P28 WH2033と死の国
「ねぇ、一体あれは何だと思う」
私を背負った女性、魔女と呼ばれるその人は私にそう問いかけた。
「さぁ、解りません」
目の前に広がる光景を私は率直にそう答えた。
そこには言うなれば動く砦があった。
汚染による霞む大気、そのスモッグの向こう側に周囲の廃ビル群が小さく見えるほどの巨大な砦がありそれを巨大な車輪が運んでいた。
上部には長身の木で構成された森が広がり、巨大な二対の隻腕巨人が周囲を見渡している。
巨人の眼窩は暗く部分的な骨化が進んでいるようだが、それでも周囲を見渡し何かを探していた。
一体が手を伸ばし手ごろなビルを掴み、握り、そしてそのまますり潰していく。
旅の道すがら様々なアノマリーには遭遇してきたが、あれはその中でも飛び級でヤバい存在に感じられた。
「うげ、うわ、コレどうしょっか、とりあえず検索、なんか類似例を探して対応を検討」
「了解です」
「画像イメージも参照して、位置座標、類似の目撃情報、媒体も問わずにかき集めて、車輪の城塞、巨人二体、片腕、森、写真、本、アニメ、ゲーム、フィクション、ノンフィクション、神話、童話、寓話、噂話、昔話」
「出ました2件、いや1件」
「何?」
「絵本……ですね、タイトルはアーノルドと死の国」
アーノルドと死の国とはいわゆる教訓じみた要素を持つ絵本だった。
霧の深い日は森に入ってはいけない、そこには死の国がやってきて連れて行かれてしまうから。
死の国を見たら逃げなさい、巨大な轍を見たら逃げなさい、歯車が動く音を聞いたら逃げなさい、すぐにお家へ戻りなさい。
おばあさんは夜な夜なアーノルドへ死の国の話をして森の危険性を説くが、多感なアーノルドはある日おばあさんの言いつけを無視して霧の深い森へ入り。
「帰ってこないって感じか」
「時代によって結末はまちまちですが概ねそんなところですね」
「その話、こんなやばいルックスのが出てくるの?」
「いやそうでもないです」
原作に出てくる死の国は言ってみればもっと貧相なものだった。
むろんこれほどの大きさはないし、国を名乗るには少々チープな佇まいをしている。
車輪で移動する塔に座るステレオタイプなビジュアルの死神とその背後の樹木。
そういった姿が原典に描かれている死の国の姿だった。
「まぁ一定の類似性は見て取れるし、どちらが先かは分からないけど関係性はあるかもね」
「これをモチーフにその物語が作られた可能性もあるってことですが」
「無くはないでしょ」
「無くはないですが」
無視していくこともできるとは思うが、国である可能性がある以上、人がいる可能性も出てきた。
もっともそれは死者かもしれないが。
「幸いにして動きは遅いしデカくてトロい、寝ている間に影も形も無いってこともなさそうだから今日はここあたりで野営しよう」
「そうですね」
日が隠れて闇が来る。
夜の間も死の国は休むことなくその営みを続けていた。
死には休息も休暇も無いだろうが、勤勉なことだと思う。
営みと言ってもそれはゆっくりと車体を動かし、時折止まり二体の巨人が周囲のビルを潰すなどするルーチンの繰り返し。
もちろんそれには轟音が伴う。
もともと熟睡などとは考えていなかったが、それはたびたび物理的な振動すら伴い私にも強制的なスリープ解除がもたらされた。
日が昇っても大気は淀み、巨人たちは業務を続けている。
思いのほか機械的な仕組みで動いている存在なのかもしれない。
「一晩考えたけどとりあえずもう少し情報を探ろうと思う」
「具体的には」
「ドローンを使って上層部を撮影する、あと何機あったっけ」
「2機」
「背に腹かな、補給でも略奪でもできなきゃどうせ死ぬ」
死の国に接近する前に想定されうる事象を洗い出した。
巨人がこちらに気づきルーチンが変化した場合直ちにドローンを投棄して逃げる。
城塞部分が何らかの攻撃能力を保持している場合も同様。
とにかくこちらに気づいて死の国の定期的なモーションに変化が出るようならドローン偵察は中断するとした。
対象が友好的な可能性は捨て置いた。
「あとはなんかある?」
「ノーモーションで何かしてきたら助からないですね」
「それはもう死ぬしかない」
ドローンのローターが回転し有害なスモッグがぶわと膨らむように散る。
「この音好き」
「私は苦手です」
操作距離にも限りがあるため、少しずつだが距離を詰める必要があった。
魔女は少しずつ歩みを進め、私は彼女の背中から手を伸ばしドローンの操作に集中する。
高度が死の国の上層部付近まで達する、上空から望遠するがスモッグで視界は安定しない。
近づき、カメラを調整する、近づいて、再びカメラを調整。
それを繰り返す。
すると、ふと気づく。
「あれ、止まった?」
「巨人のルーチンは……」
巨人は動かない、行動を察知されたかもしれない。
私が進言する前に彼女は走り始める。
即座に反応し巨人が手を持ち上げる。
持ち上げて、そして、その先が良く見えない。
急激にスモッグが濃くなり、視界が急速に奪われた。
スモッグではない。
それは何か、もっと黒い何か。
ドローンとの通信が切れる。
それでも魔女は走り、私はその背中で激しく揺さぶられた。
「何だろ、これ、魔法?」
「魔女が言うの」
「言いたくもなる」
「……一つ想定から抜けている部分がありました、いや事前に想定が行える可能性はありませんが、今そうかなって思いました」
「何?」
「ストーリーテリング型現実改変……私たちがすでに物語になっている可能性です」
「なにそれ」
「警句を無視した魔女が死の国へ連れて行かれる物語、あるいは警句としての物語を認知した時点ですでに私たちは物語のレールに乗っていたのかもしれません」
「あの絵本を知った時点でアウトってこと?」
「何がトリガーなのかはわかりません、最悪視認したタイミングかもしれない、ただいずれにしても何らかの運命改変や現実改変の類を受けていた場合すでに手遅れです、最悪どこかの世界であなたが死の国に連れて行かれる本が出版されているかもしれない」
「さしずめ魔女スヌープバードと死の国かぁ」
そのまましばらく走った。
しばらくしばらく走ってようやく薄っすらと闇の向こうが見えた。
皮膜を引き裂くようにその薄曇りの向こうへ跳び出すと二つの光景が広がる。
一つは目の前の光景。
そしてもう一つは先ほどまで見ていた上空からの光景。
「カメラが回復……ドローンに、私たちが映ってます。私たちは死の国にいます」