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現世堂の奇書鑑定  作者: 長埜 恵
第4章 ラ・マンチャの男は幸福なりや
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9 幻覚

 体が、重たい。

 一歩踏み出すごとに、地面から黒い腕が伸びて足を掴む。まるで、これ以上自分を進ませまいとするように。


(……行かなければ)


 白髪の男は、頭を振って幻を打ち払う。そうして恐怖ですくみそうになる足を、また持ち上げた。


(確かここに……)


 雑草が生い茂る場所をかき分け、錆びたハッチを剥き出しにする。ハンドルを掴み、深呼吸を一つしてから力尽くで回した。

 地下へと続く隠し通路が開かれる。視界の隅に誰かの恨めしそうな顔が浮かんで、消えた。


(……)


 吐き気が込み上げたが、何とか耐える。震えが止まらない。寒い。なのに火傷痕の部分だけはやたらに熱くて、煩わしくてならなかった。闇に向かう通路に体を滑り込ませる。空気の澱んだ匂いに、一度は堪えた吐き気がまた押し寄せてきた。

 ――通路の奥から、幼い自分の絶叫が聞こえる。だが、そんな彼を助ける者は誰もいない。父と母によく似た影が、「かわいそうに」「ごめんね」と焼けた鉄を向けてくるばかりで。

 皮膚が溶ける。溶けた皮膚が鉄にへばりついて、持っていかれる。剥がれた中身には、更にバーナーを近づけられて……。


(幻覚だ)


 汗が頬を伝って、落ちていく。


(傷は癒えた。父も母も……もう死んだ)


 父と母の信奉していたカルト教団が潰れた時。突如として精神的な支えが無くなってしまった二人は、それでもなおも教団存続の為に働きかけていたらしい。けれどある日、二人は首を吊って死んだ。よりにもよって、息子を焼いていた教団の施設の中で。

 そして、自分だけが残されたのである。


(……)


 ここに来るのは、父と母の死体を見つけた時以来だ。檜山は荒くなる息を必死で抑え込みながら、壁に手をついて歩いた。


(絶対に……助けなければ……)


 脳の片隅に残るのは、かろうじて自分を繋ぎ止める屈託の無い笑み。その存在がこの先にいると信じ、檜山は唇を引き結んで闇の中を進んだ。

 けれど、突き刺すようなこめかみの痛みに足を止める。


(……ああ、また)


 こめかみを押さえる。


(やめろ。僕は違う。あの人たちと同じじゃない)


 自分を嘲笑うかのように、痛みは激しく鋭くなる。罪の意識と凄まじい自己嫌悪は体を沈め、闇に浮かんだ薄笑いは自分の首に真っ黒な手を巻きつけてくる。そしてその手は、記憶の隅に隠したはずの彼にまで及ぼうとして――。


(触れるな)


 触れるな。触れるな。触れるな。

 ダメだ。いけない。それだけは許されない。

 そのバケモノが、彼に触れることだけは。


 恐怖に叫び出しそうになる。おぞましい存在に脳が食い破られ、残った部分すらじわじわと腐食させていくような。

 耐える。己の腕に爪を立て、血が滲んでも、それが過ぎるまでうずくまる。


(……行かなければ)


 けれど時間は有限である。歯を食いしばって、檜山は前を向いた。


(今度は、僕が助けるんだ)


 立ち上がる。闇に向けて、足を踏み出す。

 こめかみの痛みと醜悪な幻覚に己を削りながら、檜山正樹はひたすら前へと体を引きずっていった。

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