P33 あの灯台まで会いに来て
僕らはある日突然に多くの物を奪われた。
当時はまだ本当に子どもで、奪われた物が何であったのかをよく理解してはいなかった。
今になって無くなった物が大きくなっていく、それが居ないことが重くなっていく。
奪われた人たちは対価をもたされた。
それは肉だった。
僕の目の前、車の中には大きな肉の塊と半透明な乳白色の液体が隙間なく満ちていた。
僕と姉は車外に居て、父と母は車内にいた。
近くの漁港にちょっとした小旅行に来ていた。
家に帰ると、戸締りされた家の中にも肉の塊と乳白色の液体が満ちていた。
僕らはそのまま親類の家に引き取られた。
「やっぱ、あれは宇宙から来たアレなのかな」
あれから数年の月日が経って世界はゆっくりと姿を変えていた。
すべての始まりはあの漁港だった。
僕と姉は数年前からあの事件について調べていた。
「だからそういうのは良いよ、この前見た映画の影響、もうちょっと現実的な部分というか僕らでも理解できそうな範囲で考えたいって言うか」
別にこれで何かが変わると思っているわけでもない、長い夏休みの自由研究と言えばそれも間違いではない。
僕らにあの現象を解決できるとも思っていないが、何かすることでいつか何か起きるのではないかと、ただそんな漠然とした希望とアテもない報酬を期待して毎日を過ごしていた。
あの漁村に端を発した事件は、徐々に影響範囲を広げ致死性の自然現象として猛威を振るっていた。
これを自然現象と呼ぶのかはさて置いて、何の前触れもなく密閉された空間を水と由来不明の肉の塊が満たす現象はこれまでの科学では全く対応することはできず対応は後手に回っていた。
国は非常事態宣言を出し対策を進めるも、問題は収束どころか原因の一端すら掴めずにいた。
「あ、あとそれでね、国の実験報告が発表されててさ、前言ったどういう条件で現象が発生するかってやつ」
「あーあったね、私まだ見てないやどんなだった?」
「例えば車、車両はドアが閉じていれば起きる、ちょっと窓が開いていても起きる。厳密な密閉空間である必要は無くて、おおむね閉鎖されていれば再現性があるみたい、住宅とかは規模によっては窓が一か所空いているぐらいだと発生する可能性があるっぽい、いずれにせよ微細な空気の通り道などは特に密閉具合の要素としては考慮されないっぽいから、少なくとも2か所は窓を開けていないと危ないっぽいね、姉さんのアカウントにULR送っとくよ」
「換気とか関係あるのかな」
「どうだろね」
「ほかには?」
「あとはどの程度の距離で影響が起きやすいかの指標実験とか、基本的には大きい密閉空間の方が発生しやすく小さい密閉空間の方が発生しにくい、初期地点の漁村がやっぱり中心になってるらしくてそこから徐々に毎年影響範囲が広がっているっぽいね、初期地点に近づくほど小さい空間にも発生しやすくなってる」
「まぁおおむねこれまで言われてた通りか、じゃあ、はい私からはコレ」
「なに?」
「事件発生時の現象の足跡。衛星情報とか当事者の聞き取りから調査が進められて先月海外メディアで発表されたヤツ、一か月かけて翻訳したんだよ、すごいでしょ」
「すごい」
「へへー、これによると最初の発生現場は漁村から少し離れた車両用品店の周辺あたりみたい、そこから現象の発生点が移動しているらしくて、一度漁村へ移って、そこから岬の灯台に向かってそこで止まってるみたい、それが今の初期地点と呼ばれる場所になって少しずつ今も広がっている」
「灯台……か」
「あの日、ミナトがまだ帰らないって駄々こねてさ、私が説得して、父さんたちは車で待ってたんだよね」
嫌な記憶……と言うほど記憶に残っていないのが正直なところだった。
ショックで忘れてしまっているのか、子供のころ過ぎて単純に覚えていないだけなのか。
実家が失われ家族の写真なども残っていない今、両親の顔も少し曖昧になってきている。
「そう、だったっけ、ええと、これってつまり何かの発生源が移動してて、最終的に灯台にたどり着いて、そこに僕等がいたってことだよね」
「わかんないけど、これ見る限りだとそうなるよね」
「姉さんなんか見てない?」
「流石に覚えてない、と言うか、そもそも何かも分からないし、何なんだろう発生源って」
「さぁ、見当もつかない、宇宙人とか?」
「宇宙からのあれこれを言うなって言ったのミナトでしょ」
「冗談だよ」
「ねぇ、ミナト」
「……何?」
「ねぇ、ちょと行ってみない、灯台、行ったらなんか思い出すかもだし」
少し予想はしたが姉の口から出たのはとんでもない言葉だった。
「いや、やだよ、やだやだ、危ないよ、嫌だから、そもそもあそこ辺りって封鎖されて入れないでしょ?」
「範囲が広いからね、警備員を大量に置くのも危険だし結構ザルだって聞いたよ、この前youtuberが入り込んでたじゃん、ミナトも見たでしょ、大丈夫。いろいろ密封しなければ大丈夫だよ、自転車で行けば……それに」
「そ、それに……?」
「話をしたら、思い出しちゃって、会いたくなっちゃったん、ですよね……あの日、母さんに言ったんだよね、二人は車で待っててって、張り切ってぶーたれるアンタの事説得してた、ミナトの面倒私が見るんだって、こんなことになると思ってなかったから、これが正解だと思ったのに間違いだった、だから……」
「そんなの」
駄目だとは正直のところ言えなかった。
そこからしばらくは下調べが続いた、どこからが入り込みやすいか、本当に安全なのか、とか。
ホームセンターで道具を準備して、叔母さんの予定を調べて、何度も地図を確認した。
ネットには結構出向いている人がいるようでレポートもちょくちょくと上がっていた。
漁村まで入り込んで撮られた写真がアップロードされていたり、中には灯台に近づいている人もいた。
実際、国道にはバリケードこそあったが広大な土地すべてを囲うことなど出来るはずもなく思った以上に素通りすることが出来た。
密閉容器を持ち込めない都合上、どうしても水分の持ち運びが難しく決行は秋口となった。
リュック類なども密閉環境を作ってしまうのでカゴに荷物を詰め込んだ。
水分量の多い果物などを多めに持っていく、youtubeでいろいろと知識を集めた。
バリケードを過ぎてもすぐに景色が変わり映えすることは無かったが、次第に空気に腐臭が混じり始め大気がどことなく赤みを帯びてきた。
胃液が持ち上がる感じがした、もうちょっと早く食事をとっておけばよかった。
驚くことに人を見かけることもあった、ただこういった場所に入り込むのは多くが窃盗目的、良くて自宅を見に来たような人だと聞く。
関わって得することは無いと先人もそうネットに書き残す。
そういった人との接触は避けつつ、僕らはあの日の灯台を目指した。
次第に点々と肉水槽が見られるようになった。
撤去などはできず人々はここを離れたようで、その多くがそのままに残っていた。
中には器が壊れて中身が飛び出したものもある、それらは例外なく動きを止めおそらくは死んでいた。
「これがあれだ、車用品店」
大きな建築物がそのまま肉の容器となっており、隙間から絶えず液体があふれ出ている。
今でも肉は動いていて、お店そのものが生きた肉を育てているようにも見えた。
最初の現場となったエリアを過ぎると、その数は急激に増えて行った。
道に車が並び、そのすべてに未だ動く肉の塊が詰まっていた。
そして次第に灯台が見えてくる。
本来はまだ見える距離ではないのに、灯台が見えてきた。
「これ……やばいかな、動画の灯台こんなことなってなかったでしょ」
「やばい、やばいけど、このまま帰るのも……やばいでしょ」
灯台は宙に舞い上がり、その下部からは大量の肉が触手のようにのたうち、その姿はどことなくイカのようにも見えた。
その上部からは強い、赤い光が絶え間なく回転しており、ゆっくりと定期的に世界を赤く染め上げている。
灯台の中にあった肉塊が出てきているようにも見えたが、それはいまだ死んではおらず、空中でどくどくと定期的な脈動を続けていた。
駐車場にはその時のまま多数の車が残されており、姉は少しの間ぼーっとその光景を見渡した。
定期的な赤い光が、僕と姉を真っ赤に染め上げる。
「あった、この車だ……」
姉の指さす先には子どものころ、僕らがここへ来た車が残っていた。
それは当時のまま、僕が石を投げて作った傷もある、随分と怒られたので覚えている。
その車内には肉の塊が浮かんでいて、もしかしたらその一部やあるいはそのすべてが父や母なのかもしれない。
それとも全く違う何かなのかもしれない。
「なんか思い出す? 未知の発生源とか」
「やーはは、なんもだね、まぁ当然だけど」
姉は笑って答える。
沈黙、ただそれは決して嫌な沈黙ではない。
少し懐かしい。
「ドア、開けてみる? 何かできるかな」
「無理……じゃないかな」
もしかしてこのドアを開けて、中身を取り出したら、何か出来ることがあるかもしれない。
遺品とか見つかるかもしれないし、もしかしたら父と母はこの中で生きていてそれを引きずり出せるかもしれない。
冷静に考えれば、何かできるのであればとっくに大人達がとっくに何とかしているだろう。
助けられる手段があるのであればとっくに実施されているだろう。
仮に方法を考えている最中ならば自分たちが手を出して台無しにしてしまうかもしれない。
この肉が死んでしまえば父も母もおそらく完全にこの世から居なくなる。
この肉が動いている限り、僕らはあるかもわからない希望に触れることができる。
僕は自分で言うのもなんだけど結構利発に育った。
何かを判断するにはあまりにも知識が足りないことを理解していた。
「姉さん、もう、帰ろうか」
「そう、だね、早く戻らないと叔母さん仕事から、か、あ………………え?」
「どしたの?」
姉がしゃがみ込み、そしてそのままうずくまり、そしてゆっくり地面に手を置いて、そのまま横になった。
「姉さん? ちょと?」
「ちっ……ま、に、おな……かに、え……? い……や」
顔は青ざめていき、腹部が見る見るうちに膨れていく、何かを伝えようと発しているが、すぐに逆流した乳白色の液体が口から溢れて言葉は出なくなった。
このままでは窒息してしまう。
いや窒息とかそういう問題ではない。
今から何かして間に合うのだろうか、姉はどうなってしまうのか、見ているモノが信じられず、ただ見ているしかできない。
人間は密封された容器になりえるか、それを考えなかったわけではない。
ただそういった話を聞いたことは無く、被害にあった人間を見たことも無く、自然と考えることをしなくなっていた。
それが今そこに居る。
そうしてすぐに、僕のおなかの中にも何かが現れた。
立って居られない。
お腹が満ちると喉の奥が熱くなり、すぐにバシャバシャと音がする。
僕の中に何かがいる。
動いて。
とてもあつい。
体は頭からアスファルトに落ちた。
痛みは、よく解らなかった。
僕はゆっくりとその膨れ上がったお腹をさすり。
自分の体がただの肉の入れ物になるまで、ゆっくりお腹をさすった。