百六十九日目
ふんふふ〜んと鼻歌を歌いながら、パンにキラービーの蜂蜜を塗る。
口に運ぶと、サクッとした食感と蜂蜜の甘い味わいが口の中に広がり、朝から最上の幸福を与えてくれる。
これが、女王蟻の蜜ならば最高になっていたのだが、贅沢は言うまい。
ドリップしたコーヒーを一口、うーん美味い。
インスタントコーヒーでも、ドリップしたと思い込めば一段と美味しく感じられる。
テレビを点けて、朝のニュースをチェックして行く。
誰彼の彼や彼女が不倫しただの、誰かの熱愛報道など、正直、俺にとってどうでもいいニュースだが、今は大変そうだなぁ、幸せになれよと大らかな気持ちで見ていられる。
昨日は臨時収入があったのもあるが、溜まっていたストレスが解消出来たのが大きい。やっぱり定期的なストレス発散と、ストレスを溜めない生活を心掛けるべきだろう。
病は気からとも言うし、これでまた一段と健康的な生活を手に入れたという事なのだろう。
運動も出来て、ストレス解消も同時に行える。お金が少々、いや、かなり掛かるのは難点だが、それでもダンジョンという場所は、健康的な職場なのかも知れない。
頭に来ることもあったが、昨日は概ね良い日だった。
待ち望んでいた相手と出会い、目的を達成することが出来たのだ。間違いなく良い日だろう。
負傷した探索者を見て思わず魔法を使ってしまったが、あいつらとは違うと言い聞かせて、冷静さを取り戻す事も出来た。
あいつらを、怒りの言い訳には使わない。
あの日決めたのだ、あいつらを理由にしないと。
だからこの感情は、ただムカついているだけで、あいつらとは無関係だ。
俺は気持ちを抑えて手を上げ「よう」と挨拶をすると、あちらは槍で返してくれた。
中々デンジャラスな挨拶だったが、それは以前にも見ていたので、片脚を引いて半身になれば簡単に避けれた。
お返しと不屈の大剣が火を吹くが、流石の彼も俺の剣を一度受けているので楽に去なされてしまう。
ふっと笑い心に火が灯る。そこから怒涛の戦いが始まった。
とは言っても、以前は多勢に無勢で劣勢だったので逃走を選択したが、一対一で戦えば負けは無い。
百を超えるホブゴブリンに囲まれながらの戦いは、幾らなんでも厳し過ぎたのだ。
だから、今回の戦いは油断さえしなければ問題ない。
甲冑ホブゴブリンが、馬から降りてからが戦いの本番だったとはいえ、トレースでその動きを学習していけば、十分に対処出来る範囲の力量だった。
時間を掛ければ掛けるほど、彼方の優位は崩れ、奥の手である槍の伸縮能力も見破り、掠りはしても、直撃は免れる。
最後は不屈の大剣で、上半身と下半身を泣き別れさせて決着を付けた。
ふうと息を吐き出し、清々しい気持ちで達成感に酔いしれていると、馬がご主人の甲冑ホブゴブリンに近寄り泣くように嘶きを上げた。
そして、全身から色が抜けていき、やがて霧となって消えて行った。
それはまるで、主の冥府への旅路を追って行くようにも見えた。
そして、俺の足元にはスキル玉が転がっていた。
まあ、何はともあれ、武器屋の主人からの依頼も達成出来てホクホク顔である。
今日はこれから、甲冑ホブゴブリンが使っていた槍を届けに行くつもりだ。ついでに、新しい防具も購入しよう。昨日の戦いで勝利したとはいえ、無傷という訳にもいかず防具が破損してしまったのだ。
あと、昨日の探索者にも連絡を取って、いつ振り込んでくれるのか聞いとかないといけないな。
ーーー
守護者の伸縮槍
魔力を流し、自在に長さを変える事が可能。非常に頑丈でしなやかな作りをしており、魔法を使う際の補助機能も備わっている。
※かつてデミンズ王国に仕えていた近衛兵が使用していた物。
攻撃力 45
耐久値 73
買取価格 千七百万円
ーーー
守護獣の鎧(馬)(破損)
装備すると馬を召喚出来るようになる。馬の種類、能力は装備者により変わり、人によっては強力な相棒にも駄馬にもなる。また、高い耐久性を誇り、魔法によるダメージも軽減する。
※かつてデミンズ王国に仕えていた近衛兵が使用していた物。
耐久値 115
特殊効果 召喚(馬)
買取価格 二千万円(四千五百万円)
ーーー
うん良い物だ。が、デミンズ王国ってなんだ?
そこん所どうなんだと武器屋の店主に尋ねると、稀にありもしない国の名前が表示される事があるそうだ。
へーと感心して、面白そうな話だなぁと思っていると、店主から忠告を受けた。
「調べるのはやめとけよ、面白半分で調べた奴は皆んな死んじまったからな」
普段はアホ面下げた店主が、真面目な顔で俺を見ている。そんなに俺が心配なのだろうか。
「誰がアホ面だ。斬り刻むぞ」
おっと、つい口に出してしまった。
別に他意は無いんだ、ただ珍しかっただけなんだよ、と言い訳をしておく。
それで、どういう事だ?死ぬって物騒だな、そんなに危ない話なのか?
ん?知らない?調べていた知り合いが全員いなくなった?
それって、夜逃げか蒸発しただけじゃないのか?
そんな奴らじゃないって?
まあいいや、とにかく調べなきゃ良いんだろ?
それよりも、この槍を買い取るって言ってたが、一つ提案があるんだが……。
その提案とは、守護獣の鎧を使えるようにしてくれというものだ。
以前、魔鏡の鎧をサイズ変更出来るようにしてくれたから、今回もやってもらおうと思ったのだ。
鎧としての性能も特殊効果も申し分なく、これを購入しようとしても、まず手に入らない。それなら自分で使おうと考えたのだ。
「……足りんぞ」
は?なにが?
「金が足りんと言っとるんだ」
いやいや、千七百万円もする槍を売って足りないってないだろう。冗談きついぜ〜。
……えっ、マジ?
話を聞くと、最低でも二千万円は掛かると言う。
上半身と下半身を別れさせたのがいけなかったようだ。やるならスマートに首元を狙うべきだった。
えーマジかよーと気落ちしていると、今度は店主からある提案を受ける。
それは、店主と手合わせをしろというものだった。
やるのは鎧が使えるようになってからで良いと言うが、そんな事で良いのかと逆に心配になる。
店主の見た目は、六十歳は超えたおっさんだ。そんなおっさんが若い俺と手合わせして、一体何のメリットがあるというのか。
理由は店主にしか分からないのだろうが、別にそれを聞く気はない。何故なら、下手に問いただしてやっぱ無しになっては困るからだ。
だから俺は、何も言わずに了承した。
武器屋を出ると、設置された椅子に座り電話を掛ける。
相手は昨日の探索者のリーダーだ。
彼女達は甲冑ホブゴブリンにやられていたが、命に別状はなく、ポーションで治療出来る程度の負傷だった。
その彼女達から慰謝料を頂く約束をしているが、いつ貰えるのか知りたくて連絡したのだ。
もしもし田中です。はい、はい、あっそうですか、えっとですね、化粧品の販売ではないですね。
どちらの田中さん?
昨日の田中さんですね。
違います、鬼畜な田中さんではないですね。
昨日のダンジョンで出会った田中です。貴方達に命を狙われた田中です。ここまで言えば分かりますかね?
やっとどの田中さんなのか、分かってもらえたようで一安心だ。
それで、弁済の方は直接会ってお礼を言いたいらしく、明日の朝にでも時間を作ってもらえないかと言う。
まあ貰えるならと、明日の朝イチでギルドで待ち合わせとなった。
電話を切り、ふうと息を吐いて疑問を覚えた。
お礼ってなんだ?
何に対してのお礼だ?
もしかしてお礼参りか?
わざわざギルドに呼び出すのも、仲間の探索者達で囲んで俺を襲うのか?
どっちが鬼畜だよ、昨日のは完全にあっちが悪いだろうが。
いやいや、まだそうと決まった訳じゃない。思い込んで、無用なトラブルを起こしても困る。ただ、念のために準備はしておこう。
ダンジョン31階
破損したプロテクターを身に着けてダンジョンを歩く。
破損したとはいえ、使えない訳ではない。体と頭部が壊れているが、腕や足を保護する箇所は問題なく使える。
急所が保護されてないのは如何なものかと思うだろうが、今は購入する金も無いので、これを使うしかないのだ。
おっしゃと気合いを入れて探索を開始したのだが、相変わらずの長閑な風景に気が緩みそうになる。
そんな風にしていると、不可視の風属性魔法が襲ってくるので、油断大敵である。
巨大なハンマーのような風の塊が背後から吹き荒れる。
こちらも風属性魔法を操り、自身を巻き込むように風を唸らせた。
互いに違う方向に吹く風は互いに削り合い、全てを消費して霧散する。
振り返り、霧散した方向を見ると、六体ものホブゴブリンがいる。その中の二体のホブゴブリンがこちらに向けて手を伸ばしており、恐らく二体同時に魔法を使ったのだと思われる。
合体魔法かな?
なんだか面白そうだな。
また使ってくれないかなぁなんて考えていると、前衛の戦士が向かって来るのが見えた。
地属性魔法で石の槍を三本作り出すと、速度上昇の魔法陣を展開してモンスターに向かって発射する。
甲高い音が少しだけ鳴ると、次の瞬間には三体のホブゴブリンが倒れる。腹に大きめの風穴を開けてしまったのだ。
残り三体は魔法使いと弓使いである。
俺は残ったホブゴブリンに向かって走り出す。そして、一歩踏み込むと同時に風属性魔法を操り、自身を砲弾のように打ち出した。
高速で飛来する俺。
更に風を纏い、軌道を修正して右足を突き出す。
食らえ!ライ○ーキック!!
神鳥の靴に鉤爪を生やし、弓使いのホブゴブリンに直撃、掴んで地面に引き摺り倒した。
ズザザーと着地すると、残る魔法使いのホブゴブリンに向き直る。すると、二体が右手と左手で手を繋ぎ、残った手をこちらに翳していた。
魔力が唸るのを感じ取る。
魔法使いの前に小さな旋風が発生したかと思うと、あっという間に竜巻きへと大きくなる。更にその竜巻には炎が巻き付き、熱風と激しい風が吹き荒れていた。
おお、これが合体魔法かと感心する。
でもそれだけ。
不屈の大剣に魔力を流すと、横一文字に剣閃を飛ばし、炎の竜巻ごと魔法使いを切り裂いた。
二つの魔法属性の組み合わせの参考にならないかと見ていたが、今のは何か違う気がした。
風を送り炎の威力を上げているのだろうが、わざわざ足の遅い竜巻ではなく、直接飛ばす火球でも良かったはずだ。それに、威力を上げるなら魔法陣を使った方が早い。
俺も地属性魔法と風属性魔法を持っているのだから、二つを組み合わせて、どうにか有効活用したいものだ。
今後の課題だなと思いながら探索を続けて行くのだった。
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田中 ハルト(24)
レベル 26
《スキル》
地属性魔法 トレース 治癒魔法 空間把握 頑丈 魔力操作 身体強化 毒耐性 収納空間 見切り 並列思考 裁縫 限界突破 解体 魔力循環 消費軽減(体力) 風属性魔法 呪耐性
《装備》
不屈の大剣 神鳥の靴
《状態》
デブ(各能力増強)
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