4 告白
だけど、甘いファーストキスはすぐに終わった。檜山サンが俺の体をはねのけたのだ。
「なんで……! なんでこんなことするんだ!」
袖で口を覆いながら、彼は俺を見つめる。……驚かせてしまったのだろうか。だったら、俺は反省しなければならない。
「すいません。いい雰囲気だと思ったから」
「いい雰囲気……!? き、君は僕のことが好きなのか!?」
「はい。だから檜山サンの片想いじゃないんで、安心してください」
俺がそう言うと、彼は喜びに頬を赤らめた。
「いつ、僕が君に好意を寄せるようなこと言った!?」
「口に出してなくても分かりますよ。見てれば」
「……!」
「……知ってますよ。出会った時から、檜山サンは俺のことが好きだった。だから泣いている俺にハンカチを差し出したり、本を貸したり、俺の小説を製本したりして気を引こうとした」
「それは……!」
「でも、俺は兄の死に頭がいっぱいで、あなたの気持ちに応えられる余裕が無かった。すいませんでした」
檜山サンは、腰を抜かしたみたいになっている。そんな姿に、案外照れ屋な所もあるのだなぁとおかしくなった。
「だけど、小説を書いてみて良かった。感情をアウトプットするのは良いことです。お陰で俺もようやく兄の死に整理がついて、あなたの気持ちに応えられるようになれました」
「応えるも何も、僕は……!」
『愛してるよ』
ふいに檜山サンの言葉の裏が聞こえる。恥ずかしがって、彼が隠してしまっていた言葉が。
「僕はそんなつもりで言っていない! 勘違いをさせたなら申し訳ないが、僕は誰とも付き合うつもりは――!」
『よかった、僕も君を愛してる。ぜひ恋人同士になろう』
「君の思い込みは逸脱している! 適切なカウンセリングにかかって――!」
『僕の行動にこめた想いを汲んでくれてありがとう。君はとても魅力的な人だ』
「檜山サン」
俺の呼びかけに、「ヒッ」と檜山サンが息を呑む。その視線は、変わらず俺に注がれている。彼の世界を独占している事実に、改めて言いようのない喜びが湧き上がった。
一歩一歩、彼に近づく。檜山サンは、愛しい俺に見惚れ続けていた。
「……愛してます。本当に、愛してます」
彼が信じてくれるまで、何度も何度も繰り返す。膝をつき、火傷痕にかかった前髪を払う。そして、どこへも逃げられないよう、壁に両手をついて彼を封じ込めた。
少し開いた唇が震えている。またキスしたくなったけど、それより今は彼の為の愛の言葉を優先することにした。
「俺の全てをあなたに捧げます。俺の声、視線、手の向く先、思考の全てをあなたのものとしてください」
「……」
「俺には、あなたがいれば他に何もいりません。愛してます。あなたは、俺の全てです」
檜山サンの瞳が、風に吹かれた水面のように揺れた。
――本来なら、互いの息遣いが聞こえなければならないはずだった。なのに聞こえるのは俺のものばかりで、まるで檜山サンは呼吸すら止まったようだった。
少しの沈黙のあと、急に左肩に重さが宿る。手を置いて俺を軽く押し戻してきた彼は、何故か痛みを堪えるように顔をしかめていた。
「……君も……そうやって、全てを奪おうとしてるんだな」
誰が発したか分からない声が、耳に落ちる。それは酷く悲しげな声で、胸が締め付けられた。
呆然としていると、檜山サンの唇が動く。
「帆沼君、こういった行為は今すぐやめるべきだ。君の今抱いている独占的な感情は、自分も相手をも苦しめるだけに終わるものでしかない」
「え……!」
思いもよらぬ発言に動揺する。俺は、誤解を解くため急いで檜山サンにしがみついた。
「ちがっ、逆です! 俺があなたに全てを捧げようと言ってるんです! 決して独占的だなんて……!」
「一緒だよ。君の論は、自分自身を人質にして相手を縛ろうとするものに他ならない。破滅的で自己陶酔的で利己的。到底健全とはいえない感情だ」
「……!」
「すまないけど、君の要望には応えられない。僕は誰とも付き合わないし、君のものにもなれない」
――落ち着いた言葉に、全身から汗が噴き出す。頭から氷水をぶっかけられたみたいに全身の震えが止まらない。
なんて冷たいことを言うんだ。どうしてそんな酷いことを。本当に俺の目の前にいる檜山サンは、さっきまで俺に笑いかけてくれていた人と同じ人なんだろうか。
愛してるって言ってくれたのに。俺はちゃんとそう聞いたのに。
「……ッ」
次の瞬間、俺は檜山サンを突き飛ばしていた。
ダメだった。恐ろしくてならなかった。あの炎天下の道路に突っ立っていた時のように、俺の脳は煮えたぎって何も考えられなくなっていた。
俺は、鞄を掴んで外に飛び出した。
「帆沼君!!」
檜山サンが俺を呼ぶ声がした。それはきっと、裏とかじゃなくて表の声だったと思う。
だけど止まれなかった。俺の裏側まで見通した目に、今は一秒とも映っているわけにはいかなかった。
外に出た途端、蒸し暑い空気を胸いっぱいに吸い込んだ。どうかそのまま肺を焼き、内側から俺を消し炭にしてくれと願った。
そうして俺はひたすらに、どこへ行くともなく駆けていったのである。




