幕間17(天津道世)
探索者協会にある会議室は荒れていた。
昨日、何者かにサイバー攻撃を受けたのだ。
その対策を検討するはずの会議だが、責任を追及する声だけが聞こえて来るばかりで、一向に進展しない。
と言っても、今回の攻撃は内部から行われたものであり、責任を追及するというのも、或いは間違った対策ではないのかもしれない。
本来、探索者協会のセキュリティ対策は厳重で問題ないはずだった。
しかし、ある職員が本来使用を禁止されているUSBを差し込み起動させたのだ。
それは探索者協会の保有するデータを外部へと流出させる物であり、止めにサーバーをダウンさせる機能が備わっていた。
異常発生に混乱する協会内だが、その職員が走って逃げ出したのを見た者がおり、探索者協会から出る前に捕獲した。
「それで、その職員は死んだのか?」
「はい、取り押さえると同時に自害したようです」
質問したのは探索者協会の副会長である男であり、協会の会長に代わって各所と調整を行ったりしている人物でもある。また40階突破者で、歴戦の猛者でもある。そして日頃のストレスのせいで、頭頂部が寂しい人物でもある。
そんな副会長を前にしても、質問された女性も事実を淡々と答えており、臆する事はない。この女性も元探索者であり、その胆力は並みではないからだ。
「失態だな、それでは誰の指示でやったのか分からないではないか」
「はい。ですので探索者監視署に応援を要請しています。あそこには、死者から情報を得る手段がありますので」
「黒一の所か、歯痒いな。 こちらでも職員の素性は調べているのだろう、報告書はいつまでに上がる?」
「夕方にはまとまるかと。 これまでに分かっているのは、この職員は元探索者ではなく、情報処理の為に外部から雇用された人物です。 業務態度も真面目で、問題のある人物ではありませんでした」
「問題無いと言っているがな、現状起こっているんだ! 誰がこの職員を雇うと決定したんだ!?」
「……それは」
副会長の質問に口篭る女性だが、会議室の中央に座る人物から助け舟が出される。
「黙りな、彦坂。 その職員を雇うと決めたのは私だ。だからどうしたってんだい?」
彦坂とは副会長の名前だ。
その彦坂の質問に答えたのは、探索者協会会長の天津道世である。
道世は面倒そうにしており、お茶を一口飲む。
そして彦坂を見ると、その彦坂も負けじと睨み返す。
「どうしたではないでしょう!? これは由々しき事態ですよ! 探索者協会の信用に関わる出来事だ! 協会に登録している探索者達の情報が漏洩したんです! 幾ら貴方でも、これがどれだけ問題なのかお分かりでしょう!?」
「だから五月蝿いよ。 そんな事分かってるさ。 記者会見の準備と事情説明の資料を用意しときな」
「何を簡単に言ってるんです! 下手をすれば協会の管理が国に取られるんですよ!」
「それは無いから安心しな。 なるなら、とっくの昔になってるよ」
「それは……そうですね、失念していました。 時代が代わっても、探索者を制御するのは難しい。態々出張る必要も無いと言った所ですか」
「そうだ。 まあ、昔を忘れていなかったら、だけどね」
「ですが、探索者の情報が漏れたのは事実。 何かしらの介入はあるのではないですか?」
「まあ、それも調査結果が出てからだね。 黒一の坊やが来るんなら、任せて良いだろうよ。 私に恩を売っておきたそうだからね、頑張るんじゃないかい」
道世はそこまで言うと、どっこいしょと立ち上がり窓から下を見下ろす。
そこには簡易テントが設置されており、素材の買取りのみを行っている。そこには太った男も立っており、復帰したのだと安堵の息を吐いた。
そして、自己嫌悪する。
何を以て安堵したのかと自問したからだ。
自分の目的の為か、それとも達成出来る可能性が潰えなかった事に安心したのかと自問する。
「会長……?」
呼ばれて意識を会議室に戻す。
副会長である彦坂が発言を始めて黙ってはいるが、ここには探索者協会の役職者達がいる。
普段は殆どの仕事を彦坂に任せているが、強さを尊ぶ探索者にとって、この場で最も強い会長の言葉は重い。だからこそ、会長の指示を待っていた。
「先ずは復旧の為に全力を出しな、それと九州支部と東北支部に今回の件の連絡だ。 探索者への連絡も忘れるんじゃないよ、紐付けしている口座の変更も促すようにね。 それから損害については……」
一通り指示を出すと、記者会見の準備の為に会議は終了する。
道世は会議室を出ると、会長室に向かう。
そして、会長室の前には、黒いスーツの男が立っていた。
「どうも、お久しぶりです会長」
「来たのかい、話は聞いているだろ? さっさと仕事しな」
「ええ、ですが、何処からの攻撃かは、会長も分かっているのではないですか?」
嘘を貼り付けたような笑顔を向けて来る黒一。その問いに、ふんと鼻を鳴らして面倒そうにする。
「大方、ネオユートピアの連中だろうよ、娯楽を拒否した事への嫌がらせだろうさ。若しくは情報を売るためだろうね」
「何故、闘技場の話をお断りになったので?」
「そんなの、お前が一番分かっているだろう。 探索者同士の争いは、たとえ見せ物でもやるべきではないんだよ」
「ダンジョン内ではないですが、この催しは止めるべきでしょうね。 馬鹿をやる輩は必ず出ますから」
外で行われるだけなら問題ない。
しかし、公共事業として探索者同士の戦いを見せる事で、どのような影響が出るのか予測出来ない。
だが、ある程度なら、どのような事態が起こるのか想像は付く。
ダンジョン内での探索者同士の争い。
この事業の影響で、人同士で争う事へのハードルが下がるのを恐れている。じゃれ合い程度なら笑って済まされるが、命を奪ってしまえば、それによって得る力に酔う輩が必ず現れる。
それは新たな魔人を生み出し、余計な仕事が増える事を意味していた。
だからこそグラディエーターの開催に反対し、参加する探索者を探索者協会から除名するとまで伝えたのだが、残念ながら効果は薄かった。
何故なら参加する探索者の全てが、探索者を引退しているか、企業と契約している者に限定されたからだ。
現役でなくとも、その殆どがプロと呼ばれる30階を突破した者達だ。一般人では到底不可能な、迫力のあるアクロバティックな戦闘をするだろう。
これはダンジョンの宣伝効果にも繋がるが、今はそんなものが必要ではないくらいに忙しい。それに、有象無象を呼び寄せても邪魔でしかない。
「データの使われ方も大体の予想は出来るが……さて、どれくらいの人数が行くのかね」
大方、ネオユートピアの連中のスカウトに使われるだろうと予想している。プロ以上の探索者のデータを取られたのは痛いが、それでも道世は焦る事はない。
「……余裕ですね。貴女にとっては、何でもない有象無象と言った所でしょうか」
「人聞きの悪い事言うんじゃないよ。 これでも頭を悩ませているんだ、探索者協会の信用問題だからね」
「……田中さんでしたっけ、貴女が目を掛けているのは。 彼、殺しても良いですか?」
黒一の目の前から会長の姿が消え、代わりに刃が首を狩らんと恐ろしい鋭さで走る。
しかし、いつの間にか黒一の腕には手甲が嵌められており、首元に腕を回してそれを防いだ。
音は無かった。衝撃だけが廊下を駆け抜け、防弾ガラスを激しく揺らした。
「冗談でも挑発するんじゃないよ、その首飛ばすぞ」
「おお怖い、以後肝に銘じておきます」
黒一は大袈裟に頭を下げて、道世に謝罪する。
その下がった首を落としてやろうかと考えるが、ボロボロになった右手にある刀を見て諦める。
厄介な物を持っている、そう思いながら収納空間に刀を仕舞った。
「何か分かったら彦坂に言いな、あいつが何とかするだろうよ」
そう言って道世は会長室に入る。
残された黒一は頭を上げると、何とも感情の読み取れない表情で呟いた。
「復讐のため……ですかね」
事情を全て知っている訳ではないが、知り得た情報を繋ぎ合わせると、そう結論付けるしかなかった。
目を付けられた田中も難儀だなと思いながら、黒一は仕事に戻るのだった。
会長室に入った道世は椅子に座ると、机の上に置いてある写真立てを見る。
そこには若き頃の自分がおり、まだ健在だった母が微笑んでいる。その周りには仲間達がおり、お世話になった人達や最愛の人もいる。若い道世は赤ん坊を抱えており、この頃は未来に向けて希望しか抱いていなかった。
幸せだった。
何も心配する必要はないと思っていた。
周りには仲間がおり、皆優しく、そして強かった。
別れなんて考えた事もなかった。きっといつまでも一緒にいるのだろうと思っていた。
それがもう四人しか残っていない。
寿命で逝った者もいるが、殆どの者がある存在の手によって命を奪われた。
『お前ではない……』
嘗ての出来事を思い出す。
道世は写真を前に倒すと、引き出しから一つの資料を手に取る。
そこには鼻をほじる太った男の写真が添えられており、資料には男のプロフィールとステータスが記載されていた。
ーーー
田中 ハルト(24)
レベル 24
《スキル》
地属性魔法 トレース 治癒魔法 空間把握 頑丈 魔力操作 身体強化 毒耐性 収納空間 見切り 並列思考 裁縫 限界突破 解体 魔力循環 消費軽減(体力) 風属性魔法
《状態》
世界樹の恩恵
ーーー
田中は探索者協会に登録していない、モグリの探索者だ。
別に法律に違反している訳ではなく、特に問題はないのだが、探索者を管理している側からしたら情報は把握しておきたかった。
幾ら探索者協会に登録した方がお得だと宣伝しても、一定数の変わり者は出て来る。
そこで考えたのが、ステータス測定器の設置である。
一回100円と格安に設定し、探索者ならば必ず訪れるであろう武器屋に設置したのだ。
ステータスを測定したデータは武器屋の店主がチェックして、気になったデータを道世に直接送っている。
武器屋に設置されてから十年以上、何の音沙汰も無かったのだが、数ヶ月前に連絡が来た。
〝異様な奴がいる”
変な連絡だと思っていたが、事実そうだった。
異常なまでのスキルの数、状態を示すものに〝デブ”と間違ってはないが異様なまでにストレートな表示がされていた。
気になり接触したのだが、そこで理解した。
コイツはクイーンビックアントの蜜を食べてるなと。
男と接触するより前に、クイーンビックアントが討伐されたのが11階で発見された。その腹の中に蜜が詰まっているかと思われたが、残念ながら空になっていた。
恐らく、全て食べられたのだろう。
量がどれだけあったのか分からないが、少なくとも売り払われた形跡は無かった。
ならば、この異様な男に食べられたと考えて間違いないだろう。
文句を言うつもりはない、ダンジョンで得た成果物は、それを得た探索者の物なのだから。
それは良いのだが、武器屋の店主の言う事が本当なら、この男のスキルの数は異常な早さで増えていると言う。
情報は貰っていたが、それを信じろと言われて納得出来るはずもなく、呪われたアイテムを身に着けたと連絡があったので、これ幸いと人物の鑑定を行わせた。
〝世界樹の恩恵”
スキルの数は確かに多かったが、この項目を見たとき目眩を覚えた。
コイツは私と同じだ。
ならば、これから辿る道も私と同じ事になるだろうと、そう考えるのは自然だろう。だが、道世と決定的に違う所がある。道世には仲間がおり、田中は一人だという点だ。
一度作ろうとしたようだが、不幸が重なり仲間を得る事は出来なかった。
そのトラウマからダンジョンから遠ざかっており、これで引退するならそれまでだと思っていた。しかし、見る限り無事に復帰したようだった。
これから探索者を続ければ、いずれアイツが立ちはだかるだろう。
道世の仲間を殺したアイツが、必ず田中の前に姿を現す。
そこでどうなるのかは分からない。
殺し合いになるか、見逃してもらえるか、それはアイツの気分次第だろう。
ただ願わくば
「どうか殺しておくれ」
呟いた言葉は虚空へと消えた。
ーーー
天津道世(65)
レベル 53
《スキル》
空間魔法 料理 収納空間 魔力増大 高速思考 魔法耐性 看破 状態異常耐性
《状態》
世界樹の恩恵(破棄)