともなると高額で取引されている物でもある。
「そうだよ、自慢しに来たのか」
「大人なのにカードが趣味なのかよ、ダサ」
「やかましい。 それで、これは五百円くらいの物だろう、何でこれを万引きしようとしたんだ? 親は金が無いのか?」
「馬鹿にすんな!それくらい持ってるよ!」
田中に親を馬鹿にされたと思ったのか、怒る亘の友達は立ち上がり、手を強く握っている。
その返答を聞いた田中は、一つ頷くと言葉を続けた。
「別に馬鹿にしてないから座れって。じゃあさ、お前達が万引きしたのは何の為だ? 金があるなら普通に買えば良かっただろ?」
「……」
「まあ、スリルを味わうためとか、悪い事してる俺カッコいいとか思ってだんだろうが、それ、最高にダサいからな」
「……」
「別に店の事考えろとかは言わん。お前達の年頃じゃ、店が潰れるとか、生産者のことを考えろっつっても分からんだろうからな」
「そんなこと!」
「分かるのか? 分からないだろ? 分かるなら万引きなんてしないんだよ。 だからな、先ずは親の事を考えろ。お前らが捕まって刑務所に入ったら悲しむだろ?」
「万引きくらいで刑務所いかないだろ」
「行くんだよ、窃盗罪だからな。お前らは親を悲しませたいのか? 亘、お前の親父さんは立派な人だぞ、子供の為に働いて尊敬できる人物だ。友達の、えーと、名前は何だっけ?」
「啓太」
「そうか、俺は田中だ。 えっとな、啓太の親だってお前らの為に働いて……」
「働いてない」
「……え?」
「家、大地主だから働かなくても良いって言ってた」
「啓太の家、お金持ちなんだよ」
まさかの返しに驚く田中。
大人として、子供達に懇々と鬱陶しい説教を続けていたのだが、まさか親が働いていないとは予想外だった。
亘の友達、真島啓太の親は多くの土地を所有する大地主である。その土地を不動産屋に貸出、マンションやアパート、駐車場を建設して所得を得ているお金持ちだ。
だから、説教の前提となる、必死に働く親の悲しむ姿を思い出させるという作戦が、通じなくなってしまったのだ。
「俺の父ちゃんが言ってた。働く奴は馬鹿だって」
「親の言うことは信じるな、働く人はとても立派な人達だ」
俺と違ってな。そう続きそうな言葉を吐く田中は、咳払いをすると、話を再開した。
「うおっほん! とにかくだ、万引きは犯罪だ。親の悲しむ姿を見たくないなら、二度とそんな事すんなよ。学校の友達にバレたら馬鹿にされるからな、分かったな!」
最後は苦し紛れになってしまったが、田中に出来るのはここまでだ。これ以上、言葉を並べても教えることは出来ない。
田中が二人を追ったのも、お世話になった麻布針一の息子がいたからで、全く知らない他人なら無視していた。
だからここから先は、各ご家庭でどうぞといった感じである。
最後に田中は二人を見る。
啓太は反省してないのか鼻をほじっているが、亘は下を向いて考え込んでいた。
少しは考えてくれたら良いなと思いながら、田中は二人の元を離れた。
ーーー
ふう、説教するつもりが、完全に舐められてしまった。
この社会はどうしてか、俺に歳上ムーブをさせてくれない。大学生やカズヤ達の時もそうだったが、どうしてか舐められてしまう。見た目だったり、収入だったりと、俺ではどうしようもなさそうなところを突かれてしまう。
俺に若者を正道に戻す力はないのかもしれない。
まあ、今回は亘が真剣に考えている様子だったので良しとしよう。
啓太は……もう手遅れかもしれん。
親が金持ちなら、親がどうにかするだろう。犯罪に走ったら、それは親の責任でいいだろう、もう。
それに、働く奴は馬鹿だなんて子供に教えて、ふざけてんのかって話だ。
子供が不幸な目に遭うのは嫌だが、啓太の親は不幸になっても良いのではないかと思ってしまう。
まあ、それは無いだろうがな。
ここ最近、ダンジョンを中心に周辺の地価が上がっているらしく、大地主と言うからには、相当な土地を所有しているはずだ。
まず金があれば、生活が苦しくなる事はないからな、いざとなれば土地を売るだろう。
考えるだけ無駄な事だ。忘れよう。
俺は一度振り返ると、鎧の進捗状況を確認しにショッピングモールに向かった。
ダンジョン11階
武器屋に行ったのだが店主はおらず、代わりに店員が対応してくれた。
それで、その店員に確認したところ、守護獣の鎧は明日には完成するそうだ。
師匠が珍しく楽しんでいると、嬉しそうに店員が話していた。だから、楽しんでも良いが、良い仕事してくれと伝言を頼んだ。
明日の昼に来ると店員に伝えて武器屋を出る。
そして、ダンジョン11階に来ているのだが、今日は人が少ない。
少ないってか、一人も見掛けない。
今日がイベントの日というのもあるのだろうが、他の探索者をまったく見掛けない。いつもなら、そこかしこでカンカンと音が鳴っているのだが、今は無音である。
モンスターのカサカサとした小さな足音さえも聞き取れるほど静かだ。
暫く歩くと、カラカラと台車を引く音が聞こえて来る。
それを引くのは中年の一人の男性だ。顔は汚れ、台車には鉱石と採掘道具が乗っており、採掘の帰りだと分かる。
俺は手を上げて挨拶をすると、彼も疲れた顔にニッと笑みを浮かべてすれ違った。
言葉を交わさなくても通じるものはある。
恋人の祭典のようになったこの日に、一人で採掘作業。俺は彼をカッコ悪いとは思わない。何故なら、そう思ってしまうと俺もカッコ悪くなるからだ。
彼はカッコ良い。
彼はカッコ良い。
だから俺もカッコ良い。
俺はこの日、ひたすらに大穴を作って過ごした。